第34話 魔法道具

 俺はヒナを追いたかったのですぐにでも出発したかったが、シルフに止められた。

 自分の体を見てみろと、朝露を器に集めた水面の鏡を渡された。

 頬がげっそりとこけ、目の下にとどまらず顔全体が薄黒く充血した俺の顔があった。

 腹は脂肪だけでなく筋肉もなくなり、腕や足は俺が記憶していたとりもずっとひょろひょろと細長くなっていた。

「あたしが見つけたときには、ずいぶんやせた人間だと思ったよ。魔法士がそんな姿になっているなんて、よっぽど酷い目にあったんだろ。怪我は治ったかもしれないけど、無理をすれば死ぬよ」

「……そうかもしれないな。だが、こうしている間にも、ヒナはどんどん遠くに連れていかれてしまう」

「『ヒナ』って誰?」

 シルフは尋ねた。白ウサギのアリスは、シルフが摘んできてくれた美味しい草を食べて満足し、ひっくり返って寝ていた。

「言ったことがなかったか。俺の恩人だ。人間の集落に捕まっていた俺を、解放してくれた。人買いの竜兵に自分を売って、その金で解放してくれたんだ」

 一部は説明を端折ったが、おおむね間違えではない。シルフは俺の隣に座り、白い芋虫をつまみながら聞いていた。ちなみに、普段の食事が芋虫中心というわけではない。探すにも苦労するらしく、果物が主食である。

「家族?」

「……いや。でも、大事な人だ」

 シルフは、作られてからずっと一人で生きてきた魔法生物であり、その意味で自分を魔物だと言っていた。好きな人だと言っても、理解できないだろう。

 ただ、血縁は理解できるらしかった。森に住めば、昆虫たちですら交尾をし、子孫を残そうとしているのを目にすることになる。

 家族に対しての特別な感情を理解しているとは言い難いが、その存在は理解できるだろう。

「でも、その人が助けてくれたなら、追ってどうする?」

「解放するさ。ヒナが俺にしてくれたように」

「……その前に死ぬよ」

 シルフははっきりと言った。俺はシルフを睨みつけた。シルフは怯まずに睨み返してきた。

「どうして断言できる?」

「竜兵のものを盗もうってことだろ? 死ぬに決まっている。この世界を長距離、移動するために作られた生き物だよ。誰よりも強い」

 それは事実なのだろう。シルフも一度捕まったと言っていた。シルフの身体能力は、俺どころかヒナよりも高い。俺が魔法を使ってさえ、戦えば敵わないかもしれない。

「盗むとは言っていないだろう。交渉する。人を買うなら、そのうち誰かに売るはずだ。俺が買ってもいいし、買った人と交渉してもいい。会うだけでもいいんだ。ちゃんと、俺はヒナと話したい」

「……近づくだけでも危険だ。でも……どっちにしろ、竜兵はそんなに早く移動しないよ。竜兵の数も少ないし、見つけるのは難しくない。体が回復してからでも十分追いつく」

「早くない?」

「ああ。一つの集落を見つけると、しばらくは滞在する。人間は売るにも買うにも、なかなか結論が出せないからいらいらすると言っていた」

 家族を売るのだ。金が必要だと言っても手放したくはないだろうし、買うにもかなりの高額なのだろう。簡単に結論が出ないため、移動はどうしてもゆっくりになるということか。

 だが、ヒナのときはすぐにいなくなった。

 ヒナがすぐに決断したので、滞在する理由がなかったのだと考えられる。

「……そうか」

「わかったら、食え」

 シルフは俺に、一番大きな芋虫を投げつけた。にかりと笑っている。

 嫌がらせのつもりは全くないので、俺はありがたく受け取った。さすがに、芋虫を食べるのにも慣れてしまった。


 俺は、この世界にきて初めてだったかもしれない。

 ゆっくりと体を休めるため、しばらく滞在させてもらうことになった。

 ヒナの小屋では、異世界に慣れていなかったし、実際に止まったのは2日間でしかない。

 『孤児の集落』では、俺は力の限り精力を振りしぼったので、むしろ体には負担が大きかった。

 ヒナのことを心配はしていたが、追いかけるにはまず体を直すことだというシルフの提言はもっともだったし、アリスは俺が尋ねない限りは黙っていた。

 しばらくといっても、シルフに世話になったのは一週間ぐらいだろう。さすがに、シルフの用意してくれる食事でふっくらと体重まで戻せるということはなかった。

 俺にとって体を直すというのは、普通に体力を戻すということだけだ。怪我も病気も、魔法で癒せるが、普段の体力だけはどうにもならない。

 その間、シルフはずっと俺の世話を焼いてくれた。

 俺は、二日間はずっと横になっていたが、動けるようになると、シルフの真似をして、というかシルフに頼りきりでは悪いと思って、枝を伝って外に出てみた。

 アリスは嫌がったが、一緒に連れて出た。

 怖がるアリスを守りながらのほうが、俺も無茶はしないと思えたのだ。

 この世界の樹木は力強かったが、シルフが家にしているのは特別に大きく、立派だった。

 俺が借家している洞があまりにも大きいため、木が弱っているのではないかと心配したが、そのような様子は何もなく、しっかりと根を下ろした立派な大木だった。

 初めて枝を渡り、できるだけ木登りをした日、俺はシルフに尋ねてみた。

「この洞、どうしてできたんだろう。こんなに大きな穴が空いているなら、病気か、誰かが開けたのだと思うが、この木はこんなに立派だし、どこも痛んでいないみたいだ」

「魔法だよ」

 シルフは言った。言ってから、シルフが首に巻いていた飾りを見せてくれた。

「これは?」

「生命の石だって、これをくれた人が言っていた。魔法道具だよ。この石の内側に魔法の文字が掘られていて、魔法を自動で使ってくれるんだ。あたしは魔法を使えないけど、その代わりに魔法道具を与えられた。動物でもないし、群れも作らないあたしみたいな魔物が、一人で生きているのは大変だから。その代わり、魔法士を助けろって言われている」

 ペンダントの形をしている。半透明の大きな石で、アクアマリンのようだ。元の世界にもってかえれば、かなりの高額になるだろう。

「内側に魔法文字……凄いな」

 使い方は解らない。だが、植物の成長を促進し、自由に操ることができるのだろう。

「魔法道具のことは知っているか?」

「いや、初めて聞いた」

「おい、ウサギ」

「し、仕方ないじゃないですか。私だってそんなに知らないのですし、そもそもソウジさんが聞かなかったんですから」

 ウサギのアリスは俺の体に隠れた。俺は手を後ろに回して耳を掴んだ。

 耳を掴まれるとアリスの体は硬直する。

 俺はアリスを抱いて。シルフに続けてくれるよう促した。

「魔法道具を作れるのは、ごく一部の人間だけだと聞いている。どんな作り方をしているのかわからないが、とにかく物の中に魔法文字を刻むらしい。たとえば、武器なら絶対に壊れないぐらい硬くしたり、炎を出すようにすることもできるというけど、そういう目的を持って作られたものはなかなか手に入らない。私のペンダントは、そういう高価な魔法道具の一つだよ。ほとんどの魔法道具は、ただの試しに作っているから、絶対に移動できない箒とか、持ち上がらないコップみたいな意味のない魔法がかかっているらしい。意味のある魔法道具は地下迷宮に隠してあることが多いから、探してみるのもいい」

「地下迷宮? そんなものがあるのか? どうして、そんなところに魔法道具が?」

「決まっています。魔法士に潜らせて、鍛えるためですよ」

 アリスは言った。どうも、俺にはまだ理解できていないことが沢山あるらしい。

 この世界の魔法士は、人為的に作られたもので、誰かが強くしようとしていることだけは理解できた。

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