天翔ける月姫 琉球編

龍青RYUSEI

第1話 プロローグ01 遺書

 神奈川県横浜市桜木町駅、駅舎の北側にレンガタイル状の外壁に包まれた24階建てのホテル、ブロッサム・インがある。

 1階から4階までは、ショッピングモールとレストラン街で構成され、フロントは5階、6階から8階まではオフィスフロアとなっている。いずれも、JR桜木町駅、みなとみらい線馬車道駅への良好なアクセスが売りであるが、9階から23階までの客室には下階の喧噪けんそうが伝わらないように配慮され、静けさとくつろぎが保証されていた。

 その客室の一つ、桜木町駅側シングルルーム1722号室に、2週間前から宿泊している1人の女性客を、5階フロントで接客している従業員たちはひそかに懸念けねんしていた。

 宿泊客の顔は従業員全員が見知っていた。ただし、ネット、週刊誌などのメディアを通してだけである。

 まったく外出をせず、ホテル内のレストランやショッピングモールでの買い物もめったにしない。マスコミを避けて身を隠しているに違いないと意見は一致しており、従業員たちは自分の家族も含めて、誰にも彼女の滞在を口外しないことを申し合わせていた。

 ただ、外部との接触が皆無で、食事もろくにっていない状況が続くのは好ましいことではない。慎重に、この宿泊客についての情報は、マネージャーを通してホテル総支配人、ホテルオーナーへと伝えられた。


 1722号室の前を通る時、従業員たちは細心の注意を払い、室内に異変がないか探ろうとするが、普段は何の物音も伝わってこなかった。

 ただこの日は、室内で書きものをしているペンの音が続いていた。しかし、さすがにその音を聞き取ることのできた従業員はいなかった。


 冬を呼び寄せる冷たい雨が、ホテルの窓ガラスをしきりに叩いています

 私の流す涙はもうすっかりれてしまったから

 降り続くこの氷雨ひさめが涙の代わりなのでしょう


 薄暗い部屋にいると朝なのか夕方なのかよくわからなくなります

 時計は、もう、見たくありません

先へ進もうとするものは、嫌いです

音のするものは、近づけたくありません

 窓ガラス越しの街の音も

 神経をいらだたせます

 人や物が動いて出す音は、嫌いです

 

 私をひとりぼっちにするもの

 私をひとりにさせてくれないもの

 何もかもが、嫌いです


 マスメディアは私を勝手に祭り上げ

 お父さん お母さんの死をいたむことなど都合良く忘れています

 家に帰ることもできず

 ホテルの狭いベッドだけがただ一つの居場所になっています

 膝をかかえて座っていると

 こどもの頃の幸せだった時間が浮かんでは消えていきます

 自分が幸せだったことさえ あの頃は知らずに過ごしていました

 恵まれていることに何の疑いもいだかず

 時に わがままを言い

 時に 反抗してしまって

 ほんとうに ごめんなさい

 失ってはじめて気づくほど

 私はまぬけで愚か者でした


 きっとお父さんとお母さんは

 こんな私でもしっかり生きていきなさいと

 遠い遠い空から励ましてくれていることでしょう

 でも

 お父さん お母さん

 この終わりのない苦しみの洪水に

 わたしは流され、飲み込まれてしまいそうです

 いつか いつも甘えてばかりの私に

 泣き言の多い子ねと、言っていましたね

 もう一度だけ

 最後に泣き言を言ってもいいですか

 

 お父さん お母さん

二人のところにいきたいです

 二人のいつもの笑顔に

 ずっと包まれていたいです



 あぁ、誰かがドアをノックしている。わたしの名前を呼んでいる。だんだん激しくなるようだけど・・・ボーイさん?フロントの人?誰かな・・・誰でもいいや・・・もう、ゆっくり眠らせて・・・・

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