(3)

「ねえ、社長。出木さんの肩書きは工場長、ですよね?」

「ああ」

「もし、パートさんとトラブルがあった場合、出木さんにそれをさばけると思います? 工場がフルメカならいいですよ? そうじゃない。見学させてもらった時にも思いましたけど、人手の要る工程の方がずっと多い。そして、作業責任者は出木さんですよ? あの、機械フェチの、コミュ障の、箸にも棒にもかからない偏屈わがままじじいが、人をさばけるはずがないんですよ! こじらすだけ!」


 わたしは、感情的にじーさんの悪口を言うつもりはない。これまで全く接点がないんだし。でも、あのじーさんの悪癖を放置すると、この会社が潰れる。警告はたらっと言っても効果がない……それだけなんだ。


「社長が言った、最強のプロを揃える作戦。唯一の失敗は出木さんです。人間はね、機械じゃない! 絶対に機械なんかじゃない! 社長は、そこの判断を間違えた。だから、お父様のことをこじらせてしまったでしょ?」

「そっかあっ!」


 ぱん! 白田さんと黒坂さんが机を平手で同時に叩いた。


「そうか、そういうことなのね!」

「なるほどなあ……」

「出木さんの性格なら、お父様と正面衝突することくらいは前もって読めたはずです。出木さんは手作りにこだわるお父様のことを、時代遅れのおんぼろじじいってバカにしてるんですから。なぜ水と油を一緒にする愚を犯したんですか? わたしにはちっとも理解出来ません!」


 社長は真っ青。でも、それはイージーミスじゃない。本当は、見込みの甘さなんだ。まあ、それは後にしよう。


「でも、結果として社長のプランは崩れ始めました。ここで御影不動産とお父様とに正面衝突されるのは絶対に困る。せっかく社長が根回ししてきたことが、全部無駄になりますから」

「なあ、ようちゃん」

「はい?」


 黒坂さんが、納得行かないという顔でわたしに確かめる。


「それは、ようちゃんが入る前の話だろ?」

「そうです」

「危機的状況の割には、社長からそういう切羽詰まった態度が見えんかったんだが」

「そうでしょうね。その時、社長はまだ冷静だったんです。社長は、お父様の激怒が長く続かないことをよくご存知でしたから」

「は? どして?」


 白田さんがほけった。


「穂蓉堂の売り上げが、もう危機的だったから。わたしはそう睨んでます。意地を張って社長や御影不動産の助力を拒むと、本当に玉砕か無条件降伏になってしまう。そっちの方がお父様のプライドに響くでしょう。出木じーさんの暴言は、腹に据えかねてたと思います。でも、それより商売の方が先なんですよ。社長が、出木じーさんとお父様の衝突を取りなさなかったのもそういうことかと。現実を見て、すぐに頭が冷えるだろうって」

「ああ、そう」


 社長が、それを認めた。ほら、やっぱりね。


「そこまでは、ミスがあったって言ってもまだ社長の想定範囲内だったんです。だって、気難しいお父様の機嫌次第で、事態がどう転ぶか分かんない。社長は、当然それに備えておかないとなりませんから」


 ふうっ! 大きく一つ息を吐き出し、ぐんと胸を張った。


 ここからが、ミソだ。これからのわたしの推論には、軸にするファクトがほとんど入ってない。そこには口に出してはいけない邪推が混じっているかも知れない。でもこの先にきっちり踏み込まないと、わたしが首をかけて大爆発した意味がなくなってしまう。


 ぎん! 社長にガンを飛ばした。


「でもね。社長は、この社を立ち上げて受け皿を全速力で作っている間に、少しずつ考え方が変わって行ったんだと思います」

「どんな風に?」


 白田さんに聞かれる。


「穂蓉堂の受け皿を作る。それは補助です。自分が主体じゃありません。でも、社長の肩書きはあくまでも『社長』です。自分が主人公なんです。社長は、自分が主人公だってことを強く意識したんですよ。受け皿の確立から自分のプラン実現へ。目的が変わった」

「そうか」


 黒坂さんが、俯いている社長を見て何度か頷いた。


「わたしは、その意識が裏目に出ちゃったかなーと思ってます。それまでは受け皿早く作らなきゃって、何も考えなくて済んでたいろんなこと。例えば、社の独立性とか今後の方向性とか、それが急に気になってきちゃった。でも、今はそれをしっかり考える余裕がない。会社は全力で走り続けてますから。社長は、思考する余裕を失って飽和してしまったんですよ」


 社長がもう少しタフだったか能力不足だったなら、もっと早くに離陸していたか、とっくに破綻していただろう。でも、社長はぎりぎりまで助力と自分の能力を活かせた。まるで綱渡りするような感じで、ここまでたどり着いてしまったんだ。それは、むしろ不幸だったかもしれないなと……思う。


「社長がいろんなことをデフォルトに戻して考えたくても、今の高野森製菓はいろんな要素を取り込み過ぎてしまった。その要素の一番大きなものは、御影不動産です。確かに、敵対されるより協力してくれるのはありがたいことです。でも債務保証から人材確保から店舗や販路の調達まで、ずうっとおんぶにだっこじゃ息苦しくてしょうがない。高野森製菓は、御影不動産の子会社ではありません。この社は、社長が新たな生き方を探るための大事な存在。夢。社長はそうおっしゃいましたよね?」

「ああ」

「感情を露出させない社長が、唯一強く主張されたこと。自分の夢を誰にも邪魔されたくない。それなのに、御影不動産の紐がいつまでもずるずる繋がっている。社長には、それがきつくなってきた。それだけじゃありません。社長は、頑固なお父様に振り回されて、その後始末に追われてきました。それにも疲れたんですよ。お父様との距離も取りたくなったんです」


 座っていた回転椅子を少しだけ下げる。でも、それはすぐにドアに当たって、がたっと情けない音を立てた。


「距離を取ること。それは、御影不動産やお父様を裏切るということではありません。ちゃんと対等な立場で。僕を高野森製菓の経営者という独立した存在として扱って欲しい。見て欲しい。そういう思いがすごく強くなったということです。じゃあ、社長は距離確保のために何をしようとしたか」


 うんうんと頷く黒坂さん。黒坂さんには、わたしが言おうとしていることがなんとなく分かってると思う。


「それは、社長が昨日今日思いついたことではありません。おそらく、社長がこの社を立てた時から心のどこかで計画していたこと。だからこそ、わたしを入社させたんですから」

「ああ、そうか。そういうことだったのか」


 黒坂さんが、わたしを見て大きな溜息をついた。


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