マリア教の魔法使い
Lis Sucre
マリア教の魔法使いと魔法祭
第一話 マリア教の魔法使い
イトコのリーブル先生は、いつだってオレのことを「メグは女の子のようだ」と言ってからかう。それはこの上ない屈辱だが、確かに先生の言うとおり、オレはまるで女の子のようだった。
色白、すらりと伸びた手足、翡翠の瞳に胸の辺りまで伸ばした淡い金髪。いにしえの魔法書によれば、魔力とは髪に多く宿るものだそうで、長ければ長いほどその力も強まるらしい。それで、オレはどんなに先生に女の子のようだとからかわれようとも、髪の毛だけは短くすることが出来ずにいる。
持って生まれた魔力の質は特に優れていなかったが、別段悪いわけでもなかった。それでも、今以上の強い魔力は欲しいと思うし、それを持っている人間が羨ましい。そう。オレはいつだってルリアが羨ましくて仕方なかった。
兄妹のように育ったルリアはリーブル先生の二番弟子。彼女はオレの後から先生に弟子入りしたにもかかわらず、箒で空を飛ぶのはオレよりもずっと上手い。たった一度先生がお手本を示しただけで鳥のように空を飛び回る。
対してオレは毎晩月明かりの下、手に血豆を作りながら箒の練習に励まなければならないのだ。血の滲むような努力をしなければならない者と、何の努力も必要としない者がいるこの事実。世の中は決して平等なんかじゃないということを強く思い知らされる。
だが、オレは恵まれている方だと思う。なぜかって、オレは自分の努力次第でいつの日かルリアよりも上手に空を飛べる日が来るかもしれないが、生まれながらに魔力すら持っていない人間は、たとえどんなに努力を重ねたとしても決して魔法を使うことが出来ないからだ。
「魔力を持っていない人間には何か別の分野で秀でていることがあって、結局世の中は回り回って平等なのだ」と言う人がいるならば、それにはなんだか納得がいかない。だって、果たして両者を比較した際に、それが本当に平等かどうかなんて誰にわかるというのだろう? それこそ、きっと神と呼ばれる存在しか知り得ぬことなのだ。
オレはマリア教の信者だが、神の存在について尋ねられると少しだけ困ってしまう。そもそも、神とは一体何なのか。その哲学的な概念から考えなければならないところだが、話がややこしくなるのでそれはとりあえずここでは避けたい。
『神とはすべてを司る絶対的な創造主である』というマリア教の教えに即して答えるならば、オレにはそういった意味での神は存在しないかのように思える。しかし、今もって科学で証明することの出来ない『魔法』がこの世にある限り、もしかすると、神はこの世に存在するかもしれないとも思うのだ。
現にオレたちの住むこの世界には、悪魔という未知なる存在がある。オレは生まれてからまだ一度も本物の悪魔を見たことはないが、優れた魔法使いは古い呪文の力を借りて、魔法陣から悪魔を喚起することが出来るのだそうだ。悪魔がこの世に存在するのなら、その対極をなす神がいたってなんら不思議はない――。
庭で摘み取ってきた
無造作な黒髪のボブから覗く大きな瑠璃色の瞳。陶磁器のごとくきめ細やかな白い肌に、薔薇色の頬と唇を持ったルリアはまるで天使のように可愛らしかった。彼女の愛くるしい風貌の前にあっては、オレなんかどこからどう見たって、やはり所詮は男なのだと自分に自信を持つことが出来る。
「ねえルリア、悪いけどそろそろリーブル先生のことを起こしに行ってきてくれない?」
オレが声をかけるのと、ルリアが赤い木の実をひとつ摘んで口の中に放り込んだのはほとんど同時だった。
「絶対に嫌。先週も先々週もあたしが起こしに行ったんだから、たまにはメグが行ってよ」
「鍋からスープが吹きこぼれちゃいそうで、手が離せないんだ」
ルリアはオレを一瞥してから、「ずっと離したままじゃない」と魔法で勝手にくるくると回り続ける木ベラを目で追った。
台所の少し開けた小窓から、爽やかな朝の風とともに教会の鐘の音が耳に届く。今日は週に一度の礼拝の日だった。時間通りに参加するにはそろそろ支度しないと間に合わない。度重なるリーブル先生の寝坊のせいで、オレたちは遅刻魔としてシスター・クレーネから厳しい言葉を受けていた。
「お願いだよルリア。あとで大好きなキャラメル味のプディングを焼いてあげるから、先生を起こしに行ってきて」
片目を瞑って懇願すると、彼女はわざとらしく溜め息をつき――しかしながら満更でもない様子で――生クリームをたっぷりのせることを条件に、ドレスの裾を翻して台所から出て行った。
心の底から申し訳ないと思うのだが、オレは出来ることなら(いや、絶対に)リーブル先生を起こしになど行きたくない。いくら先生が低血圧だからと言っても、あの寝起きの悪さは異常だ。このあいだなんて、部屋の中に入って先生の布団に手をかけた瞬間に、魔法で廊下の端まで吹き飛ばされた。それも意図的ではなく寝ぼけているから始末に終えない。おまけに寝起きの機嫌もすこぶる悪かった。
大都市エデンにある魔法大学を首席で卒業したリーブル先生は、古い書物を訳す傍らオレとルリアに魔法を教えてくれていた。頭が良くて、格好良くて、魔法の上手い先生は、実はオレの理想の人だったりする。相反して怠惰で身勝手で、どうしようもなく寝起きの悪い師匠だったが、彼の才能は間違いなく本物だった。そう、何を隠そうオレはリーブル先生に憧れて魔法使いになろうと決めたのだ。物心ついた頃から、絶対に先生の弟子になると固く心に決めていた。
刻み終わった
先生の髪の毛は寝癖がついてぼさぼさだ。暖炉に燻る炎のような、赤みがかったオレンジ色の髪。オレは昔から先生の髪が好きだったが、一部の迷信深い人々はめずらしいこの髪の色を不吉の兆しとされる月のようだと忌み嫌った。そのことで、先生は子供の頃に色々と嫌な思いをしたそうだ。
「メグ、頼むから朝っぱらからルリアを部屋によこさないでくれないか? うるさくてかなわないよ」
食堂の椅子に腰をかけた先生は明らかに不機嫌だった。ちょうどそのとき、一羽の黒い鴉が物凄い勢いで階段を舞い飛んできた。鴉は激しく鳴き喚きながら、リーブル先生の背中を口ばしの先で幾度となく突っついた。先生は逃げるようにして椅子の上に立ち上がると、腰のベルトからぶら下げていた魔法の杖を手に取って口早に呪文を唱えた。すると、鴉は瞬く間に怒りで顔を真っ赤にさせたルリアの姿に変わった。
「あたしが一体何をしたって言うの? メグに頼まれたから先生のこと起こしに行ってあげたのに、いきなり魔法で鴉に変身させるなんてひどいじゃない!」
先生は相変わらず椅子の上に立ったまま、憤る弟子の額を杖の先で軽く小突いた。
「耳元でへたくそな聖歌の独唱なんか始めるからさ。あんな歌声聴くくらいなら、鳥のさえずりの方がよっぽどマシだと思って鳥に変身させたけど、どうやら誤算だったみたいだ。ますますうるさくなった」
きっと美しい歌声の小鳥にでも変身させるつもりだったのだろうが、寝ぼけていたに違いない。
「もう二度と先生のことなんか起こしに行ってあげないから!」
「それはありがたいね。僕だって君みたいなお子様なんかよりも、もう少し大人の美女に起こしてもらいたいもの」
先生がオレに向かって魔法の杖を一振りすると、身に纏っていた簡素な白シャツとズボンが刺繍やフリルの施された清楚な礼拝用ドレスに早変わりしてしまった。
「こんな感じの淑女なら、いつだって大歓迎さ」
「ばっかみたい!」
ルリアは肩を怒らせて先生から背を向けた。彼女はお子様扱いされることを何よりも嫌う微妙なお年頃だった。先生はそれを知っていながらも、好きな子にわざと意地悪をしてしまう心理の一環みたいにいつもこのような振る舞いをする。
オレはドレスの裾を軽くつまんで、暖炉の上の鏡に映った自分の姿に深い溜め息をついた。悲しいことに、どこからどう見てもその姿は女の子にしか見えなかった。こんな格好で礼拝に行けば、まず間違いなくシスター・クレーネに笑われるに違いない。そう、礼拝に行けば……。
「ああっ? 大変だ! もうこんな時間じゃないか!」
オレは部屋の片隅にある本棚へ走ると、三人分の
早朝の凛とした空気の中、ご機嫌斜めなルリアの箒は驚くほどの速さで風を切った。しかし、先生の箒はそれを遙かに上回り、オレたちを嘲笑うかのようにして先を行く。負けず嫌いなルリアは悔しさを顔に滲ませ、速度を上げて師匠の後を追いかけた。
「うーわあああ!」
聖エセルバートの街が逆さになって視界に映り込み、首にぶら下げていた星十字の数珠が服の中から勢いよく飛び出した。オレは空中に放り出されないよう、必死で箒にしがみついた。
街の北に広がる森は無数の流れ星が堕ちることから星降る森と呼ばれていて、森に流れる星が丘にも降り注いでいるように見えることから、オレたちの住む丘は星降る丘と呼ばれていた。赤い煉瓦の屋根が印象的な家は元々はばあちゃんの実家だった。
聖エセルバートの街にはオレたちのほかに魔法使いが住んでいないので、街の人々はオレたちのことを「マリア教の魔法使い」と呼ぶ。
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