その165 嫌われ者の王
「くそ、…………くそ、くそ、くそくそくそ!」
枯れ枝のような老人は、玉座の上で胡座をかきながら爪を噛んでいた。
「まだ賊は見つからんのか!」
「ただいま捜索中です」
苦楽道笹枝は、しれっと嘘をつく。
「考えろ、……考えろ……。春菜の他に、裏切り者の可能性は……おいっ、笹枝!」
「は?」
「なあ、お主は裏切っとらんな?」
「もちろんですとも」
「……そうか……」
敗軍を眼前にした将とは、かくも醜いものか。
――身体を支配したからといって、心まで支配できていると思うから……。
その姿を傍らで見守っている女の眼は、限りなく冷たい。
「そこまで焦ることはないでしょう? いま、あなたの周りには護衛兵がいますし、――なにより、連中が襲ってきたとして、あなたを倒せるとは限りません」
「バカ言え」
老人は歯を食いしばりながら、
「”王”は、この世で最も安全な場所から統治するものだ」
まあ、そこは一理ある。
「あるいは、裏切り者は
カマをかけるつもりで尋ねてみると、
「ありえん!」
“王”は、真っ向から突っぱねた。
「あいつがわしに逆らうなど、これまで一度だってなかった。そういう風に教育してきたからな」
と、なると、縁さんは四十過ぎて初めての反抗期という訳か。
笑えない。
「ちっ。――おい、縁。状況はどうか」
傍らにいるグリーンのスライムに向けて声をかける”王”。
それは、仲道縁が生み出した、通信用の個体である。
”王”からスキルを一部譲り受けた縁は、自分の思う通りのスライムを生み出すことができるのだ。
『こっちは今んとこ、異常なしっす。ひょっとしてもう、領地外に逃げてしまったんじゃ?』
「馬鹿! ありえぬ! お前は黙って言うとおりにしなさい!」
『はあ……』
他人の家庭の痴話喧嘩を聞かされているようで、妙な気分である。
もちろん、その言葉の裏に潜む感情は、そこまで微笑ましいものではないのだが……。
▼
――どうしてこんなことに?
笹枝は”王”、……かつては
――最初にこの人と出会った時は、確か……。
ここからそう離れてもいない、廃ビルの一室で。
”ゾンビ”の群れが、閉め切ったガラス戸を叩く中。
(我々は恐らく、選ばれたものなんだ)
普段は無口だという老人が、景気付けとばかりに日本酒を一合あおった後、そう呟いたのを覚えている。
(これまでわしは、負け犬のような人生を送ってきた。他人に人生を左右される立場だった。だが、これからは違うぞ。きっと誰かの人生を左右する立場になるのだ)
そう話していた彼はまだ、今のような異常さは感じられなかった。
仮面を被っていた訳ではない、……と、思う。
その時の彼は実際、普通の人だった。
最初に歯車が狂ったのは、いつだったか。
トリガーを引いたのは、何が原因か。
――本人じゃないから、決定的なことはわからない、けれど……。
(こうなってはやむを得まい! 皆の衆! わしに“従属”してくれ!)
あの時の彼の言葉には嘘はなかったように思う。
(わしの力を利用するんじゃ。それで多くの人が救われる!)
今では、その甘言にのせられたのは失敗だったことがわかる。
だがその時は、そうするのがベストだと思えたのだ。
実際、”王”のスキルほど、誰かを護るのに都合のいいものはない。
外敵の存在しない、安全な場所で。
人類の理想郷を。
それには、プレイヤーの経験を”王”に分け与えることが必要で。
それこそが、笹枝とその仲間たちが見出した、“終わる世界の救い方”。
――もちろんそれは、全てまやかしの救済だったけれど。
歪んだ権力こそ、人の現実感覚を消失させるに足るものである。
それだけ、「支配し、屈服させる」という行為は
最初はたぶん、小さな欲望の発露だったのだろう。
あるいは、自分の支配下にいる者なら、自分が安全を保証してやっている人間の一人なら、……自分の好きにしたって構わないのではないか、という。
そして、戻れなくなる。
少し不器用なだけの無口な老人が周囲の理解を得られなくなるのは、世界に“終末”が訪れてから一月も経たたないうちだった。
▼
「ふむ……こうなったら、やむを得んな……」
「何か?」
「連中の出方はわからんが、あるいはうまくいくかもしれん。……捜索に出ている一部の人間を残して、他は国境付近まで移動させるぞ」
「国境……というと」
「”歩く死人”どもの壁ができているところまでだ」
「何故です?」
「これまでわしは時折、あの二人を観察してきた。そこから推測したのだ。――あるいは、ここの住民を人質に取れば、引き下がるかもしれん、と」
「それは、」
笹枝は、眉根を潜める。
「……どうでしょう。侵入者側の視点で考えれば、ここの住民も敵ですから。……人質としての機能を果たさないのでは?」
「そう思うかも知れん」
老人は、暗い目を輝かせて、
「だが、あの娘たちの目的は恐らく、ここの住民を解放するとか、そういうことのように思う。あの忌々しい春菜のやつにそそのかされて……そう思わんか?」
「はあ……」
自分のやっている行為が他者を不幸にしているとわかっていながらも、それを続けることができるとは。
悪事を働く人間というのは大抵、自分がやっていることを自分なりに正当化をするものだが、この男にはそれがない。
笹枝は、“王”の性質に非凡な点を見出すとしたら、まさしくそこであると考えていた。
「では、命令を出しましょうか」
「いや、いい。わしが直にやっておいた」
その時、老人が”何か”を行ったのがわかる。
《絶対王政》というスキルには、”王”にしか見えない制御法があるらしい。
本人によると、「コンピューターゲームの画面」みたいなものが
「なあ、爺さん」
そこで、のんびり漫画本を読んでいる少年が口を開いた。
”ポチ”と呼ばれている、くせ毛の少年である。”王”の護衛の一人で、現状、彼の手駒の中では最強の”格闘家”であった。
「ひょっとして苦戦してる? 必要なら手伝うかい?」
「……ふん。いや、必要ない。お前はわしのそばにいなさい」
“王”ですら、”ポチ”と”タマ”に対しては言葉を選んでいるように見える。
”従属”関係とはいえ、この二人の小学生は、機嫌を損ねたら何をしでかすかわからないということがわかっているのだ。
”ポチ”は、――うまく言えないが、少し浮世離れしたところのある子どもだった。
見た目は、ごく普通の少年に見える。だが、彼が纏っているオーラが、不思議と歳相応でない何かを感じさせるのだ。
聞くところによると“ポチ”は、“終末”以前、神童だとか呼ばれていて、新聞でも取り上げられたこともあるという。
「……ま、じーさんがそう言うなら、ぼくは構わないけど」
彼に比べれば、まだ“タマ”の方がわかりやすい……。
「――あれ?」
そこで笹枝は、自身の致命的なミスに気づく。
「”ポチ”。……”タマ”は?」
「ん? ……ああ。あいつ。……そういや、いないなあ。ウンコじゃない?」
「ねえ。誤魔化さないで?」
笹枝の真剣な表情を見て、”ポチ”はけらけらと笑った。
「心配ないって。あいつ”盗賊”だから。……どこにもいないように見えて、案外すぐそこにいたりするんだ……」
そうは思えない。
恐らく、独断で侵入者を撃退しに向かったのだろう。
「”王”。連れ戻しますか?」
振り向いて訊ねると、老人は小さく嘆息した後、
「よい。考えてみれば、あの者のスキルは暗殺に向いとるからな。案外、ここで腐らせとくより、良い働きをするかもしれん」
「……了解」
内心、
”盗賊”が、人の目を忍ぶのに長けたジョブであるとは言え、”タマ”が消えたことに気づかなかったのは自分の責任である。
そして今、笹枝には仲間に危機を知らせる手段がない。
――お願い、みんな。死なないで。
内心、そう願っていたが。
その手の期待は、おおよそ裏切られるものなのかもしれない。
それから数分後だった。
”タマ”から、
『侵入者、一人、刺した』
という報告があったのは。
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