(3)

 戦果が大きいと、昼ご飯もおいしい。にこにこ笑顔でおいしいご飯! 毎日、こうだといいんだけどなあ。


「あのー」


 水沢さんが、もう我慢出来ないって感じで、わたしに探りを入れてきた。


「谷口先生のところで……何があったんですか?」


 まあ、そうだろね。部屋に入る前と後で、状況ががらっと変わったからなー。


「うん。わたしは、ほんとについてないなーって思ってたけど」

「はい」

「やっぱり神様ってのは居るんだよね」

「はあっ?」


 いきなり何を言い出すんだろって、驚く水沢さん。


「さっき、谷口先生に抗議してたジャストそのタイミングで」

「はい」

「わたしの携帯に、大学の時の指導教官だった尾上教授から、電話がかかってきたの」

「えええっ?」

「サイアクよ。あの教授にわたしの携帯番号が漏れたが最後、二十四時間、こっちの都合なんか一切お構いなしに作業指示が来る」

「うっそおっ?」

「うそじゃないのよー。まさに奴隷そのもの。もし、学生の時にわたしの携帯番号を知られてたら、わたしは首吊ってたかも」

「げえー」

「だから、学生の時は貧乏で携帯は持ってないってことにしてたの。その言い訳のためだけに、わざわざ居留守使える固定電話敷いてたからね」

「じゃあ、その携帯の番号を……」

「誰かから聞き出したんだろねー」

「今頃、どうしてですか?」

「教授の研究は、わたしたち学生が分担して実施することになってるんだけど、女子学生がいる時には全部女子に押し付けるのよ」


 わたしは、空になったパスタ皿の中のトウガラシをフォークでつつき回した。


「でもね、わたしが卒論書いてる時の女子学生のうち、わたし以外の二人はそれを拒否したの」

「ひええっ」

「すごいでしょ? 甲斐って子は、先生の研究は穴だらけでまるっきり魅力を感じないとぶっ放して、正面突破」

「!!」


 水沢さんが、のけぞって驚いた。


「そ、そんなこと……出来るんですか?」

「まあ、みりは本当の女傑だったから」

「うわ、すごーい。尊敬しちゃいます。もう一人の方は?」

「乾って子だったんだけど、徹底拒否。全否定。教授だけでなく、大学も学問分野も、全て嫌い。価値を感じない。たるーい。そう言って、指導を門前払いして無視したの」

「うわあ……」


 そんなこと可能なんだろうかって感じで、絶句してる。そりゃそうよねー。わたしだって信じられなかったもん。


「でしょ? あの子は教授だけじゃなくて、誰にも理解出来ないよ。ほんとに掴み所がないから」

「それで、何野さんだけが」

「そう。前にも言ったけど、わたしは一切教授には逆らわなかった。わたしアホやから、ぜえんぶ教えてくださーいって言って、教授の言ったとーりに全部やったの」

「うう」

「もちろん、わたしにもう少し反骨心やガッツがあれば別だったと思う。でも教授と刺し違えて燃え尽きたら、ばかみたいじゃない」

「……はい」


 その反作用がこんなに強くなるんだったら、みりやぬいのように徹底的に逆らった方がよかったかも。と、後から思っても後の祭り。


「まあ、卒業証書はもらったし、大学で勉強したことを就職に利用しようなんて発想もなかったから、データは一つ残らずぜえんぶ教授に渡してきたの。そんなの、使わんもん」

「そうですよね……」

「教授はデータ管理にはすっごいうるさいの。わたしがデータをちょろまかさないように、ものすごくきつい閲覧制限をかけてた」

「はい」

「だから、卒業後のわたしの手元には、データなんか何もないんだよね」

「それを?」

「隠してるだろってさ。アホか」


 どべっ。テーブルの上に潰れる水沢さん。


「すっごい疑い深い人なんですね」

「その上、プライドが馬鹿高いの」

「あ、だから」

「そう。女に自分を上回る能力があるなんてことは、絶対に認めたくないわけ」

「それで、ですかー」

「とんだ迷惑だよ」

「でも、何野さんがデータを持ってないっていうのは、先生が一番よく分かってるんですよね?」

「けけっ! たぶん、とんでもなく大ドジこいたんだと思うよ」

「は? どじ?」

「パソコン、昇天させたんでしょ。ざまみやがれ!」

「あ。それで」

「そう。わたしがバックアップを持ってるって信じてる。でも、教授がわたしに頭を下げて、わたしの私物のパソコンを貸してくださいなんて言えるわけないじゃん。あの男尊女卑の権化が」

「うわー! それでデータをちょろまかしたって言い方ですか」

「そ。付き合ってられんわー」


 食べ終わったわたしたちのお皿を下げた店員さんに、コーヒーとデザートを持ってきてもらう。


「諦めてくれるんですか?」

「そこさー」


 はあっ。


「あのセンセも、しつっこいことじゃ有名だもん」

「でも、ないものはないんですよね?」

「ない。てか、先生もそれは分かってんだよね」

「は?」

「つまり今残ってるのは、わたしが先生に渡してきた実験記録。それは、全部紙ベースなの」


 水沢さんが、じっと考え込む。それから……。


「ええと。てことは、それを全部入力し直してくれってことですか?」

「そういうことだと思う。アホか!」


 ぐしゃ。あまりの情けない話に、水沢さんが脱力したらしい。


「大丈夫なんですかー? その先生……」

「てか、おたくの谷口先生も似たようなもんだと思うよ。態度はでかいわ、礼儀は知らないわ、謙虚さのかけらもないわ。わたしみたいな大学出たばっかのぺーぺー社会人でもそう感じるんだから、一般の人はもっとなんだかなあと思うでしょ」

「ですよね……」

「それでも、大学のセンセって肩書きはとっても世間受けするんだよね。いくら人格的に難ありでも、その業界でトップって人にはなかなかクレームを付けられないでしょ。もちろん、わたしたちには全然歯が立たない」

「はい」

「学生の立場はヨワいから、谷口先生がああしろこうしろって命じたことには反発出来ないでしょ?」

「そんなこと、怖くて出来ないですー」

「今回のだってそうだよ。課題通りに電話した学生さんの中には、きっと迷惑なんじゃないかなーと思った人もいたと思う」


 こくん。水沢さんがすぐに頷いた。


「でも、それは先生には言えないでしょ? 課題の採点に響いちゃうから」

「間違いなくそうです」

「ねー?」


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