とおく、遠くへ飛んでゆけ

will

とおく、遠くへ飛んでゆけ

 こんにちは、はじめまして。どこの誰かもわからない人からの手紙ですので、読みたくなければ破り捨てていただいてかまいません。

 私は下半身が動きません。下半身麻痺というものです。これは生まれつきではありません。半年ほど前にそうなりました。

 私には恋人がいました。その人に半年前にふられました。彼はとても優しい人だったので、帰るときに家まで送ってくれました。その途中で事故に遭いました。彼は亡くなりました。そして私は下半身が動かなくなりました。

 私はこれから死のうと思います。この手紙を流した次の日に死ぬつもりなので誰かが読んでいるころにはきっと私はこの世にはいません。

 私には彼と一緒にいたときにはやりたいことがたくさんありました。でも彼にふられ、そして彼が亡くなった今はなにもやりたいことがありません。おかしいでしょう、変でしょう。彼がいなくなっただけで私の世界は変わったのです。

 なのでといえば変かもしれませんが、私は死のうと思います。これを書き、流すのはなんとなくです。これが私の最後のやりたいことかもしれません。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。お体にはお気をつけください。

 さようなら。



 「綺麗ね」

 「そうですね」 

 私は穏やかな波が満ち引きを繰り返している海を眺めている。ざざざ、と穏やかな音も聞える。

 後ろで車椅子を押してくれるのは、彼の弟。私が車椅子生活になってから世話をしてくれる。彼と同じでとても優しい。

 「本当にそうするんですか?」

 「うん、するよ」

 弟君は少し表情を曇らせる。弟君には彼が亡くなる前から三人で一緒に遊んだりしたので、弟君にとっては一年以内に親しい人を二人亡くすことになる。申し訳ない。でも、決めたことだから仕方がない。

 私には親しい親族がいない。彼にふられても彼の家族には本当にお世話になった。

 「ぼくは寂しいです。兄さんもあなたもいなくなったら」

 「ごめんね、本当にお世話になりました」

 浜辺には私たちのほかに誰もいない。どちらも話さなければ、ざざざという波の音以外何も聞えない。冬の海はしんとしていて気持ちがいい。

 遠くにテトラポッドが何個も積みあがっている。その形は見ていて楽しくなる。なぜだろう。昔あそこまで泳げるかを競争したことがあった。今は泳ぐことも難しいけれど。

 「海水を触りたいな」

 私がそう言えば弟君はそれを手ですくって私の前に持ってきてくれた。人差し指でそれをさわり口もとへ持っていく。海水はひやりと冷たく、昔飲んだ時と変わらずしょっぱい。

 「ありがとう」

 「最後の海でやりたいことはありますか?」

 「最後に砂浜に字を書きたいな。杖を貸してくれる」

 私は歩くこともできないけれど、杖を持ち歩いている。簡単な実際には使えないものだ。

 私は弟君から杖を受け取り、砂の上にそれをすべらせる。さらさらとした書き心地が気持ちいい。

 飛、ん、で、ゆ、け

 「飛んでゆけ? 流れてゆけじゃなくて?」

 「うん、この気持ち飛んでいってほしいなって。流れてゆけじゃ消えてしまいそうでしょ?」

 「そういう意味なんですね」

 「うん。そろそろ手紙流そうか」

 「後悔していないですか? 本当に」

 「うん、してないよ。でも楽しかったなあ。三人でいろいろしたね。最後は私がふられちゃったけど。本当に楽しかった。誕生日にサプライズパーティーしてくれたの、本当に嬉しかったよ」

 「兄さんとどうすれば喜んでくれるかを相談するの楽しかった」

 「他にも君の彼女とダブルデートしたのも楽しかったし、酔いながらのトランプゲームも楽しかったよ。みんな素敵な思い出」

 あのころはたくさん笑って、たくさん泣いて、たくさんやりたいことがあった。彼と結婚したかったし、彼の子供を産みたかった。ふられてしまったことは悲しいけれど、それでも不思議と嫌な気分にはならない。

 「ぼくは死んでほしくない」 

 「ごめんね、ありがとう。でももうしたいことがないから」

 「でも」

 弟君はなにかを言いたげだけれど、私はかばんを貸して欲しいと言った。

 私は弟君からかばんを受け取り、その中から一枚の便箋と、コルクで閉じる瓶を取り出す。それを丁寧に折り、瓶に入れコルクで蓋をする。これで水に濡れずにいけばいいのだけれど。

 弟君に水に入らないぎりぎりまで車椅子を押してもらい私はなるべく遠くに行くように瓶を投げた。瓶は小さくぽちゃんと音を立てて水に入った。このままどこかに流されればいいのだけれど。そんなにうまくいくだろうか。なんとなくで始めたことだからうまくいかなくてもいい。あの場所に沈み続けたっていい。

 「そろそろ行こうか」

 「はい。今日のご飯は何にしますか?」

 「どうしようか、寒いしおでんにしようか」

 「いいですね、おでん」

 「さて、帰ろうか。これでやり残したことはもうないよ」

 弟君は優しく車椅子を押してくれる。

 私はゆっくりとまぶたを閉じる。風が頬を伝うのが気持ちいい。膝にかけたブランケットがふわふわとしていて気持ちがいい。

 とおく、遠くへ飛んでゆけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とおく、遠くへ飛んでゆけ will @will

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ