その178 楽

「そろそろお前、――楽をしてもいいんじゃないか?」


 そう言われたのは、”王”との戦いから数日後。

 明智さん、織田さん、日比谷紀夫さんという、おじさん連中に囲まれた夕食時のことでした。


「……楽、ですと?」


 私はその、――忘れかけていた大切なものについて、いま初めて聞いたみたいに訊ねます。


「ああ。お前はずいぶん他人のために働いた。ただの女学生とは思えないほどに、な」

「違いない」


 織田さんがうんうんと頷き、


「実際、ここにいる連中はみな、お前に命を救われたと言っても過言じゃない。……そろそろお前も、わがままを言っていいんじゃねえのか」


 ふうむ。

 腕を組み、考え込みます。

 それは、ずいぶん甘い誘惑に思えました。


「お前のための特別な部屋があるんだろ? 聞くところじゃ、ほとんど使ってないらしいじゃないか」


 まあ、確かに。

 縁さん、どうやら私(と”賭博師”さん)には特別気を使ってくれていたようで、他の避難民のみんなに比べれば申し訳なく思えるほど立派な居住施設を用意してくれていました。


「そういえばあそこ、一度下見したきりでした。最近、ずっと忙しかったので」

「……これだ。お前、まとまった睡眠も取れてないんじゃないか?」

「ええ、まあ……」


 仕事はほぼ、無尽蔵に存在していますからねー。

 避難民のみなさんの怪我を治癒してあげたり。

 ”敵性生命体”と戦ったり。

 物資を集めたり。

 バリケードを強化したり。


「”女神”サマにも休息は必要だ。違うか?」

「……その呼び方、止めて下さい」

「いいじゃないか。みんな言ってるぞ」

「ンモー」

「だがお前の働きぶりは、避難民にそういう印象を与えても無理はない」

「今度からそういう風に私を呼んだ人は、問答無用でデコピンすることにします」


 すると、明智さんがくっくっくと肩を震わせて、


「お前の無欲ぶりには頭が下がる思いだよ。……望めば、この地の女王になる権利だってあるというのに」


 女王て。


「……それ、なったところでどういう幸せが待ち受けてるんです?」

「例えば、男だ。ハンサムなのを選り取りみどりにできる」

「よくわかんないですけど、正直で集まってきた男性を好きになれる気がしません」

「やれやれ。さいですか……」


 肩をすくめる織田さん。

 ふざけ半分の明智さん、織田さんと違い、至って真面目な顔で忠告してきたのは、日比谷紀夫さんでした。


「……何にせよ、お前は少し休め」


 この人、しばらく顔を合わせていない間に、真っ黒に日焼けした顔に、短く刈り込んだ髪型という、ずいぶん兵隊さんじみた格好になっちゃって。

 織田さんたちの影響かな?


「面白い提案があってな。……今晩あたりから、花火をあげることになった。まだ生きてる人に、俺たちの存在を知らしめるためにな」

「ほへぇ」


 それは良い試みですね。

 ……昔、私もした覚えがあるやつですけど。


「もちろんそうすれば、避難民以外のものも引き寄せる羽目になるだろう。”ゾンビ”くらいならなんとかなるが、”怪獣”や悪どい”プレイヤー”の標的になった場合、頼りは“プレイヤー”であるお前たちになる。その時、疲れて動けない……、では話にならないからな」

「ふむ。……でも、……まだ仲道銀河さんの一件が」


 すると一同、そろって険しい顔になりました。

 私も、その件に関しては迂闊だったと言う他になく。


「やっぱり、まだ見つかってないんですか? 銀河さんの死体は」

「うむ。俺も現場検証に立ち会ったが、どこかへ持ちだされたことは間違いない。大人一人の身体を軽々持ち上げられる、何者かにな」


 私達が避難民の誘導に力を割いている隙をついた犯行でした。

 いつの間にか、銀河さんの死体がなくなっていたのです。


「でも、なんでなんでしょう?」

「わからん。……大方、“王”の力を狙っているのだろう」

「ふむ……」


 “王”は、血族に宿るジョブだと聞きます。

 そうなると、狙いは、……。


「死体から精子を取り出すことかもな。どこぞの娘に子種を孕ませて、その子を“王”として祀り上げる気でいる、とか」


 うへぇ。

 えげつない話だなぁ。


「そうなると、今後は縁くんの身辺もしっかり護ってやらねばなるまい」


――仲道縁も始末してほしい。


 そう言ったのは、“ポチ”と名乗った少年でしたが。


「ただ、護るといっても、やれることには限度があります。まさか、四六時中彼を見張っているわけにも行きませんし……」

「うむ。何より、“プレイヤー”の力を最大限に使って暗殺を試みれば、我々には止めようがないからな」


 …………。

 ………………うむむ。

 考えれば考えるほど、解決してない問題がぁ……。


「だが、それでもやはり、……お前は休むべきだ」

「しかし……」

「これは、雅ヶ丘から来た連中の総意だと思ってくれていい。少なくとも俺の知ってる顔はみんな、お前とゆっくり話がしたいと思ってる」


 そーいや、みんなともちゃんと話ができてませんね。

 私がいない間に何があったか、気になってはいたんですけども。


「最低でも明日一日は、のんびり過ごしなさい」

「はあ……」


 私は曖昧に頷いて、――山積みになったハンバーガーの包み紙をそっとゴミ箱に放るのでした。



 その日の夜。

 私は、”冒険者の宿”の”松コース”以上に豪華でだだっ広い部屋の、お姫様っぽい天蓋付きベッドに横たわって、


「ふう……」


 と、嘆息します。

 思えば、お尻に火が点いた鶏みたいに駆け抜けた毎日でした。


――楽をしてもいいんじゃないか?


 という、明智さんの言葉を反芻します。


「楽、かぁ」


 思えば、それこそが私の着地点でした。

 ゲーム三昧の日々を取り戻し、のんびり終末ライフを楽しむため。

 そのために、私はこれまで頑張ってきたはず。


 見るとこの部屋、様々な映画ディスクのコレクションだけでなく、各種ゲーム機まで用意されてるらしく。

 やろうと思えば、今すぐにでもゲーム漬けになることは可能でした。


 でもなー。

 なんていうか、なー。

 こうも宿題が山積みにされてると、せっかくの夏休みも楽しめない、というか。

 この避難施設はよくできていますが、それでも鉄壁の守りだというわけではありません。

 それに、百花さんの話では、今月中に“フェイズ3”が訪れるという話ですし。


――かなり強力な”敵性生命体”が多く活性化し、人を襲い始める。各地に散らばっていた”ゾンビ”も都心に集まってくる。

――あと、一番厄介なのは、空を飛ぶタイプの”怪獣”かな。奴ら、平気でバリケードを飛び越えてくるからね。


 いつだったか、百花さんから教えられた“フェイズ3”に関する情報を思い出します。

 これらの対策を万全にしておかずに遊びに熱中するのは、現実逃避以外の何ものでもなく。


「はぁ……」


 嘆息しつつ、備え付けのでっかいプラズマテレビに電源を入れました。

 せっかくなので、気晴らしにアニメのDVDを観ようと思ったのです。


「こういう時は、……『トムとジェリー』だっ」


 ディスクをプレーヤーに読み込ませると、猫と鼠が仲良く喧嘩し始めました。

 ぼんやりそれを眺めつつ、私は縁さんから手渡された一冊のパンフレットを開きます。


『ボルトテック社製(嘘)シェルターへようこそ! by仲道縁』


 「うわぁ。オタク特有の『わかる人にしかわからない系のネタ』のやつだぁ……」っていう見出しを斜めに読みながら。

 そこには、私がいまいる施設の、詳細な間取りが描かれていました。


 まだ“王”としての力があった頃の縁さんが創りだしたこの避難施設は、まるで子供が思い描く秘密基地そのもの。


 核シェルター並の防壁に囲われた居住空間。

 体育館や、映画館に音楽室、図書室。妙にプラモデル製作に特化した工作室などのレクリエーション施設。

 もちろん、生活に必要な発電・貯水関係の施設も充実しているらしく。


 明智さんの言葉を借りるなら、「特にすばらしいのは排水構造だ」とのこと。

 都心の地下は、とにかく水回りの処理が難しいそうで。

 私はダンジョンにいたお陰で知りませんでしたが、人の手が入らなくなった地下鉄の大半が、すでに水没しているようでした。


 ちなみにこの一件で縁さん、かなり株を上げたみたい。


「大切に使っていけば、この施設は百年保つ。再び文明を築きあげることができる」


 とか、みんなで盛り上がっています。

 まるで、「悪者をやっつけて、めでたしめでたし」といった具合に。


 でも、まだ何一つとして事態が収束に向かってないように思うのは、私だけでしょうか?



 『トムとジェリー』のDVDも終盤あたり。

 どれほどひどい目にあっても我が家を守り抜こうとするトム兄貴の勇猛さに心動かされていると、


(ちょっとばかり、雅ヶ丘のマンションに帰りたくなっちゃったなー)


 と、ふいに思いつきます。


 オンボロですぐ停電しちゃうけど、一人暮らしにはちょうどいい広さの部屋。

 高校が近いからという理由で入居を決めただけで、大した思い入れがある訳ではありませんが。

 ずーっと放置したままですし、そろそろ掃除しに戻ってもいいかも。

 おとなりの田中さんも、できれば埋葬してあげたいですし。


 ボンヤリと明日の予定を思い描きます。

 朝は、みんなに挨拶して。

 昼過ぎに、いったん雅ヶ丘まで戻ろうかな。

 《魔人化》使えばすぐでしょうし。練習にもなるし。


(よし。明日は一日、そうやって過ごそう)


 そう決めると……さすがに、これまでの疲れが出たのでしょう。

 私の意識は、あっさりと深淵の底へ落ちていくのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る