飽食

銀礫

飽食

「あぶないだろうが!!」


 八月十五日の二十時半ぐらいのこと。

 空は真っ暗。

 山道に射し込む一筋の光。それは、急停止したどこにでもありそうな乗用車のヘッドライト。

 夏祭りに好きな子へ告白して、見事に玉砕して、その勢いで髪を切り、涙で濡れた顔を隠すためのマスクをして、私は自転車をこいでいた。

 そんな不審者みたいな格好で、帰りの峠道を越えていたら、私は轢かれかけた。


「いいから早くどけ!」


 まったく。そんなに慌ててどこへ行く。

 致命的に滅入った私は、とぼとぼその場からどいた。あーあ、ただでさえ暗い気分なのに。

 進路が開けた乗用車は、急発進して去ってった。


「はぁ……はぁ…………今の………なんだ……………急ブレーキかけてしまった…………なあ、あれはなんだったんだよ。あれは、まるで……………あく」


 その後、スピードの出しすぎで曲がり損ねた乗用車は、深い谷に転落し、二度と発見されることはなかった。




「………またあの夢、か。」


 私はベッドの上だった。乗用車はない。


「あの夢は、もう、いいじゃんか……。」


 ベッドから降りた私は、すぐに着替えを始めた。


 夢は、目が覚めると忘れるという。だけど私は、この夢を見たと覚えている。昨日も、一昨日も見たということを。

 なぜかって?

 それは、この夢の内容が、私の過去だから。


 私が中学生のときだから、5年前かな? この夢と同じことがこの身に起きた。当時は深刻に思っていなかったが、後々考えると、すごく危なかったんだなって思った。

 そう思ったときから、ごくごくたまにその情景を夢に見る。トラウマって感じなのかな?


 そう、ごくごくたまに、のはずだった。

 でも最近は、ほぼ毎日見る。なんで? どうして? 私にこの事を思い出させたいの?


 ま、そんなことはどうでもいい。

 今、私は幸せだから。

 金銭的な不自由はない。贅沢はできないけどね。

 第一志望の大学に入り、彼氏もいる。

 普通かもしれないけど、楽しい毎日。

 幸せって偉大だよね。生きる活力がどこからかわかんないけど湧き出てくる。


 あとは、姉の記憶が元通りになれば…………なぁ。


……いや、やめよう。うん。明日はデートなんだから。

 そう、明日は久々のデート。天気とかバイトとかに邪魔されまくったデートが、やっとだ。

 で、ででで、今日はショッピングに行く予定。え? 何を買うのかって? もちろん明日着ていく服。

 着替え終わった私は、朝食も軽くすませ、スキップで出かけた。かわいい服、見つかるかな?


 買い物は、一本の電話であっけなくおじゃんになった。

 それは、妹からだった。



「お姉ちゃんが……お姉ちゃんが……………自殺した。」



 姉は、記憶喪失だった。

 いつからだったかは覚えてない。

 でも、そのいつからかは、姉は自分自身のことも、私たちのことも、全ての記憶を失った。

 私たちは、姉が大好きだった。

 だから、私たちを忘れた姉を非難したりはしなかった。


 そして、その事が、姉を苦しめていた。


 自分の知らない人が自分を知っているって、想っているって、私たちが思っている以上に苦しいらしくて。

 そして、私たちがやっぱり記憶が戻ってきてほしいと望んでいるのも気づいていたらしくて。

 姉は記憶を失う前も後も強がりだった。だから、そんな素振りを見せたくなかったのかな。

 なんか、虚無感。

 姉が独り暮らしを始めて、私も独り暮らしを始めて、必然的に会っていなかったけど、姉との記憶はちゃんとここにあるわけで。それが思い出されていくわけで。

 もう、記憶でしか会えないのかと思うと、急に寂しくなって寂しくなって寂しくなって……。

 電話を切ってからちっとも動かなかった私は、立ち上がった。

 何も持たず、何も用意せず、あの人の家へ。

 夜中にいきなり訪ねられた私の彼氏、それはそれは驚いていた。

 でも優しい彼は「大丈夫?」って聞いてくれた。私の様子がおかしいって気づいたらしい。

 玄関口で語り出そうとする私を、彼は部屋へ導いてくれた。

 語った。悲しさと寂しさと虚しさと色々がごちゃごちゃになって、言葉もぐちゃぐちゃだったかもしれないけど。

 でも、彼はずっと、ずっとずっと聞いてくれた。それだけで、落ち着けた。気がした。

 一段落して、私のお腹がなった。あ、晩ごはん…………。

 彼は微笑んで、「少し元気になったみたいだな。何か食べるか?」と。

 確かに、ましになったのかな……。

 うなずいた私を見て、彼は冷蔵庫を見て、


「悪い、何もなかった。ちょっとコンビニで買ってくるから待ってて。」


 イヤだ。

 即答。

 なんでかはわかんない。わかんない。でも、行って欲しくない、独りになりたくない。


「………ごめん、そうだな、一人になりたくないよな。わかった、一緒にいこう。」



 八月十五日の午前十二時半ぐらいのこと。

 辺りは真っ暗。

 そこに射し込む一筋の光。

 それは、急停止できなかった馬鹿に派手なトラックのヘッドライト。

 目の前に流れた情景は、暗くてあまり見えなかった。

 そこから先は、よく覚えていない。

 気づいたら病院で、ベッドに寝ている彼を見ていた。


「零時五十九分………ご臨終です。」


 気づいたら自分の部屋で、ベッドにもたれている私がいた。

 涙も出ない。理解できないから。理解したくないから。

 何も感じない感じたくない。何も考えたくない見たくない触れたくない。そんなときだった。


『あ、あの………えっと、あの、ですね。』


…………え?


 何かが、語りかけてくる。


『あの………この声、聞こえてますか?』


 目の前にいる、はずなのに、見えない。声しか聞こえない。

 誰?

 思わず声を出した。


『あ、聞こえてますね。聞こえるようになりましたね。』


 なに? なんなの?


『単刀直入に言います。願いごとはありますか?』


……え?


『億万長者、不老不死、 満漢全席、なんでもありです。』


…………人を生き返らせるのも?


『造作もないです。』


 いま、無意識に、彼が死んだと認識できた。そして同時に希望もできた。

 希望が出ると、認めやすい。泣きやすい。

 だったら…………あの人に………また会わせて!


『わかりました。あ、でも、ただ一つ条件が。いや、条件というより報酬ですかね。』


 なんでもいいから!!


『いや、一応伝える決まりですので。それはですね………』


「…………あ、目が、目が覚めた!? ちょ、ちょっと、そこの看護婦さん、医者を呼んできて! ………なあ、俺だ、分かるか? どこか痛むか? 大丈夫か? ………あ、いや、俺がさ、あのふざけたデコトラックに轢かれそうになったとき、お前が引き寄せて助けてくれたんだよ! でも、その勢いでお前は頭を打って気を失って………。あのトラック………直前で止まったくせにすぐどっか行きやがって………っ! でも、もう大丈夫だ、俺もお前も、助かったんだよ! ……………おい?」

「あなた、誰?」








『なんでニンゲンってすぐにこれを譲ってくれるんだろうねぇ。』


 禍々しい翼を持つ、子どものような見た目の存在は、手に持った輝くものを眺め、呟いた。


『死んだものが存在し続けられる場所は、ここしかないっていうのにさ。どうせいつかまた死ぬニンゲンを取り戻すためにこれを捨てるって…………理解できないなぁ。』


 その存在は、少しだけ考えたあと、輝くものを覗きこんだ。


『ま、いっか。悪魔はこれがご飯なんだし。でも最近はたくさん手に入るから、おなかぱんぱんだよね。飽食ってやつかな?』


 その存在は、輝くそれを掲げた。


『それにしても、おいしそうだなぁ、このキオク。最近のキオクは無駄な素材が多いからなぁ。それはそれで刺激があるんだけど、身体に悪いんだよね。』


 その存在は、輝くそれを顔の前に運び、


『さてさて、いっただっきまーすっ!!』


 バリバリと食べ始めた。


『うん! おいしい! …………あれ? でも、この味………前に食べたのと似てる………? いつだったっけ? ………むー、悪魔の記憶力をなめるなよぉ…………あ、思い出した! 確かあれは………。』

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