第7話 駿太郎 (二)

ロータリーを回ったスクールバスが正門の脇で止まる。前後に何台か同じような色彩のバスが止まり、同じような黒い制服や、濃紺のセーラー服が、監獄のような校舎に飲み込まれていく。

その波の中に伊萱信雄はいない。あれから学校を休んでいる。前の謹慎の時は、仲間があれこれ近況を話していたが、今回はそれもないようだ。

学校の先生からも何も聞かれる事はなかった。当事者である駿太郎と佑樹は、一応話の口裏を合わせてはいたが、そんな事は杞憂に終わった。

クラスメイトも、最初の方こそあれこれと噂していたが、すぐにそれもやんだ。謹慎から一日だけ登校してまた休みだったから、同級生も伊萱のいないクラスに慣れてしまっていたのかも知れない。

伊萱の姿は見えないが、どうなったのかはあらかた想像できた。なぜなら、加害者である土雲佑樹が話してくれたからだ。

彼の香焚町の家で、彼の秘密とともに。

もちろん駿太郎は彼の話を全面的に信じた。もう既に、土雲佑樹という魔法に取り憑かれていたのかも知れなかった。

そして佑樹も、時津駿太郎という禍の蜘蛛の巣に、引っかかってしまったのかも知れなかった。


伊萱とその仲間が、佑樹と駿太郎をボコボコにしたあの日の翌日、駿太郎は学校を欠席した。顔の腫れが酷すぎて、とてもじゃないが行ける状況ではなかった。傷も痛むには痛んだが、それ以上に気になる事があった。

佑樹は登校していたらしい。左目の辺りに顔の四分の一が隠れるほどの包帯を巻いていたと言う。クラスはざわついた。

次の日、顔中絆創膏だらけの駿太郎が登場して、クラスは色めきたった。

「時津と土雲がなぜ?」と、いろんな想像を巡らし、様々なシチュエーションを討議した。しかし、その日の帰り際、駿太郎が土雲に一緒に帰ろうと話しかけて、またまたざわつく結果になった。

そんな級友の戸惑いなどつゆ知らず、駿太郎は佑樹と一緒に正門へと歩いた。そんなに高くはない背丈で、背中を丸めながら歩く姿は、至って普通の高校生だ。しかし・・・・・・。

ふたりはそのまま何も喋らず、建山の細い階段を下り、二日前の建山公園にやってきた。そこでどちらともなくベンチに腰かけた。ここに来る途中で買った缶コーヒーで両手を温めながら、駿太郎は思い切って佑樹に聞いた。

「お前ん家、何も言われなかった?」

「ああ、うちは父親は死んじゃっていないし、母親はちょっと病気でいないのと同じようなものだからなぁ。あとはうるさい爺さんがいるが、あいつはおれが顔を腫らして帰ったら、『いい顔つきになったのぉ。勝ったのか?』って聞いてくるやつだからな」

佑樹はちょっと自嘲気味に笑ったが、案外複雑な家庭環境なんだなと、駿太郎は聞いた自分を反省した。

灰色の雲が長崎港の上を広く覆っていた。ホッと息をつきながら微笑んだ。一陣の木枯らしが背中から吹き込み、全身が強ばる。

「お前んところは、どうだった?」

「おれんちも似たようなもんさ。両親はおれたち子どものことには無関心。妹だけは心配してくれたけど、小六だから、どうとでもなる」

佑樹も「両親が無関心」という事について、とやかく言わなかった。現在の「両親が無関心」という事象には何も問題ないからだ。「両親が無関心」になった根っここそが問題だから、その事については何も聞かないのだ。それをわかっている事が嬉しかった。

しかし、今はその感情に浸っている場合ではない。

「伊萱のことなんだけど・・・・・・」

「あいつは、たぶんもうダメだろうな。悪かったとは思うけど、やらなきゃお前もおれもやられてたんだ」

「と言う事は、やっぱりあれはお前がやったことなのか?」

駿太郎は確認のため聞いた。佑樹を真正面から見つめ、彼が頷くのを見た。

「どういう仕組みになってるか、説明できるか?」

そう問う駿太郎に、しばらく黙っていた佑樹が、

「今日、これから時間あるか? できれば、おれの家に来てくれよ。うまく説明できるかどうかわからないけど、ゆっくり話したいんだ」と応えた。バスで一時間ほどの道のりになるけど、と言われ、駿太郎は強く頷いた。


深原二丁目のバス停から、約七百メートルの直線が続く。両側には四葉重工の関連施設が建ち並んでいる埋立工業用地だ。この土地の埋め立てで、駿太郎の父、時津健太郎は莫大な富を手に入れた。あの傲慢な性格は、ここを埋め立てる前からなのか、埋め立てた後にそうなったのか。バスに揺られながら、駿太郎はそんな事を佑樹に話していた。佑樹は興味なさそうなありそうな顔で、黙って聞いていた。

小さな港を背にした長く続く石段に差しかかる。その古びて苔むした石段は、下から見ただけでは、どこまで続いているのかわからないほどだった。その石段を佑樹は躊躇なく登り始めた。駿太郎も黙って従う。

「おい、いつまで続くんだよ」

もう冬に差し掛かっているのに、うっすらと汗をかきはじめた駿太郎は、とうとう佑樹に聞いてしまった。

「もうちよっとだよ」と、笑って応える土雲。彼は息も乱していなかった。

「ゴールがわかれば、今どの辺にいるかわかるし、ペースもつかめる。ゴールを知らない人は、知ってる人と比べたら、スタミナを数倍浪費するのは仕方ないだろう」

佑樹はそう言って笑った。

彼との差は徐々に広がっていった。酸素が行き渡っていないのか、乳酸が溜まりまくっているのか、太腿がブルブル震えだす。

駿太郎は半ば這いながら、ようやく頂上にたどり着いた。道路をはさんだ正面に古いお寺の門が見える。額に「香焚山円徳寺」と書いてあった。

しかし、佑樹は古刹然とした作りの大門は潜らず、白壁に沿って右手に回る。すると大きな作りの民家が現れた。ここが土雲佑樹の実家なのだろう。

佑樹が横開きの玄関を開けようとした時、

「ほほう、馬鹿たれ坊主が珍しく友だちを連れてきたな」と後ろの方から野太い大らかそうな声が聞こえた。

ふたり同時に振り返ると、そこには作務衣を着た、一見して和尚さんとわかる老爺が立っていた。

「なんじゃ、その傷は。と言う事は佑樹の喧嘩相手か。どっちが勝ったんじゃ?」

「違うよ、爺さん。おれが友だち連れてきちゃ悪いかよ」と、無愛想な返事をする佑樹。老爺はカッカッカッと豪快に笑いながら、ゆっくり近づいてきた。

「あ、こんにちは。佑樹くんの級友の時津駿太郎と言います。ぼくがついていながら、佑樹くんに怪我をさせてしまい申し訳ありません」

駿太郎はお辞儀をしながら、佑樹の傷について謝罪した。

老爺は一瞬、駿太郎を見て何か思い出したような顔をしたが、すぐに気を取り直して言った。

「うむ。礼儀はできとるな。背筋もシャンも伸びとる。膝は笑っとるが、体力もまずまずじゃな。わしはこの円徳寺の住職であり、佑樹の祖父でもある、土雲久佑です」

住職はきちんと礼を返した。もう八十才は超えているだろうけれど、首や二の腕の太さは尋常ではない。かなり鍛え上げているはずだ。

「爺さん、うるせえよ。もういいから、本堂で木魚でも叩いてろよ」

孫が祖父にむかって面倒くさそうに言う。

「こらこら、坊主ジョークをほざくな。お前こそ、境内の掃除がまだじゃないか。わしはお前にとって、祖父である前に師匠なんじゃぞ」

住職も相変わらず、にこやかな笑顔で言う。

「これからこいつに『こころみ』と『スクイ』について説明するんだよ。掃除は後でやるから」

佑樹のその言い分に、明らかに久佑の顔色が変わった。

「おい。それがどういう意味かわかっておるのか?」

そう静かに、ドスの効いた低音で聞く。

「ああ、わかってる。こいつなら大丈夫だとおれが判断した」

「そうかそうか。それならば何も言うまい。しかし、それと掃除は関係ないのぅ。ついでだから、ご友人にもやってもらおうかのぅ」と、打って変わっておちゃらけたように言った。

佑樹は「えええ」と嘆き、駿太郎は二の句が継げなかった。


小一時間の間、ふたりで箒を持って境内を清掃した。十一月の太陽はみるみるうちに落ちていく。気温は下がり、グッと肌寒さを増す。空は青からオレンジ、そして紫へと目まぐるしく変わり、今は黒い帳が降り始めた。

駿太郎は家に電話をした。妹が出たので、今日は友だちの家に泊まると連絡を入れ、お手伝いさんに泊まってもらうよう手配をした。

佑樹の家の居間で食事を摂っている間、駿太郎は佑樹の母親の姿が見えない事に気付いた。夕飯は、おそらく、お手伝いさんと思しきおばさんが作っている。佑樹が何も言わないから聞かなかったが、息子が、それも、祖父の言によると、滅多に友だちを連れてこない息子が、珍しく友だちを連れてきた日に家にいない。その事に駿太郎は違和感を持った。まるでうちと同じだ、とも思った。

夕飯後、お風呂を借りて居間に戻ると、お手伝いさんに本堂に行くようにと言われた。肌を刺す夜気の中、氷のような渡り廊下を歩いて本堂へと向かう。冬枯れの木々の合間から長崎の夜景がチラッと見える。夜の寺院だと言うのに怖いという感じはない。

本堂に着くと、絢爛とした飾りの中に、うっすらした灯りに映えた観音様とその他数体の仏様が、優しく微笑みながら迎えてくれた。仏壇の前には方形の護摩壇があり、その前に端座した久佑がブツブツとお経を呟いている。探してみるが佑樹はどこにも見当たらない。

「きみは佑樹がどんな男でも、そのまんまを受け入れる準備ができているか?」

急に久佑が聞いてきた。

「どういう意味ですか?」

「質問に質問で返しちゃいかんのぉ。これからあいつの秘密を聞いて、それでもなお、友誼を結ぶ気があるかと聞いておる」

久佑はこちらを見ず、前に聳える観音様に挑むように言う。

駿太郎は即答した。

「それはわかりません。ただ、ぼくは、ぼくが信じる正義に則って判断を下します。その判断を佑樹くんも正しいと思ってくれたから、ぼくに話そうと思ったのだと確信しています。おじいさんは自分の孫の見る目を信じてください」

久佑はしばらく観音様を見つめた後、二、三度頷いた。駿太郎には苦笑しているように見えた。

「よかろう。この本堂の正面から左手に回り込むと裏山に登る階段がある。その階段の頂上にある小さなお堂で佑樹は待っておる。暗いから気をつけて行きなさい」

駿太郎は久佑と観音様に向かって一礼して本堂を出た。置かれてあった下駄を履き、言われた通りの道順で、裏山へと続く石段の前に着いた。勾配はかなり急で、照明の類もない真っ暗な石段だった。駿太郎は持ってきた携帯のライトを点け、意を決して登り始めた。

石段の両脇には、よく見ると、お地蔵さんや明王などが彫られた石像が乱立している。駿太郎の携帯の灯りで照らされたそのパンテオンは、厳かでもあり、畏怖さえも感じさせた。

息を弾ませてしばらく行くと、岩をくり抜いただけの祠があった。のぼりがたなびいていて、それには『南無大師遍照金剛』と書かれていた。祠には古い縦長の金庫のような物が置いてあり、厳重に錠前が施されている。合掌してふと振り返ると、先ほどとはまた角度が違う深原地方の夜景が広がっていた。冷たいスクリーンは遠く長崎市街まで見晴らし、百万ドルの絶景が映っていた。

その脇に、更に上に伸びた古びた階段がある。もうひと頑張りと、太腿に手をついて声を堪えながら登ると、鄙びたお堂が現れた。鬱蒼と茂る広葉樹の下、そこだけ灯りが漏れている。お堂の扉を開くと、真ん中に佑樹がこちらを向いて坐禅を組んでいた。

「よお。来たか。きつかったろう」

目を開いた佑樹が、面白そうにそう言う。

「きつかったよ。ただ、いいものも見れたけどな」

うんうんと頷きながら、目の前の座布団を勧める。隅には暖房器具がふたつ置いてあり、お堂の中は思ったほど寒くなかった。

「この香焚山は、その昔、弘法大師空海が唐に渡る時、暴風に遭い、当時はまだ島だったこの地に流れ着いた。大師は神に感謝して香を焼いた。よってこの地は香焚と名付けられた」

「聞いた事あるよ。香焚の弘法伝説だろ」

駿太郎は子どもの頃聞いた話を思い出した。佑樹はひとつ頷いて、

「本当かどうかはわからないが、弘法大師の靴も残されてる。下の祠にあるやつだ。毎年五月には『こうぼうさん』と言って祭りもやってる。この『愛染堂』は弘法大師が唐から持ち帰った愛染明王法を請来して建てられた」

そう言って後ろを振り返る。そこには火炎を背に、憤怒の表情を表した明王が蓮華の上に鎮座していた。全身が赤く染められ、目が三つ、手は六本もある。

「どれもこれも後からこじつけた伝説さ。この寺だってそんなに古くないし、弘法大師の靴は小さすぎる。だけど、それとは別に、もうひとつこの辺りには言い伝えがあるんだ」

「へぇ。どんな?」

駿太郎は興味があった。そもそもそう言う伝説とか神話関係の話は大好きだった。

「そもそもは肥前国風土記に載ってる話で、神功皇后が三韓征伐に向かう時、長崎の海でやはり暴風雨に遭遇し、ある漁村に船を停泊させた。すると、一夜にして海が盛り上がり、船は隆起した島に取り残された。船の乗組員は全員船を捨てて逃げた。途方に暮れる神功皇后に地元の土蜘蛛の首領が申し出て、神功皇后を助けた」

「土蜘蛛はたしか朝廷に従わない地方の土豪だと言われているよな」

「さすが東大目指してるやつは違うな。ちなみにおれの苗字の土雲ってのは、土蜘蛛からきてるんじゃないかと思ってる」

話がどう繋がるのかわからず、駿太郎は佑樹に先を促した。

「その土蜘蛛の首領はどうやって神功皇后を助けたと思う?」

確かに妙だった。助けたと言う事は、船を盛り上がった島から下ろしてあげたって事か。それとも新しい船を作ってあげたか。乗組員が逃げたって事だから、その補充てもしてあげたのだろうか。

「おれの予想では、心に侵入して操ったんじゃないかと思っている」

「操るって、どうやっ・・・・・・」

言いながら思い出す。佑樹の能力を。

それに佑樹も気づいたのか、こくりと頷く。

「おれの能力と同じような力を持った土蜘蛛の首領がいた。そして土雲と名前を変え、真言宗のお寺を作った。明王の中には心を焼き尽くしたり、縛って動けなくしたりするやつがいるからな」

佑樹は自分の力の所以を明らかにしているのだ。

なるほど、だからここは愛染堂と言い、真言宗のお寺になったのか。一応筋は通っている。

「それじゃおれの能力、『こころみ』と『巣食い』について話そうか」

駿太郎は頷いた。いよいよかと思い、緊張した。

「『こころみ』って言うのは、他人の心の中に入り込んでその人の心を読み、時には記憶や性格を変えてしまうことだ」

駿太郎は唾を飲み込んだ。

「カール・グスタフ・ユングって言う科学者を知ってるだろう? 精神科学者で『分析心理学』を創った人だ。彼の提唱した『集合的無意識』って言うのを知ってるか?」

「ユングって言う科学者がいた事は知ってるけど、『集合的無意識』って言うのは聞いた事がないな」

佑樹は深く頷いて、先を続けた。

「人間の『心』は大きく分けると、自分が認知できる『顕在意識』または『表層意識』と呼ばれる領域と、認知できない、自分では気づいていない『潜在意識』とか『無意識』と呼ばれる領域に分けられる。そして、この『無意識』と言うのが、更に『個人的無意識』と『集合的無意識』に分けられる。ここで言う『無意識』とは、ただ単に『考えていない状態』のことではなく、『考えていない状態において、実は昔の経験や過去の記憶などがその人の行動に微妙に影響を与えている事』を言うんだ」

「うんうん。それは何となくわかる。でも『個人的』とか『集合的』となると、よくわからない」

「うん。この『個人的無意識』と言うのは、そう言う『無意識』の中でも、その人自身の経験や記憶が、その人の行動に影響を与える事だ。トラウマだったり、逆にこれは必勝パターンだ、なんてよく言うだろう?」

「ああ、わかるわかる。それは、おれにもあるもんな」

「そう。そして『集合的無意識』と言うのは、その人自信ではなくて、祖先や民族、ひいては人類全体での経験や記憶が、人にはみんなに備わっていると言う考え方なんだ。例えば、お前は『神』と聞いて何をイメージする?」

咄嗟のことにドキマギしたが、これは即答しなければならないと瞬時に判断し、なんでもいいから言ってみた。

「イメージ? 十字架とか、奇跡とか、光とかかなぁ」

「そうそう。十字架と奇跡ってのは、多分にキリスト教の影響が残ってるけど、光なんてどこの民族にも共通する神のイメージだろ? 逆に神と聞いて暗闇なんてイメージできない。海は母性の象徴だし、音楽や芸術は民族を越えて、凄いものは凄いと誰でも感じるだろう? そういう人類に共通した価値観とかイメージなどは『集合的無意識』のなせる業だと言われているんだ」

駿太郎は頷いた。しかし、それはまだユングの『集合的無意識』と言う考えの説明でしかない。黙って先を促す。

「つまり、人はみな『集合的無意識』で繋がっているんだ。これは『シンクロニシティ』と言う概念でも説明できるんだ」

「シンクロニシティ?」と、駿太郎は聞き返した。初めて聞く言葉だ。

「うん。日本語に訳すと『共時性』と言って、簡単に言うと、意味のある偶然の一致、の事だ」

駿太郎は言葉の意味は理解できたが、具体的にどう言う事かがわからなかった。察したようで、佑樹がすかさず続ける。

「俗に言う『虫の知らせ』ってあるだろう? 父親にもらった腕時計のベルトが切れた。おかしいなと思ったら、その頃、危篤だった田舎の父親が死んでいた、とかさ。ベルトが切れる事と、父親が死ぬことに直接的な関連性はない。どけど、どちらも父親という一事で繋がっている。偶然にしては意味がありすぎる」

「ああ、なるほど。おれのばあちゃんも言ってたなぁ。ばあちゃんが小さい頃、戦争に行ってるひい爺ちゃんから怒られた夢を見たら、翌日ひい爺ちゃんが戦死した悲報が届いたって」

佑樹がうんうんと首を縦に振った。

「つまり、人と人は『集合的無意識』で繋がっていると考えられるんだ。そして、そこを通って、おれは他人の意識に潜入する。それを『こころみ』と言う」

駿太郎は、佑樹が話す言葉のひとつひとつを、しっかりと噛みしめるように聞いた。話がいよいよ本題に入ってきた。自分の脳の咀嚼速度を最速にして何ひとつ取りこぼさないことを、改めて自分に確認する。

「今までの話は何となくわかったよ。理解しろと言われても、古文書と伝説が根拠なんだから信用はできないけどな。しかし、それはこないだの件、伊萱の件とどう関係するんだ?」

「おれの中の鬼の件か・・・・・・」

今度は佑樹の顔が引き締まった。しばらく虚空を見つめた。心なしか空気が張り詰めたような気がした。

佑樹は胸いっぱいに空気を吸い込み、駿太郎に視線を合わせながら話を始めた。

「おれの能力は『こころみ』だけじゃない。『こころみ』をしている時、おれの意識が暴走を始める。それを『巣食い』と言う。『巣食い』が始まると、おれの意識はその人の悪い心を食ってしまうんだ」

これは駿太郎の胸を抉った。一昨日の伊萱の変わりようが、まざまざと蘇った。伊萱のあの変化だけは何と言い繕いようのない、唯一の事実だからだ。

駿太郎は一度目を閉じ、そして佑樹に言った。

「その『巣食い』っていうのをやるために、あの時、坐禅を組んでいたのか」

「そうだ。『こころみ』そして『巣食い』をする場合、おれは瞑想する必要があった。今までは時間もそれなりにかかっていた。できれば、相手も寝ている真夜中が良かった。相手の意識が外界に対しては閉じ、同時に内界に向かって開いているからな。そして、瞑想をする一番の理由は、『巣食い』をする時、おれの意識は愛染明王と化す。憤怒の表情をした赤い鬼となって、邪悪な意識を食い散らかしてしまう。そのために瞑想して集中力を高めなければならないんだ」

この告白が本当のことならば、大変な事だった。彼は非常に優れた暗殺者になれるし、国を滅ぼしかねない極悪なテロリストにもなりうる。駿太郎はついその考えを口にした。

「ああ、そうさ。この能力はおれの家系の男にだけ受け継がれるらしい。だから戦前までは国家がこの寺とおれの家を監視されていたそうだ。残念ながらおれの婆さんにも、お袋にも男兄弟はいなかったらしいがな」

「じゃ、久佑さんは」

「爺さんは婿養子だったらしいな。爺さんもこの話は聞いていて、お袋が生まれた時は大喜びだったらしいぜ」

そう言う佑樹の顔に、久しぶりに笑顔が戻った。彼は彼なりに緊張していたのだろう。

「そうか。やっぱり、そう言う力はない方が安心するのかな」

そう呟いた駿太郎に、佑樹は暗い顔をして反応した。

「ちょっと違うんだ。それは『巣食い』の能力の発現に関連するんだ」

そう言う佑樹の顔に心なしか暗い影がよぎったような気がした。

「この力を受け継いだかどうかは、生後一年以内に『巣食い』をやるかどうかだと言われているんだ」

「そんなに早いのか」

駿太郎は驚いた。まだ物心もつかない年齢で、どうやって対象を決めるのだろう。

「もうひとつ、『こころみ』も『巣食い』も、相手を特定するために、その相手との身体的接触が必要になる。こないだ伊萱にやった時も、直前に殴られただろ。それが唯一の発生条件と言える」

佑樹はそう言うと僅かに言い淀んだ。

「つまり、ゼロ才で初めてこの能力を発現する場合、身体的接触が一番長い、母親に対してなされる。おれのお袋も、おれが食い散らかした最初の犠牲者だ」

そう言いながら、佑樹のあごのあたりの筋肉が盛り上がった。駿太郎はその言葉を咀嚼した。

「・・・・・・と言う事は」

「そうだ。うちのお袋は、おれがゼロ才の時、おれの無自覚な『巣食い』の力で、心の中の悪い部分を食い荒らした結果、今は保育園児ほどの知能も持っていない」

愕然とした。

と言う事は、佑樹は生まれながらにして自分の母親の心を食ったという原罪を抱えながら生きているのだ。毎朝毎晩、顔を合わせる度に、罪の意識に苛まれているのだ。

駿太郎は二の句が継げなかった。余りにも辛い経験を、どうしようもなく悲しい体験を、目の前の友人は経てきているのだ。

駿太郎は何も言えず、ただ黙って彼の友人を見つめていた。

佑樹はホッと息をつきながら微笑んだ。

「ありがとうな。でも、これはおれに与えられた試練だと思って、今じゃあ解決してしまったことなんだ」

そう言われて、それでもまだ黙っている訳にはいかなかった。何とか話を継がなくてはと、駿太郎は言葉を探した。

「それほどの力を使っていて、お前には何か害はないのか? 漫画や映画なんかだと、能力と引き換えに命が縮まったり、目が見えなくなったりとかするだろ」

「ああ、そうだな。おれの場合は記憶がなくなる」と、佑樹は事もなげに言った。

「おい! 記憶がなくなるって・・・・・・」

「まぁ、仕方ないんだ。『巣食い』をやると、その前後の記憶がなくなってしまう。一度寝たら消えちゃうんだぜ。最初はびっくりしたよ。だけど、メモをとる事でいくらか解消できるようになった」

そう言う佑樹は、ポケットに忍ばせていたメモ帳を投げてよこした。駿太郎は受け取り、それを開いて見る。日付に続けて『こころみ』または『巣食い』の文字、その後に『帰還』と言う言葉が書かれている。

この男はこうやって何度も見知らぬ人の見知らぬ心の領域を彷徨いながら、自分の能力の限界を試していたのだろう。

それは能力を弄んでいるようにも聞こえるが、そうではないと駿太郎は思う。自分の能力の限界を知らないと、正しくそれを使いこなせはしない。また、自分が暴走した時も、誰かに止めてもらえる可能性だってあるかも知れないのだ。

そうやって、佑樹は人知れず戦っている。

しかし、どうしても聞かなければならないことが残されていた。

「で、お前はその力を、今までに何回使ったんだ? もちろん、『こころみ』じゃなくて『巣食い』の力をだ」

駿太郎はズバッと聞いた。佑樹にとって、おそらくこれが一番聞かれたくなかった事だろう。だからこそ、一直線に聞く事が、佑樹に対しての礼儀だと考えたからだ。これを蔑ろにしているうちは、本当の友だちにはなれないと思った。

佑樹は少し間を置いて、絞り出すように言った。

「おれのお袋がひとり目で、計四人だった。伊萱が五人目だ」

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