第十七章 偵察(二)

(1)

 わたしは一度自宅に戻り、それからバスで穂蓉堂を偵察に行った。鈴庫町三丁目のバス停で降りて、その周辺を見回す。


「なるほど、こりゃあシュールだなー」


 グーグルのストリートビューで事前に確認した通り、実に違和感たっぷりの光景だった。本来マンション群の出入り口にあたる位置。そこにどでーんと穂蓉堂が居座っていて、マンション正面からの動線をぷっつりぶった切ってる。守衛の詰め所が店の真裏にあって、まるで穂蓉堂を監視しているみたいだ。詰め所は、穂蓉堂がなければマンション正面ゲートのすぐ脇という本来の位置付けになる。そして、外構の工事がまだ全部完了していない。


「植え込みじゃなくて、柵なんだなー」


 とても敷地が広いから、植栽で囲うと管理にお金がかかり過ぎるってことかな。見た目に威圧感のない凝ったデザインの柵が、マンション敷地の周囲をぐるっと囲っていたけど、それがちょうど穂蓉堂のところだけ途切れている。つまりぃ。御影不動産は、穂蓉堂の立ち退きを全然諦めてないってことだよね。


 幹線道路沿いには、色あせた『マンション建設絶対反対』の赤いのぼりがちらほら。でも、マンションが完成して分譲されちゃった今となっては、もう意味がないだろう。ぽつんと取り残されてる穂蓉堂と同じで、落ち武者の悲哀を漂わせてるみたいだ。


「じゃあ、先に勝者の方からチェックするかあ」


 穂蓉堂に突撃する前に、出来立てほやほやのマンション群を偵察しよう。暇そうにしてる守衛さんに会釈をして敷地内に踏み入る。


「うわ、ひっろーい!」


 こりゃあ、わたしが住んでる安アパートなんかとはまるっきりレベルが違うな。超高級マンションじゃないんだろうけど、大手の不動産屋さんがしっかり元手をかけて建てたっていう意気込みが、ひしひし伝わってくる。

 マンションの一階部分には、一般住戸じゃなく、おしゃれなブティックや雑貨屋さん、ネイルサロン、美容室なんかがテナントとして入っていて、それがマンション全体の雰囲気を高級に見せていた。ざっと見回した限り、生活感がにじむようなコンビニとかは入ってなさそう。


「あれ?」


 真ん中の弐号館の一階一番手前。そこだけまだテナントが入ってなくて、シャッターが降りたままだ。一番好立地の一等地やん。どして?


「あのー、すみません。ちょっとお聞きしますけど」


 ベビーカーを押しながら歩いてきた若いお母さんを呼び止めて、聞いてみた。


「はい?」

「あそこのお店は、いつオープンなんですかー?」

「さあ、わたしは何も聞いてませんけど」

「どんなお店かも?」

「はい」

「あ、済みません。お邪魔して」

「いえー」


 そうか。分譲開始に合わせて、一階部分のテナントも一斉にオープンさせるのかと思ったけど、予定が合わなくなった? キャンセルが出た? んー、なーんか引っかかる。

 テナントはどんな感じなのかな。雰囲気を確かめよう。同じ並びにある、高そうな服が並んでるブティックに入ってみた。


「へー」


 店内は思ったより広いけど、在庫倉庫の部分、いわゆるヤードはそんなに余裕がなさそう。そりゃそうだよね。ベースが一般住戸の間取りだもん。きれいなお姉さんの試着してみませんか攻撃をなんとかかいくぐって、さっと離脱する。


 本当に小型店舗用の設計になってるなー。確かにコンビニだときついかも。売り場面積と商品をしまっておくヤードを両方きちんと確保するには、二ブロック分の敷地を確保しないとならない。それじゃ賃貸料が割に合わないんだろう。


「なるほどね」


 一階に入るテナントは、軽店舗。いわゆるアンテナショップってやつなんだろう。売り上げや人の流れを見て、お店やりたい人がスペースを借りたり返したりしやすくする。ここに入ったらもう二度と出ないっていう、定住型のスペースじゃなさそうだ。だから店舗面積は確保していながら、ヤードのスペースを狭小にしてるんだろう。住戸部分はその逆で、核家族向けの間取りとしてはゆったり作られてる。そこが売りだってことだね。


「ふむふむ」


 メモを取った手帳を畳み、マンションの敷地を出てバス停に戻った。


 植栽ではなく、柵でマンション敷地を囲っていること。マンション出入り口のゲート位置に守衛詰め所があること。それは、視界と視線を確保して、広いマンションの敷地の中に危険な死角を作らないためだろう。これだけ敷地が広ければ、外から中をじろじろ覗かれるっていう圧迫感を考えなくていい。逆に、外からの視線は治安上あった方がいいんだ。だから植栽ではなくて、視界を狭めない柵にしてるってことなのかも。


 住人の友人やお客さんが来るから、入り口で守衛さんが一々セキュリティチェックするなんてことはあり得ない。でも、そういう役目の人が常駐してるっていう印象。それは、出入りする人にはっきり植えつけられる。さっき、わたしが無意識に守衛さんに会釈したみたいにね。部外者が中に潜んだり、うろうろしにくいように、心理的抑止効果を狙った仕様になってるんだろう。わたしなら、そう考える。

 そうすると。マンションからの動線をひん曲げ、柵を寸断し、視界を妨げている穂蓉堂は、御影不動産にとって邪魔な存在以外の何ものでもないよなあ。


 さて、と。今度はその穂蓉堂だ。店に突撃する前に要チェックの項目がある。わたしはバス停のベンチに座って、穂蓉堂への客の出入りをしばらく観察することにした。


◇ ◇ ◇


 三十分くらいじいっと見てたんだけど、人が出入りする気配が全くない。てか、店の前の道路を歩く人自体がすごく少ない。まだ昼過ぎ。人の動きがある時間帯で、これか。穂蓉堂だけじゃない。わたしがバス停のベンチに座っていた間に、着いたバスから降りる人がほとんどいない。バス待ちの人も、降りる人もほとんどいないってか。


 穂蓉堂のところで不自然にひん曲がったアプローチ道路からは、ひっきりなしに車が出入りしている。それは、マンションの住人の主な移動手段が公共交通機関ではなく、自家用車だってことを示してる。

 そうだろなあ。マンションは確かにおしゃれなんだけど、ざっと見た限り、一階のテナント群にはスーパーマーケットやコンビニなんかの総合食品系の店が入っていなかった。小さなカフェや洋菓子屋さんはあるんだけどね。生活の利便性よりも、ライフスタイルのおしゃれさを追求した設計に見える。そして、マンションの周辺は完全に一般住宅ばかりで、ほとんどお店らしいものがない。


「そっかあ……」


 御影不動産が気合いを入れて建設した大型マンション。その割には分譲価格が手頃だった。理由の一つが周辺環境なんだろうなー。


 鈴庫町三丁目は、元々ほとんど一般住宅しかない地区。学校や公共施設は揃ってるけど、小売店がほとんどないんだ。そこにマンションと大きな買い物施設を併設すると、こりゃ便利だって、マンションの敷地内に部外者が大勢出入りすることになっちゃう。それだと、セキュリティやプライバシーの確保が難しくなる。

 だからあえて生活利便性を低いままにして、それを先に値引きする形で分譲価格を低めに設定し、その代わり一階の小型テナント群でおしゃれさを演出した。それなら、カスタマーはマンションの住人が主になる。大にぎわいになることはなくても、確実に固定客が着くよね。小さな店にとっては、決して悪くない環境なんだ。


 分譲する際にターゲットにした年齢帯は、さっきの若いお母さんみたいな二十代、三十代なんだろう。そう割り切って設計したってことか。そういう若い人は、衣食住の好みも当然今風になる。わざわざ穂蓉堂まで和菓子買いに行こうなんていう人は、いないだろうなあ。


 太い幹線道路を挟んだ向かい側の大野町から北には、大型の商業施設がいくつもある。そこまで歩いて買い物に行けなくはないけど、車の方が絶対に楽だ。年齢層を考えても、マンション住人の買い物は徒歩より車メインでってことだよね。だからこそ、マンション内の駐車スペースがたっぷり確保されているんだ。その分、わたしが今いるバス停の利用者が大幅に減ったんだと思う。


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