その225 飢人戦

 その時、頭に浮かんでいたのは、――昨日の朝、雅ヶ丘を出発する時に使った《火系》の魔法。

 燃えさかる火柱により”ゾンビ”を炭にしたあの力です。

 剣を取ることが恐ろしくとも、呪文を唱える程度なら難しくはありません。


 それからの攻防は、闇夜でダンスを踊るような、――二人でタップを踏むような。


 両馬さんの血塗られた爪は、五本の指それぞれが小型ナイフのように鋭く、その一振りごとが必殺の一撃だとわかります。

 刀を捨てて身軽な格好になった私は、その攻撃を丁寧に躱しながら、相手の動きをよくよく観察していました。


『――くそ、……ちょこまかと……ッ!』


 こうしてみると、よくわかります。

 どうやら両馬さん、どうしても自分の血を私の身体に入れたいらしい。彼、自ら指先をちょっとずつ傷つけて、投げつけるように血液を飛ばしているみたい。


 もし、彼の体液が”ゾンビ”毒と同等の性質を持つ何かであるとしたら。


 正直、あまりの恐怖に、震えが止まりませんでした。

 怖い。……怖い!

 自分が、自分ではない何かに変質してしまう可能性。

 殺されてしまった方がまだマシに思えます。

 私は少しずつ、なるべく相手に気取られないよう注意しながら後じさり、距離をとりました。


『君と! こんなにも長く! 渡り合えるなんて! 夢心地だッ!』


 心ざわつくその口調に、思い切り顔をしかめつつ。

 私は慎重にタイミングを見計らっています。

 武器もなく、防戦一方の私は、端から見れば八方塞がりに見えたことでしょう。

 ですが、手と足が出なくとも、まだ出るものはあります。

 私は大きく息を吸い込んで、


「――わぁッ!!!!!!!!」


 そう叫びました。

 ただ意味もなく叫んだ訳ではありません。《雄叫び》というスキルを使ったのです。その時の私の声は明らかに物理的な衝撃力を有しており、両馬さんを一時的に怯ませることに成功しました。


『――ッ!』


 声もなく、両馬さんは足を止めます。

 すかさず私は、追撃となる呪文を唱えました。


「――《火柱》ッ」


 同時に、彼の足下に魔方陣と思しきものが出現。

 どう、と音を立て、当たりが昼間のように明るく照らされます。


 よし勝った! 第三部完!


 余裕があったならそう叫んでいたことでしょう。とはいえさすがに、その時の私は無駄口をきいていられるほど暢気ではいられませんでした。


 燃えさかる火炎の中、黒い人影が見えています。

 いちど”ゾンビ”に向けて試したときは、一瞬にして黒焦げになったものですが……。


『はっはっは! あつゥい!』


 マジか。

 そんな、熱湯コマーシャルに浸かった芸人程度のリアクションですむのか。

 焔をかき分けるように、ちょっとだけウェルダンになった両馬さんが嗤っていました。

 物理攻撃をほとんど意に介さず、――そしてこの魔法抵抗力。

 記憶喪失の私にもわかります。

 彼が、”プレイヤー”を殺すために生み出された怪物である、と。


 今度こそ私は、路地裏を脱するべく駆け出しました。

 夜久さんに続いて、二度目の敗走。

 ただし今度は、相手から目をそらさぬよう、後ろ向きに走る格好です。

 万が一、――両馬さんが美言ちゃんを攻撃しないとも限りませんでしたから。

 とはいえそれは、私の杞憂だったみたい。


『そんな、冬にみる蜥蜴みたいに逃げなくってもさあ!』


 やっぱり。

 完璧にヘイトが私に向いてる。

 これで少なくとも、――美言ちゃんは安全。です、よね?

 私は再び大きく息を吸って、


「――わああッ!!!!!!!!!!!!!」


 《雄叫び》。


『――ぐ、う……』


 ビリビリと、路地裏の壁が振動するほどの大音声に、またもその動きを止める両馬さん。美言ちゃんに刺された各部位から、ぶしゅうっと、血液が噴き出します。


 土壇場でこのスキルを使って良かった。

 これめっちゃ便利じゃん。一生愛用しよう。


 そこで私はようやく、路地裏から飛び出すことに成功。

 街頭に照らされる道を出て、電波ソングの聞こえる大通りへ。

 そこではまだ、さっき傷を癒やしてあげたおじさんたちがたむろしていて、まったり煙草なんかをふかしていました。


「だれか! だれか助けを……!」


 彼らに向けてそう叫ぶと、そのうちの一人が目を白黒させて、


「あン? 誰かって……どうしてだよ?」


 その時でした。

 私を追いかけてきた琴城両馬さんが、


『……待て、――待ってくれよォ、……”戦士”さん』


 とぼとぼ歩きで、暗がりから現れます。


「う、うわああ! なんだこいつ!?」


 両耳と額にナイフが刺さってる上、ちょっと黒焦げになっている彼を見て、おじさんたちはそれぞれ蜘蛛の子を散らすように逃げていきました。


 私は一人、大通りの真ん中に残されて。

 これでいい。

 この状況がこの辺りの人に伝われば、増援が期待できるはず。


『……泥の中に棲むナマズを捕まえるようだね』


 両馬さんは、先ほどに比べて少しだけ平静を取り戻していました。

 それがまた、不気味でしかたありません。


『ぼくはただ、君と、……君と……ええと……』


 それにしても、と、今さらながら思います。

 記憶を失う前の私、どんな経緯でこの人と知り合うことになったんや。


『ぼくはきみと、どうしたいん、だっけ?』


 私は呆れて、こう答えました。


「知りませんよ、そんなの」

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