第六話 エデンの大学
翌日、オレたち三人は約束どおりルリアの杖を取りに、マーラ・セ・ゼラの宝石店へと向かった。赤髪盗賊団を警戒してか、扉横には物々しく警備の雇われ魔法使いが立っていた。日中の店内は作日とは打って変わって客の出入りが多く、大都市ならではの賑わいを見せている。
「やあ、お待ちしていましたよ」
接客を終えたマーラさんが爽やかな笑顔でオレたちを迎えてくれた。目が合うと、彼は一層にこやかに微笑んだ。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「あ、はい」
「私はなかなか寝付けませんでした。……その、あなたのことが気になって……」
「オレのことが?」
マーラさんは少し照れたような笑みを滲ませる。
「私は女性が苦手なはずなのに、聖エセルバートの街であなたと初めて会ったときから、なぜだか不思議と恐怖心を感じなかったことに気がついたのです」
「そりゃ、あたりまえだよ。だってオレはお……」
『男だから』と言いかけたとき、オレの口はリーブル先生によって塞がれた。先生はまるで話をそらすかのように、ルリアの杖が出来上がっているかどうかマーラさんに尋ねた。マーラさんはショーケースの上に置いてあった小箱から杖を取り出すと、それを先生づたいにルリアに手渡した。
大喜びで杖を振り回すルリアの姿を横目で追いながら、リーブル先生が唐突に切り出した。
「ところでマーラ、もしこれから君さえ予定がなければ、この子たちをエデンの大学に連れて行ってやってくれないかな」
突然の申し出にマーラさんは一瞬戸惑いを見せたものの、「特に予定もないので構いませんよ」と快く引き受けてくれた。先生は「よかった」と微笑んでから、オレとルリアに自分の学び舎をよく見てくるようにと言ってきた。
「先生は一緒に行かないの?」
「ちょっと用事があるんだ。それが済んだらすぐに君たちの後を追いかけるよ」
用事って何? とルリアが尋ねると、先生は言葉を濁した。「お子様と違って、大人には色々とプライベートな用事があるんだよ」
子供扱いされたルリアの表情があっという間に不機嫌になったので、雲行きの怪しさから昨日の繰り返しになることを危惧したが、先生はそれ以上二番弟子を逆なでするようなことを言うつもりはなかったようだった。マーラさんが馬車の手配をしに店の奥へ引っ込んでいくのを見届けると、手招きしてオレたち二人を小声で呼び寄せた。
「君たちに頼みがあるんだ」
一度扉の方を振り返り、マーラさんが戻ってきていないことを確認してから、先生は声をひそめて言葉を続けた。
「どうやらマーラはメグのことを女の子だと思い込んでいるみたいだから、しばらくのあいだ、二人で協力してそのまま本当のことを明かさずにいてくれないか?」
「ええ!? やだよ、どうしてそんな嘘つくみたいなことしなきゃならないの?」
オレが不服の声を上げると、先生は弱々しい笑みを傾けた。
「彼を救えるかもしれないからさ」
どうやら先生はマーラさんにオレを女の子だと思い込ませておいて、異性への恐怖心を軽減させようと考えているようだった。ルリアは上機嫌で師匠の企てを了解した。それがマーラさんのためになるのならオレだって協力したいのは山々だ。しかし、あからさまに面白がっているルリアを見ると、悔しくて快く参画する気になれやしない。
そんなオレの気持ちを察したのか、リーブル先生が「頼むよ、メグ」と申し訳なさそうに目配せをしてきた。先生からこんな風に頼み事をされるなんて滅多にないだけに、オレはすっかり舞い上がってしまった。明後日には聖エセルバートの街に帰るわけだし、女の子のふりをしなければならないのはたった数日だけなのだから、人助けだと思って我慢しよう――。そう、自分に言い聞かせて都合よく納得するのだった。
先生と別れたオレとルリアは、セ・ゼラ家が保有する二頭立ての豪華な箱馬車に乗り込んだ。
向かいに座るマーラさんの横顔を眺めていたら、柔らかな笑顔を向けられた。焦って視線を逸らしてしまったが、オレの反応はどう考えてもおかしかったに違いない。自然を装おうとすると、かえって不自然になってしまうのだから不思議である。
「さあ、ここから一番街に入りますよ」
一番街にはたくさんのカレッジが点在していた。エデンの大学とはひとつの大学があるわけではなく、専門分野ごとに存在するさまざまな学寮の総称なのだ。ちなみに、リーブル先生はかつて一番歴史の古いソーサリエ・カレッジで、魔法学部の聖書考古学科を専攻していた。
細い石畳の路地を抜けると、建物の間から立派な尖塔が顔を覗かせた。ソーサリエ・カレッジは、古色蒼然たる修道院の面影をそのまま残した美しいカレッジだった。中央の鐘楼から荘厳な鐘の音が鳴り響き、馬車を降りたオレの胸は抑えきれない好奇心で高鳴った。
学生たちは皆揃ってチャコールグレイのカレッジ・ガウンを羽織っていた。広場の長椅子に腰を掛けて
「大学ってこういうところなんだね。リーブル先生、ここで勉強してたんだ」
そう呟くルリアの言葉は、オレにとっては実に感慨深いものだった。そうだ。このカレッジはオレたちの尊敬する偉大なる師匠の学び舎だった場所なのだ。
各教室内も見て回ることが出来たので、マーラさんに案内してもらい授業をほんの少しだけ見学させてもらうことにした。
たまたま訪れた教室では、自然魔法の授業が行われていた。学生たちの目の前には小さな花の蕾のついた植物の鉢植えが置かれていて、生徒たちは花を咲かせるのに必死だった。先日ルリアもリーブル先生から教えを施されていたが、花を咲かせる魔法は自然魔法の中でも特に難しい高等魔術なのである。
「花は魔法の力だけに頼っても決して咲きませぬぞ。花は心で咲かせるのです」
枯葉色のローブを纏った老魔法使いが、四苦八苦している生徒たちの机を周りながら言う。その直後、どうやら生徒のひとりが花を咲かせるのに成功したようで、教室の前の方から拍手と歓声が巻き起こった。
アカデミックな授業を肌で感じ、オレとルリアは興奮冷めやらぬまま教室から出た。
「大学って面白そうだね。薬草学科ってどんな勉強をするんだろう?」
「あたしもすっかり入学したくなっちゃった!」
「試験があるからきっとたくさん勉強しなきゃならないよ。それでもルリア入る気あるの?」
「やっぱりやめた」
そんな会話を繰り広げながら回廊先の大聖堂に入って行くと、エデンの学生たちに混じって、オレたちのように外部から来た魔法使いの姿が見られた。どうやらここで、宿の主人が言っていた『魔法使いの試練』の申し込み受付が行われているようだった。
「メグ、あたしたちも『魔法使いの試練』受けようよ!」
ルリアが切望するような眼差しでオレの袖口を引っ張った。大学内の満ち溢れる活気にすっかり感化され、オレも試練を受けてみたい気持ちでいっぱいだった。しかし、先生に無断で勝手に申し込みをするわけにはいかないだろう。箒に乗れるようになったから試しに受けてみたらどうかと先生は言っていたが、あれは冷やかし半分だったに違いないのだ。
申し込むだけ申し込んでおいて、後で駄目って言われたら別に行かなきゃいいじゃない、とルリアが言った。それもそうだと思い、結局オレたちは試練の申し込みをすることに決め、受付の長蛇の列の最後尾につくのだった。
「マーラさんまで並ばせちゃってすみません」
「いいんですよ。どうせ今日は暇なんですから。とことんお付き合いさせてください」
嫌な顔ひとつせず付き合ってくれるマーラさんは、本物の好青年だとオレは思う。優しくて背も高く、顔だって整っているし、おまけにお金持ちだ。リーブル先生も(性格はともかく)頭が良くてかっこいいのだから、二人で一緒にいた学生時代は女の子たちから相当モテたに違いない。
こうして並んで待っている今だって、女生徒のグループがマーラさんに向かってこっそりと熱い視線を送っているのが伝わってくる。それなのに当の本人は女性が苦手だなんて、なんだかもったいない話である。
しばらくすると、グループの女の子のうちのひとりが、オレたちの横を通り過ぎるとき、わざとマーラさんにぶつかって彼の胸元に倒れ込んだ。マーラさんは顔を青くして「ぎゃあ」と悲鳴を上げるや否や、女の子から逃れるようにがばりとオレに抱きついた。
女生徒たちの敵意剥き出しの視線が一気にオレの元に注がれたので、慌てて自分が『男』であることを弁解しようとしたが、先生との約束があるのでもちろん口になんか出せやしない。隣ではルリアが腹を抱えて笑い転げている。
「笑い事じゃないよ、ルリア!」
「ごめん、だってマーラさん本当にメグには何ともないんだもん」
女生徒たちが立ち去ると、マーラさんはすぐさま先程までの落ち着いた雰囲気を取り戻した。
「すみません、メグさん。突然抱きついてしまったりして」
「気にしないで下さい」
無理矢理笑顔を取り繕うと、マーラさんは感動したようにオレの両手を握り締めた。
「もしかすると、私は貴方に出会うためにこの世に生まれてきたのかもしれません」
「へ?」
思いもよらぬ話の展開に、オレは間の抜けた声を上げる。
「私が女性恐怖症なのも、私と貴方をこのような形で出会わせるために神が仕組んだのではないでしょうか? いや、きっとそうに違いない。そう考えれば納得がいく」
どうやら、ふざけているわけではなさそうだった。というよりも、むしろマーラさんは真剣そのものだった。困ったオレは顔を引きつらせたまま曖昧に返答し、隣で爆笑しているルリアのことを睨みつけた。
「ルリア、笑いすぎ」
「ごめんごめん。メグは本当に男の人にモテるよね」
そう言って、ルリアは涙を流しながら必死に笑いをこらえるのだった。
そうこうしているうちに、オレたちの並んでいた列はいつの間にやら受付の先頭が見えるくらいにまで近づいていた。受付ではちょうど黒髪の青年が羽ペンを走らせて記帳をしているところだった。異国の服に身を包んだ、王子のようにきらびやかな風采の青年だ。
何気なく視線を走らせると、青年の横に立っていた真っ黒なローブを纏った魔法使いらしき人物が、オレたちの方をじっと見つめていることに気がついた。なぜだかオレはその瞬間、魔法祭のときにセルジオーネやカウリー聖父が言っていた、闇色のローブを纏った預言者と名乗る男の存在を思い出して背筋がぞっとした。
記帳を済ませた青年は、自分の連れ合いであるローブの男――顔は見えないが、背格好から察するに男であるに違いない――に声をかけた。
「どうかしたのか?」
そうして、青年もローブの男同様にオレに視線を注いできた。
「いえ、何でもありません。参りましょう」
ローブの男は奇妙なほどに丁寧な口調でそう答えると、青年の肩を寄せて扉に向かって歩き出した。青年はオレのことが気になったのか、何度か振り返って見ていたが、やがて、人込みに紛れて彼らの姿は見えなくなった。
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