その72 焔

 入り口に戻って、“ゾンビ”の死骸を拾って。

 借り物のガソリンとマッチで火を点けて。


 拍子抜けするほど簡単に、壱本芸大学コミュニティにおける本日のお仕事は終了。

 ……と同時に、真のお仕事、潜入ミッションの開始です。

 差し当たって、晩ごはんの時間まで暇だそうなので、ぼんやり大学の敷地内をお散歩。

 軽くスパイになった気分になりながら、私は行き交う人々を見ていました。

 小学生くらいの子供たちが五、六人、ケイドロをして遊んでいるのが観ながら、適当なベンチへ。


「…………………うーん」


 実を言うと。

 私、すっかり途方に暮れていました。

 彩葉ちゃんの前では頼りがいのあるおねーちゃんを演じていましたけど。


 もちろん、ここのボスが行っている悪事を見過ごす訳にはいきません。

 かといって、ここに住む人々の幸福を無茶苦茶にする訳にもいきませんでした。


 なんにせよ、ここのボスに《隷属》を使う作戦は実行する必要があります。

 その上で、一度、話をしなければなりませんな。


「おーい! “グリグリメガネ”!」


 手を振り振り現れたのは、佐嘉田さんでした。


「どうしました?」

「織田さんが、晩飯の配給チケットを渡し忘れてたって。ほら、これ」

「あ、どうも」


 チケットには、印刷された”A定食”という文字。

 恐らくこの大学がこれまで使っていたものを再利用したものでしょう。


「それともう一枚、織田さんのおごりだそうだ」


 もう一枚のチケットには、”コーヒー”。


「食堂横のカフェでこの券出したら、いつでも淹れ立てのコーヒーが飲めるんだと! これってすごくねえか?」


 たしかに。

 これは要するに「嗜好品を専門に扱う仕事をしている人がいる」ということ。

 前の世界では当たり前のことでしたが、今となってはちょっとしたことのように思えました。


「ってわけでさ。行こうぜ」


 一瞬、私は彼の申し出を断ろうかと思いました。

 まだ、十分に大学の敷地内を見て回っていなかったためです。

 が、


「あ、でもその前に、ここの地図もらったから、ちょっと探検しようや!」


 と、佐嘉田さんが言い出したため、首を縦に振ります。

 二人で歩けばカモフラージュにもなるでしょうし。

 まさしく、渡りに船の展開。


 つくづく私って、ラッキーガールですね。

 あ、今は男なんで、ラッキーボーイか。



「みろよ! これ、すっげー! わけわからん形だな!」


 佐嘉田さんが子供のようにはしゃぎながら、大学の敷地内に飾られているモニュメントをぺたぺたと触ります。

 さすが芸術系の大学というだけあって、敷地内には奇妙なものがたくさん置かれていました。中には、思わず「ほほー」と声を上げて感心したくなるものも。

 家にお金がほとんどなかったため、大学への進学はほとんど諦めてたんですが、こういうの見ると、せっかくならキャンパスライフをエンジョイしたかった気がしてきますねぇ。


「うおおお! でっけえ絵だなあ、オイ! ロボットか?」


 今、私達の目の前には、キャンバス代わりの壁に大きく描かれた絵がありました。


「へー、ゲッターロボですか」

「ん? 知ってるのか?」

「ええ、一応は」

「なんだ。お前、さてはオタクか?」


 佐嘉田さんが、けらけら笑いながら言います。

 ゲッターロボがわかるって、オタクですかね?

 うーん。微妙なライン。


 そもそも、オタクと一般人の差とは?


 腕を組みながら、深い思索に心を持ってかれていると、


「あー……いや、俺も、オタクには理解あるほうだぞ? チューボーのころは、『ネギま!』とか、けっこう好きだったし」


 傷つけたと思ったのか、佐嘉田さんが苦笑します。


「そんな怖い顔すんなって」


 ひょっとして、男バージョンの私って、黙ってると怖い顔に見えるんでしょうか。


「ご心配なく。怒っていませんよ。元からの顔です」


 そう応えた、次の瞬間です。

 奇妙な出来事が起こりました。


――しゅぼぉっ!


 私達の頭の上、ゲッターロボが描かれた壁の向こう側から、一筋の青白い光が空に上がっていくのが見えたのです。


「……ん?」


 思わず、目を凝らしました。

 花火を上げるにしては、少し時間が早すぎる気がします。


 天空に上がった火の光は、しばらくそこに留まったあと、空中を旋回しながら、ゆっくりと地面に降りてきました。


 今まで見たことがない軌道の火の動きです。


「どうかしたか?」

「あれ……」


 私が指差すと、


「は?」


 佐嘉田さんは首を傾げます。


「何か見えるのか?」

「えっ、み、見えないんですか?」

「あー……? 俺、視力には自身あるんだけど……あ、あそこのカラスか?」


 そんな馬鹿な。

 見えないはずがありません。あれだけ派手に空を回っているのに。

 そこで、ぞっと嫌な予感がしました。


 

 なにか、とてつもなくまずいことをした、と。


「んー? 別に変なものは見えんなぁ」

「あ、そうでしたか。だったらいいです」


 指差していた手を引っ込め、なんとか取り繕うとしましたが、遅かったようでした。

 旋回する焔が、こちらに向かってゆっくりと降下してきているのが見えます。

 青白い焔は、私たちの数メートル手前にまで降りてきて、空中でぴたりと静止しました。

 私は、早口で言います。


「いや、ごめんなさい。珍しい渡り鳥かと思ったら、ただのカラスでした」

「なんだ、そうか」


 佐嘉田さんががっかりしたように肩をすくめました。

 目と鼻の先にあるはずの焔に気づく様子はありません。

 私はというと、努めてに視線がいかないようにしつつ、


「それより、佐嘉田さん」


 何か、当り障りのない話題を探します。


「実を言うとですね、私、すごいオタクなんです」

「ん、そうなの? まーお前、見た目からしてそんな感じだからなぁ」

「一時期、ロボットアニメにめちゃくちゃハマったことがあって。『ガンダム』も全話見たんですよ」

「お、おう……」


 そこで焔が、私の眼前に迫りました。

 宙空で燃え盛る焔の中から、ぎょろりとした二ツの眼がこちらを凝視していることに気づいて、凍りつきます。


 間違いありません。


 これは、魔法、――あるいは、スキルの力によってもたらされた何かだ、と。


「ちなみに、一番好きなモビルスーツはギャンです」

「へ、へぇー……」

「カッコイイんですよ。ギャンは、盾からミサイルを発射するんです。ジオンは、ギャンの量産化に成功していれば一年戦争に勝っていました。間違いない」


 手のひらと背中にものすごい汗をかきながら、私は必死にまくし立てます。

 佐嘉田さんは、少し目をそらして、


「あー……そ、それより、さっさとコーヒー飲みに行こうぜ!」


 と、粋な提案をしてくれました。


「よろこんで」


 私は微笑みつつ、その場を離れます。

 焔は、しばらく私の周りをぐるぐる周った後、……すうっと、空の向こうへと消えていきました。


 ……うまく誤魔化せたのでしょうか。


 わかりませんね。できればそうであって欲しいところですが。

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