第五話 星の契り
夜の帳が下りると空には無数の星が姿を現した。カルマの宿の一室から異国の景色を眺めつつ、オレはゴドウィンさんの裁判のことを考えていた。ラルフ君は帰宅後疲れたのか、すぐにベッドに直行してしまったので話を聞くことが出来なかった。彼との約束もそっちのけで、オレは思わず先生に裁判について尋ねたい衝動に駆られる。
「あのさ、先生……」
リーブル先生は背後のソファに横になったまま、先程から天井の一角を見つめたきりぼんやりとしていた。オレが声をかけたことにすら気がついていない。
「先生ってば!」
目の前で手をひらひらさせて呼びかけると、ようやく我にかえったようだった。
「え……? あ、何?」
「どうかしたの? ぼうっとしちゃって」
「ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ」
ルリアの様子もおかしかったが、最近はリーブル先生の様子もちょぴり変だった。時折見かける先生は、なんだか随分と思いつめたような表情をしていることが多かった。
「……あのね、先生……その……」
『俺が話したってこと、リーブルには絶対に言うなよ』
いざ話そうとしてみると、ラルフ君のセリフが頭の中に蘇り、オレはそのまま何も言えずに口を開きかけた状態で固まった。
そのとき、勢いよく部屋の扉が開いて、上機嫌なばあちゃんが姿を現した。
「待たせたね二人とも。まるで天使のように可愛いく仕上がったよ。見てやっておくれ」
満足そうなばあちゃんの背後から、彼女の手によって礼装されたルリアがおずおずと姿を現した。
ふわふわと透けるような白いドレスに身を包むルリアは、同じ生地で作られた顎ひも付きの頭巾を被っていた。袖口や裾から覗くレースには金色の小さな星の刺繍が散りばめられており、首からぶら下げている星十字の数珠はまるで雲間に浮いているように見えた。ばあちゃんの言うとおり、その姿はまさしく天使のようだった。
「わあ! 似合うよルリア。すっごく可愛い!」
オレが褒めると、ルリアは「ありがとう」と恥ずかしそうに顔をほころばせ、彼女を無言のままに見つめていたリーブル先生へと視線を移した。
先生の表情は、まさに感無量といったところだった。たぶん、あまりに感激しすぎていて、言葉さえ出なかったのだとオレは認識したのだが、ルリアは先生が何も言わなかったことに対して傷ついたように顔を伏せた。
そんな彼女の背後からご機嫌なじいちゃんが姿を現し、快活に出発を促した。
「さあ、行くよ! もたもたしてたら遅れてしまう!」
じいちゃんはルリアとお揃いの星の刺繍が入ったマントを羽織り、真っ白な胴衣に白タイツを着用していた。レイピアを腰にさし、大きな鳥の羽がついた円筒状の帽子を被る姿は、道化師のようにちぐはぐとしていて通りすがりの宿泊客の目を引いた。
「レイ! あんたって人はまたちょっと目を離していた隙に、一体全体その格好はなんなんだい!」
ばあちゃんが真っ赤な顔で叫んだ。
「許しておくれ、ハリー。今夜だけ私はルリアちゃんの騎士になるよ。でも、一番に愛しているのは君だということを忘れないでくれ」
じいちゃんのそのセリフに、オレとルリアは我慢しきれず吹き出した。先生がソファの上で腹を抱えて笑いながら言う。「騎士……! その格好で騎士……!」
ばあちゃんは夫の酔狂な登場に、恥ずかしさを押し殺したように拳を握り締めた。
「さあ、本当に遅れたら大変だ。出発するよ」
ルリアが今夜受ける儀式は『星の契り』と呼ばれる魔女の洗礼だった。夜空に浮かぶ星の光を受けて、その神聖なる輝きの中で身を清めるのだ。
洗礼の儀式はペル・サラームの大聖堂に隣接しているメリル・ローズ礼拝堂で行われた。円形状の祭壇を取り囲むようにして、ルリアと同じ年頃の魔女たちが白い礼服に身を包んで立っている。祭壇には金色の祭服を纏った司祭の姿があり、段上式になっている一番上の床には小さな魔法陣が描かれていた。天窓から差し込む星の光が魔法陣に印された星十字や魔法の言葉を浮かび上がらせ、まるで古い書物に描かれた挿絵のように幻想的だ。
魔女たちはひとりずつ順番に魔法陣の中で祈りを捧げ、司祭から薔薇の花びらを一枚ずつ口の中に入れてもらい、祝福の星型の金平糖を賜った。
「次はいよいよルリアの番だ」
オレたちは少し離れた信徒席から聖なる儀式を眺めていた。ルリアは緊張した面持ちで円の中に跪くと、一筋の青白い光を受けて胸元で星十字を切り、聖女マリアに祈りを捧げた。
「これでルリアも立派なマリア教の魔法使いだね」
オレは隣に座るリーブル先生にこっそりと話しかけたが、それに対して先生からは何の返答もなかった。
「先生……?」
リーブル先生は深い泉のような眼差しでルリアのことを真っ直ぐに見つめていた。奇妙なほどに静謐な瞳の奥には、確かに微かな光が存在していたが、なぜだかその光が今にも消えてしまいそうな気がして、オレは不思議と胸が締め付けられる思いがした。
無事に洗礼を済ませ、ルリアが小瓶に詰められた金平糖を持ってオレたちの元にやって来ると、じいちゃんとばあちゃんは競うい合うようにして我先にと彼女の頬に祝福のキスを落とした。それがひとしきり終わった後、一部始終を遠巻きに眺めていたリーブル先生が、突然ルリアに歩み寄り、何も言わずに彼女の体をぎゅっと抱きしめた。
「先生?」
奇行に驚いたルリアは、訝しがると同時に恥ずかしそうに顔を赤らめた。
先生は随分長いこと彼女を抱きしめていたのだが、やがてオレの方に振り向くと真剣な様子で言った。
「メグ。悪いけどハリエットやレイと一緒に、先に宿に戻っててくれないか?」
なんだか妙に空気が重たくて、とても理由を尋ねられるような雰囲気ではなかった。
ここのところ先生と二人きりになることを極力避けていたルリアは、焦ったようにオレたちの方に駆け寄ろうとした。だが、リーブル先生が静かな声で彼女のことを呼び止める。
「ルリア、君は僕と一緒に来るんだ」
「どうしてあたしだけ?」
「これから君を連れて行かなければならない場所があるんだ」
そう言って、先生は強引に彼女の手を取った。しかし、ルリアは咄嗟にもう片方の手でオレの腕をぎゅっと掴んだ。「メグも一緒じゃなきゃやだ!」
ルリアを見据えていた先生の視線が、ゆっくりとこちらに移される。オレは心臓を鷲掴みにされたようにその場に凍りつき、裏返ったような声で言う。「あ、いや、オレは別に全然行かなくていいんだけど……」
すると、ルリアが泣きそうになりながら金切り声で叫んだ。
「メグも一緒に行くのっ!」
「は、はい!」
勢いに圧倒されてひとつ返事で返答すると、リーブル先生は仕方ないなと言わんばかりに深い溜め息をついた。
「わかったよ。好きにすればいい。いずれにしろ、メグにも関係のあることだからね」
そう言って、先生はひとりで先に回廊を歩き始めた。彼は別に怒っているわけではなかったが、今日はなんだかいつも以上に歯向かってはいけないようなオーラが感じられ、オレとルリアは黙って後に続くのだった。
歩きながら後ろを振り返ると、じいちゃんとばあちゃんは労わるような表情でオレたちを見送っていた。その姿を見て、彼らはこれから先生がどこへ向かおうとしているのかを知っているに違いないと思った。
リーブル先生はオレたちをメリル・ローズ礼拝堂から少し離れたところにある宿泊棟へ連れて行った。豪華な廊下の奥に大きな錠のついた木の扉があり、槍を持った従者がひとり部屋を護るようにして立っていた。先生が名を名乗ると相手は何もかも承知しているようにオレたちを中に招き入れた。
仄暗い部屋の奥には、ひとりの男が立っていた。純白の法衣に身を包むその男の顔を見た途端に、オレとルリアはほぼ同時にその人物が誰であるのかに気がついたと思う。まるで、雷が走ったようなショックが体中を駆け抜けた。
「エメット三世……」
驚くべきことに、オレたちの目の前にいたその人物は、カストリア総主教エメット三世その人に間違いなかった。
「リーブル殿、手紙をありがとう。あなたのご好意には大変感謝しています」
エメット三世がリーブル先生に礼を述べると、先生は何とも言えない複雑な微笑を携えた。この瞬間、オレは旅の前日に先生が真夜中にこっそりと手紙を送っていたことを思い出した。先生の手紙の差し出し主は、カストリア総主教だったのだ。
「……ルリアだね?」
エメット三世は真っ直ぐにルリアのことを見つめた。その表情は、カストリアの記念紙幣に印刷されていた姿と同じく、美しく理知的だった。
ルリアは驚いて返事すら返せずに、その場に立ち尽くしていた。
「なんと美しく成長したものだろう。君は私よりも、君の母君によく似ている」
エメット三世はルリアに触れようと手を伸ばしたが、彼女は慌てたようにオレの背後に身を隠した。
「驚かせてしまったかな」
差し出した手をすぐに引っ込めて、エメット三世は実の娘に対してどのように接すればいいのかわからずに、ほんの少しだけもどかしそうに微笑んだ。
「ルリア。私は君と暮らせる日が来ることを、ずっと夢見ていたのだよ」
エメット三世が再び話し始めると、リーブル先生が慌てたように彼に言った。
「その話ですが……実はまだ……」
頭の奥を痺れたような感覚が襲った。ルリアと暮らせる日を夢見ていた? それって、まさか……?
先生はオレたちの方に振り返る。そして、オレの背中にしがみついているルリアの目線に合わせてかがみ込むと、感情を押し殺したような声で言った。
「ルリア。エメット三世総主教はね、聖地へ君を迎えにいらしたんだ」
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