(2)
「でもね」
息を整えたわたしは、姿勢を正してみんなを見回した。
「社長は、決して冷血漢の人非人なんかじゃありません。悪人じゃないんです。この一連のごたごたに悪意や敵意は介在していない。わたしが出した結論は全く揺らいでいません」
ふうううっ。ゆっくり深呼吸して、それから社長に目を移した。
「そもそも社長がこの社を立てたのは、両親と御影不動産の窮状を同時に解決するためです。社長は優しいんですよ。ちゃんとみんなの利益が最大になるように考えて、行動してる。社長の私利私欲のためじゃない。むしろ逆です。自己犠牲の意識が一番強い」
やっと……声が落ち着いてきた。早口にならないよう、声のトーンを落とす。
「さっきの御影不動産からの独立だってそうですよ。両親、御影不動産。高野森製菓がどちらかの支配下にある限り、もう一方との関係がぎくしゃくする。高野森製菓が独立した存在であることは、御影不動産と穂蓉堂の間のクッション役を務めるためには必須なんです。それは、今のわたしのポジションと性格が重なるんですよ」
「そうか、なるほどっ!」
黒坂さんが興奮して立ち上がった。
「いやあ、ようちゃん、すげえわ! そういうことかっ!」
「はい!」
「ううむ」
「御影不動産は大企業です。社長が変えることは出来ません。変えられるとすれば、その相手である穂蓉堂か、ここ高野森製菓です。そして、社長にはご両親を守る義務がある。お父様の城である穂蓉堂は、社長が勝手にいじれない。そうしたら、ここで調整をするしかないんですよ」
「この社をフリーハンドにしておかないと調整出来ん。そういうことだな」
「はい!」
「うーん、深い! 深いぞ!」
くす。黒坂さんて、ほんといいキャラだよなあ。今になって、そんなことが分かったりする。同じ社員なのに無関心のままで、黒坂さんの奥深さにずっと気付けなかったわたしも、立派なコミュ障だ。他の人のことなんか偉そうに言えやしない。とほほ。
「でも、社長にはとんでもなく大きなハンデがあったんです。それが次々にミスを誘発してしまった。今回のどたばたは、全てそのせいだと思ってます」
「ハンデ? うーん、ハンデか」
「白田さん、分かります?」
「う……ううん」
まだ泣き続けていた白田さんが、力なく首を振った。
「ねえ、御影さん」
「……はい」
「わたしは社員。あなたはバイト。バイトのあなたは、わたしには生意気なことは言えない。そうでしょ?」
「はい」
「でも、わたしが生意気なこと言うなって威圧しなくても、あなたの性格だとわたしには何も言えないでしょ?」
こくん。御影さんが頷いた。
「どうして?」
上目遣いでおっかなびっくりわたしを見た御影さんが、小声でぽそっと言った。
「こ、こわい……から」
「ぴんぽーん!」
にっ。笑って見せたわたしは、左手の親指を立ててぐいっと前に突き出した。
「ぐっじょぶ! そういうことです」
「え?」
白田さんも黒坂さんも不思議そうな顔。うん。それは二人には分からないだろなあ。わたしは、みんなをぐるっと見回す。
「ねえ。この社の社長は誰ですか?」
みんながきょとんとした顔をした。
「そりゃあ」
黒坂さんが社長を指差す。
「ですよね。で、その社長から何か頭越しの命令をされたことがありますか?」
黒坂さんと白田さんが顔を見合わせる。
「あれ?」
「そう言えば……」
「ないでしょ?」
「それっぽいのはないかも」
「当然です」
「当然?」
「社長の性格は、『社長』じゃない。借りてきた猫です。優しいだけじゃない。平和主義。波風を立てたくない。穏便に穏便に。そして、それが災いして自分より年上の人に遠慮が出てしまう。自分をぶつけることを怖がる」
「なるほど」
「白田さんも黒坂さんも、穏やかな方です。決して威張り散らしたり独善的にふるまったりすることはありません。でも、社長にとってはずっと年上の大ベテランさんですよ。出木さんはもっとそうです。そして会社を立てるに当たってそれを手伝ってくれた御影不動産の方も、ばりばりのエリートばかり。社長は肩身が狭くてしょうがない。そしてね」
頬にわたしの血の手形を乗せたまま、放心状態だった社長に話しかけた。
「これからわたしが社長に聞くことは、完全にプライベートなことで、しかもものすごーく失礼かもしれない。事実に反するかもしれない。でも、どうしても確かめたいんです」
ふうううっ。大きく深呼吸してから。わたしはその質問を吐き出した。
「社長は、ご両親の実子じゃない。違います?」
社長は……完全に陥落した。
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