第36話 森の活力

 実に数日ぶりに地面に降りた。途中で長時間意識を失っていたので、実際に何日かは俺自身にもわからない。

 シルフに尋ねると、数えていなかったと答えられた。アリスに尋ねると、前足を見せられた。折る指がないため、数えられないという意味だと俺は理解した。

「竜兵を追いたいんだ。『孤児の集落』の次に向かうのは、どこだ?」

 地面に降りてから、俺はシルフに尋ねた。シルフは地面には降りなかった。本人が家としている巨木とは別の木の枝に腰かけていた。

 それほど巨大な木ではなく、枝の高さも2メートルほどだが、俺は見上げることになる。木の枝は細いが、シルフはまるで体重が無いかのように腰かけていた。

「『孤児の集落』の先には、もう集落はないよ。『孤児の集落』っていうのは、人間が住んでいる一番端の集落って意味だ。そこまで竜兵が来たのなら、引き返しているはずだ。竜兵は、商品を運ばなくちゃいけないから、狭い道は通らない。整備された街道を進むしかないから、街道沿いに進めば、すぐにわかるだろ」

「なるほど。で、一番近い集落はどのへんにある?」

「……さあ」

 シルフは首をひねった。俺はアリスを見た。

「人間からは逃げた方がいいんです」

 白ウサギが話すとは通常人間は思わないし、話をする前にまず殺されるだろう。もちろん、食料にするためである。アリスの言い分はもっともだ。

「じゃあ、その街道はどっちだ?」

「たぶん、あっちだ。石が並んでいる道を見たことがある」

 シルフは一方を指で示した。

 俺はとても不安になったが、シルフが一緒なら遭難することはないだろうと、シルフが示した方向に移動することにした。


 移動をはじめてすぐ、シルフが集落の位置を知らない理由がわかった。

 俺は当然森の中を歩いている。アリスは俺の後をついてくる。野生動物だけあって、なかなかの体力だ。

 だが、シルフは一度も地面に降りずに木の枝を伝って移動していた。

 生活するのに、人間の集落を意識する必要などまったくなかったのだろう。

 だからこそ、ただの憧れだったし、詳しく知ろうとは思わなかったのだろう。

 しばらく行くと、石が敷かれた道に出た。

 舗装した街道というより、草に覆われて道が解らなくなるのを防いでいるだけのように見える。

 石の大きさも均等ではなく、竜兵がどんな方法で人間を運んでいるにしろ、あまりいい環境ではなさそうだ。

 街道に出たはいいが、俺には全く土地勘がなかった。

「どっちが、『孤児の集落』の方向だ?」

「道が上っているから、あっちだな。世界の中心から離れるほど、地形的には昇っているらしいよ」

「……世界に中心があるのか?」

「もちろん。だから、一番遠い場所に『孤児の集落』なんて名前をつけるんだ」

「……へぇ」

 俺はこの世界の中心というものがどんなものか興味を持ったが、この場所が一番離れているということだけでもわかれば十分だった。

 そもそも、シルフにもアリスにも、尋ねても解るとは思えない。

「なら、あっちだな。俺はしばらくこの道を歩くつもりだが、シルフはどうする?」

 あえて尋ねたのは、街道沿いにはさすがに木が少なかったからだ。枝を伝うという移動手段も、シルフといえども難しいだろう。

「うーーーん。人間なら、どうする?」

「まあ、人間なら歩くな。いや、どんなに木が茂っていても、人間なら地面を歩くだろうな。俺みたいに」

「そうか。なら、あたしも試してみよう。あたしが地面を歩けないなんて思わないことだ」

「思っていないよ」

 シルフは巨木の洞では裸足だった。その足が、サルのように指が長かったという印象はない。

「ならいい。木の枝を使って移動したのは、森の木たちが元気かどうか確認するためだ。あたしはこの辺りをすこし離れるから、挨拶もしていたのだ」

 その話がどこまで本当かは解らなかったが、それよりも地面に降りたシルフの足元が気になった。

「裸足か? 怪我をするぞ」

「……これか?」

 シルフは足を見せた。小さくて短い指が五本ずつ生えている。つまり、裸足だ。

 巨木の洞のなかだけではない。シルフは常に裸足なのだ。

「うん。地面を歩くとなると、怪我をするかもしれない」

「それは困ったな……履くものを作ろう」

 シルフはぺたぺたと街道を横切り、木の葉と木の革で足を覆った。

「どうだ?」

 とても器用だ。シルフは鋭く削った石を、ナイフのように使っていた。ほぼ原始人だが、俺は口にしなかった。

「いいな。でも、少し薄いな」

「ソウジさんが作れませんか? 魔法士ですから」

 アリスが言う。俺が使えるのは、『精神魔法』と『生命魔法』、それに『火炎魔法』だけだ。靴を作るような技術はない。

 と思ったが、植物も生命だ。

「やってみよう。加工しやすい木はどれだ?」

「種ならいつくかあるよ。ウサギ、食べるなよ」

 目を輝かせたアリスに釘を刺しながら、シルフは腰に結わえた袋の中から色々と植物の種を取り出した。

 俺は自分の履いている運動靴を見せた。

「こういう形の実が生る植物はないか?」

「そんなのは見たことがない」

「靴でなくてもいいな。わらじみたいなものでもいい……蔓植物はないか?」

「朝顔の種がある。朝になるときれいな花が咲く。見たいか?」

「花はいい。蔓を使いたい」

 俺は魔法の石版を取り出し、『生命魔法』をタップした。当初は使い道が解らないと思っていた魔法だが、結果的には一番お世話になっている。ただし、レベルはいまだに2のまま、なかなか上がらない。

 俺はシルフから種をもらい、種を摘まんだ指先に意識を集中させた。

 摘まんだ種から芽がでる。シルフが驚いた声を出す。

 さらに、芽がどんどん成長し、長い蔓となった。俺はさらに固定の形をイメージした。

 長い蔓の成長を操作できれば、特定の形を作ることもできるのではないかと考えた。

 上手く行った。

 一度では無理だったが、『生命魔法』を五回ほど使い、俺は朝顔の蔓でできた小さな靴を作りだせた。

 少し不格好だったが、シルフは喜んでくれた。

「なかなか可愛いな。特に、このあたりがいい」

 シルフが指したのは、俺がうっかり気を抜いたために、花のつぼみができてしまった場所だった。明日の朝には、シルフの足から花が咲くかもしれない。

シルフは靴の必要性を理解していないようだったが、人間の衣服の中ではもっとも重要だといえる品である。

「私の靴は大丈夫ですか?」

「ウサギはずっと地面の上だろう。いまさら、心配なのか?」

 シルフが言うと、アリスは小さく舌を出した。それが感情表現なのかどうかもわからなかったが、気分を害したのは間違いない。

「まあ、アリスは怪我をしないだろうし、万が一足を怪我しても問題ないんだ」

「どうしてです?」

「乗り物があるだろう」

「……何のことです?」

 俺はアリスの体を持ちあげた。ふわふわして気持ちがいい、毛皮だった。

 そのまま、頭の上に乗せる。

「アリスは軽いからな」

「……いいなあ」

 シルフが間違いなく本気で言ったので、アリスはすっかり気を良くしていた。


 この世界の広さがどのぐらいあるかわからなかったが、次の集落にはなかなかつかなかった。ただ、街道が続いているのと、その街道が別れることなく一本道だったのは幸いだった。

 植物から道具を作りだすことを思いついた俺は、道々植物の種を摘んでは、役に立つ道具を作れないかと試してみたが、はっきりとした目的がないため上手くはいかなかった。

 ただ、しっかりと意識した場合に、物を作るのは上手くなった。

 シルフの靴は一日歩くと駄目になったので、朝には靴から咲いた花を楽しみ、その種を収穫して靴にするという作業を行いながら、旅を続けた。

 植物の成長を操る魔法道具を持つシルフだったが、俺の使う『生命魔法』のようなことはできないらしい。

 あくまで、自然に成長する植物の成長を早めたり、部分的に穴をつくることができるだけで、栄養もないのにどこまでも成長させるようなことは不可能だと教えてくれた。

 ただ、植物が成長する栄養がどこから来るのかは、俺にはわかっていた。

 朝顔の蔓を強制的に成長させる過程で、生えた根が俺の掌に刺さっていたのだ。植物を育てる栄養は、俺の体内から供給されているのだ。

 やはり、魔法といっても万能ではない。代償が伴うのだ。

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