第5話 山小屋で二人
ヒナが洗濯を終えて俺の様子を見に来たときまでに、俺の手の皮はすっかり駄目になっていた。
薪割りの成果のほどは、まあ簡単な料理をするぐらいならできるだろう。
たぶん。
ヒナは俺の仕事のペースに、少しだけ顔をしかめた。
「ソウジには、その斧は重いんじゃない?」
ヒナは言うと、俺の斧を取り上げた。
俺の汗と血が染みついた斧を、まるで軽いもののように持ちあげる。
汗と血が染みついたというのも、手の皮がむけて血がにじんでいたので、大げさではないのだ。
ヒナは道具小屋に斧をしまうと、代わりにノミの柄を長くしたような奇妙な道具を取り出した。
「こっちを使えば?」
「そんなのがあったんだ。気が付かなかった」
俺が長柄のノミ(そう名付けた)を受け取ろうと手を伸ばすと、ヒナは俺の手が届く寸前で持ちあげた。
俺の手がむなしく空をかいた。
「その手、どうしたの?」
「いや……薪を割っていたら……」
手の皮はほとんど剥けてしまい、俺の手は見るも無残な様子になっていた。
ヒナはますます顔をしかめた。
「ソウジは貴族様かなにかだったの?」
この世界に『貴族』というものがあるのだろうか。『貴族』はひ弱なのだろうか。知らないことばかりだが、いま重要なのはそこではない。
「……そうじゃないけど」
明らかに呆れている。
さすがに俺は恥ずかしかった。
「よく、今まで生きてこられたね」
嫌味ではないのだ。
ヒナから見たら、現代人の俺はあまりにも脆弱なのだろう。
「毎日、机の上で仕事をしていたから、体力には自信なくて……」
「そんな仕事、聞いたことないよ」
「うん。そうかもね……でも、俺のいたところでは……ほかに、何かできそうなことないかな?」
言い訳は途中でやめた。
異世界から来たから何もできません、ということが信じてもらえるはずがない。
異世界から来たことと、何もできないことを繋げるのも無理がある。
ヒナは少し困ったような顔をした後、逆に俺に尋ねた。
「ここで暮らしていて、一番大変なのは火を点けることなんだ。色々試したけど、簡単に火が点く方法を知らない?」
俺は知っていた。
ポケットに入れたタブレット型端末に、『火炎魔法』というのがあるのだ。
だが、俺は言いたくなかった。
それを持つということが、この世界でどんな意味があるのか、俺には全くわからなかったからだ。
それに、あの不思議な力はタブレット端末で起動しないと使えない。
不用意に人に見せ、端末をなくしたら、俺は本当にただの役立たずになってしまうだろう。
「それなら、割と得意だよ……どこで火を点ければいいかな?」
俺は、火を点ける方法は言わなかった。
火を点けるところを見られたくなかった。
ヒナは言った。
「小屋の中に暖炉があるよ。隣に、火を点ける道具が色々あるから、好きに使って」
「ありがとう。ヒナは何をするんだい?」
「火が点いたら、食事を作るよ。それまでは、ソウジの寝床を作らないといけないね」
ヒナは少しだけ明るい顔を取り戻した。
俺も安心した。
あまりにも役立たずで、泊めてくれる予定を変更されるのではないかと思ったのだ。
「ヒナもこの小屋で寝るのかい?」
俺は何気なく尋ねた。
他意はなかった。
だが、ヒナは顔を赤くした。
「わたしはこの小屋に住んでいるし、明日もヤギの世話をしないといけないから、里には戻るわけにはいかないよ。仕方ないでしょ」
「じゃあ……そんなにいくつも部屋があるのか」
「時々、道に迷って小屋に来る人がいるから、そういう時のための部屋があるんだよ」
なるほど、天気が急変したときのための避難小屋を兼ねているのだろう。
確かに、森がうっそうと茂っているため山奥の印象があるものの、それほど急峻な山というわけではない。
気軽な旅行者が迷ってきたりもするのだろう。
気軽な旅行者が、この世界にいるのだろうか。
ヤギを放牧していた草場で、ヒナは『ゴブリン』が出没すると言った。
人間に害をなすモンスターだろう。
まだ、俺はこの世界のことを何も知らない。
改めて感じさせられた。
立派な山小屋だったが、それほど中が広いわけでもない。
入ると玄関と居間とリビングとキッチンを兼ねた広めの部屋があり、小さな部屋が二つ隣接している。
壁に、扉が二つ横並びについているのだ。
扉は閉まっているので、その先がヒナと来客用の寝室だろうという推測しか俺にはできなかった。
さすがに勝手に寝室を覗くのはためらわれたのだ。
暖炉の横に、道具らしいものが置いてある。
見たことがあるものが多い。火を点けるためのものだろうが、火を点ける方法というのも限られているのだろう。
まず、木の板と棒が目についた。手のひらで棒を回し、木の摩擦で火を起こすのだ。
もっと文化的に、木と糸で回転を生みだす道具もあった。
いくつか石があるのは、火花を生じさせ、木の屑にでも飛ばすためだろう。
ヒナがいつもこれらの道具で火を起こしているのなら、力があって当然だ。
俺は、こんな道具で火を起こせるイメージがわかない。
ライターは無いのだろうか。マッチでもいい。
もっとも、ライターは火花が起きる原理を利用しているのだし、マッチは摩擦熱だ。
原理は変わらない。
しかし、俺にこれらの道具を使って火を起こすことを、ヒナが期待しているわけではないだろう。
自分で言うのも恥ずかしいが、俺の非力ぶりは知っているはずだ。
そもそも、両手の皮がむけているため、手のひらを使う作業はほとんど力が入らないのだ。
俺は暖炉に残った燃えカスを拾い上げた。
燃え残った木の破片や、着火剤として使ったのだろう乾いた木くずがたまっている。灰を払いながらつまみあげ、集めて山にする。
懐から、タブレット型端末を取り出した。
『火炎魔法』をタップしようとした時、声をかけられた。
「どう? 火は起こせそう?」
ヒナだ。すぐ後ろから声がした。
俺の頭越しに覗き込んでいる。
慌ててタブレット端末を隠す。
知られても構わないことなのかもしれない。
だが、ヒナが持っていないことは間違いない。
上手く説明する自信はない。
俺がタブレット端末を隠したことにヒナは気づかなかったのか、見上げる俺に、答えを待つように首を傾げた。
両腕に大量の干し草を抱えている。
火を点けるためではないだろう。
俺の寝床に使うのだ。
「な、なんとかやってみる。火が点いたら教えるから、ちょっと待ってくれ」
「うん。無理なら早く言ってね。私がやらないといけないから」
「わかった」
ヒナは背を向けた。
両手がふさがっていたヒナは、行儀よく足で扉を開け、干し草を運びこむ。
すらりとした形のよう足を眼福として、俺は再びタブレット端末を取り出した。
手早く済ませたいところだが、まだ一度しか使ったことがないのだ。
上手く行くとは限らない。
俺は祈るような気持で、『火炎魔法』をタップした。
全身が研ぎ澄まされた感覚に包まれる。
大気中に、炎の意思を感じる。
草原で寝ころんでいる時より、その気配ははっきりと感じた。
二度目だからだろうか。
あるいは、室内だからかもしれない。
俺はできると感じた。
タブレット端末は左手で持っていた。
俺は、右手の人差し指に意識を集中させた。
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