第一季 冬 難破船の娘

一日目

「ダグ」


 いつものように、テーブルに置かれたラジオを聞いてるダグに声を掛ける。


「ん?」

「リロイは?」

「ああ、さっき見回りに行ったよ」

「好きだなあ、あいつも」

「まあ、それしかすることがないからな。今度は何を拾ってくるんだか」


 かすかに笑ったダグが、僕から視線を外して、またラジオに聞き耳を立てる。僕は窓を一つ開けてそこから身を乗り出し、周囲をぐるりと見渡した。四方は見渡す限りの海原だ。まだ嵐の余波を引きずっていて、海面に立った波が青を消して鉛を流す。分厚い雲の合間からかすかに日が射して、突き刺すような寒さを和らげる。

 今は冬。真冬だ。海に抱かれた島では寒暖は丸められると言っても、やはり身をしごき取られるような寒風は堪える。鼻の奥がひりひりしてきて、慌てて窓を閉める。


 ばたん!


「ここんところ、ずーっと天気が悪くて閉じ込められてたからなあ。リロイにとっちゃストレスが大きかったかもな」

「そらあな。いつも同じ顔ばかり見てたんじゃ飽きるだろうし」


 ダグが眉間に皺を寄せて笑った。


「何か変わったことは?」

「ないね。いろんなやつが、いろんなことを言ってる。それだけさ」

「へえ? そんなもんなのか」

「まあな」


 暖炉の炎がゆらりと揺れた。そろそろ薪を持って来といた方がいいな。


「ダグ、ちょいと燃料を確保しにいくよ」

「ん? 見回るのか?」

「ああ、風も収まってきたし。リロイも拾ってこないと」

「どこすっ飛んでくか分からんからな、あいつも」

「まあね」


 防寒着を着込んで、階下への螺旋階段をゆっくりと降りる。部屋の中ではよく聞こえなかった潮騒が、だんだん塊になって迫ってくる。ぎいっ! ごつい扉を押し開けて外に出る。


「ふう……」


 寒さは思ったほどじゃないけど、風が冷たいなあ。耳を両手で覆って、水平線の彼方を見やる。真昼だと言うのに、低くに飾られている太陽。倒れかかってくる光の鉄柱を支えるみたいな格好で、浜際に立ったリロイが斜め前を凝視していた。


「よう、リロイ。いい加減にしないと風邪を引くぞ」

「相変わらずお節介なんだね、クーベ」

「お節介たって、この程度だよ。何見てた?」

「漂流物」


 ああ、またどこかで船が潰れたな。この島の周囲は浅いところに岩礁が広がっていて、船は近付けない。よほど優秀な水先案内人がいないと、この島には接近できない。ただ、島の周囲には重要な航路があり、昨日のような嵐の日には島影で嵐をやり過ごそうとして逆に座礁する船が後を絶たない。海岸に、いくつも木箱が流れ着いている。たぶん食料が入っているだろう。当分は釣りに出なくてもよさそうだな。

 リロイを置き去りにしたまま、汀線をゆっくり歩きながら船体の破片と流木を拾う。これで燃料もしばらくは不自由なさそうだ。麻縄で束にした木片をその場に置いて、手ぶらでさらに歩き続ける。


 顎岩あごいわの突端をぐるりと回り込んで、北側の湾に出た。湾と言っても、お情け程度のもの。ごつごつと林立する岩の隙間に、おっかなびっくり海水が出入りする。そんな場所だ。もちろん大型船は入れない。たとえ小舟でも、ここへ入れるのは凪いだ大潮の時だけだろう。そしてこの島では、そんな日はほとんどない。

 海流の関係で、この湾への漂着物が一番多い。湾内の海面には、たくさんの破片が入り交じって揺れている。でも、湾は島でもっとも岩の多い場所だから、この中のものはほとんど砕けきっていて、使い物にならない。湾は、まるで誰かの口の中だな。ここに入ったものは噛み砕かれて、粉々になって、引き潮と共に流れ出す。僕は懐手をしながら、白く泡立つ波しぶきと、それに弄ばれる波間の木片をしばらく眺めていた。


 おや? 僕は、いつもはそこにないものに気が付いた。すごく大きいから、岩と見間違えてたみたいだ。岩礁の隙間に引っかかるようにして、船の竜骨の舳先部分がぐらぐらと波に揺すぶられている。でかいなー。真っ直ぐ立てれば、高さが四メートル以上はあるだろう。このサイズだと、ただの帆船じゃなくて漕ぎ手のいるガレー船だな。たぶん貿易船じゃなくて、いくさ船だったんだろう。

 岩を伝って、そいつに近寄って見る。舳先の彫刻は、竜や軍神じゃなくて、蝶だ。王族の船だったのかな。大きなぼろ布のようなものがまとわりついていたので、それを外そうと思って反対側に回り込んだ。布は島では作れないし、あまり漂着しない。僕らにとっては貴重な資源なんだ。


「あれ?」


 それ、は。まとわりついていたのではなくて、縛り付けられていた。幾重にも毛布と防水用の油紙が巻かれ、その外側を黄色い絹布でくるんで、赤い飾り織りの帯でしっかりくくってある。巻き付けられている布の隙間から見える顔は、金髪碧眼の若い娘、だ。

 これは、海の女神ネレイドへ捧げる生け贄か。嵐に見舞われた時に舳先に処女を捧げ、無事に嵐を乗り切れたら娘をほふって海に還す。奉納までは生かしておかなければならないので、防寒も防水もしっかりなされていたのだろう。水で膨れ上がった帯を苦労して切り外し、娘を舳先から引っぱがした。

 うん。気を失ってるけど、生きてるみたいだな。擦り傷くらいで、大きな怪我もなさそうだ。皮肉なことだけど、生け贄としての扱いが幸いしてこの娘だけが生き残ったんだろう。僕は娘を肩に担ぐと、空を仰いだ。鉛雲に弾かれた日差しが四方に散る。思わず言葉が零れ出る。


「また……別れが来る、のか」


◇ ◇ ◇


「なんだ、クーベ。えらく遅かったな。リロイはとっくの間に帰ってるぞ」

「ああ、ちょいとでかい拾い物をしちゃってさ」

「拾い物?」


 眉を顰めたダグがラジオから顔を逸らし、ぐるりと首を巡らして、娘を抱えている僕を見た。その表情がいっぺんに険しくなる。


「来訪者、か」

「そういうことになるね。半年ぶりだ」

「む……」

「まあ、夜に話をしよう」

「そうだな」


 ダグが、難しい顔のままで下を向いた。


「なんで、今、なんだ?」

「さあね。ダグの時もリロイの時も。きっと僕の時も。なんで今なのか、は同じだったと思うよ」

「そうだな」


 ぱちんとラジオのスイッチを切ったダグが、ゆっくりと巨体を持ち上げる。


「だが、それがよりによって女か」

「それも。僕らには選べないことさ。すっごく珍しいケースだとは思うけど」

「ああ」


  背中を見せたダグが、僕にではなく扉に話しかけるようにして、ぼそりと言った。


「ゲストルームを整えてくる」

「ああ、頼むね」

「リロイには?」

「すぐに知れるだろ。夕食の時でいいよ」

「そうだな」


 抱えていた娘を暖炉の前に横たえて、僕はもう一度外へ出た。娘をくるんでいた毛布や布は貴重だし、さっきまとめた薪を塔に持って来ておかないとならない。大きな薪の束を背負って塔を上がった時には、もう日は傾き始めていた。長い夜が……始まる。


◇ ◇ ◇


 心なしか。夕食の時には、リロイの機嫌がよかった。三人の中で一番若いリロイにとっては、愛想のない中年男二人が相手のこの半年は、苦痛だったかもしれないな。食事なんかどうでもいいという風情で、リロイがダグに確かめた。


「彼女はまだ眠ってるの?」

「ああ。仮死状態だったし、ショックも大きかったんだろう。寝かせてある。でも、もうすぐ目を覚ますと思うぞ」

「ふうん」


 リロイは、ゲストルームに運ばれた彼女を何度も見に行ってる。目を覚ますのを楽しみにしているんだろう。


 話題がないから食事時は静かなんだけど、この日はいつもに増して会話がなかった。皿に当たるフォークの音ばかりが、かちかちと室内に散る。

 真っ先に食べ終わったリロイが、皿を持って台所に下がった。また、彼女の様子を見に行くつもりなのだろう。僕は、ちょっと気が重くなっていた。むっつり黙りこんじゃったダグほどじゃないけどね。食器を片付けたリロイがダイニングに戻ってくるのと、目を覚ました彼女が僕らの会話を聞きつけて部屋に入ってくるのが、ほぼ同時だった。


「あ、あの……」


 ダグが、髭面をゆっくり彼女に向けた。


「痛みや熱はないかい?」

「ええ、あの……」

「なに?」


 彼女がおずおずと部屋を、そして僕らを見回した。


「ここは、どこでしょうか?」


 僕はそっけなく答える。


「島、です」

「何と言う……」

「さあ、それは知りません。とにかく島。まあ、座って食事してください。それから、大事な話をしますので」


 彼女は。僕が引いた椅子に、なんの違和感もなく、すっと腰を下ろした。相当お腹が空いていたと見えて、リロイが張り切って準備した僕らにしては豪華な料理を残さず平らげた。でも、食事の時の彼女の立ち居振る舞いはとても優美だった。やはり、相当身分の高い女性なのだろう。彼女の食事が終わるのを待って、僕は話を切り出した。


「まず、自己紹介をしましょう。お互いに名前が分からないと不便でしょうから。僕はクーベ。この島には一番長く、三年間住んでます」

「俺はダグだ。この島には一年半住んでる」

「ぼくはリロイです。まだここに来て半年です」


 リロイのやつ。僕らにはぶっきらぼうなのに、妙に格好つけてるじゃないか。澄ましたリロイの顔を見て、思わず苦笑する。でも、リファに僕らの魂胆を確かめる余裕は全くないようだった。俯いて、ずっと記憶を手繰ろうとしている。これまで誰もがそうしていたように。


「あ、あの……わ、わたしは。わたしは……」

「ああ、たぶんね、あなたは自分のことをほとんど思い出せないと思う。それがね。この島では当たり前のこと」


 両手で顔を覆って必死に何か思い出そうとしていた彼女が、ふっと顔を上げた。


「リファ。わたしはリファです。でも、それ以外何も……」

「まあ、無理に記憶を引っ張り出すことはないです。その意味もないし」


 僕は、ぐるっと全員を見回した。


「僕はこの中では一番の古株になった。だから、みんなに基本的なルールを教える立場になりました。ダグとリロイはもう知ってるはず。確認だけ」


 一呼吸置いてもう一度みんなの顔を見回し、それから話を続けた。


「リファ。あなたは、この島でのルールをよく覚えてほしい。いや、覚えても覚えなくても、時は流れるんだけどね。でも、この島であなたが生きていくにはどうしても必要なことだから」


 椅子をテーブルに近寄せて、リファの顔をしっかり見つめる。


「この島には一つしかルールがありません」


 それを聞いて、リファがひどく驚いた顔を見せた。無理もない。ダグもそうだったからね。


「この島の定員は三名。それより多くも、少なくもありません」

「えっ?」


 意味がよく分からないという顔で、リファが聞き返した。


「どういう……ことですか?」

「その意味通りです。定員三名。つまり、それ以上増えれば誰かがいなくなるし、誰かがいなくなれば補充されます。でも、今まで定員を割ったことはありません。今回のリファのように、誰かが加わった時に誰かが代わりに出ます」


 怯えた顔で、リファが僕らを見回した。


「ああ、心配要らないよ」


 ダグが、皮肉っぽく笑いながら補足した。


「はっ! 新入りはいつも定員の最優先なんだ。残りの居住者の中から誰かが出る。……か、いなくなる」


 物騒なセリフに驚いたリファが、激しくうろたえる。


「え……と。ちょっと意味が……」

「今、説明しますよ」


 僕は、全員の顔を一人一人確認するように見つめて行く。したくない話をしなければならない。本当に気が重い。


「あなたのように、この島に新しい住人が来た場合、それまでの住人の誰かがここからいなくなります」

「いなくなる?」

「そう。いなくなる。ここから出て行かなくても、期限を過ぎればいなくなります。それを潔しとしない住人は、自力でここを出ます。手段は様々ですけどね」

「あの……」

「なんですか?」

「じゃあ、わたしが来たことで、あなた方のどなたかが出ると……いうことですか?」

「はい。そういうことになりますね」


 僕はポケットからコインを取り出した。ここでは、ある目的以外に全く役に立たないコイン。僕はそれをかざして、ダグとリロイに見せる。


「どうする?」


 ダグは黙り、リロイは首を振った。


「ぼくは知りたくない」

「そう……」


 コインをポケットに戻して、説明を続ける。


「ダグが来るまで、ここに五年いたペーターが僕に言ったこと。四人でいられるのは三日間だけ。誰が退去になるかの決まりはない。その三日間で退去になる人は、コイントスで分かる。僕が知っているのはそれだけです」


 リファは、何も考えられないという顔をしてる。無理もない。みんなそうなんだよ。


「他に、何か聞きたいことがありますか?」


 じっと俯いていたリファが、ゆっくり顔を上げた。


「あなた方は、ここでどうやって暮らしているんですか?」

「適当に」


 僕の答えは、お気に召さなかったようだ。それで間違いないんだけど。でも、最初からは分からないだろうな。


「ここは、海の難所なのに航行する船は多い。冬は、しょっちゅう船が難破して、その荷物が流れ着きます。食料や日用品は、それでだいたい間に合います。水は、塔の地下に泉があるのでそれを使います。沐浴やトイレもそこで済ませます。暖炉や煮炊きに使う燃料は、難破船の流木を使います」

「いや、そうじゃなくて、お仕事とか任務とか……」


 任務って言葉が出てくるところが、あれだね。僕らよりは、ずっと記憶の残りかすが多そうだ。後で苦労するかもしれない。


「さっきも言ったけど、僕らはここで適当に暮らしてます。仕事は、強いて言えば生きることかな」


 リファが不思議そうに僕を見る。


「任務なんてないですよ。僕らは島に属してます。島が僕らに何も求めない以上、僕らに任務なんかありません」

「じゃあ……」


 リファが、しおしおと俯いた。


「わたしは。ここで何をすればいいの?」


 ダグが野太い声で答えた。


「そいつを探すのが、あんたの仕事だろ」

「まあ……急いで結論を出すことはないでしょう。とりあえず、今日は早めに寝て、ゆっくり体と心を休めてください」


 リロイは何も言わず、ただじっとリファをながめていた。やつの関心が、リファ自身のことだけになったんだろう。


「今、あなたが休んでいる部屋はゲストルームです。次の住人が来た時に、あなた同様にそこに案内しなければならないので、僕らの誰かが出た後に、そいつの部屋に移ってくださいね」


 僕は角灯に火を入れて、それを片手に螺旋階段を上がる。最上階のゲストルームの角灯にも火を入れ、ベッドにリファを休ませた。


「今夜はこれから荒れると思います。風雨や潮騒がうるさいかもしれないけど、慣れてください」


 部屋の角灯を吹き消して、後ろ手にドアを閉める。いつの間にか、リロイが来ていた。


「お休みを言っちゃだめ?」

「構わないよ。でも、疲れてるはずだ。長居はしない方がいい」

「分かってる」

「それじゃな」


 僕はリロイに角灯を渡して、暗い螺旋階段をゆっくり降りた。ダイニングに戻ったら、ダグが珍しくラジオもつけずに塞ぎ込んでいた。


「どうした?」

「いや、誰が出るのかなと思ってよ」

「リロイだよ」

「む……」

「あいつは、さっきコイントスを嫌がっただろ」

「ああ」

「リロイは、勘だけはめちゃめちゃ鋭いんだ。自分の直感が裏付けされちゃうのを怖がったんだよ」


 巨体の背中を丸めて、ふうっと深い息を吐いたダグが。ゆっくり頭を左右に振りながら立ち上がった。


「別れはいつも辛いが、今回のも辛そうだな」

「そうだね」


 僕は念のために、胸ポケットから出したコインを放り上げる。こん! 床に落ちたコインはころころ転がり、何の迷いもなく僕とダグから遠ざかっていって、扉に当たって止まった。僕らは、コインが動かなくなった後もそれをじっと見つめていた。ふうううっ。大きな溜息が漏れる。


 窓が、がたがたと揺すぶられ始めた。潮騒も大きくなっている。気温がぐんぐん下がってきた。僕はコインを拾って、テーブルに戻る。入れ替わって席を立ったダグが、戸口で振り返った。


「また荒れてきたな。今夜は雪になるかもな」

「そうだね」

「じゃあ、俺は休む」

「お休み」


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