第42話 一人一殺

 ソヤローは、じっくり狙いを定めると4本の脚を使って放電する巨大火球を投げつけた。火球が飛ぶ速度はさほどでもない。女の子が投げるドッジボールか、おばあちゃんの自転車ぐらいのものだ。しかし、蜘蛛の巣に囚われたクーリンにはそれを交わす術がない。おそらく、この大技は威力を追求する代わりに速さを犠牲にしているのだろう。だから避けられるリスクを考慮して、予め標的を蜘蛛の巣で羽交い絞めにしておくのだ。

(遅っせ! けど、そっちの方が嫌だな……)

 ゆっくりと火球が迫ってくるのはかえって恐怖だろう。果たしてクーリンは……。

「兄さぁん!」というフィオナの叫びをかき消すかのように『ズズズズンッ!』と、長い爆発音が響く。閃光と爆発でクーリンの姿は見えない。

「クーリーン!」と、ディノが絶叫する。

 1分、2分と爆音が止まない。黒煙の猛威に時折、炎が顔をのぞかせる。我々はただそれを見守るしかなかった。

 ようやく爆音が収まり、黒煙がゆっくりと風に流されていく。火球が直撃した箇所には大きな穴がぽっかりと空いている。蜘蛛の巣は跡形も無い。そしてクーリンの姿も……。

 ソヤローの勝ち誇ったような笑い声が耳につく。それはまるで機嫌が悪い時に聞かされるセミの合唱のように聞こえた。

「フハハハ、ハハハ! ザコめ! こっぱ微塵だ!」

 がっかりだ。これでは『一人一殺』にならない。

(おいおい。ソヤローはピンピンしてんじゃねぇか……)

 敵は四天王だから4人。こっちは自分を入れて残り4人。数はギリギリ合うが、その後に闇帝とのラストバトルが控えていることを考えると先が思いやられる。

 と、その時、どこからともなく『ガスッ!』という鈍い音がした。と同時にソヤローが「グアッ!」と、呻き声をあげた。

「兄さん!」と、フィオナが目を輝かせる。

(へ? クーリンか?)

 ソヤローは必死で8本の脚を振り回している。まるでハエでも追い払うみたいに。

「オラオラオラ!」という掛け声はクーリンのものだ。よく見るとクーリンがソヤローの脚とカンフー映画みたいな肉弾戦を繰り広げている。だが、それも長くは続かない。やはり手数が違う。徐々にソヤローの脚がクーリンにヒットするようになってきた。そして『ドゴッ!』と、いかにも効き目がありそうな重い蹴りをもらってクーリンが吹っ飛ばされる。背中を地面に叩きつけられたクーリンは勢い余って『ズザザザッ』と地面を滑り、大の字にのびてしまった。

 ソヤローがその様子を眺めながら訝しがる。

「……なぜだ? どうやってアレを避けた?」

 どうやら奴は先ほどの火球で止めをさせなかったことが腑に落ちないらしい。

 クーリンはフラフラと立ち上がりながら口元を拭う。

「へッ! わかんねぇのか? お前も爆発魔法の使い手だろ?」

「なに!? ……ム、その傷はまさか!」

 クーリンは焼け焦げた自分の両手首を示しながら言う。

「そうだ。一流の爆発魔法使いは、体のどこからでも出せるんだよな。爆弾を!」

「貴様、自分の両手両足を犠牲にしたとでも言うのか?」

「ああ。それっきゃねえだろ。てか、他に考え付かなかった。おかげで両手首に両足首、それから腰も、死ぬほど痛えぜ!」

「バカな……糸から逃れる為に部分的に自爆するとは……」

 2人の会話を聞いて納得した。どうやらクーリンは体に巻きついた蜘蛛の糸を自爆で強引に引きちぎったらしい。まあ、こいつらしいといえばらしいのだが……。

 ソヤローが「フン」と鼻で笑う。そして続ける。

「その機転、勇気は褒めてやろう。だが、自らの体をボロボロにして、この後どうするつもりだ?」

 確かに奴の言う通りだ。自爆作戦は諸刃の剣。只でさえ手数では分が悪いというのに傷ついた手足では余計に勝機は無い。

 そこでまたディノが飛び出そうとした。

「クーリン! 今行くよ!」

 それに気付いてクーリンが怒鳴る。

「来るな! ここは俺が片付ける。そう言ったはずだ!」

「でも……これ以上は……」

「バーロー! 俺を信じろ!」

「クーリン……」

 ディノの足が止まる。クーリンにそう言われてしまっては加勢は出来ない。

 それを冷やかすようにソヤローが言う。

「笑わせるな! ボロ雑巾のような貴様に何が出来る? その手足では魔法もまともに出せまい?」

 それに対してクーリンは「クッ」と、顔を顰めた。が、すぐにニッと笑みを見せる。

「なんだ? ついに気が触れたか?」

 ソヤローの問いに対してクーリンは手に握っていた物をみせる。ここからではよく見えないのだが、クーリンは野球ボールのようなものを持っている。

 クーリンがニヤリと笑う。

「これが何だか分かるか?」

「ム? 何だそれは?」

「爆弾さ。すごく原始的な」

 クーリンの答えにソヤローが驚く。

「何だと!? なぜ今更そんなものを?」

「これを仕込ませてもらった。お前の体にな!」

「なっ!?」

 そこでクーリンが「とりゃ!」と、何でもない火の魔法を放つ。威力の無い『ポフッ』という炎がソヤローを一瞬、包み込んだ。と同時に『シュー!』という音が幾つも発せられる。

「な、な、何だ何だ!?」と、ソヤローが慌てる。

 クーリンは手にしていた爆弾の導火線にも火をつけてポーンと放り出す。それがソヤローの目の前で爆発したところで奴の背中から『バババンッ!』という爆発が連鎖的に巻き起こった。

「ぐぎゃぁ!」と、ソヤローが煙まみれになってのた打ち回る。

 クーリンが足を引き摺りながら、ゆっくりとソヤローに歩み寄る。

「この爆弾は魔法に比べれば威力は小さいし持ち運びも不便だ。お前も普段はこんなもの使わないだろ? だって俺達はいつでも自由に爆弾を作り出せるんだからな。だからこそ、お前は軽視しすぎたんだよ。これを。目に入らなかったんだ。それでこれが己の体に仕込まれているのにも気付かなかったのさ」

 ソヤローのボディ部分はトリケラトプスみたいな骨だから凹凸が沢山ある。それに目をつけたクーリンは、そこに単純な構造の導火線式爆弾を大量に仕込んでいたのだ。一発あたりの爆発力は爆発魔法に劣っていても体に密着した状態で何発もそれを喰らうと流石にダメージは大きい。その証拠にソヤローの白いボディは黒こげでおまけに所々から血が出ている。

 クーリンはソヤローの側まで到達すると、大きく拳を引いてパンチを打つ体勢に入った。ソヤローは爆発のダメージが残っているのかガクガクと脚がふらついている。

「天地無用! 爆裂パーンチ!」

 クーリンが全力のパンチをソヤローのボディに打ち込む!

 まるでデカい花瓶を落としたみたいに『バキャッ!』と、何かが盛大に割れるような音がして白っぽい破片が飛び散る。続いて『ドゴーン!』という一際大きな爆発音がしてソヤローのボディが粉々になるのが見えた。

 それを見届けてディノとフィオナがクーリンに駆け寄る。

「クーリン! やったじゃないか! よく頑張ったよ!」

「凄いわ! 兄さん! 早速、治療を!」

 フィオナがそう言って手を伸ばすとクーリンは一瞬だけ安心したような笑顔をみせて膝から崩れ落ちた。

「兄さん!?」

「クーリン! 大丈夫かい!」

「……ダメだ。もう動けねぇ。体がバラバラになりそうだ」

「兄さん、今、回復の呪文を……」

 そこでディノがフィオナのバッグを指差す。

「フィオナ、エリクサーの方がいいんじゃないか? なるべく魔力は温存しておいた方がいいよ」

 しかし、クーリンは首を振る。

「いや。エリクサーは温存しとけ。それからフィオナも余計なことをするな」

「でも……」

「バカ! 泣くな。ちょっと休んだら追いかけるからよ」

 クーリンは喋れるぐらいだから瀕死というわけではないのだろう。だが、この後、戦力にはなりそうもない。

 女剣士がボロボロのクーリンを見ながら言う。

「悪いけど先に行かせて貰うわ」

 その言葉にフィオナが顔をあげて一瞬、何か言いたそうな素振りをみせる。ディノも唇を噛んで首を振る。確かに傷ついた仲間を置いていくことに抵抗があるのは分かる。だが、この状態のクーリンが足手まといになることは確実だ。

 そう思って皆を促した。

「置いていこう。俺達だけで行くしかないだろ」

 本体である骨の兜を粉々にされたソヤローの死体は、まるで焼け焦げたタンポポのように黒い8本の脚をだらしなく地面にへばりつかせていた。その死体から数メートル先の地面にほのかな明かりが出現している。何だか絨毯の模様がオレンジ色に発光しているようにも見える。

(何か光ってるけど……何だあれ?)

 不思議に思っているとフィオナもそれに気付いた。

「あれは!? 転送の魔法陣! いつの間に?」

「魔法陣……ソヤローを倒したから出てきたのかな?」

 自分がそう言うとフィオナが応える。

「ええ、ソヤローがアレを封印してたんだと思うわ」

 なるほど、ラスボスである闇帝の所に行く為には四天王を一人ずつ倒していかないとならないようだ。つまり、四天王が関所の門番となって我々の行く手を遮るという演出なのだ。となると死んだはずのチグソーやリーベンもパワーアップして生き返ってくる可能性が高い。ただ、ディノ達が倒してしまったチグソーはともかくリーベンが復活するのは正直カンベンして欲しかった。あいつは厄介だ。あれがさらにパワーアップしてるとなると簡単にはいくまい。

(ウザいけど仕方ない。まあ、ありがちな設定だけど……)

 そう思って皆にその主旨を簡単に説明した。

 それを聞いて女剣士が頷く。

「なるほどね。四天王を倒さないと次に進めないってことね」

 フィオナは眉間にしわを寄せて呟く。

「そんな……またチグソーと戦うなんて……」

「大丈夫よ。私たちは随分強くなったわ。必ず勝てるはずよ」

 女剣士に励まされてフィオナの険しい表情が少し緩む。

 そこでディノがすっと立ち上がる。

「さあ、行こう! クーリンの努力を無駄にしないためにも!」

 張り切るディノを先頭に我々はクーリンを残してオレンジに光る文字と記号で描かれた魔法陣とやらに足を踏み入れた。

 

   *   *   *

 

 魔法陣の中央に立ってフィオナが何やら呪文を唱えると、一寸、体が軽くなり、次の瞬間には周りの景色が一変した。

(ホントに一瞬だな……)

 ソヤローの居た空間は緑っぽい背景だったが、目の前に広がる光景は紫色の世界だった。どうやら舞台は夜の沼地といったところだ。空を見上げると、やたらと大きな半月が紫色に輝いていた。その月明かりを浴びる千切れ雲は、どれも薄紫色に縁取られていて、まるでドラキュラでも飛んでいそうな雰囲気を醸し出している。

 女剣士、ディノ、フィオナ、そして自分は背中合わせに立ち、四方向を警戒する。だが、敵の来襲は無い。

 そこでディノがぽつりと言う。

「誰もいませんね……」

 女剣士が剣を構えたまま答える。

「集中して。どこから攻めてくるか分からないわ」

 蛙の鳴き声と虫の音色が合唱のように聞こえる。時折、小さく水が跳ねる音がそれに混じる。

(さて……次はどいつかな?)

 順番からすると、ここはチグソーではないかと予想していた。だいたいこの手の展開では後になるほど敵が強くなるものだ。その法則に従えば、以前、リーベンが四天王で最強と言っていた、あのちっちゃいの……確かコターレという奴は最後に出てくるはずだ。そしてリーベンがナンバー2である可能性が高いことから、ここの二番手はチグソーということになる。それにチグソーは、この物語の時間軸でソヤローの次に倒されている。

 その予想は当たりだった。どこからともなく「クスクス」という笑い声が聞こえてきたのだ。

「クスクス。ユー達、もっとリラックスしなヨ」

 声のする方向を探ろうとしたが奴の姿は見つからない。我々がキョロキョロしていると再び奴の笑い声。

「クスクス。じゃあ、そろそろ行きますかネ。イッツ、ショウターイム!」

 そしてパチンと指が鳴らされる音がした。すると突然『ボン!』という音と共に大きな箱のようなものが、あっちこっちに出現した。箱は2メートル四方の立方体。どれもそれぞれの面が赤、青、黄、緑といった具合に色分けされている。さらにはハートマークや三日月、家やケーキを模した記号が描かれている。それが宙に浮いた状態で100以上ありそうだ。

「マズイわ! 囲まれた!」と、女剣士が身構える。

 おもちゃ箱みたいなカラフルな箱は様々な高さで静止している。箱から箱へうまくジャンプすれば随分上の方まで行けそうな配置だ。

「クスクス。ところで誰がお相手をしてくれるのかナ?」

 そこでディノが名乗り出る。

「ここはボクが!」

「ダメよ!」と、即座に女剣士がそれを止める。

「でも、ボクは前に一度戦っているから……」

「それでもダメ! あなたは闇帝と戦わなくてはならないのよ!」

「でも……」

「私が行くわ!」

 そう宣言して女剣士が一歩前へ出た。

 そしてチグソーと戦うのは女剣士ということになった。

(これはしょうがないか……)

 戦略上、こちらも切り札は温存しておかなくてはならない。ただ、問題は女剣士が本当に戦えるのかどうかだった。彼女も今の自分と同様に自らの意思で動いているはずだ。

(素の状態で戦えるのかな?)

 心配になったので女剣士に近づいて耳打ちした。

「戦い方、分かる?」

 すると女剣士は小声で答える。

「大丈夫。こう見えても私、高校のとき新体操やってたのよ」

(ちょ~! 新体操とか~)

 彼女の台詞に益々不安になってしまった。が、女剣士はやる気のようだ。

「みんな下がってて!」

 女剣士を除く我々3人は言われるままに女剣士から離れる。そして彼女がぽつんと残されたところで再び「クスクス」という笑い声が聞こえてきた。

(そういえばこんだけ離れてるのにあっちの声は聞こえるもんだな)

 ふと、そんなことに気付いた。そういえばクーリンとソヤローの時もそうだった。遠巻きに戦いを見守っているはずなのに、戦う2人の会話や掛け声、果ては呟きまでもがしっかり聞き取れたのだ。まあ、それは漫画やアニメに限ったことではないし「細けぇ事はいいんだよ!」という言葉で自らを納得させれば済む話だ。

 そんなことを考えているうちにバトルが始まった。

 先制攻撃はチグソーだった。女剣士が何か避けるような動作を繰り返すので何かと思って観察してみると、どうやら何か見えにくい物で攻撃されているらしいことが分かった。それも様々な方向からそれが飛んでくるらしく、女剣士は器用に体を捻りながらアクロバティックに回避行動を続ける。そのうち、流れ弾のようにこちらに向かって何かが飛んできた。驚いて数歩下がると足元に『サクサクサクッ!』と四角いものが突き刺さった。

(これは……トランプ!?)

 それは普通のトランプだった。そのうちの1枚が近くにいた蛙を掠めたようで蛙の脚から血が滲み出ていた。それを見て(とばっちりだなぁ)と気の毒に思ったのだが、次の瞬間にその蛙が『ゲッ!』と口から泡を吹き出して卒倒した。

(文字通り、ひっくりカエル……)

 なんてバカなことを思いついたが直ぐにある事に気付いた。

「ど、毒じゃね? そのトランプ、猛毒が塗ってあるかも?」

 ディノがはっとした表情でこちらを見る。

「そ、そんな!? なんて卑怯な!」

「いや、卑怯とかじゃなくてさ。そりゃ何でもアリだろうよ」

 フィオナがしゃがんで蛙の様子を観察してから断言する。

「確かにこれは毒よ! たぶん『コボコロリ』だと思う。少しでもこれが血中に入ったら確実に死ぬわ!」

 その言葉に再び視線を女剣士の方に戻す。相変わらず彼女は新体操の演技のようにしなやかな回転と動きを繰り返している。

(流石にこれだけで殺られることはないと思うけど……防戦一方じゃんか!)

 今のところは完璧にトランプ攻撃を避けているようだが、このままでは体力を無駄に消耗してしまう恐れがある。そろそろ反撃して欲しいところなのだが、素の状態で彼女にそれが出来るかどうか……。

 それにしてもチグソーの姿が見えない。トランプが色んな方向から飛んでくるということは高速で移動しているはずだ。おそらく奴は、宙に浮くカラフルな箱に身を隠しながら女剣士の死角になる位置からトランプを投げていると思われる。

(トランプの軌道から敵の位置を予測するべきなんだろうけど……箱が邪魔して見えないのか?)

 もしかするとその為の箱なのかもしれない。こちら側にしてみれば障害物でしかない箱が奴にとっては隠れ蓑になっているのだ。

 女剣士が左手を前方に翳してシュプレ何とかと叫んだ。すると彼女の周りで突風が発生して飛んできたトランプをバタバタと無力化した。

(なんだよ。やれば出来るじゃん! だったら最初からそれで防げば良かったのに)

 ちょっと呆れていると女剣士はダッシュして一番近い箱に飛び乗った。その勢いで箱から箱へと飛び移る女剣士。

(速い! てか、器用だな~)

 彼女の動きに感心していると次に女剣士はジャンプしながら『ハッ!』と、剣を振った。するとその剣先から緑色っぽいレーザー・ビームが放たれ空中で幾つかに分裂した。それがそれぞれ別な方向に向かっていき、幾つかの箱に命中する。

(どこ狙ってんだ? 箱に当ててどうする!?)

 レーザーが当たった箱は煙をあげて破損しているようだが、チグソーに当たった形跡は無い。が、彼女は上の方の箱に立って怒鳴った。

「小細工してないで出てきなさいよ!」

 するとしばらくして沼地の泥の中から『ズズズ』と何かが出てきた。

(何だあれ?)

 泥の塊は人型をしている。そしてそこから泥が流れ落ちると中からチグソーが現れた。マント付のタキシード姿に金色に染めた長髪。デーニスで見たときと同じ格好だ。

「クスクス。小細工とは失敬だネ。これは演出だヨ。君はマジック・ショーを見たことがないのかい?」

 そこで女剣士が言い返す。

「演出ですって? 自分は泥の中に隠れて箱に仕込んだスピーカーとトランプ発射台で攻撃するなんて!」

 女剣士はトランプを避けながらそれに気付いていたのだ。(意外にやるなあ)と感心した。

 それを聞いてチグソーはマントを脱ぎ捨てると、目にも止まらぬ速さで箱から箱へと駆け上がり、あっという間に女剣士と同じ高さに浮かぶ箱に乗った。すかさずそこで女剣士が剣を振り、今度は何本かの氷柱を飛ばした。が、チグソーは慌てることなく右手を正面に突き出す。すると奴の手の平から黒い物体が現れて氷柱をすべて飲み込んでしまった。

(あの時と同じだ! あいつの技。なんでも消し去ってしまうブラックホールの手……)

 その特異能力は健在のようだ。だが、それを見ていたフィオナとディノが同じタイミングで「え!?」と驚く。

 フィオナが唖然として呟く。

「そ、そんな……今の、右手……」

 ディノが険しい表情で頷く。

「うん。右手でもアレが出せるようになったのか……」

 言っている意味が良く分からないので聞いてみた。

「なに? あいつ、あの技が出せるのは左手だけだったってこと?」

「ええ。私たちと戦った時はそうだったの。だからディノが左手を切断して何とか倒したんだけど……」

「問題は左手だよ。ボクは確かにあいつの左腕を切り落としたんだけど……」

 そこでチグソーが、まるでこちらの会話が筒抜けになっているかのようにこちらの方向に向き直って答える。

「ユー達、よく気がついたネ。そうだヨ。闇帝様のおかげで右手でもこれが使えるようになったのサ。そして勿論、左手もネ!」

 そう言ってチグソーが嬉しそうに左袖をまくって見せた。

「な!?」と、ディノが絶句する。

 こんなところから良く見えるなと思ったが、確かにここからでも奴の左手は銀色で角張っているのが識別できた。手袋ではない。機械の手、すなわちロボットアームを連想させる。

 チグソーは嫌な笑みを浮かべる。

「ユー達には後でたっぷりとお礼をするヨ。こちらのお嬢さんを片付けたらネ」

 自信たっぷりにそう宣言するチグソーは何だか戦いを楽しんでいるようにみえる。アレは完全にこちらのことを舐めてる。

 ディノが女剣士に向かって叫ぶ。

「ミディアさん! 奴の手から出る黒い霧に気をつけて! 不用意に近付いちゃダメだ!」

 それを聞いてチグソーがニヤニヤ笑う。

「いいアドバイスだ。でもネ……」

 奴は両方の手の平を上に向けてバスケットボール大の黒い球を作ると、それを「えい!」と女剣士に向かって投げた。

「ええっ!?」と、ディノがそれを見て驚愕する。

 フィオナも驚きを隠せない。

「嘘でしょ? アレを飛ばせるようになったなんて」

 2人の反応から前に戦った時はそうではなかったのだろう。恐らくブラックホールを出せたのは左手の周囲だけだったのだ。それが大幅に改善されたということか……。

 黒い球は左右両サイドから回りこむような形で女剣士にゆっくりと迫る。その速度は風船が飛ぶぐらいではあるが、それはいかにも禍々しく危険な雰囲気だ。

 女剣士の顔が歪む。

「きゃっ! ひ、引っ張られる?」

 女剣士は慌てて後方にジャンプしてそのまま別な箱に飛び移る。すると女剣士の乗っていた箱がズズズと黒い球にまるごと吸い込まれてしまった。それはまるで洋式便器がトイレットペーパーを飲み込む時のようだ。

(うえっ、あの箱を一瞬で吸い込むとかヤバいな!) 

 どうやらあの黒い球は本当にブラックホールのように周りのものを引き寄せて吸い込んでしまうようだ。あれに触れるとマジでヤバい。一発で終わりだ。

 しかし、驚いたことに一旦、下がった女剣士がチグソーに向かって大きくジャンプした。

(ヤケクソで突っ込む気か!? 無理だ!)

 それを見てディノが叫んだ。

「そうか! タイムラグだ!」

「へ? 何それ?」

「奴は連続であの球は出せないんだよ! さっき放出した球がまだ残ってる!」

 何となく意味は分かった。多分、前のブラックホールが残っている間は次のが出せないということなのだろう。 

 その間に女剣士は剣を突き出しながらチグソーに向かって一直線に突っ込む。

が、チグソーはそれをガードするつもりは無いようだ。

 まるでスローモーションのように女剣士の剣先とチグソーの顔面の距離が縮まっていく。

(いけるか!?)

 そう思った次の瞬間、チグソーがカパッと口を開けた。と同時に口から黒い霧を球状に吹き出した! その霧に吸い込まれる女剣士の剣先!

「きゃっ!」と、女剣士が体勢を崩した。そして剣を手放すと体を捻って空中で斜めに向かって回転する。

(あ、危ねぇ……)

 勢い余ってチグソーのブラックホールに突っ込みそうになるとこだった。辛うじて回避したものの正直、生きた心地がしなかった。自分のことじゃないのに。

 ディノが情けない声を出す。

「そ、そんな……口からもアレを出せるなんて……」

 チグソーは口を閉じてブラックホールを消し去るとこちらに向き直る。そして勝ち誇ったように言う。

「あれ? 言わなかったけ? これを出せるのは何も手だけじゃないんだよネ~」

 奴の言葉にディノとフィオナの方が戦意喪失気味だ。特にフィオナは座り込んでガタガタ震えている。そういえばフィオナはチグソーに対してトラウマがあったらしい。

 女剣士は下の方の箱でうつ伏せに倒れてピクリとも動かない。どうも落下した時に、しこたま体を叩きつけられてダメージを負ってしまったようだ。

(これはマズすぎるだろ……自力じゃ絶対に無理だって!)

 もしかしたらこのピンチにキャラクターの人格と入れ替わることがあるかもしれない。今はそれを期待するしか無いように思えた……。

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