第42話 貴族との契約
外に出ようとしたとき、扉が開けられた。俺はまだ開けようともしていない。内側から開けた者がいたのだ。
見たことのある女がいた。
ミリアだ。闇の中に立つ姿は、なかなかに美しい。長身の美女である。俺と同じように高額のゲームを購入したのだ。どんな経由で手に入れたのか知らないが、生活に疲れて全財産を投げ打ったようには見えない。ならば、お嬢様かもしれない。
「いつまで待たせるの……って、身支度をととのえろって言ったでしょ。何をしていたの」
「すまない。眠ってしまった。それより……ここは限界の里だって聞いたが、買い物ができるような店があるのか?」
「……店があるのかどうかは知らないわよ。こんな僻地で買物なんかしたことないもの」
「じゃあ……なんで金を渡したんだ?」
「別にいいでしょ。うっかりしていたんだから。文句があるなら返しなさいよ」
「いや、これはもらっておく」
「なら、そのままでもいいわ。ちょっと二階に来なさい。私が守っている貴族様が会いたがっているわ」
「……俺のこと、話したのか」
「当然でしょ。貴族様の家に止まりこんで、挨拶もしたくないってわけじゃないでしょうね」
当然断る理由はない。だが、俺は魔法士であり、魔法士と知って会いたがっているとなれば、少しばかり面倒臭いことになるかもしれないと思ったのだ。俺には、ヒナと竜兵を追うという目的もある。
「わかった。このままで……この二人もいいのか?」
ただヒナを見つけただけでは意味がない。竜兵と戦って勝てる見込みがないのなら、ヒナを買い戻す必要があるだろう。貴族と知り合っておくのは重要だ。
「……二人? この子はいいわよ。可愛いし、あんたよりこの子のほうを気にいるかもしれないけど、もう一人は?」
「私です」
アリスがちょこんと頭を下げた。アリスは、人間を恐れている。だが、魔法士は別らしい。ミリアが魔法士であることは、アリスもわかっている。
「ああ……このウサギ、やっぱり魔物だったの。運がいいわね。大人しい魔物は、好事家が高く買うわ」
「この世界にも、街があるのか?」
「ないわよ。そんなことも知らないのね。人間は広大な領地を分け合っているけど、君臨しているだけで統治はしていないわ。人間が少なくて、支配なんてできないのよ。だから、集落と街道、点と線がずっと続いている。時々大きな集落があるけど、その一体に君臨する貴族様の屋敷ね。お金でやり取りするのは、竜兵と貴族様だけよ」
「……まち?」
俺の腕の中で、シルフが寝言のように言った。目をこすりながら、顔を上げる。
「ああ。人が沢山いる場所があるかと思ったが、どうやらそんな場所はないようだ。比較的大きな集落と貴族様ならいるらしい。シルフ、行ってみたいか?」
「……ソウジが一緒なら」
人間のことについて、脅かし過ぎたようだ。本格的に目が覚めると、シルフは俺よりはかるに活発な少女である。俺はシルフを立たせ、ミリアに向き直った。
「アリスも大切な仲間だ。一緒なら構わない」
「偉そうに言わないで。断る権利なんか、もともとないのよ。でもまあ、いいわ。すぐに来なさいよ」
ミリアは強い口調を残し、俺たちに背を向けた。
「何を怒っているんだ?」
シルフは尋ねたが、俺にも明確にはわからない。
一階の無料宿泊所を出ようとした時、アリスが尋ねた。
「わたしを売りますか?」
ウサギの表情は理解できないが、不安そうだ。『売られる』ということが、どんなことを意味するのか、理解できているかどうかすら、わからない。だが、いい印象は持たなかったのだろう。確かに、金が必要な時は近いうちに来るだろう。アリスを売って金にしたい時も来るかもしれない。だが、俺は言った。
「アリスが俺の奴隷なら、そうするかもれない。だが、そうじゃないだろう? 俺は、アリスを売るような立派な魔法士じゃないよ」
「立派な魔法士は、魔物を売るのか?」
シルフが問い返す。シルフは話を聴いていないはずだが、アリスが売られるかもしれないということは、自分も同じことがあり得ると理解したのだろう。
「人間は、立派になると、魔物の気持ちなんか考えなくなるからな」
「なら、ソウジは立派にならないほうがいいな」
「そうですね。ソウジは、立派ではない魔法士です」
アリスに『立派ではない』と言われると少し腹が立つが、俺が教えてしまったことなので、文句は言わずにおく。なにより、二人は誉め言葉だと思って使っているのだ。
外に出て、シルフの足が止まった。
「どうした?」
人間の里に来てからずっと俺に張り付いていたシルフが離れたために、俺がふりかえると、シルフは驚いたように細い目を大きく開けていた。
「火事か?」
「何?」
シルフがまっすぐに見つめるその先には、貴族の屋敷の門を晒す、かがり火が焚かれていた。
油を沁み込ませた薪が、いつまでも燃え尽きることなく燃え続けている。実際にはいつまでもということはないが、かなり長時間燃えているのだろう。
俺にかがり火の専門知識などもちろんなく、シルフに説明することもできない。
「いや、夜は真っ暗になると危ないから、怪しい奴がきたら解るように、火を焚いておくのだろう」
「……どうして危ない?」
「人間は、夜目が利かないからな」
「……そういうものか?」
シルフは不思議そうに首をひねる。
「でも、火は怖いですよ」
アリスは深く考えないようだ。さすがはウサギである。頭からは下ろしているので、勝手に二階の階段をとてとてと登っていく。
「このままで心配ないと思うが、ここで待っているか?」
「そんなはずないだろう」
もちろん、火が燃えているからといって、シルフが火のそばで待っているという理由はない。俺はただ、シルフの意識をそらしたかっただけなのだ。
俺はアリスの後を追い、シルフは俺の後に着いて、二階へ上った。
二階の立派な玄関を開けると、ミリアが腕組みをして待っていた。待ちくたびれたという風情だが、さっき会ってからはそれほど待たせたわけではない。
元の世界では、ミリアはお嬢様だったのかもしれないが、そもそも俺に対して偉そうにされる覚えもない。
「遅かったわね。待っていたのよ」
「使用人はミリアだけか? 貴族様というから、大勢従えているのか思った」
「私は使用人ではないわ。護衛よ。あんたは田舎に送り込まれて、この世界のことに疎いようだから教えておくけど、魔法士を統率するのが貴族様なのよ」
「そうか。俺が使えるのは、『精神魔法』と『生命魔法』と……」
さらに『火炎魔法』と言おうとしたとき、シルフが俺の足を蹴飛ばした。何事かと振り返ると、アリスまで俺の足に噛みついている。
文句を言おうとすると、シルフが小声でつぶやいた。俺はすぐに生命魔法をタップして意識を耳に集中させる。
「魔法士は、自分が何を使えるか教えない方がいい。他の魔法士を殺して力を奪えるそうだ」
「そうなのか?」
「魔法士どうしを争らわせるように、私も言われました」
シルフとアリスも、同様に耳がいい。目の前のミリアには聞こえていないようだ。アリスとシルフを作った者が何者であれ、魔法士を生み出したのと同一の存在だろうという感じが強くなった。何より、シルフとアリスは、俺のことを心配しているのが嬉しかった。
ミリアは、少し不思議そうに首を傾げてから続ける。
「私が仕えているのは下級貴族だから、護衛は私だけよ。別の場所にもう二人いるけどね」
「貴族様も魔法を使えるのか?」
「いいえ。魔法を使えるのは魔法士だけです」
ミリアの背後から、か細い声が聞こえてきた。俺からは姿が見えないが、ミリアが仕えている貴族なのだろう。
「マーレシア様……まだこの者が仕えるとは決まっていないのですから」
ミリアが振り向きながら頭を下げる。その少し後ろに、体が小さく、線の細い華奢な夫人がいた。髪が真っ白で、肌もロウのように白い。紫外線を浴びることのできない病気ではないかと思えるほどだ。
「いいのです。他の魔法士と直接話せるかもしれないと、私はあなただけをただ一人の護衛として連れてきたのですから。私は、マーレシア・スメイルという下級貴族です。この世界を旅する者は多くありません。ただの人間にとっては、あまりにも危険なのです。魔法士を雇える者を貴族と呼びます。各集落に、あなたが泊まったような無料宿泊所があるでしょう。利用するのは、大抵がこの地に来たばかりの魔法士です。貴族が自分の支配地で未契約の魔法士を見つければ、必ず接触しようとします。魔法士にとっても、貴族に雇われる必要があります」
「魔法士が貴族に雇われる必要というのは?」
尋ねながら、俺は足元のアリスとシルフに目をやった。二人とも首を振る。わからないのだろう。
「魔法士なら、これ、持っているだろう?」
ミリアが、俺が魔法の石版と呼んでいる手のひらサイズのタブレットを持ち上げた。
「もちろんだ」
「これの操作をできる装置は、貴族様しか持っていない。それを持っている方々を貴族様と呼ぶのさ。貴族様でなければその装置は動かせない。貴族様に雇われなければ、『精神魔法』レベル2、『生命魔法』レベル2、固有の魔法がレベル1、それ以上には強くなれない。一体だれがこんなものを作ったのかはわからない。だけど、魔法士として力を上げなければ、私たちはすぐに死ぬ。強くなるには、貴族様に仕える必要があるのさ」
ミリアが一息に言った。貴族のマーレシアは、机の上に薄い板を乗せ、蓋を開いた。俺の位置から見る限り、ノートパソコンに酷似している。
「ミリア、ありがとう。私は大して力のある貴族ではないけど、私の支配地から出て別の貴族に会うには、7日以上歩き続ける必要があるでしょう。竜兵に用があるのなら、一日もかからず追いつけるはずです。竜兵は寄り道が好きですから」
「つまり、マーレシア様の支配地内で追いつけるってことよ」
「俺を雇いたいと?」
「違うわ。あなたが、マーレシア様に雇われたい。他に方法はないってことよ」
俺はシルフとアリスを見る。
二人は俺の顔を見返してきた。何もアドバイスはない。特に反対する理由もないのだろう。
「わかった」
「では、あなたの持つ端末をここに。私が契約貴族であることを登録します」
俺が魔法の石版だと読んでいたものは、結局端末だったらしい。
タブレットを渡すと、マーレシアはノートパソコン型の装置に接続した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます