第八話 聖オーロラ狩り
オレたちの箒は夕映えに染まる渓谷を猛スピードで西へ向かっていた。
「ねえ先生、聖オーロラ狩りって一体何なの?」
風の音に負けぬよう大声で尋ねると、先生も背後から声を張り上げた。
「聖オーロラ狩りっていうのは、メルカトラーゼと呼ばれる一部の過激な魔法教徒による拉致行為のことさ」
「メルカトラーゼ……」
「そもそも魔法教徒は聖女マリアに対する考え方で二つに大別されていて、多くの人々は聖エセルバートが愛した聖女マリアを崇めている。だが、聖女マリアを聖エセルバートの敵と考える人々も存在するんだ。この後者にあたるのがメルカトラーゼさ」
「なぜメルカトラーゼは金髪の魔法使いを捕らえているの?」
「彼らは聖女の血を引くと伝えられている『
「一体何のために暁の魔法使いを探しているんだろう?」
「さあね。聖エセルバートの敵である聖女の末裔を始末するためだろうと言われているけど、真実は謎に包まれたままさ。……囚われの魔法使いたちが生きていることを祈るばかりだよ。フェストリア公国の王室付魔法使いが金髪の魔法使いだったことでメルカトラーゼに囚われの身となったのは有名な話だね――え? 知らない? おかげでフェストリアとランズ・エンドのサン・スクワール王室は、今やいつ戦争になるかわからない一触即発の状態なんだよ。そんなことも知らないなんて、君たちの師匠は弟子に一体何を教えてるんだ?」
そんなことこっちが聞きたいよ、とオレは思わず心の中で悪態をついた。先生はこちらの思いなど露とも知らずに講釈を続ける。
「メルカトラーゼがここにきて聖オーロラ狩りを始めた理由は、『大いなる魔法使いの予言』に基づいているのだと言われている」
大いなる魔法使いの予言――。それは
「『星空暁に染まりしとき、大いなる魔法使いの金色の髪ひとしく暁となりて、地上に神の涙が降り注ぐであろう』ってやつだよね?」
「そのとおり。大いなる魔法使いが姿を現すのは今世紀の閏年と伝えられている。そして今世紀に入って初めての閏年が今年なんだ」
「確かに未来の世界であるオレたちの時代でも、暁の魔法使いが神のいかづちを落としてランズ・エンドを滅亡させたって言われてるけど……本当に暁の魔法使いが現れるのかな?」
オレが過去の史実――少年時代のリーブル先生にとってはまだ起こってもいない未来だ――を呟くと、先生はわけの分からないことを言っている、みたいな顔をした。
そのとき、先頭のルリアが声をあげた。
「見て見て! すっごい大きな湖!」
渓谷を抜けた湿原の先には、息を呑むほどの大海原が広がっていた。先生が笑いながらルリアの言葉を訂正する。
「あれは湖じゃなくて海だよ」
「本当に? あたし、海見たの生まれて初めて!」
今まさに、夕陽が水平線の向こう側に消えていくところだった。水面に反射した陽の光が黄金のきらめきを放っている。
「きれい……」
雄大な景色に心を奪われ、ルリアが感嘆の溜息をついた。オレも幻想的な夕暮れにしばらくのあいだ見惚れてしまった。だが、ふいに肩越しを振り返ると、リーブル先生が見つめていたのは景色ではなくルリアの横顔だった。オレの微笑みに気がついた先生は、少し慌てた素振りで咳払いをして前方の小島を指さした。
「あれがランズ・エンドさ」
「え? ランズ・エンドって島だったの?」
「ああ。でも、『ランズ・エンド』の名のとおり、陸から続く最果ての地なんだ。潮の満ち引きの関係で満潮の今は島のように見えるけど、干潮時には陸が現れて歩いて渡れる。城壁の向こう側に高く聳えているのはサン・スクワール城さ」
「先生、どうしてそんなに詳しいの?」
「僕は学者志望だからね。このくらいのことは知ってて当然だよ。ランズ・エンドは貴重な世界的遺産たりうるんだ。その文化や風俗習慣はほかの地域からまったく影響を受けていない。特に顕著なのが言語だね。彼らの話す古代語は魔法使いが使う呪文の原型と言われているが、隣接しているレーンホルム地方とさえも似通った部分がまったく見当たらないんだよ」
先生の流暢な解説を裂くように、突然オレたちの箒目掛けて一筋の矢が飛んできた。矢が目の前をかすめたルリアは驚きからバランスを崩し、オレたちは真っ逆さまに海に向かって落ちていった。
「わああああ!」
大きな水音とともに、体が海の底へと沈んでゆく――。
星明りに、潮騒の音。
気がつくと、知らない少年がカンテラを照らしてオレのローブに手を掛けていた。夕闇より一段と暗い黒髪の、まだほんの小さな子供だった。彼は
「失われし言語?……君、もしかして魔法教徒なの?」
聞いたこともない言葉を耳にしたせいか、少年は慌てふためいたようにカンテラを置いたまま砂浜を走り去ってしまった。潮が引いた道の先には、サン・スクワール城の明かりがあった。
くしゃみをしてようやく気づいたが、オレは全身びしょ濡れだった。辺りを見回してみると、波が寄せたり引いたりしている波打ち際に箒が転がっていた。そのすぐ先に、半分水に浸かったリーブル先生がうつ伏せに倒れているのが見えた。どうやらオレたちは波に乗って浜辺に流されて来たようだった。
「先生、大丈夫?」
体を揺すられた先生はすぐに目を覚ました。
「ひどい目に遭ったな。あの矢は一体誰が……。……あれ、ルリアは?」
先生に指摘され、オレははっとして辺りを見回した。カンテラで周辺の浜辺を照らしたが、彼女の姿はどこにも見当たらない。まずい、ルリアは泳げないのだ!
「ルリア!」
オレは真っ暗な海に向かって大声で叫んだ。すると、それに反応するかのように、すぐ背後から声がした。
「動くな!」
振り返ると、純白のマントを羽織り白い馬に跨った屈強そうな青年が、片手に松明を持ち、もう片方の手で細長い剣先をこちらに向けていた。星十字の形をした緋色の留め金がマントの上できらりと光る。それは、まさしく彼が聖ユーフェミア騎士団の騎士であることを雄弁に物語っていた。
「動くなと言ったはずだ!」
青年はオレに向かって鋭く尖った剣先を突きつけた。
「貴様ら、魔法教の
「ええ!? ち、違います! オレたちマリア教徒です!」
「言い逃れは見苦しいぞ。魔法教はマリア教エセルバート派であるからして、確かにマリア教だが……」
青年の栗色の髪が潮風に揺られ、白いマントも風に弄ばれるようにして後方にはためいた。
不思議なことに、この青年騎士と会うのは初めてな気がしなかった。精悍で厳格な表情と、独特の硬い口調を確かにオレは知っている。
『以前に、どこかで会ったことがあるな?』
魔法祭の日、星降る森の洞窟を背にして、口髭を蓄えた騎士がオレに向かって尋ねてきた。聖ユーフェミア騎士団の総長で、名前は……名前は確か――。
「……ファインズ、総長?」
我ながら、よく思い出せたと感心した。
総長は驚いた顔をして、オレに向けていた剣先をわずかに下げた。
「なぜ私の名を知っている?」
きっと本当のことを告げたとしても、頭がおかしいと思われるだけに違いない――。そう思ったオレは、過去だの未来だのという話は一切出さないことにした。
「オレ魔法使いだから、予知能力を使ったんです。でも、魔法教徒じゃありません。魔法教徒はこんなに上手にこちら側の言葉は話せないでしょう?」
「ふむ、確かに――」
総長は納得したように持っていた剣を鞘に収め、颯爽と馬から飛び降りた。そして、松明を翳してはっとしたような顔をした。
「君は金髪だったのか! ということは、聖オーロラ狩りに遭ったのかね?」
「オレじゃなくて、祖母と友達が聖オーロラ狩りに遭って、魔法教徒に連れ去られてしまったんです」
すると、総長の口から意外な返答があった。
「それは、もしや先程魔法の絨毯で運ばれていった者のことかね? もう少し手前の岸辺から、少女がひとり魔法教徒たちによって対岸へ連れて行かれるのを目撃した」
「きっとルリアだ!」
リーブル先生が背後から声を上げた。
「すぐに助けに行かなくちゃ! 聖ユーフェミア騎士団は力になってくれますか?」
助力を求めると、総長は曇った表情で俯いた。
「願わくば力になりたい。だがしかし、今はまだその時ではない。我々はここで待機せねばならぬのだ」
まるで苦虫を噛み潰したような表情だった。その様子を見て、先生は思案顔で相手に尋ねた。
「聖ユーフェミア騎士団は、今はカストリアに遣わされているはずでは?」
「君たちには関係のないことだ!」
総長は先生の言葉を一喝した。しかし、先生はひるまなかった。総長の目をじっと見つめ、断言するように言い放った。
「あなたは必ず、僕らを助けてくれる」
その言葉に、口髭のない青年騎士は眇んだような目をして先生を見つめ返した。
「……なぜ、そう思うのだね?」
「聖オーロラ狩りにあった僕らの友達が、カストリアの王女だからさ」
一瞬の沈黙が訪れた。それから、砂浜にファインズ総長の乾いた笑い声が響き渡る。
「君のような子供の言うことを、私が信用するとでも思うのかね?」
「あなたが僕を信じないというのならそれでもいい。ただし、きっと一生後悔するよ」
ファインズ総長は片方の眉をピクリと動かした。彼は高慢な物の言い方をするこの少年に、多少の興味を抱いたようだった。
「少年、名はなんという?」
「リーブル・ル・マリア・ウィンスレット」
先生の名を耳にして、総長はひどく衝撃を受けた様子だった。
「なんということだ! 君はレーンホルム伯爵家の人間か?」
そして、すぐさま憐れむような視線が先生に向けられた。
「オレンジ色の髪……では、まさか君があのときの……?」
それを聞いて、先生は皮肉な笑いを口元に浮かべた。
「ああ、そうか。騎士団の人間なら知っていてもおかしくないよね」
「……あれは悲しい出来事だった。故郷レーンホルムに遣わされ、騎士として初めての事件だったのでよく憶えている」
悲しい出来事――。一体昔、何があったというのだろう?
オレは今すぐにでも先生に事件の顛末を尋ねたい衝動に駆られた。だが、今はそれどころではないのだ。何はともあれ、ルリアやばあちゃんを……マリアさんを救出しなければならないのだ。
「王女はレーンホルムの伯爵家に亡命されていたのか」
どうやら総長は先生を信じてくれたようだった。
「しかし……君たちだけで一体どうやって助けに行く気だったのだね? 箒で飛んで行ったところで、衛兵の矢に射ち落とされてしまうだけだぞ。ランズ・エンドのサン・スクワール王家はよそ者を好まない」
「ご心配なく。正面から堂々と入って行く方法がありますから」
そう言って、リーブル先生はなぜかオレに向かってにっこりと微笑んだ。
先程までは静かに引いては寄せていた波が、急に大きな音を立てて弾け飛んだ……ような気がした。それはオレの気の持ちようだったのかもしれないが、そんな風に感じられるほど衝撃的なアイデアがリーブル先生の口から飛び出したのだ。
「冗談でしょう!? そんなのバレるに決まってるよ!」
顔を引きつらせて叫ぶと、先生はオレを諭すように言った。
「聖オーロラ狩りから戻ったメルカトラーゼのふりをすれば、門兵は僕らを中に通してくれるはずだ。となれば、暁の魔法使いの役は金髪の君しかいないじゃないか」
「でも、メルカトラーゼの役は誰がやるの?」
「僕しかいないだろ。魔法教徒の言葉は本で読んだことがあるから多少なら覚えてる。声色を変えて大人のふりをすればどうにか誤魔化せるよ」
誤魔化せるわけがない。先生はどこからどう見たってただの子供だ。
計画のあまりの無謀さにどう考えても参画し兼ねるが、かと言ってほかに良いアイデアがあるかと問われれば何も思い浮かばない。一体どうすればよいのだろう――?
オレが悩んでいる間にも、痺れを切らした先生はひとりでさっさと対岸へ続く道を歩き始めてしまった。
「ま、待ってよ先生!」
オレは海岸に転がっていたラルフ君の箒を拾い上げると、走ってその後に続いた。すると、背後から総長の声が静かにオレたちを引き止めた。
「待ちたまえ」
振り返ると、松明を浜辺に突き刺したファインズ総長が、紋章入りの白いマントを脱いでいるところだった。
「子供だけで行かせるわけにはいくまい」
相変わらず硬い表情のまま彼は言った。
どうやら先生はあらかじめこうなることを計算していたようで、口端を上げて微笑んだ。
オレは心強い味方を得た喜びから、嬉しさ余って総長に片手を差し出した。
「よろしく、ファインズ総長!」
すると、彼は石のように硬い表情を崩さぬままオレの手を取った。
「私は総長ではない。レーンホルムに遣わされた一介の騎士に過ぎぬ」
そう言うと、総長は馬の背にかけたマントから星十字の留め金を外し、自らのポケットに収めた。留め金には星が二つ光っていた。確か未来の総長の留め金には、三つの星が輝いていたはずだ。
「あなたはいつか必ず総長になるよ。だから、総長と呼んでもいいでしょう?」
オレの言葉に、ファインズ総長の顔がここで初めて和らいだ。これまで硬く険しい顔つきをしていただけに、微笑んだ顔はなんだか物凄く可愛らしく感じられた。
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