第45話 シルフとアリス
俺は一人になった。もともと一人だった。だが、シルフとアリスがいることに慣れてしまっていた。
魔法の力もリセットされ、仲間を失い、俺は脱力した。
打たれ弱く、流されやすいのは俺の性格かもしれない。
元の世界で成功できなかったからこの世界に逃れたのだ。それほど精力的に動けるはずもない。
俺は、ごろりと横になった。
何か聞こえないだろうか。
俺は、石版をタップした。
生命魔法を使用し、耳に意識を集中させた。
レベルは下がっても、使い方がわかっているというだけで随分楽だ。
声が聞こえた。
『ちょっと、何をするんですか。動けないじゃないですか』
『ウサギは耳を持つものよ』
『ああ……アリスはウサギだものな。じゃ、あたしはこれで』
『そうはいかないわ。貴女たち、魔物じゃない。私は貴族ですもの。殺さなくちゃ』
『可愛い魔物は……貴族が買うんじゃないんですか?』
『アリスは可愛くないだろう』
『シルフ、裏切ることないじゃないですか』
『可愛い魔物は貴族が買うのは確かね。貴族は戦えないけど、魔物を殺す義務があるもの。義務を果たすために、力の弱い私のような貴族に殺せるような、可愛らしい魔物は需要が高いのです』
『どうして……今ごろそんなことを言いだすんだ。あたしたちは、ずっとソウジのそばにいたのに』
『魔物を殺す義務があるのは、貴族であって魔法士じゃないわ。逆に、魔法士に従っている魔物は殺さなくていいことになっていのよ。ソウジに従っている間は、貴女たちは守られていたのよ。でも、ソウジの元から離れるのでしょう? なら……貴族様が殺せる手頃な魔物そのものじゃない』
『ま、待ってください。魔法士に従っていれば、殺さないんでしょう? ミリアさんに従いますよ』
『貴女たちはソウジを信じられなくて捨てたのでしょう? どうして、私に従うと言われて信じられるの? 無料宿泊所での会話は、聞いていたのよ』
俺にすらはっきりと会話は聞こえる。ミリアの生命魔法がどのレベルになっているのかは知らないが、俺たちの会話を盗み聞きするぐらいは簡単だろう。
俺は体を起こした。立ち上がる。石版を握りしめた。
扉を開ける。
魔法士のミリアが耳を掴んでアリスをぶら下げ、シルフを踏みつけにしていた。傍でマーレシアがなんら表情を浮かべずに二人を見つめている。
「待て。シルフとアリスは、俺に従っている」
「ソウジ!」
アリスは嬉しそうに足をばたばたとさせ、耳が痛いのか、再びだらりと垂れ下がった。シルフは動かない。地面を見つめている。その首筋を、ミリアの足が抑えている。
「いいえ。話を聞いていたのでしょう? なら、わかっているはずよ。この魔物は、魔法士を裏切った。命欲しさに私に仕えようとしたのよ、このウサギは。あなたの支配を外れてから私に捕まったわ。この魔物をどうしようが、私の自由よ」
ミリアに話しても無駄のようだ。俺は、マーレシアに向き合った。
「俺からはもう奪わない。そう約束したはずだ」
「あなたから奪ったわけじゃない。でも……あなたにはただの詭弁に聞こえるでしょうね。いいでしょう。ミリア、放しなさい」
「よろしいのですか?」
マーレシアはゆっくりと頷いた。
「ただし、私はヒナという娘を買い取るのはやめます。自分の力でなんとかなさい。私に貴族の義務を放棄せよというのです。そのぐらい、自分の力でなんとかしてみせなさい」
俺はマーレシアの瞳を見つめた。色の薄い、まるで白目しかないような目だが、俺にはこの女を信じるしかない。
「……わかりました」
「ミリア、ソウジに装備を」
「よろしいのですか? マーレシア様に早速逆らうようなことをした奴に」
「だからこそです。簡単に死なれては困ります」
「承知いたしました。ソウジ、後で装備を届けるわ。それを身につけたら、すぐに竜兵を追うのね。私たちは別の方角に行くし、これ以上の手助けはしない。ほかの魔法士でも見つけて能力を奪えそうだったら、マーレシア様の本拠地を目指しなさい。このあたりの集落の人間に聞けば、すぐにわかるわ」
ミリアがウサギの耳から手を離し、シルフの首筋から足を退けた。
マーレシアが背を向ける。屋敷に戻るのだろう。
俺は、俺の腕の中に飛び込んできたアリスを抱きしめた。
※
貴族マーレシアの使用人は、当然ミリアだけではない。
腰の低い中年の女性が、旅装を一式整えてくれた。
旅用の外套と手甲、ブーツと、短剣に鞘付きのベルトである。
一式が入っていた皮袋は、荷物入れに丁度いいサイズだ。
「なんだか、ソウジが怖いです」
すっかり旅支度を整えた俺の姿に、アリスががたがたと震えた。
「どうした?」
「魔物をいじめそうに見えますよ」
「いじめたりしないよ。アリスとシルフは」
荷物を持ってきた中年の女性は、続いて固いパンと水筒を持ってきた。俺はありがたく荷物入れにしまう。
これで全部だと言い置き、女性は出ていった。
アリスは俺の皮袋に興味津々だったが、シルフがずっと地面を見つめている。
「……シルフも一緒に行ってくれるんだろう? 俺の装備ばかりととのったから、拗ねているのか?」
シルフは顔をあげず、俺がしつらえた朝顔の蔓で編んだ帽子を、目深に被り直した。
「あたしは裏切ったんだ……そうだろう?」
「結果的にはそうなるかもしれない。でも、シルフは知らなかったんだろう? 魔法士に従っている魔物は殺さなくていいし、魔物を殺す義務があるのは貴族だけだなんて」
「知りませんでしたよ。でも……貴族だけに気をつけていれば、その他の人間は平気ですね」
アリスがふふんと胸をそらせた。
「義務じゃなくても、人間はウサギを殺そうとするぞ。食べるために」
「ひっ……」
俺の言葉に、アリスは首をすくめた。
「ソウジはお人好しだ」
シルフがぽつりとこぼした。
「わかっているよ」
「そんなんじゃ、生きていけない」
「シルフに言われるなんて、よっぽどですね」
自分のことを棚に上げて、アリスが評した。流石に、俺もこれ以上突っ込まなかった。
「なら……シルフが助けてくれないか?」
シルフの体がびくりと震え、少しだけ上を向いた。細い目で、俺の表情を伺っている。
「あたしがいたって……ソウジなら、すぐに死ぬかもしれない」
「俺がすぐに死んだら、次の魔法士に会った時、参考にするといい」
「……本当にソウジは……お人好しだ……」
「だから、ミリアに殺されずに済んでいるのだろ?」
「ああ……そうですね。能力をうばわれても怒らないなんて、ソウジにはおちんちんが付いていないんですか? 私のでしたら……ほら」
アリスが二本足で立ち上がり、どうどうと股間を晒した。
「……アリスは雌だ」
シルフが指摘する。
「えっ? ソウジのへ、変態……」
アリスが股間を抑えた。短い、もふもふとした前足である。
「濡れ衣だ」
「今のは怒るところだぞ」
シルフが顔を上げた。
「アリスに怒ってどうする」
「……それもそうか」
ようやく、シルフが笑った。俺はシルフの小さく華奢な体を抱き上げ、抱きしめた。
シルフは声を上げて泣いた。
ミリアに殺されかけたのが恐ろしかったのかもしれない。俺を捨てようとしたことを後悔したのかもしれない。事実は、シルフにもわからないだろう。
俺はシルフが泣き止むまで抱いていた。
昼頃になり、俺たちは限界の集落を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます