第1話「やぁ、初めまして」
今日も朝ごはんはトーストと目玉焼きだった。
母さんはいつもそれを作って仕事に出掛けた。
僕は一人、食卓について手を合わせる。
「いただきます」
誰に対しての言葉だっただろうか。
僕は誰に対して感謝を述べているのだろうか。
そんな事も分からなくなったまま、今日も僕はトーストを頬張る。
「やぁ、おはよう。賢人くん」
高校はちょっと遠い所を選んだ。
と言っても電車で三駅の所だ。
やっぱり地元を離れるのはちょっと怖い。
声をかけたのは、高校で出来た友達。
「おはよう。今日も寝癖が酷いな」
「え、そうかな」
「あぁ、すごく跳ねてる」
友達の名前は、井伊賢人。
小学校ではよく「いーけんと君!」と名前で茶化される事も多々あったと語る彼はイケメンである。
賢人くんはサッカー部に所属しており、どうして僕なんかと友達をやってくれているのか、時々疑問に思う時がある。
しかしその疑問はいつもすぐに解消される。
「あ、賢人くん!おはよう!」
「あぁ、おはよう」
「きゃ〜!今日もカッコイイわ!」
「はは、ありがとう」
賢人くんは自分をよく分かっている。
誰と一緒に居れば自分の好感度が上がるのか。
誰と話せば自分と釣り合うのか。
つまり僕は、井伊賢人に利用されているのだ。
「今日も凄い人気ですね。サッカー部エース様」
「やめろよ、照れる」
本当に照れているこいつに僕は一発拳を叩き込んでも許される気がした。
しかし、僕はそんな事しない。
何故なら、他に友達と呼べる人がいないからだ。
「今日の数学、宿題あったよね?賢人くんやった?」
「残念ながら、終わってないよ」
思えば僕は幼稚園の頃から周りから浮いていた、らしい。
らしいと言うのは、自分ではよく分からないから。
話を聞く限り、僕は楽観主義な様で小さな頃は大人びていたらしい。
今では年相応な考え方も小学生からだとすると少し気味悪がられる。
もう慣れてしまったけれど。
「終わってないの?なんで?」
「昨日は部活から帰ってきたらすぐ寝ちゃってさ。宿題の事をすっかり忘れていてね」
ははは、と照れた様に笑う彼にどれだけの女子が悩殺されただろうか。
無自覚で人を殺す男、井伊賢人。
恐ろしい子。
「まぁ、自分でやるか他の人に見せてもらえ」
「ちぇ」
「俺を宛にしないで欲しいな」
他愛ない話をしながら教室に向かう。
そんな時間が僕は結構好きだったりする。
がやがや、と形容して良いのだろうか。
と言うか「がやがや」って由来は何処からだろう。
まぁそんな事はどうでも良くて、つまりは朝の教室は五月蝿い。
騒がしいのだ。
教室の扉が開いていれば廊下まで話し声が聞こえてくる程、このクラスは騒々しい。
僕はそんな喧騒の中で文庫本を開く。
「なぁ、昨日のテレビ見た?」
「新作のリップなんだけど、どうかな?」
「マジ俺の親ダリィっつーかさぁー」
先程から僕はこのクラスを五月蝿いと非難している様だが、実は別にそこまで嫌いではない。
僕は静かに読書をする事も好きだが、逆にとても五月蝿い場所で読書する事も好きだ。
僕は教室で喋る彼らの声は雑音でしか無いけれど、音楽だと思っている。
聞くに堪えない下手な音楽。
そう思えば、自然と僕の耳はそれらを遮断し、より一層読書に集中させてくれるのだ。
「煩いぞ、お前らー。教室の外まで聞こえてくるぞー」
そう言って教室の扉を開けて入ってきたのは、このクラスの担任。
まだ若い筈なのに見た目は老けている。
残念な先生だ。
しかし、嫌いではない。
「良いか、よく聞けよ。特に男共」
先生は声を少しだけ潜めた。
男、と指名してくるだけあって男子諸君は固唾を飲んでいる。
誰かがゴクリと喉を鳴らしたのが聞こえてしまった僕の心境は複雑である。
先生は僕の心境を知らずに、そっと言葉の続きを吐いた。
「本日より、このクラスには女子が増える」
神妙な面持ちで先生は言った。
実に下らない事を。
僕は呆れたあまり白目になってしまったかもしれない。
いや、実際はなっていない。
体裁を守るのは大事だ。
でもそう感じる程に僕は呆れていた。
先生にも、クラスの男子諸君にもだ。
「うぉぉー!先生マジで!?」
「ついにこのクラスにも美少女転校生が!!」
「ここは花園だー!」
一気に溢れかえる男子諸君の期待。
転校生が女子だと言うだけでそんなに喜ばしい物なのだろうか。
女子は女子で男子諸君を冷ややかな目で見ている。
嗚呼、僕も其方側の人間なのだ。
僕まで彼らと同じ人種にしないでくれ。
いや、人種は同じで構わない。
中身は違うのだ。
僕は声を大にして叫びたい。
「うっし、静まれ。お前ら」
先生は持っていた帳簿で教卓をコツコツと叩いた。
僕はもう朝から疲れた。
家に帰って眠りたい。
「今からその転校生を呼んでくる。その間に一目惚れして片想い期間を経て告白して玉砕するというシュミレーションをしておくと良い」
なんて事を言い残して行くんだ、アンタは。
僕は喉まで出かかった言葉をどうにか体内に押し込めた。
仮にも教師と言う立場の人間が、生徒の青春を応援しないとはなんという事だ。
現実を見せられた哀れなクラスメイト達はお互いを慰め合っていた。
可哀想だ。
「分かってる……俺達は所詮モブキャラなんだ」
「……どうせ俺達は井伊みたいなイケメンとの比較対象でしかないんだ……」
「……俺達がいたらイケメン度が上がるんだ、井伊賢人達のイケメン度がな……」
一気にお通夜みたいな雰囲気になった。
この空間に居る事が辛い。
空気が重い。
互いに慰め合う男達よ。
周りをよく見ろ、と言いたい。
女子の冷ややかな目が、軽蔑のそれに変わっているではないか。
「お、何だお前ら。お通夜状態じゃねぇか。こんな空間だと転校生が入りにくいだろう」
どうしてこんな時に先生が入ってくるのだ。
アンタが一番の元凶ではないか。
こんな空気にしたのはアンタだぞ。
どうしてアンタがニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべているんだ。
確信犯か、アンタ。
「先生、もう入ってもいいですか?」
僕の中で時が止まった。
心の蔵が誰かに鷲掴みにされた様な感覚だった。
「おぉ、いいぞ」
先生が転校生を招き入れる。
開いたままの扉から、転校生が入ってくる。
教室の男子諸君が息を飲んだのが分かった。
確かに美人ではあった。
でも僕はそんな事どうでも良かった。
「それじゃ、自己紹介からしてもらおうか」
「はい」
不思議で仕方なかった。
さっきの胸を締め付けられる感覚は何だったのか。
今は全然そんな感覚は無い。
僕は自分の胸に手を当てて考えてみるけど、よく分からなかった。
「皆さん、初めまして。秋田から引っ越して来ました。都会での生活は全然慣れていないので迷惑をかける事もあると思いますが、仲良くして下さい。よろしくお願いします」
僕は此処できちんと君の事を知るべきだった。
君の声をきちんと聞いておくべきだった。
それをしなかったのは、僕の罪である。
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