第二話 レーンホルムへの旅立ち
親愛なるリーブルとメグへ
二人とも元気かい?
魔法祭ではいろいろと大変だったようだね。おまえたちが無事で何よりだ。
早速だが、本題に入ろう。確かリーブルの二番弟子の女の子が今年で十四歳を迎えるね? マリア教の魔女は十四歳になったとき聖地で洗礼を受ける慣わしだが、おまえたちもきっと今年は聖地巡礼に向かうことだろう。
ハリーいわく、天使のように可愛らしい女の子なのだそうだね。洗礼には我々も是非立ち会いたいと思っている。だが出来ればその前に、一度私も彼女に会っておきたい。どうだろう、彼女を連れて久しぶりにレーンホルムに帰って来ては。おまえたちとも、かれこれ五年も音沙汰がないのだから久々に顔を見せておくれ。
返事はこの手紙を運んだフクロウに届けさせなさい。
すぐに会えることを祈って。
レイモンド・LM・ウィンスレット
じいちゃんからの手紙を読んだルリアは、期待に胸を弾ませているようだった。それとは対照的に、リーブル先生は実に面倒くさそうな、浮かない顔をしていた。
「ねえ先生、おじいちゃんってどんな人なの?」
ルリアが興味津々で尋ねると、先生はそっけなく即答した。
「うるさいくらいに明るくてしつこい老人だよ。僕が思うに、レイのあの底抜けの明るさは異常だね。毎日一緒に居られるハリエットをある意味尊敬するよ」
確かに、じいちゃんは底抜けに明るい性格だった。レーンホルム伯レイモンド・ル・マリア・ウィンスレットという人は、常に前向きで楽観的で、人生を飄々と生きてきたようにしか見えない。
ルリアは矢継ぎ早に先生に質問を浴びせかけた。
「レーンホルムってどんな所? ここから遠いの?」
「僕らの住んでいる聖エセルバートの街からは箒で一日半くらいかな。カストリア国の辺境にあって、なだらかな丘陵が広がる水と緑の美しい土地さ」
オレの胸は瞬く間に故郷に対する懐かしさで満ち溢れた。レーンホルムでの日々は、オレにとってはかけがえのない大切な思い出だ。もちろん、今だって充分楽しいが、あの頃は幼いがゆえに本当に何もかもが幸せに満ち溢れていた。
よくリーブル先生と湖で小船に乗ったり、丘の上の大木の根元で本を読んだりしたものだ。幼馴染のラルフ君とは森に秘密基地を作ったりもした。ラルフ君はリーブル先生を落とし穴に落とすんだとか言って、基地のすぐ隣に大きな穴を掘っていたが、次の日そのことをすっかり忘れて自ら穴に嵌っていたっけ。秘密基地にはたくさんのどんぐりを集めたものだけど、いつだったか大雨が降って、オレたちが作ったアジトもろとも跡形もなくきれいさっぱり流されてしまった。
幼い頃の時間の流れというものは、今とは何かが決定的に違うような気がする。歳を重ねれば重ねるほどに毎日が瞬く間に過ぎていくように感じられるが、あの頃は一日がうんと長かった。でも、決して退屈なわけではないのだ。
心の中に鮮明に蘇るのはこうした輝かしい日々のことばかりだった。だから、オレには先生とばあちゃんがこっそりと話していた『悲しい思い出』なんて、なにひとつだって思い出せやしない。
「丘の上の樫の木のそばに、僕と君とラルフの三人で宝箱を埋めたのを憶えてる?」
リーブル先生が懐かしい思い出話を切り出してきた。
「憶えてる! 木の根元に埋めたんだ。懐かしいなあ」
「あのとき、君は一体何を埋めたんだい?」
「確か、それぞれ一番大切な物を持ち寄ったんだったよね。なんだろう。全然憶えがないや」
それまでオレと先生の会話を黙って聞いていたルリアが、心底羨ましそうに呟いた。
「いいなあ、二人とも田舎があって。あたしも一度行ってみたいな。先生とメグが暮らしてた場所」
そう言うと、彼女はいじけたように手紙を運んできた小さなフクロウに手を伸ばした。しかし、フクロウは相変わらず高飛車な様子で、自分の体に何人たりとも触れさせまいと飛び上がった。
元気のないルリアの姿を先生はしばらく無言で見つめていたが、やがて、テーブルの上に置かれていた手紙を再び手に取ると、唐突にこう言った。
「じゃあ、明日出発だ。天気が回復したらの話だけど」
ルリアは驚いて先生の顔を見た。もちろん、オレも同様だ。
「出発って、本当にレーンホルムに行くの? 嘘じゃないよね?」
「嘘を言ってどうするのさ」
先生はオレたちに向かって悪戯気に片目を瞑ってみせる。オレとルリアは喜びのあまり、互いに手を取り合い食堂を飛び跳ねた。
「あたし、旅の用意してくる! 旅行用の鞄どこにしまってあったかな」
ルリアはようやくいつもの元気を取り戻したようだった。
階段を駆け上って行く彼女の後姿を見送りながら、先生は安心したように小さな溜め息をついた。
先生が人差し指で合図をすると、二階から魔法で羽根ペンとインク壺と羊皮紙が飛び出てきた。インクをつけた羽根ペンは、ひとりで勝手にさらさらと流れるように羊皮紙に文字を綴り出す。その横で先生は大きな欠伸をひとつした。
「だめだ、眠くてたまらない。僕はベッドに戻ることにするよ。悪いけど、手紙が書きあがったらフクロウに結びつけて出しておいてくれないかな」
「割れた窓も片付けておくから、先生は何も心配せずにゆっくり休んでね」
「ああ、メグ。君は本当によく出来た一番弟子だよ」
先生は「おやすみ」と手を振りながら、ゆっくりと階段を上って行った。
フクロウに手紙を持たせるのはなかなか大変な作業だった。尖った嘴で幾度となく突っつかれながら、折りたたんだ羊皮紙をどうにか細い足首に巻きつける。すると、夜の鳥は割れた窓硝子の隙間から風に乗って瞬く間に夜空に消えた。
粉々に割れたガラスをかき集め、壊れた部分を補修してから、オレは部屋に戻ってすぐに旅の支度をし始めた。
埃を被っていた旅行鞄を引っ張り出して、そこにシャツとセーターを二枚ずつ、ズボン一着、替えの下着や靴下などを詰め込んだ。散々迷った挙句、マフラーも追加した。あと必要なものは……日記帳と
最後に、オレはベッドの下から妖精の絵が描かれた菓子缶を取り出した。缶の中からぼろぼろのお札を数枚つかみ、それを無造作に
「よし、完璧」
なんだか物凄く大荷物になってしまった。皮製の旅行鞄は今にもはちきれそうな程に膨らんでいる。
鞄の上に明日の着替えを用意して、その上に数珠を置き、オレが寝床についたのはほとんど明け方近くだった。
翌日、嵐は過ぎ去り、空は抜けるような青空だった。朝食後にとろりとしたチーズが美味しいキッシュを作り、銀色のポットに熱い紅茶を注いだ。それらを先日シスター・クレーネから分けてもらった蜂蜜の瓶や何種類かの果物と一緒に、布に包んで斜めがけの皮の鞄に突っ込んだ。
ローブを羽織ってピクニック用の食料が入った鞄を肩に背負い、旅行鞄と箒を持って外に出ると、リーブル先生が呆れたようにオレを見つめた。
「なんだいメグ、その大荷物は」
「あれもこれもと思ったらいつの間にか増えちゃったんだ」
先生は胸元から四つ葉のクローバーの形をした鍵を取り出すと、扉にしっかりと錠をかけた。愛すべき裏庭の
「さあ、出発だ」
ルリアははちきれんばかりの笑顔で箒にまたがり、勢いよく空中に舞い上がった。オレも旅の期待に胸を弾ませ、大空へと舞い飛んだ……! が次の瞬間、すぐさま地面に墜落した。
「大丈夫かい?」
先生に手を差し伸べられて、ここでようやく気がついた。箒でろくに空を飛べないオレが、こんな大荷物を持ってどうやってレーンホルムに行けるというのだろう? いや、たとえ荷物が無くたってまともに飛べるはずもない。そうだ。思い起こせば、レーンホルムからこの家にやって来たときは、先生の箒の後ろに乗せてもらって来たんだった。
失意の面持ちで晴れ渡る空を仰ぎ見ると、二番弟子が心配そうにこちらを見下ろしていた。リーブル先生は転がる荷物を拾い集め、顔を上げてルリアに向かって声をかけた。
「メグと二人乗りしてレーンホルムまで行ける自身はあるかい?」
「もちろん!」
「よし。じゃあ、荷物は僕が引き受けよう」
情けないを通り越して申し訳がない。旅立ちの高揚感もどこへやら。オレはすっかり意気消沈してしまった。
「大丈夫。君はいつか必ず上手に空を飛べる日が来るよ」
リーブル先生のその言葉に、オレの両目は瞬く間に潤み始めた。
「そんな気休め言わないでよ。あれだけ毎晩練習してるのに、ちっとも上達しないじゃないか。オレは先生とは違って、きっと魔法使いじゃないじいちゃんの家系の血を多く受け継いでるんだ。だから、箒で空を飛ぶことすらままならないんだ」
「絶対に飛べるようになるよ。僕が保証する」
先生はそう言うと、オレに向かって意味ありげに微笑んだ。
一体何を根拠にそんな風に断言出来るのだろう――?
しかし、リーブル先生という人は、昔からときどき不可思議な予言をしたりすることがあった。それがまた絶対に外れた試しがなかったので、オレはいぶかしく思いながらも半分救われたような心持ちでルリアの箒に同乗した。
飛べるようになりたい。いつか自分の力で鳥のようにこの大空を飛び周りたい。
「では、改めて出発だ!」
風のごとく空を舞う先生とルリアの箒は、北を目指して一直線に飛び立った。
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