6-2:老人

「ごめんなさい、待ちましたか?」


 美織に久乃の無慈悲なお仕置きが執行されてから、およそ一時間後。

 女装した司が待ち合わせのコンビニに行くと、すでに美織を除くぱらいそスタッフが勢揃いしていた。


「ううん、うちらも今さっき集まったところやでぇ」


 お仕置きモードから一転、いつものおっとり調子に戻った久乃がにっこり笑う。


「んじゃ、揃ったところで行きますか」


 葵が立ち読みしていた漫画雑誌をラックに戻し、うーんと背伸びした。


「その、ぱらいその本当の店長っていうお爺さんの所へ」





 ぱらいその真の店長であり、経営者であり、美織の祖父。

 そして司にとってはMMORPGで所属しているギルドのマスターであり、ぱらいそへ導いてくれた恩人である。


 その人物から、みんなに会いたいと久乃に連絡があったのは数日前のことだった。


「なんでまた急に?」


「しかも美織には内緒って……なぁ?」


 突然の話に戸惑いを見せる葵やレンとは対照的に


「ついになっちゃんと結婚する気になったのかな?」


 と奈保は半ば本気とも取れる軽口を飛ばしつつ、久しぶりの再会に心躍らせた。


「マスター……」


 一方、司は複雑な思いで恩人の名を呟いた。


 ぱらいそで働き始めてすでに半年以上。

 にもかかわらずいまだマスターとは会っていない。

「ぱらいそは美織に任せてある。いまさらワシが顔を出す必要もあるまい」と言うが、司としては直接会ってひとことお礼を伝えたかった。

 が、そんな気持ちを申し出る度に「でもキミとは毎晩これで会っとるじゃろうが」と、ディスプレイに映るマスターのアバターははぐらかすのだった。


 その恩人とようやく対面できるのは正直、嬉しい。


 しかし、同時に嫌な予感もした。

 何故なら夏頃からマスターがMMORPGを休みがちになっているからだ。

 なんでも身体の調子が良くないらしい。

 言われてみればボイスチャットで聞こえてくるマスターの声に、どこか張りがないように感じられた。

 時折激しく咳き込むこともある。

 本人は大丈夫だと言うが、高齢なだけに司は心配していた。

 

 やがてログインが二日に一度になり、三日に一度になり、一週間に一度になり、今月に至っては二回ほどしか姿を現していない。


 そこへ今回の話……司は胸騒ぎを感じずにはいられなかった。




 電車に揺られること、数駅分。

 さらに徒歩でおよそ十分あまり。

 東京と埼玉の県境、立派な住宅が立ち並ぶ静かな一角に、マスターが住んでいる建物があった。


「マンション……じゃないよね、これ」


 夜の九時ということもあって、建物の名称は暗くてよく見えなかった。

 だから中に入るまでは普通のマンションのようにも思えた。


 が、広いエントランスには受け付けがあり、久乃がマスターの名前と面会に来たことを告げると、担当者が部屋まで案内してくれると言う。

 普通のマンションではありえない。

 かと言って、会社やホテルの類でもなかった。


「……老人ホーム」


「まぁ、そうやね」


 内装は照明や絵画など、どれも品が良くて高級感があった。

 ただ、壁にはすべて手すりが取り付けられていて、まるで病院のよう。その様子から司は老人ホームという答えを導き出し、久乃がこれを肯定した。


「てんちょー、今はこんな所に住んでるんだ……」


 部屋へと案内されながら、奈保がぽつりと呟く。


「今は、って前は違ったんですか?」


「うん。前はぱらいその最上階で暮らしてたんだよー」


 奈保が言うに美織の祖父はお店にあまり顔を出さなかったものの、去年の夏までは最上階に住んでいたらしい。


 それが急に引っ越しをしたかと思えば、まさか老人ホームとは。


「どうして一緒に住まないんだろう?」


 美織が同居を嫌っているとは考えにくい。

 それは祖父のことを話す美織の様子を見れば一目瞭然だった。


 天上天下唯我独尊、この世で私が一番偉いと本気で信じているような美織だが、こと祖父に関してだけは違っている。

 彼女にとって祖父は肉親なだけではなく、憧れの存在でもあるのだ。

 若くして引退したものの、一代で会社を育て上げた手腕。

 リーダー性に溢れながら、どんな人の言葉にも耳を傾ける広い心。

 常識に囚われない柔軟な発想。強靭な意志。自信に満ち溢れた表情と、慈悲深い眼差し……そして何よりも美織が祖父を語る時に一番自慢げに語るのが、


「なによりお祖父ちゃんは世界一のゲーマーなのよ!」


 ってことだった。

 知識は勿論、会社を引退して自らゲームショップを開くのだから情熱もハンパない。

 加えてゲームの実力も超一流。なんせあの美織が一度も勝てたことがないというのだから、相当なものだろう。


 いつかお爺ちゃんを越えてみせる。

 ぱらいその経営でも、ゲーマーとしての実力でも。


 それが美織が心に強く秘めた目標であった。


 そんな美織が理由もなく祖父と別居するとは考えにくい。

 しかも祖父の住まいは老人ホーム。これはつまり……。


「こちらです」


 案内の人がとある扉の前で立ち止まると一礼し「お帰りの際は部屋のインターホンでお呼びください」と告げて立ち去って行った。


 まだ夜は浅いのに廊下には誰もおらず、静まりかえっている。

 あまりの人気ひとけのなさに、温かい色合いの照明と高級感溢れる内装がなければ、廃墟に迷い込んだと錯覚しそうだ。


「入る前にもう一度確認しとくで」


 久乃は扉の前に立つと、司たちに振り返った。


「今日のこと、全部美織ちゃんには内緒やで」


 美織は今日の訪問を知らない。

 なんでもそれが美織の祖父の意向なのだそうだ。


 念を押した言葉に皆が頷くのを確認すると、久乃は改めて扉に向き直った。

 静かにノックする。

 返事はない。

 しかし久乃は構わず、ゆっくり扉を押し開いた。




 部屋の中は照明が抑えられていて薄暗かった。

 それでも司たちが部屋の様子を把握するのは容易かった。

 広い。でも、何もない。

 カーテンが閉められた窓際にベッドと医療機器らしきものが見えるだけで、他には何もなかった。


「よく……来てくれたの」


 ベッドの上で微笑みながら、老人が上半身を起き上がらせようとしていた。


「会長、無理をされてはいけません」


 久乃が慌てて駆け寄る。


「よいよい。今日は調子が良いのじゃ」


 それでも久乃の手を借りて、老人はようやく上半身を起き上がらせることが出来た。

 そして司たちに深々と頭を下げる。


「孫の美織がいつもお世話になっておるの。あやつの祖父の鉄織てつおと申す」


 司たちも慌ててお辞儀をする。


「てんちょー」


 今にも泣きそうな震え声で、かつての老人の役職を呟く者がいた。

 奈保だ。


「どうしたんじゃ波津野君、そんなに美織のもとで働くのは辛いかの?」


「ううん。美織ちゃんが来てから、お店はすごく面白くなったよ。そうじゃなくて、てんちょーこそどうしちゃったの? あんなに元気だったのに」


「ははは、ワシも歳じゃからなぁ」


 それよりもそうか、美織は上手くやっておるか、と老人は嬉しそうに皺だらけの目元を緩ませて、視線を奈保の隣りに移す。


「加賀野井さん、じゃったか?」


「うえ? あ、はい」


 いきなり名前を呼ばれて、葵が変な声をあげた。


「美織から聞いておるよ。ぱらいその漫画を描いてくれているそうじゃの」


「えーと、はい」


「ぱらいそが漫画になるなんて、夢にも思っておらんかったよ」


 ありがとうと、老人は肉が落ちて節くれ立った指を伸ばす。

 葵は戸惑いつつ、その手を両手で受け止めた。

 なんだかんだで好きで描いている漫画だ。お礼を言われるのはちょっと恥ずかしい。

 それでもこのお爺ちゃんにしてみれば、ニ十年以上やっているぱらいそは子供みたいなもの。そのぱらいそを舞台にした漫画は、きっと感慨深いものがあるのだろう。


 老人の気持ちを受け止めるように、葵はもう一度しっかりと手を握り返した。


「それから、そちらは竜馬さんのひ孫さんじゃな」


「ひい爺ちゃんを知ってるのか?」


 老人の視線が自分へと移り自然と身構えたレンだったが、思わぬ名前に不意をつかれた。


「ワシがこの歳まで生き長らえたのは、若い頃に竜馬さんに鍛えられたおかげじゃよ」


 懐かしそうに目を細め、老人はかつての師の面影をレンに見る。


「うむ。性別こそ違えど、きりっとしたところはまるで竜馬さんの生き写しのようだ」


「そんな、オレなんてまだまだひい爺ちゃんの足元にも及ばないですよ」


 謙遜しながらも、レンは尊敬している曽祖父と自分をなぞらえてもらえたことを誇らしげに思う。

 同時にこの不思議な関係に、どこか運命めいた縁を感じていた。


「そしてキミが司くんじゃな?」


「はい。えっと、その」


「ワシのことはマスターと呼んでくれて構わんよ」


 その声はボイスチャットで聞いたものと同じだった。


「それにしても本当に女の子にしか見えんのぉ。たいしたもんじゃ」


「マスター……あの、僕……本当にありがとうございます」


 咄嗟にお礼が口に出た。

 まるで女装を褒められたことへのお礼みたいになって、司はたちまち顔を赤面させる。

 マスターと出会ったらこれまでの感謝を伝えるだけでなく、色々と話したいことがあった。

 なのにいざその場面を迎えると、なかなか言葉が出てこない。ただ、この人がここまで導いてくれたんだという感謝の気持ちだけが溢れ出た。


「なに、ワシはただ行き先を教えたまで。道なき道を切り開き、自らの足で進んだのは全てキミの力じゃ」


 それでも老人はちゃんと司の気持ちを汲み取った。


 老人の言葉にウソはない。

 彼はただ司にぱらいそで働ける条件を示しただけで、その道を切り開いたのは司自身の努力だった。

 さらにぱらいその思わぬ方向転換にも、司は一大決心を持って順応している。

 こちらが感謝することはあれど、感謝されるようなことは何もしていないと老人は思っていた。

 それに。


「ところで司くん、ワシがぱらいその話をした時、条件がふたつあると言ったのを覚えておるかの?」


 どうしてもあともうひとつだけ、司にやってほしいことが老人にはあった。


「実はな……」


 司が頷くのを見届けて微笑むと、老人は静かに、この一年間胸に抱いていた悩みと願いを打ち明けるのだった。

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