最終作戦 陥落

(1)

「わたしは、社長と、それまで社長を取り巻いていた人たちを隔てるための遮蔽板。密接に結びついていた御影不動産から強制的に距離を取るには、どうしても必要だったんですよ。つまり、何かあったから、それに対処させるためにわたしを置いたんじゃない! 社長が何か行動を起こしたことで当然生じる反動。それが直接社長に跳ねないよう、クッションとしてわたしを置いた」

「クッション、かあ」

「その反動がどういうものか分からない。少なくとも好意的なリアクションにはなり得ない。だから、社長はわたしにそれを暗に備えさせるために『敵』という言葉を使った。そして、社長の指示は、抽象的なものにならざるを得ない。そりゃそうですよ。社長には何が起こるか見当が付かないし、一切考えたくもなかったから。だからあんな無責任な言い方になった」


 最初にわたしがわけわかんないと言った、社長命令の中身。背景を知れば、その一つ一つにちゃんと意味があることが見えてくる。


「社長がわたしに期待したのは弾力的な対応です。クッション役ですから。だから『自力でこなせ』なんです。社長が直接迎え撃つなら、わたしを噛ませる意味がありませんから」

「うん」

「わたしは、この社のことも、ここで働いている他のみなさんのことも、よく存じません。社員のプライベートを知っていることから来るバイアスを考えなくていい。わたしがバイトやパートじゃなく正社員なのは、そうしないと白田さんや黒坂さんから圧力や恫喝があった場合に、わたしが抵抗出来ないからです。白田さんや黒坂さんは部署が違う。先輩ではあっても上司ではない。わたしの上司が社長だけという状況を作るために、あえてそういうポジショニングにした」


 黒坂さんが、社長をじっと見ている。社長は顔を伏せたままだ。


「社長の計画は、実によく練られていたんですよ。そして、わたしが白田さんや黒坂さんに簡単に取り込まれないよう、苦情処理のテレオペという別室での単独業務を割り振った」


 一呼吸置いて、爆弾をぶちかます。


「準備は整いました。わたしが入社してしばらく経ってから、社長は御影不動産からのアクセスを拒否し始めたんです」

「ああああーーっ!」


 立ち上がった白田さんが絶叫した。


「いいですか? 白田さんも黒坂さんも、御影不動産の筋です。そこから弾き出された人たちとは言っても、社長の意識の中では向こう側。白田さんや黒坂さんに、完全独立を悟られるわけには行かない。黒坂さんは外回りが忙しくて、ほとんど社長と接点がありません。だから、社長は黒坂さんには何もアクションを起こしていません。黒坂さんは今日まで何があったのかを、ほとんどご存知なかったでしょ?」

「そうさ。今、ようちゃんの話を聞いてびっくりしてる」

「ですよね? 黒坂さんには何も実害がないんです。お気の毒なのは白田さんです」

「う……」

「白田さん経由ではなく、穂蓉堂を経由したアクセスまでも社長がばっさり切ってしまった。今忙しいから後にしてくれ、そう言って何でもペンディングにされてしまう。これまで、どんな感じですかーとつーかーで社長と情報交換していた蛇口が、急にぴたっと閉まってしまった。そりゃあ御影不動産の担当の方は焦りますよ。必死に白田さんに電話を入れて、重要な相談事があるのでなんとか社長に取り次いでくれないかと懇願する」


 机の上の電話を指差す。みんなの視線が電話に集中する。


「社長の位置情報を欲しがるのなんか当然です。電話じゃ、一方的に切られてしまうときちんと話が出来ませんから。ちゃんと膝詰めで打ち合わせする機会を作りたい。至急お会いしたいんですが、社長は今どちらにおられますか? 必ずそう確かめるでしょう?」

「そりゃそうだ」

「白田さんには、先方のそういう焦りや苛立ちが直に伝わってくるようになった。そりゃあ慌てますよ。こりゃ大変! なんとか社長に連絡を取らなきゃ! それを社長に過剰干渉だとばつっと切られ。わたしに情報管理権限が移され……」


 白田さんは……もう決壊寸前。


「ねえ、白田さん」

「うん」

「白田さんが激怒するのは当然なんです。じゃあ、わたしはどうすればいいのよって」

「う……」


 悔しそうに顔を歪めた白田さんは、両手で顔を覆って激しく泣き始めた。陥落。


「ううーっ! ううーっ!」


 御影さんが、叔母さんの背中にそっと手を置いてさすった。御影さんの目も赤くなってる。……優しいね。


「社長が御影不動産からの完全独立を果たすためには、最終的には白田さんと黒坂さんが邪魔になります」

「ああ、それで俺もいつか外されると……」

「そうです」


 握った右拳がとんでもなく痛い。ずきずきする。でも、心の痛みはこんなもんじゃないんだよ! わたしは血染めのハンカチを外して、右拳を思い切りドアに叩きつけた。がん! ドアにぱっと鮮血が飛び散った。右手が血でぬるぬるする。


「はっきり言います。今回の一連のどたばた。その元凶は他の誰でもない、社長自身です! くそったれえええっ!」


 吐き出したくそったれがいつまでも還流して、頭にがんがん血が上る。


「いいですか? 黒坂さんは呆れてると思う。白田さんは悔しいと思う。でもね、実害があったのは、全部の敵意を押し付けられたわたしだけなんですよっ!」


 わたしは椅子を蹴って社長の前に飛び出すと、その横っ面を血まみれの右手で思い切り張った。ぱんっ! 社長の頬に、くっきりとわたしの血の手形が付いた。


「わたしは使い捨ての咬ませ犬なんかじゃないっ! ふざけんなあああっ!」


 はあはあはあはあはあっ! 手も頭も激しくずきずきする。でも、ここできちんとけりを付けないと、わたしは前に進めない。


「わたしが大学でどんな悲惨な目にあったのか。社長はそれをご存知だったはず。それなのに、なぜそれ以上のひどいことをされるんですかっ? 社長のくだらない策で、みんなが傷付いた。わたしが社長を叩いたって言っても、そんな痛みはすぐに薄れる。でも、社長が無神経にわたしたちに付けた不信感と心の傷! それは簡単に治らないんです! なんで、そんなことも分からないんですかっ!」


 わたしは憤然と席に戻った。乱れた息が収まるのをじっと待つ。


 ふう、ふうう、ふうううう……。


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