第六話 最悪の誕生日
セド・ル・マリアの空には朝からどんよりとした雨雲が立ち込めていた。昼近くにはポツリポツリと小雨が降り始め、それは次第に強さを増していった。
オレは部屋の窓辺に腰を掛け、打ち付ける激しい雨と通りの人々の様子を眺めていた。リーブル先生は相変わらずまだ起きていない。ばあちゃんは先程から魔法の杖を振り回し、ルリアの誕生日パーティーのために部屋中を装飾してまわり、じいちゃんは何やら得体の知れぬ仮装に奮闘中だった。
主役のルリアはというと、ベッドに仰向けになって寝転んだまま、ぼんやりとした表情でアンティークの手鏡に映る自分の顔を見つめていた。その手鏡はオレが昨日ペル・サラームの露店で彼女に買ってあげた誕生日プレゼントだった。
ばあちゃんとじいちゃんは先程から何度もルリアの機嫌をとろうとしていたが、今日のルリアは何を言っても上の空で、返ってくるのは空返事ばかりだった。
昨夜の出来事は夢だったのではないかと思いたかった。しかし、間違いなく現実だった。エメット三世はルリアとカストリアで暮らすことを望んでいた。現在のカストリアはジルベール王が暗殺された背景などが改めて見直され、王制復古の呼び声が高まっているとのことだった。もし本当に王制が復活すれば、そのときはカストリア王室の直系の子孫であるルリアが王位を継承することになるのだろう。
明日行われる『魔法使いの試練』を終えた後、ルリアは改めてエメット三世にカストリアへ行くかどうかについて返事をしなければならなかった。
オレはルリアと離れて暮らすなんて嫌だった。リーブル先生だって絶対そうに決まっている。だが、先生は今の今まで、彼女を引き止めるような言葉は何ひとつとしてかけていない……。
「なんだなんだ? この暗い雰囲気は。今日は誕生日パーティーじゃなかったのか?」
重苦しい空気を破ったのは、ラルフ君の帰宅だった。今朝も朝早くからどこかに出かけてしまっていたので、オレは未だにゴドウィンさんの裁判について彼から話を聴く機会を得ることが出来ずにいた。
ラルフ君はルリアに向かって小さな包みを放り投げた。それは見事なまでに彼女の顔面にヒットして、我にかえったルリアは赤くなった額を押さえながらベッドから身を起こした。
「痛いでしょ! 何するの!」
「誕生日プレゼント」
「え?」
思わぬセリフにルリアは危うく包みを落としかけた。
「ラ、ラルフがあたしにプレゼントくれるの?」
「なんだその言い草は。俺だってプレゼントくらいやるさ」
半信半疑のルリアが恐る恐る包みを開くと、中には小さな星型の宝石がついた高価そうなブレスレットが入っていた。
「う、嘘……本当にくれるの?」
「ありがたく思え」
思いがけぬ贈り物に、ルリアは驚きと嬉しさからちょっぴり顔をほころばせる。
「ありがとう」
そして、皆が見守る中、彼女は自身の左手首に細いブレスレットを巻きつけた。
「……つけたな?」
ルリアがブレスレットをつけたのを確認すると、ラルフ君は急に悪魔のような微笑みを浮かべた。その態度はみるみるうちに尊大になり、彼は高らかに笑い声を上げながらベッドの上で踏ん反り返った。
「それは俺が発明した嘘探知ブレスレットだ! おまえの精神状態をこと細かく分析して、嘘を言ったら反応する仕組みになっている」
「はあっ?」
「三回嘘を見破るまで、そのブレスレットは何があろうと絶対に外れない。魔法で外されないように街の魔術師に呪いもかけさせた。どうだ? すごいだろう?」
「ひどい! どうしてあたしにそんな物つけるの?」
「決まってるだろ! おまえが俺に嘘をついたらすぐにわかるようにするためだ!」
ルリアは力ずくでブレスレットを引っ張ったがびくともしない。見兼ねたばあちゃんが魔法の杖を取り出して、横からさまざまな呪文を唱え始める。そんな彼らの様子を優越感に浸った面持ちで眺めながら、ラルフ君が小声で言葉を続けた。
「これであのガキがこっそりリーブルに裁判の話をしたとしても、俺が尋ねりゃ一発でバレるわけだ。俺に嘘を言えば、ブレスレットの星が光り輝くからな」
それを聞いて、オレは隣で首をかしげる。
「ちょっと待ってよラルフ君、もし仮にルリアが先生に裁判の話をしたとしても、ラルフ君がそれを後から知って一体何の意味があるの? どのみちすでに先生にはバレちゃってるわけでしょう?」
オレの指摘にラルフ君は一瞬氷のように固まった。それから、冗談みたいに青ざめて、両手で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「しまったあああ! どうしてそんな単純なことに気がつかなかったんだああっ! 確かに何の意味も無いじゃないかあああっ!」
科学者は素晴らしい発明をするけれど、得てしてその使い方は果てしなく間違っていたり、無意味だったりするものだ。
じいちゃんとばちゃんがルリアのブレスレットをとるのに夢中だった隙を見て、オレは彼らに気づかれぬようヒソヒソ声で尋ねた。
「それで、昨日の裁判、どんな感じだったの?」
「おまえなあ」
ラルフ君はがっくりと肩を落とし、警戒した面持ちで誰にも聞かれていないことを確認すると、自分の頭に布団を被せ、手招きしてオレを中に呼んだ。
「あれは審問なんてもんじゃなかった。無差別の異端狩りだ。審問官の側には悪魔の手先として魔法教徒を端から毛嫌いしてるヤツらもいる」
「ゴドウィンさんはどうなちゃうの?」
「今はまだどうなるかはわからない。審理は三日後に続行される」
「……リーブル先生は、どうしてオレやルリアにゴドウィンさんの話をしてくれないんだろう」
オレの非難じみた口調に対し、ラルフ君は何か言おうと口を開きかけたが、それは第三者の声によって瞬く間に遮られてしまった。
「二人でコソコソと何を話しているんだい?」
布団の中には、いつの間にやらにこにこと微笑むじいちゃんの顔があった。
「うわあ!」
オレとラルフ君は慌てて布団から飛び出して、二人揃ってベッドから転がり落ちた。ばあちゃんが腰に手を当てながら、呆れたようにオレたち二人を見下ろした。
「何やってんだい、おまえたちは」
それから、彼女は少しばかりイライラとした様子で置き時計に目をやった。「パーティーの準備はとっくに整ってるっていうのに、リーブルは一体いつまで寝てる気だい? メグ、そろそろあの子を叩き起こしてきとくれよ」
「ええ? オレが?」
このときばかりはじいちゃんもラルフ君も、申し合わせたようにそっぽを向いて視線を宙に漂わせた。二人ともリーブル先生の寝起きの機嫌の悪さを知っていたので、とばっちりにあわないようにそそくさとオレの元から離れて行く。彼らの薄情な行動にがっくりと肩を落とし、重い足取りでノロノロと扉の方に歩いて行くと、そんなオレの様子を見兼ねたのか、「あたしが起こしてくるよ」とルリアがオレを追い越して廊下に出た。
「いいよルリア、先生のことはオレが起こしに行くから」
「あたしが行くのはいつものことでしょう?」
ルリアは無表情のまま真っ直ぐ廊下を突き進んだ。「それに、先生に聞きたいこともあるから、ちょうどいいの」
彼女はノックもせずに乱暴に部屋の扉を開けると、何の躊躇も無く突き進み、ベッドに横たわる先生の体を強く揺さぶった。
「起きてよ先生! もうみんな待ちくたびれてるんだから」
リーブル先生はまるで悪い夢にでもうなされているかのように、何だか苦しげな表情で寝返りをうった。
「先生?」
ルリアが顔を覗き込んだとき、先生は聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、しかしはっきりとこう言った。
「……マリア」
その言葉を聞いた途端に、ルリアはすっと先生の体から手を引いた。彼女の睫毛が小さく震えているのが見てとれて、オレは自分の寝言じゃないのに慌てて弁解し始めた。
「い、今のはただの寝言だよ! 他意はないよ!」
しかし、ルリアはオレの言葉には耳も貸さずに、そのまま横をすり抜けた。
「ルリア!」
ルリアはカルマの宿から飛び出すと、どしゃぶりの雨の中を駆けて行った。すぐに後を追ったが、通りの人込みに紛れてその姿はあっという間に消え去った。
無意識だとはいえ、リーブル先生は大馬鹿だ。よりにもよって何もこんなときに、マリアさんの夢なんか見ることないじゃないか――。
ルリアはペル・サラームの街はずれにある路地裏にいた。泣いているのだろうか? 両腕で顔を覆い隠し、壁に突っ伏したまま動かなかった。
「ルリア」
雨雲を映し出す水溜りを踏みつけて、オレはゆっくりと彼女に近寄った。
「……初めてじゃないの」
「え?」
街の喧騒に掻き消されそうなほど弱々しい声で、ルリアが言った。
「このあいだも、先生、寝言で『マリア』って言ったの」
彼女の後姿は震えていた。
「先生のことを起こしに行ったとき、あたし……聞いたの」
――ああ、そうだったんだ。
ルリアがここのところ先生のことを避けていた理由が、今ようやくわかったような気がした。彼女はたぶん、ずっと師匠の寝言に心をかき乱されていたのだ。嫉妬や不安の気持ちが混在して、どうしていいのかわからなかったのだろう。
「先生は……あたしのお母さんのことが忘れられないんだ」
「違うよルリア、あれはただの寝言だよ。それに、そもそも先生が口にした名前だって、マリアさんだとは限らないじゃないか。単に聖女マリアの夢を見ていたのかもしれないし」
振り向いたルリアの顔を見て、オレははっとして息をのんだ。雨と涙が一緒になって、彼女の顔はぐちゃぐちゃに濡れていた。
「もう聞かなくたってわかったの! 先生は、あたしのことなんかどうでもいいんだ! あたしなんかカストリアに行けばいいと思ってるんだっ!」
支離滅裂な言葉を叫び、ルリアは疲れ果てたように力なく項垂れた。
「だって、そうでしょう? 先生は、昨日からずっと何も言ってくれない……。あたしのことなんか……これっぽっちも見てないんだ……」
その孤独なシルエットは、否応なしに初めて会った頃のルリアの姿をオレに思い起こさせた。
「ルリア……」
長い沈黙の後、オレが再び口を開きかけたとき、二番弟子はそれを遮るように信じられない言葉を呟いた。
「あたし、カストリアに行く」
一瞬、雨音が遠のいたかのように思われた。
「な、何言ってるのルリア、冗談でしょう?」
オレは自分の耳を疑った。
ルリアの瞳から音もなく涙が溢れ出し、頬を流れる雨に滲むようにして溶けていく。おかしな息継ぎで体を揺らせながら、彼女はそれでも一生懸命に言葉を続けた。
「おと、お父さんと……一緒……に……暮らすの!」
叫んだ途端に、突如として路地裏に明るい光が満ち溢れた。ルリアのつけている嘘探知ブレスレットの宝石が、目も眩むような輝きを放っていた。
そうだ。ルリアは嘘をついたのだ。彼女は本当はカストリアなんかに行きたくないのだ。
ブレスレットの光を隠すように、掌でぎゅっと左手首を握り締めながら、ルリアはとうとう声を上げて泣き出した。
「……嫌だよ、ルリア。……行っちゃ嫌だ」
降りしきる雨の中、オレは彼女の体を両腕で抱きしめた。
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