浮遊世界のハリツケ人間

朝戸あんり

第1部 第1話 予兆 その1

健康診断で体重が減った者は、全校生徒の半数以上にものぼった。


この異常事態を異常だと気づかず、女子は歓声を上げ、男子は無関心だった。考えてみると約600人もの生徒の体重が同時に減る、というのはおそろしい確率なのだが、受験と就職活動と遊びと恋愛に忙しい高校生たちは事の重大さに関心を示さなかった。


体重の減少はその後もじわりじわりと進行していったが、急激に減るわけではないのでいつしか話題にも上がらなくなった。


体重減少事件発生から数か月後、均衡をやぶったのが、3年生の圧徳(あつとく)という知能指数は低いがクラスを盛り上げる明るい性格の男子生徒だった。

教室に入ってくるなり彼は誰にともなく声を張り上げた。


「みんな聞いてくれ! 俺の体重、今、15キロだよ。スリムガイさ!」


クラスの大半が笑ったが、辰俊(たつとし)は顔を蒼白にさせていた。

たまらず彼は言う。


「それって笑えないだろ。大丈夫か、アットくん」


「見てみろよ〜これ」


そう言って圧徳はお姫様よろしく両手を広げてくるくる回って見せた。


「回ったからといってお前の体重の軽さなんてわかんねえよ」そう辰俊がつっこむと、そこでまたドッと笑いが起こった。


「それが本当なら」腰を上げたのは柔道部の太三(たぞう)だった。190センチはある巨漢が鼻の穴を大きく広げ、ふしゅうふしゅうと両穴から蒸気を出している。「アットくん、ちょっと来てくれ」


言われるがまま従う圧徳。クラスメートはその行く末をじっと見守っていた。


ふたりは教室の後ろで対峙した。他の生徒たちが机をどかす。太三が圧徳の背後にまわり、行くぞ、と囁いて太い腕を身体に巻きつけ、持ち上げた。ふわり、という文字が浮かんだような気がした。それもそのはず、圧徳の身体は重力を感じさせないように軽々と浮いたからだ。


体重15キロという話を太三は疑っていたため、しかし実際にあまりにも軽くてバックドロップのような形になってしまった。すんでのところで圧徳は後頭部をかばい、血の海を広げることは免れた。


「おいおい太三、殺す気か?」


死にかけた本人よりも顔色を曇らせていたのは太三のほうだった。そしておそるおそる、という言葉がふさわしいか細い声で、太三は言った。


「お前、もしかして15キロも、ないんじゃないか……」

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