異世界夢想唄 風来の魔法士

西玉

第1話プロローグ 異世界への旅立ち

 俺は自分のアパートで、購入したばかりのゲームのスターターキットを眺めていた。

 スターターキットとは、文字通りゲームを始めるため必要な器具一式である。

 パソコン、あるいはスマホゲームが全盛のこの時代に、むしろ珍しい販売形態となりつつある。

 まだ家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機はそれなりの市場を持っているが、MMORと呼ばれる複数同時参加型のゲームは、インターネット回線に接続し続ける必要があり、パソコンまたはスマホが一時代を築いたまま、その地位を譲ってはいない。

 もちろんゲーム単体としての完成度、あるいはゲーム内のシナリオは家庭用ゲーム機で発売されるタイトルが圧倒的に優れているとしても、MMORの魅力は顔を知らない他人と協力して楽しめる点にある。

 その楽しさは、ゲームを遊ぶというより異世界へ旅行する感覚に近く、かつては仮想世界に移住することを目的とした電子世界の構築もされた。

ただし、異世界への移住だけでは一過性のブームにすぎず、現在では過疎化が激しいとも聞く。

 やはり、ゲームである以上目的が必要なのだ。


 そのような現状であるから、有料のスターターキットを販売しているMMORは特別な存在であり、そのスターターキットが二〇〇〇万円というのも異常なことである。

 現在のゲームは、遊ぶだけであれば無料であるものが多く、さらにダウンロードさえ不要なブラウザゲームまで普通に存在しているのだ。

ブラウザゲームというのは、用はインターネットに接続さえできれば、重たいシステムのダウンロードが不要ということである。

パソコンの機能進化に伴ってファイルは確実に大きくなっており、どれだけパソコンの処理速度が上がっても対応しきれないということもあり、ダウンロード不要のブラウザゲームは歓迎された。

だが、流行は作りこんだVRMMORに移行しつつある。

ヴァーチャルで異世界を旅して、世界中の人間と冒険ができるのだ。

ファイルが重たければ、対応できるパソコンを用意するという人間もいるという。


 しかし、俺が目の前にしているゲームは、一般発売はされていない。

 手に入れるのには苦労した。

 このゲームは、本当に異世界に行くことができると噂されている。

 異世界に行った場合、二度と帰っては来られないらしい。

 そんなゲームを、一体誰がやるというのか。

 そもそも、そんな高額のゲームを誰が買うというのか。

 よほど金に余裕があり、この世の楽しみを味わい尽くした幸せな人間か、俺のように追いつめられた人間のどちらかだろう。


 俺は、そもそもゲームというものはあまりやったことがなかった。

 毎日が仕事に追われていたが、自分の生涯給料を計算して、副業を探していた。

 仕事でなくてもよかった。

 金が入ってくれば、何でもよかった。

 いつでも結婚できる年齢だが、結婚する気はなかった。

 相手がいなかったというのもあるが、相手がいたとしても結婚するという決断を下すのは難しかっただろう。

 養っていく自信がなかったからである。

 俺は、とにかく金を儲ける方法を探した。

 インターネットを利用して、様々な情報をかき集め、実践し、情報を金で買った。


 結局、借金だけが増えた。


 ここ数年で、俺は金の借り方だけは精通するようになった。

 人間のくずだと、自分でも思う。

 借金を返すために、また借金を重ねた。

 そんな俺が、二〇〇〇万円もの金を用意できたのは、これを最後にしようと決断したからである。

 たいしたことではない。

 このゲーム機の噂を聞いた時から、考えていた。

 本当に手に入れることができそうだったら、すべてを投げ打って、このゲーム機を買おう。

 もし、ただの都市伝説なら、俺は生きてはいけないだろう。

 なにしろ、金を手に入れるために内臓を売る契約をしたのだ。

 すべての内臓を売り払っても、俺の積み上げた借金の金額には届かない。

 まだ、生命保険がある。

 最低限の金額で掛け捨てであるため、解約して金を用意するという流れにはならなかった。

 生命保険の更新料金を支払っているのは、遠い故郷の両親である。


 学生の頃は期待されていたのは解っている。

 きちんとした会社に就職した。

 まじめに働いていれば、どこかで転機もあったのかもしれない。

 だが、俺はすでに道を踏み外し、戻ることはできそうにない。

 

 ゲーム機のスターターキットは、ゴーグル付きのヘルメットに、接続端子がつながった構造をしていた。

 パソコンでゲームサイトにログインし、スターターキットを接続してゲームをダウンロードすることで、異世界への冒険が始まるのだ。

 そのほかに、どこにも接続端子がついていないタブレット端末が付属していた。

 サイズからして、スマートフォン型の操作用タブレットだと思うが、パソコンにつなげるためのスロットがなく、そもそも電源すらついていない。

無線ランなのだろうか。

 説明書にも記載はなく、はじめてみればわかるだろうと、俺はタブレットを握りしめたままパソコンを起動させることにした。

 俺はパソコンを立ち上げ、説明書に書かれていたURLを震える手で入力した。

 手が震えているのだ。

 やはり、この世界に未練があるのだろうか。

 自分の命と引き換えに、二〇〇〇万を用意してまでやることではなかっただろうか。

 思いつくと、実行してしまうのは俺の悪いくせなのだろう。

 仕事では、学生の頃は、それで上手く行ったことも多かった。

 長所だと言われてもいた。

 だから、情報商材に次々と手を出し、結果的に借金生活に陥ったのだ。

 いまさら、引き返せるとは思わない。


 アクセスしたゲームサイトは、とてもシンブルだった。

 流行りの萌えキャラもなければ、凝ったディティールもない。

 ゲームは一般販売されておらず、世界各地で数百台だけが取引されるという。

 一般受けを狙う必要がないのだろう。

 俺にとっては、このゲームが本当に異世界へ連れていってくれるのではないかという、期待が膨らむほうに働いた。

 ダウンロードを開始した。

 俺は、ゴーグル付きのヘルメット型装置を頭に乗せた。

 目の前に、ゲームというより世界観の説明が流れていた。

 見やすいとか、迫力があるという類のものではない。

 ただ、ウェブ上に情報を晒したくないというだけのものにしか思えなかった。

 それだけ、映像も効果音楽もお粗末なものだった。


 世界は破滅を迎えようとしている。

 そのために、君の力が必要なのだ。


 ゲームはそう言っていた。

 古臭いゲームの誘い文句にしか見えない。


 さすがにここまでくると、偽物をつかまされたのではないかという疑惑に駆られた。

 同時に、俺が手に持ったままだった、タブレット型携帯端末が明滅した。

 何に反応したのかはわからない。

 だが、データが飛んでいたのだろう。

 俺は、端末を見るためにヘルメットを外した。

 暗い画面に、ダウンロード完了を意味する文字が踊った。

 平らな画面にアイコンが並ぶ、よくある画面だった。

 ダウンロードされたアプリケーションだろうか。

 指を触れると、一番左隅にあったアイコンに、説明が浮かび出た。


 『精神魔法レベル1』


 何を意味しているのだろうか。

 俺は隣のアイコンに触れてみた。


 『生命魔法レベル1』


 ごく短い表記で、説もない。

 さらに隣のアイコンに触れてみる。


 『火炎魔法レベル1』


 俺は魔法使いということだろうか。

 職業を選ぶことはできないのだろうか。

 いや、そもそもダウンロードをしただけで、まだキャラクターの設定さえしていないのだ。

 俺はさらに隣のアイコンに触れた。


 『未受信』


 エラーメッセージにも等しい。

 何か見落としているのだろうか。

 俺は慌ててパソコン画面に視線を向けたが、パソコン画面ではダウンロードさえ始まっていないことを示していた。

 ヘルメットを被る。

 今までに何か説明が出ていたのなら、俺は見逃してしまったことになる。

 画面には、ただ注意喚起するメッセージが表示されていた。

『これから異世界へご案内します。戻ることはできません』

 イエスかノーを選択する自由すらない。

 その時、俺の全身を電流が駆け抜けるように刺激が走った。

 俺は死ぬ。

 そう感じた。

 死んで異世界に行くということであれば、それでもいいと思った。

 この世界には俺の居場所はない。

 そう思ったからこそ、このゲームに手を出したのだ。

 意識を失った。

 俺が最後の瞬間に解ったのは、タブレット型の端末を握りしめる手の感覚だけだった。

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