コア
銀礫
前編
私はただ、彼女に「こころ」を持って欲しかっただけ。
理不尽な環境に放たれるからこそ、そこに呑み込まれないような強い「こころ」を。
私は持つことができなかった、どこまでも澄み切った「こころ」を。
だから、頑張って欲しい。
さあ、再開だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「………あぅ?」
「あ、やっと起きた。」
「ここは…?」
「きょーしつ。ねえコア、もう授業おわっちゃったよ?」
チャイムが鳴り響く教室。他の生徒が片付けを始める中、少年は、後ろの席に座る少女に声をかけた。
コアと呼ばれた少女は、まどろむ意識をしだいに回復させる。
「………ああ、そっか。私、高校生で、授業中で、いま、寝てて…」
「何言ってんの。ねえ、大丈夫?」
「だいじょうぶだよー、ほらーってわああぁあぁぁああぁぁぁあぁ」
突っ伏していた机から身体を起き上がらせようとしたそのとき、眠気の余波に流されるがまま、座っていた椅子ごと横に倒れこんだ。
その際、大きな音が鳴り響いたため、教室にいる全員の視線がその一点に注がれる。
話しかけていた少年は、コアが倒れゆくさまを、為す術もなく見届けていた。
「こ、コアっ!?」
その後、突然の出来事に慌てた少年は、意識がまだふらふらしているコアを、保健室まで担いで運ぶことになる。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「教授ぅー。」
「なんだ、助手。」
「いい加減助手呼ばわりはやめません?」
「断る。それよりなんだ?」
「ぶー。で、どうしてここで急にセーブポイントを作ったんですか? システムに軽いバグが生じて、ちょっと意識障害を起こしていますよ?」
「しかたがないだろう。ここから、大きく成長することになるのだから。」
「へぇー…。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ここは、コアが通う学校の保健室。ベッドには先ほど倒れたコアが眠っている。幸い、怪我はないようだが、大事を取って少し休むことになった。
ベッドの側には、丸椅子に座った先ほどの少年。保健室の先生が言った「大丈夫だから。」の言葉が信じられないのか、ずっとコアに付き添っている。
ちなみに、保健室の先生は出張だということですでに学校から出て行った。戸締まりを頼まれた少年のポケットには、保健室の鍵が居心地の悪そうに存在していた。
「……ぅぅ」
「っ! コアっ!?」
「ぅ……ふわああぁ」
少年の心配を完全に無視した、間の抜けたおおあくびをするコア。
しかし、それがかえって少年を安心させたらしい。少年は少し落ち着いた声で、コアに話しかける。
「コア、大丈夫かい?」
「うん。だいじょうぶだよ。」
「本当に?」
「ほんとだよぉ。心配してくれてありがとね。」
礼の言葉とともにまっすぐと見つめられた少年は、気恥ずかしくなり顔をそらす。
コアは、その様子に微笑んで、それから壁にかけてある時計を見る。
「あれ? 授業は?」
「抜けてきた。」
「あらら、そうなんだ。」
その後、少し考えたコアは、屈託のない笑顔を少年に向けて、呟く。
「ありがとう。」
ちょうど顔をあげてしまった少年は、その笑みに射抜かれたように動きを止める。
その一瞬後には、耳まで真っ赤にしながら、また目をそらしてしまった。
「……今度から、ちゃんと気をつけて。ここまで運ぶの、大変だったんだから。」
「あはは、ごめんね。」
この会話を最後に、しばらくの沈黙が続くことになる。
開かれた窓からの風が、窓際の観葉植物の葉を揺らす。
そんな光景を眺めていたコアは、なぜか急に、この静けさがとても愛おしく思えた。
そして、短いようで長かった沈黙は、少年によって終わりを迎える。
「そうえば、さ。本当に今日、あいつに告白するの?」
コアは、少年が何を言っているのか一瞬理解できなかったが、すぐに思い出して、答える。
「……ああ、その話ね。うん。そうするつもり。彼のことが、好きだもん。」
「そっか。がんばって。」
「ん。ありがと。……ってか、ひとつ聞きたいんだけど、いい?」
「な、なに?」
なんとなく身構えてしまう少年。そのことにコアは気がつかない。
「君はさ、私とずっと一緒だったじゃん? 私達が小さい頃からずぅーっと。だから、こう、私の直したほうがいいところとか、わかんないかなって。あるんだったら、教えて欲しいなって。」
告白のときに何か失敗したら嫌だし。そう付け加えたコアの問いに、少年はあまり考えることもなく、すんなりと答える。
「あるがままでいいと思うよ。だって、そうじゃないと、相手は本当のきみを好きになってくれないかもしれないよ?」
「んー、それもそっか。」
その後また、保健室はコアにとって心地よい静けさに包まれることになる。
もう、少年が声を発することはなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「教授ぅー、なんすか、この青春もの。いや、かわいいですけど。」
「だろう? このシミュレーションは私の実体験が元になっているからな。」
「え、えぇ…。」
「何だその目は。」
「いえ、べつにー。」
「だが、これからなんだ。」
「え?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ねえ。」
「え、俺に言ってる?」
「うん。」
保健室で休んだ後、しばらくの時がたち、少し赤みがかった夕日が射し込む放課後の靴箱。コアは、一人の男子に声をかけた。二人の他には誰もいない。
コアは、彼がいつも放課後に、少しだけ図書室で本を読んだ後、この時間に一人で下校するということを、ちゃんと調べていた。
「私もちょうど帰るところなんだ。一緒に帰ろ?」
一緒に並んで歩く間、彼との話の内容に困ることはなかった。それは、二人がクラスメートであることの他に、二人ともかなりの読書好きであることが功を奏していた。
それに、こうやって二人で帰ることは、実はあまり珍しいことでもない。
二人は広い運動場を、運動部の邪魔にならないように迂回して、校門の直前まで辿り着く。校舎から運動場を挟んで向う側にある校門の遠さに不満を持つ生徒は多いが、コアはそう思わない。
そして、ちょうど話が一段落したので、コアがとうとう自分の想いを打ち明けようと決心したとき、ふいに彼が声を出す。
「そういえばさ、君ってなんで本が好きなの?」
「うあいっ!?」
告白しようと意気込んだ瞬間の質問に、自分でも憐れなほど慌てふためく。
「そ、そんなに驚かなくても…。」
「あ、ご、ごめん。で、なに?」
「いや、だから君はなんで本が好きなのかなって。」
何とか落ち着いたコアは、彼の質問に答えようとする。しかし、明確な答えが出てこない。
「わからない、なぁ……なんだろう、本を読むことが、私の宿命、みたいな…。」
「あはは、なんだよそれ。」
少し吹き出してしまう彼。なぜかいたたまれなくなったコアは、逆に聞き返してしまった。
「そういう君は、どうして本が好きなの?」
そう、聞き返してしまったのだ。
「俺? 俺はね、実は小さい頃から本が好きだったわけじゃないんだ。今の彼女……といっても、幼なじみの延長みたいな感じだけど。まあ、その彼女がさ、いろいろと本を薦めてくるんだよね。だから、最初は渋々読んでいたんだけど、そのうちに俺も本が好きになってさ……って、どうしたの?」
立ちすくむコアの耳は、途中から全ての音を受け入れなくなっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「え、完成の予定を早めろ、ですか? いや、ですが……わかりました。それが決定なら、何とかします。はい。では、今日中になんとかします。はい。失礼します。」
「教授ぅー。何の電話だったんですか?」
「上層部からの連絡だ。スケジュールを早めてくれとのことらしい。というわけで、私はこれから部屋にこもってその準備をする。君は今までどおり監視を続けてくれ。」
「はいはい。わかりましたよー。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「どうしたの? 急にこんなところへ呼び出して。」
ここは、コアの通う校舎の屋上。大きく傾いてかなり赤くなった夕日は、フェンスのそばに立つコアの影を長く伸ばしていた。
携帯を片手に、少年は、コアの元へ近づく。
声に気がついたコアは、少年の足音がかなり近づくのを待って、振り向いた。
「そっか……だめだったんだね。」
コアの瞳には、あふれんばかりの涙が溜められていて、
「………うん…。」
いま、こぼれだした。
ふたりは、夕日を背にして並んで座った。
コアは、少年に先ほど起きたことを言葉にして、包み隠さず吐き出していく。ずっと、袖を濡らしながら。
少年は、コアが吐き出し終わるまで、ずっと、ずっと隣で聞いていた。
そして、全てを語り尽くしたコアは、力尽きたようにうなだれる。
ふたたび、ふたりに沈黙が訪れる。しかし、今回の沈黙は、あまり心地のいいものではなかった。
しばらくして、コアが声を出す。
「これを、話したくて、きみを呼びだしちゃった………ごめん。」
「大丈夫だよ。暇だったんだし。それより、その後あいつとはどうしたの?」
「……忘れ物を、したから、学校に戻るって言って、別れた。」
「そっか。」
沈黙。寂しげな風の音が聞こえる。さきほどよりもさらに気まずい沈黙だった。
そして、気まずさに堪えきれなくなった少年の感情は複雑怪奇を極め、その結果まったく違う話をしようという思考に至った。
「僕にはさ、夢があるんだ。」
いきなり始まった話の内容に、コアは驚いて顔をあげ、少年を見つめる。
「漠然としているんだけど、こう、この広い世界をどこまでも旅したいなって。それで、いろんなものをみて、いろんなことを経験して、いろんなことを感じてみたいんだ。」
コアは黙って耳を傾ける。
右手を赤い空へ伸ばしながら、少年は続ける。
「だって、もったいないじゃないか。自分の周りの、小さな空間にだけ閉じこもっていたらさ。世界はこんなにも広いのに。だから僕は、この広い世界に飛び出して、旅をしたい。」
ここまで話して、少年は急にしどろもどろになる。
「だから、その、あまり落ち込むことは、ないと思う、よ。まだまだ世界は広いんだから、これも、その、経験のひとつと思えば、さ。」
少年は、言いながらおずおずとコアの様子をうかがう。
その妙に不自然な様子に、コアは思わず吹き出してしまう。
少年には、それだけで十分だった。
「無理やりじゃん、その結論。」
「やっぱり、そうかなぁ…。」
「でも、ありがとうね。」
「……うん。」
いつのまにか、ふたりを包み込む夕日と風は、どこかあたたかいものに変わっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あははっ、本当に、どこまでもさわやかな青春だなぁ……これが教授の実体験だなんて、全然信じられないや。」
「やっと終わった……。」
「教授ぅー。おつかれさまでーす。」
「ああ、おつかれ。なあ、ちょっとプログラムにこの修正パッチを当ててくれ。」
「はいはーい。」
「………よし、これでいい。私はちょっと珈琲を淹れてくる。」
「いってらっしゃーい。」
教授が、部屋から出ていくために開いた扉が、音をたてて閉められる。
どうして、こんなにもその音が響いたのだろうか。
「さてと、次はどんなお話になるのかなぁー。」
助手が、モニターの画面を凝視する。
「えっ……これ、って………。」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「元気になった?」
「えへへ。なんとかね。」
「そっか。それはよかった。」
少年は、コアの笑顔を確認して、おもむろに立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ行こうか。授業が始まりそうだし。」
「うん………って、え?」
強烈な違和感に襲われ、呆けたように少年の顔を見上げる。
「ほら、早くしないと遅れてしまうよ。」
「え、い、今って、放課後、だよね?」
「何言ってるの? 今は昼休みだよ?」
ふと気が付くと、自分たちの頭上には澄み切った青空が広がっており、校舎からは他の生徒たちの喧騒が聞こえる。
「あ、あれ…?」
「本当に行かないと、そろそろ予鈴が鳴っちゃうよ。」
しかし次の瞬間、校内に鳴り響いたのは予鈴ではなく、一発の銃声だった。
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