第5話 若者

バス停から少し入った薄暗い通りに、「ゲームセンターウジハラ」」はある。ゲームセンターとは言っても、夜は近くの不良の巣窟になってしまっている。団地への通り道なだけに、住民たちから苦情が出ていたが、けたたましい機械音は素知らぬ振りで響いていた。

その入口の近くで、派手なシャツを着崩して煙草を吸っている若者がいた。年齢は十七才で大柄な体型。腕にはギプスのようなものが白く目を引く。彼は半ズボンから出た足を小刻みに揺らしながら、イライラした様子で携帯をいじっていた。誰かを待っているようだ。

若者は高校二年生なのだが、ゴールデンウィークが終わってから一度も登校していない。中間テストも期末テストも受けずに夏休みに入ってしまっていた。先生から面談にくるように言われているが、それもずっと無視している。遅かれ早かれ退学になるだろうが、彼にはどうでも良かった。

彼の父親は近くにある林丸造船所の経理部で働いている。林丸造船所は大手の四葉重工業の孫請け会社で、経営は決して順調とは言えず、最近はかなり悪化しているらしい。少し前にも大規模なリストラが行われたらしく、彼の父も、次にリストラがあれば対象となると噂されていて、気が気ではないようだ。彼からすれば、よく雇われているなと、逆に感心するくらい、無能で役立たずな男だ。

母親は隣町のホクホク弁当でパートをしている。本人は気づかれていないと思ってるようだが、不倫しているのを彼は知っていた。どうでもいいが、いい年のババアが厚化粧して出ていく姿は、気持ち悪くて毎回吐きそうな気分になる。

四つ上の姉は、私立高校を出た後、看護学校に行き、今は佐賀で看護師をしている。姉も母親の不倫には気づいていたようで、その上、父が母の不貞を知っているということまで知っていた。そんな家庭に嫌気がさし、高二の時にはもう、県外に出る事に決めていたらしい。

一番の理解者だった姉がいなくなった時から彼の非行は始まった。目につくもの全てが彼の理想をくじき、触るもの全てが彼の皮膚から侵食してくるばい菌のようだった。

それでも友だちの手前もあり、高校には行った。近所に最低レベルの高校があったので、何も考えず通うことにしたが味気ない一年だった。

ちょうど半年前のクリスマスの日、仲間の家でパーティーという名の飲み会を開き、その時今の彼女に出会った。

彼女は彼の高校と同程度の底辺校に通う、小さくて華奢な女の子だった。その日のうちに深い仲になり、翌週には彼の家に泊まるようになった。

彼女はほとんどしゃべらない子だったが、気は強かった。ちょっとした喧嘩をして彼が不機嫌になったりすると、途端に他の男と遊びだす。彼が反省して謝ると、笑顔で戻ってくる。

何回目かの喧嘩をした時、彼が、もう別れると宣言すると、彼女は自殺すると彼を脅してきた。スマホに残された彼女のメッセージを聞いて、彼は位置情報を頼りに彼女の居場所を特定した。彼女は他の男とベッドに入っていた。彼は彼女を連れ出すと、したたかに殴った。彼女が泣き始めても、殴るのをやめなかった。彼女が謝ってはじめて、彼は彼女を強引に犯した。初めての快感が背中を貫いた。

その日から、喧嘩をしても、彼女が他の男と遊ぶ事はなくなった。その代わり、喧嘩したときは彼に身体を許さなくなった。それは彼にとって、最も効果のあるお仕置だった。

彼の現在の一番の悩みは、彼女の誕生日にあげるプレゼントについての事だった。目当てのネックレスがあるにはあったが、とても手を出せる代物ではなかった。だが、それをあげれば近頃冷たい彼女も、またその気になってくれて、身を任せてくれるに違いないと思っていた。

彼はその事を考えると、無意識に股間を弄ってしまう。無意識だから仕方ないのだが、仲間からは性欲おばけと呼ばれている。

スマホで狙いの宝石を品定めしながら、股間をさすっていると、ひとりの少年がやってきた。見た感じ小学生かと思うほど背が低く、ヒョロっとしている。

「何見てんだ、コラァ」

若者は脅すように言った。知らないやつには最初が肝心だと、彼はそう信じていた。

少年は黙って見つめていた。若者にその気はなかったが、もしかしておれに告白でもするのか、というほど、少年の視線は真っ直ぐだった。

おおかたあいつの使いっ走りか何かだろうと、若者は察していた。おそらく金を用意できなかったのだ。これでまた金額をあげられる、と若者は思った。

少年の方を向き、少しだけ歩み寄った。

「ああ、お前、ハヤトの友だち? あいつ、どうしたのかな」

若者は別段、相手がハヤトだろうと誰だろうと良かった。どっちみち誰かに約束のものをもらうだけだ。誰かとハヤトで二倍になるんならそれが一番いいと、訳の分からない勘定をしていた。

その時、少年はふと口許を綻ばせた。笑ったのだろうと、しばらくしてから気づいた。どうして笑ったのかは考えなかった。

「てめぇ、今笑っただろう」と、若者はドスを効かさて言った。多分、これくらいでビビるはずだ、と若者は踏んでいた。

少年は、「何が?」という感じで首を傾げた。酷く愛らしい笑顔が、酷く勘に障った。もう我慢しなくてもいいと、若者は考えた。

若者が少年に近寄ろうとした時、少年が目の前に封筒を見せた。若者は不意をつかれたが、あたふたせずに封筒を掴もうとした。しかし少年は、若者が封筒を掴もうとする一瞬前にそれを引っ込めた。

頭の中でカチンと音がした。

「てめぇ、ふざけんな。もういい。てめぇは相手にしねぇ。ハヤトのパシリか何か知らないが、ハヤトを連れてこい。話はそれからだ」

「ハヤトくんは、ここには来ないよ。ってか、もう二度と、ハヤトくんはあんたに会いたくないってさ」

初めて口を開いた少年の声は、少年合唱団のボーイズソプラノのように甲高かった。

若者はイラついた。チッと舌打ちをして、スマホを片手で操作して、誰かに電話をかけた。

「ハヤトくんなら繋がらないよ。スマホの番号、変えたんだって」

少年の言う通り、スマホに電話しても使われていない旨のガイダンスが流れるだけだった。若者はスマホを叩きつけようとしたが、寸でのところで思いとどまった。どうしたものかとしばらく逡巡したが、いくつかの選択肢の中からひとつを選んだ。

「まあ、いいや。で、その封筒は何?」

若者は『スマホが通じなくたって、明日にでも会いに行けばどうにでもなる』という感じに受け取れるよう、余裕の表情で言った。内心は湯沸かし器が音をたてるほど沸騰していた。

「五千円入ってる。これで勘弁してほしいって、ハヤトくんが。ぼくはやらなくていいって言ったんだけどね」

「なんで五千円なんだ? 約束では五万のはずだ。足んねえな」

若者は心の中とは裏腹に、極めて冷静に言ってみた。

「だから、これは待たせて悪かったっていう意味なの。くれるだけありがたいと思いなよ。そもそもその腕、折れてないんでしょ。その腕に、もう五万も払ったんだからさ」

少年は淡々と説明した。

言う通り、この腕に巻いたギプスは偽物だった。

若者とハヤトとは中学の先輩後輩だった。若者が卒業してから入ってきたハヤトとは、直接の接点はなかったが、遊びがてら練習に顔を出したときに知り合った。

若者は野球部時代は万年補欠だったが、ハヤトは一年の時から有望で、中学二年の今はエースを任されている。

夏休みに入ったばかりの頃、若者は練習帰りのハヤトとばったり会った。大声で挨拶をするハヤトに、たまたま虫の居所が悪かった若者は、キャッチボールでもしようやと空き地へと誘った。若者はハヤトのグローブを使い、ハヤトは素手でキャッチボールを始めた。

最初はにこやかにボールを往復させていたが、

「肩も温まったろう? もっといい球投げていいぜ」と言う若者の言葉に、ハヤトはちょっとだけ気合いを入れて投げ込んだ。

「痛え!」

ボールを受けた若者が、グローブを放り投げ、腕を押さえた。ハヤトはそんなに速い球を投げた覚えはなかったから、ちょっとニヤニヤして覗き込んだ。それがいけなかった。いや、それこそが若者の目的だった。

「おめぇ、何ヘラヘラ笑ってんだよ! 腕が折れてんだぞ!」

そんなはずはなかったが、先輩にそう言われ、実際にヘラヘラしていたから、ハヤトも神妙になった。

「病院に行って診断書もらってくるから、その時また話そうや。もしかしたら出場停止になるかもだし、高校の推薦ももらえなくなるかもな。なるべくそうはしたくないから、他の人には黙っといた方がいいな」

そう言って、まんまとハヤトに罪を被せた若者は、翌日、偽のギプスをしてハヤトに五万円を請求した。すぐに病院に連れて行かなかったのもハヤトのミスだが、そこでお金を払ってしまったのが一番の失敗だった。若者のような人間の間では、払ったという事は、自分が悪かったと認めたという事になるのだ。

そうして、治療費と称してもう五万円を請求して今に至る。

その五万円を合わせて、彼女にネックレスを買おうと思っていた若者は、さすがにムッとした表情を隠さなくなった。

「おめぇ、意味わかって言ってんのか? 出場停止だぞ。それでいいんなら、おれは出るとこ出るまでだな。とりあえず今日は五千円でいいや。ハヤトにまた今度、十万持ってこいって言っとけ」

そうは言って封筒を取ろうとする。

「何で五万円も払わないって言ってるのに、十万円に増えるのかな」

少年が面白そうに笑う。それが若者にとって最後の猶予が切れた瞬間だった。

素早く胸を掴み、一発殴る。すかさず足払いをして倒し、蹴りを入れる。

少年は息が詰まったようで、悶え苦しんでいる。

「あんまり舐めんな、こら。ハヤトには二十万に値上がりしたって言っとけ」

若者が唾を吐き、捨て台詞を言った時、少年が腹を抑えながら途切れ途切れの声を出した。

「あんたも・・・・・・やっぱり・・・・・・クズだなぁ」

トドメに黙ったまま腹を蹴って、若者はゲームセンターの方を向いた。

「あと三十万な」

若者は決まったと思った。三十万円で何を買おうかと皮算用を始めた。もう少年の事は頭になかった。

その夜、彼女が泊まりにきて、若者は彼女を組み伏せた。彼女は最初嫌がっていたが、徐々にその気になった。その夜の若者はいつもと違っていて、珍しく二回も射精した。

翌日、昼過ぎに起き出した彼女は、隣で寝ているはずの若者がいない事に気づいた。

部屋を出てリビングに行ってみた。

そこには、泣きながら自分の股間を擦り続ける若者がいた。擦りながら「ねえちゃん、ねえちゃん」と際限なく呟いていた。彼女が話しかけても、若者は何も反応しなかった。

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