Sidus

銀礫

第1巻 Episode of Spiruca

第1章

 その日の天気は、いつもと変わらず晴天で、空を渡る恒星の睨みは痛々しい程だった。

 季節は夏。青空に浮かぶ高い雲の影の下、汗をにじませながらバス停のベンチに座っているふたりがいた。

 ひとりは、透き通った黒い髪と瞳の男の子。着ている制服から、地元の公立高校の生徒だと分かる。その顔には愛嬌があり、制服が男子用でなかったら女の子に間違われそうだ。ちなみに、先程から隣の様子を気にしている。


「……ねえ、ルナ。」

「なに?」

「今日は、何のゲームをしているの?」

「シューティング。」

「あ、ああ……それ、好きだよね。」

「うん。」


 その隣、ルナと呼ばれた女の子は、恒星の睨みを跳ね返すように輝く金色の髪と瞳。着ている制服のスカートに、男の子の制服と同じ校章の刺繍がある。

 つまり、同じ学校に通う生徒である。

 ただ、その容姿には幼さが強く残っていて、制服でなければ小学生と間違われそうだ。手には携帯ゲーム機があり、言った通りシューティングゲームをしている。


「……今日は、調子悪いね。」

「カナのせい。」

「え?」

「なんでもない。」

「あ、はい…。」


 カナと呼ばれた男の子、白神しらが影南かなは、画面を覗き込むのをやめ、ベンチに身体を預ける。

 ちなみにルナは、先程から同じステージばかりを繰り返し挑戦している。気が散っているのだろうか。


「これじゃあ、だめ……だよなぁ……。」


 隣に聞こえないように、影南は小声で呟いた。

 しばらく、ゲームの音と蝉の声だけが鳴り響く、騒がしい沈黙が流れた。

 しばらくして、影南は意を決する。


「あのさ、ルナ。」

「なに?」

「今日、さ、夏祭りがあるじゃん。」

「………。」

「ほら、前は結構一緒に行ってたでしょ。あの夏祭り。」

「…………………。」

「ここ数年行けてないし……今年さ、久々に、行かない?」

「……………………………………。」

「ふたりっきり、でさ。」


 ちゅどーん


 ゲームの主人公機がやられる音が響く。

 ルナは、ゲームがフリーズしたかのように動かなくなった。


「あ、忙しいとか、そういうのならいいんだけど…。」

「行く。」

「え?」

「一緒に夏祭り、行く。」

「……………え?」

「行く、から。」


 影南を一瞥して、手元のゲームを再開する。

 取り残された影南は、相手の言葉を反芻して、やっとのことで意味を理解し、顔が綻びかける。


「いや………これが目標じゃ、ない。」


 だがすぐに目的を思い出し、顔を引き締める。

 目の前の幼馴染みに、秘めたるこの想いを、今回こそ伝えるという目的を。


「じゃあ、夜の七時に、あの公園で待ち合わせしよう。」

「うん。」

「楽しみ?」

「うん。」


 そうこうしているうちに、バスがやって来た。

 ふたりはいつも通り定期券を使い、バスに乗り込んだ。ルナは器用にも片手でゲーム機を扱いながらだ。

 そしてふたりを乗せたバスは、市街地へと走り出した。

 そういえば、ルナの調子はよくなったようだ。先程と同じステージをミスなくサクサク進んでいる。心なしか、いつも無表情である顔も、少し綻んでいる気がした。






 この《島》は、浮いている。

 影南がバスの窓から見ているのは、この《島》の果て。歩道を挟んで向こう側、そこからは地面が続いていない。その遥か下に水面が見え、それが果てしなく拡がっている。

 『クラシキ』と呼ばれるこの《島》は、下界と名付けられた永遠なる水面の上空に浮游している。また、この世界には、クラシキ以外の土地はないとされている。

 クラシキは、一辺が百キロメートルの四角形のような《島》で、一つの国家が統治している。北の方は自然豊かな山々が連なり、南の方には高層ビルが立ち並ぶ都市もある。

 影南たちがいるのは、クラシキの中でも南西に位置する町である。中央都市に比べるとかなり田舎ではあるが、それでも利便性は高い。そして、クラシキの中でも《島》の端と隣接する土地なので、このように《島》の果てを気軽に望むことができる。


 なお、どのような原理でクラシキが浮游しているのかは、いまだ解明されていない。それどころか、多くの科学者は解明を諦めている節がある。原理を解明せずとも、今現在問題なく浮游しているので大丈夫だ、とのこと。「焼き方は知らなくてもパンは喰える。」というのは、その理論を肯定している有名な言葉だ。


 《島》の端、ここでは歩道の縁にあたる場所には、透明な壁が空高く築かれている。《島》からの落下を防止するためだとか。海や川の水が下界に落ちていく場所以外は、この壁が存在する。一昔前は石造りだったらしいが、日当たりの関係で現在の透き通った壁になったらしい。材質はよく知られていない。


 市街地へ向かうバスは、影南たちが通う高校の前で止まる。今日は補講。毎年夏祭りの頃にあるこの補講は、午前中で終わるのだが時期が時期なので評判は悪い。


「今夜………どんな計画で行くべきかな……。」


 だが、悶々と考え込んでいる彼には、そんなことを気に病む余裕などなかった。






 そして時は過ぎ、時刻は午後六時三十分。ここは祭り会場の隣にある公園で、影南たちと同じように待ち合わせ場所として使う人が多く、なかなか混雑している。

 補講が終わり家に帰ったあと、着ていく服と夏祭りの計画を真剣に悩んだが、それでも思いっきり早く来てしまった影南は、暇をもて余していた。そこに、


「ねえ、君一人?」


 見知らぬ男が話しかけてきた。見たところ大学生ぐらいだろうか。


「よかったら、一緒に回らないかい?」

「……ナンパですか」

「え? 違うよー、そんなんじゃないってー。」


 一見女の子に見える影南には、ちょくちょくこういう経験がある。

 影南自身は既に、自分の容姿のせいだと割り切っている。しかし、自分で無意識にどっち付かずの服装を選んでいることも原因の一つであるということは、自覚していない。

 こういうときの影南の対応は手慣れている。鞄から小さな冊子を取り出し、突きつける。

 それは、「白神 影南・珠島高等学校二年生・男」と記された生徒手帳。写真には、当たり前だが影南の顔が写っている。


「だが男だ。」

「え、あ………まじ……か?」

「まじですよ。残念でしたね。ほら、行ってください。」


 困惑の大学生を追い返し、一息つくと、ざっと周りを見渡した。


「まだ来てないか。そりゃあそうだよね……………ん?」


 ふと、背の低い金髪が視界の隅に入った。

 こういうとき、この町では珍しい金髪は、よく目立って見つけやすい。

 そのまま、金髪の少女へ近づく。すると、彼女もまた、男の人に声をかけられていた。


「ねえ、君一人?」


 先ほどと一言一句変わらぬ文句。だが、一つ大きく違うのは、その男が警察官だということ。


「迷子かな?」

「あ、いや。その、」

「お母さんやお父さんは?」


 困惑しているルナに、助け船を出すことにした。


「こんばんは。」

「…君は?」

「彼女の………友人、です。」


 そうだよね、やっぱりまだ友人だよね。ここでもまた再認識。


「ほら、ルナ。生徒手帳は? 持ってないの?」

「ある。」


 ルナは自分の鞄をまさぐり、影南と同じ小冊子を取り出し、警察官に渡した。


「ルナミカ・E・コーセルク…………珠島高等学校、二年生!?」


 警察官は、生徒手帳の写真と、目の前の小学生……に見える高校生を何度も何度も見比べた。


「………本当に、高校生?」


 金髪が、静かにうなずく。


「そうか………悪かった。まあ、高校生なら、怪しい人に付いていくことも、ないか。」

「そうですよ。ぼくもいますし。」

「そうだな。………だが、今日は君たち二人だけかい? 女の子二人だけで夜の夏祭りに行くのは、感心しないなぁ。」


 影南はまた、鞄のなかから生徒手帳を取り出すことになる。






「ルナ、あんな風に誤解されたら生徒手帳を見せればいいんだからね?」

「………うん。」

「覚えた?」

「うん。」

「よし、じゃあ行こっか。」


 誤解警官を追っ払い、影南たちは祭りの会場に足を踏み入れる。

 このお祭りは、「夜霊」と呼ばれる、夜色をした神様を祀るもの。「悪いことをしたら夜霊様に呑み込まれるぞ!」というのは、幼い子どもを叱るときによく使われる言葉として有名だ。

 だが、「夜霊」の存在は、童話にもなった有名な伝説の一つであり、心から信じている人などそうそういない。それでもこのお祭りが残っているのは、やはりイベントが欲しいからなのだろうか。

 そんなお祭りの会場は混雑しており、影南とルナははぐれないように手を繋いで歩いた。

 これは、幼馴染みであるふたりが、昔からよくしていたことなのだが、ルナが何も言わないことをいいことに、今もその慣習を影南が残している。

 なので、昔からの習慣とはいうものの、やはり顔がほころぶ影南であった。

 髪色の違いを差し引いたら、仲のいい姉妹にしか見えないのだが、本人は気づいていない。

 しばらくうろうろしていると、いきなり声をかけられた。


「あら、ふたりっきり?」

「え?」

「……。」


 振り向くと、そこには「巡回警備中」と書かれたたすきを肩に掛けた、大人の女性が立っていた。


「猫村先生っ!?」

「そんなに驚くことはないじゃない。地域の夏祭りよ? 地域の学校の先生が不純な関係を取り締まっていてなにが悪いの?」

「不純と決めつけるのはどうかと思うんですが…。」

「いいから!そういうことなの!」

「………はい。」


 彼女は、ふたりが通う高校の先生。今年度においてはふたりのクラス担任でもある。

 肩まで届く長い髪は、全体的に澄んだ蒼色をしている。この派手な髪の色について、本人は生まれつきだと主張しているが、周囲の人間はあまり信じていない。

 天然だろうが人工だろうが、このような派手な髪色でも先生が勤まるところから、学校の緩さが伺える。

 ちなみに、瞳の色は右目が緋色で、左目が蒼色という、これまた派手なオッドアイである。


「で、今日はふたりっきりでどうしたのかなー?」

「あ、それは……。」

「デート? つまり君たちはカップル?」


 辺りを闊歩するカップルを一瞥し、そんなことを聞いてくる先生に、どう答えようかと影南は焦っていた。


「そんなものじゃない。」


 唐突に、隣から返事が来た。

 その意味を理解する時間が、ご丁寧にも沈黙という形で与えられた。


「もっと、たいせつな…」

「頑張りなさい、影南。いつまでも仲良し姉妹のままだと意気地がないわよ。」


 先生が、何か、ひどく失礼な情けの言葉をかけてきた気がした。

 だが、はっきりとわかるように落ち込んでいた影南に、その言葉に反応する気力はなかった。

 そして、ルナが言いかけた言葉も、耳に入っていなかった。






 そのままふたりは先生と別れ、また歩き出した。先程よりずいぶん重い足取りで。


「ねえ、カナ。」

「…ん?」

「あれ、してみたい。」


 いきなり歩を止めて、ルナが指差した先にあったのは、射的屋。


「してみたい。」

「ん、わかった。行ってみよう。」


 ちょうど順番が回ってきた射的屋で、ルナは驚異の結果を見せた。

 一回のゲームで三発撃つことができるのだが、なんとその三発とも命中させたのだ。

 三発の弾に狙われたのは、上段中央に構える小型ラジオ。箱の左上に寸分狂わず、かつ素早く撃ち込んで、棚から落としたのだ。

 景品を手にしてVサインでこちらを向くルナ。相変わらずの仏教面。そしてその向こうには、呆気にとられ悔しがる余裕もない店主の顔があった。


「おじさん、ぼくも一回やってみる。」

「………お、おう。」


 お金を払い、おもちゃのコルク銃を受けとる。

 さっきルナがやって見せたように構える。そして狙いを定め、撃つ。弾を込め撃つ。もう一度撃つ。

 ルナほど寸分狂わずではないが、キャラメルの箱を一つ獲ることができた。


「やっぱり、真似はうまい。」

「まあ、ね。変な特技だけど。」

「でも、それがきっかけで変わっていく。すごい。」

「………そっか。そうだよね。変わっていく、だよね。」

「…………?」

「ううん。なんでもないよ。」


 そう言ってルナの手をとり、射的屋を後にした。


「今が違うなら、これからそういうものになればいい。きっかけがあれば、変わっていくものもある…………よし!」


 思考が何でも口に出してしまう、影南のあまり誉められない癖で、ルナの言葉を過大解釈しながら、自分自身を鼓舞した。


「ねえ、次はどこに行く?」


 そう尋ねるため、後ろを振り向いた瞬間、


「っ!」


 影南は急に視界を上げ、そして辺りを見回した。


「…………今の……?」

「どうしたの?」

「…………いや、なんだろう、なんかこう、何かが突き抜けていったような……。」


 刹那、鋭い頭痛に襲われた。


「い…ッ!!」

「え?」


 目の前でうずくまった影南を見て、珍しく困惑の表情を浮かべるルナ。


「だいじょうぶ?」

「……うん………大丈夫、もう、治ったよ。」

「ほんとに?」

「本当だって。」

「……………。」


 そんなやり取りをしていると、ふと、顔に何かが当たった。


「あめ?」

「ん?ああ………みたいだね…………って、ええ!?」


 何の前触れもなく降りだした雨は、だんだん強さを増していく。


「そんな………天気予報では今夜は快晴だって言っていたのに……………とりあえず、どこかで雨宿りしよう。」


 そう言って、ルナの手を引っ張り、突然の雨で混雑し始めた人を避けるため、とりあえず祭り会場から離れようと、ふたりは走っていった。






 一方、そのとき祭り会場で、突然の雨が降る前に天を仰いだ人は、もうひとりいた。


「《転位アルージュ》……?」


 「巡回警備中」と書いてあるたすきをかけたオッドアイの女性は、そう呟いていた。






「ここなら、静かに雨宿りできそうだね。」

「うん。」


 祭り会場の裏、人気のないこの場所にある樹の下を、影南は雨宿り場所とした。

 ただ、無我夢中で走ったため気が付かなかったが、ここは影南の想いを伝える計画の最終地点でもあった。開場を下見に来た時、この場所ならいけると、そう思ったのだ。

 そのことが思い出されると、とたんに隣の幼馴染のことが気になりだした。

 しばらく、硬直状態となった。


「………ねえ。」

「あめ。」

「え?」

「やんだ。」


 驚きつつ空を見ると、先程まで降っていた雨は、まるで嘘であったかのように止んでいた。


「通り雨……だったのかな?」


 こくっとルナが頷いた。

 その後は、また沈黙が流れていく。

 そして、かなりの時間が立ち、影南はとうとう決意した。


「あの……さ、ルナ。」

「やっと見つけたぞ。」

「へ?」


 人の気配がないはずのこの場所に、ふたり以外の声がした。

 今度は本気で驚いて周りを見渡す。だが、声の主は見当たらない。


「ここだ。ちゃんと見やがれ。」


 声がした方、つまり正面をじっくり見ると、いた。

 黒いローブに黒ズボンという男のような服装、そして黒…というか今の空、つまり夜の色みたいな髪色で、ルナより少し高いぐらいの身長の人物が、そこに仁王立ちしていた。

 服装や髪の色が夜に紛れていて一回見ただけでは見つけられなかったのだ。


「ああ、ごめん。見えてなかったよ。」

「ちっ……まあいい。」

「で、何の用、かな?」

「お前のそれ、奪いに来たんだよ。」


 そういうと、その人は懐から銃口がやけに長い銃を取り出し、影南に向けて、撃った。


 そして影南は、その弾丸を、身体を横にずらして、避けた。


「………は?」


 その弾丸が、後ろの樹を深く抉ったことに、影南は気がついていない。


「そんなおもちゃの銃で何を奪おうっていうの?」

「は? ま、待て、これは実銃だぞ!?」

「そんな静かなのに?」

「いやそれはサイレンサーが装備されているからであって…。」

「とにかく!」


 影南は、噛み合っていない会話を打ち切った。そして、


「きみ、さっきの通り雨で濡れてるじゃん。だめだよ、ちゃんと拭かないと。女の子は身体を冷やしちゃだめだって教わらなかったの?」


 ローブのフードに見え隠れしている瞳が、大きく見開かれる。


「なぜ……どうして、おれが、女だとわかった………?」


 ローブは、動けない。


「ああ、ぼくね、ほら、こんななりだからさ、女の子に間違われることが多くてさ。だから、どうやったら男の子っぽくみえるのかなとか、なにが女の子っぽく見えてしまうのかなって思って、小さい頃からいろいろ観察してきたんだ。まあ……あんまり意味はなかったけどね。だから、動きとかを見るだけで性別がなんとなく分かるようになってさ………って、どうしたの?」


 ローブが、震えだした。呼吸も乱れ始めている。


「あの、大丈夫?」

「やめろ……あばくな……あばくんじゃねぇ!!」


 直後、ローブの足元が光りだした。まるで、水たまりに反射しているような無色の光。


「影南!そいつに近づくな!!」

「え、猫村先生……?」


 祭り会場から聞こえる聞き慣れた声を確認しようと、後ろを振り向こうとした瞬間、


「来るな……くるなああああああああああ!!!」


 夜空と同じ色の光がはじけ飛び、あたりを包み込んだ。


「くっ……仕方が、ない!」


 その光の中に、たすきの女性は、人間離れした速さで突っ込んだ。


 そして、その光が霧散して消え去ったその場所に、ルナを含む四人の姿は、なかった。

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