第1話 RIASはスーパーモデル

 私には双子の姉がいる。私とはまるで正反対の姉が。

「RIASちゃん、いいねぇ」

 パシャリ。

 カメラのストロボが光って、一瞬後、私を捉える。その度に私は姉のことを思う。何故かは分からない。

 もしかしたら、私は無意識の内に彼女を、姉のアリスを、闇のように感じているからかもしれない。


「その物憂げな視線、良い、良い。今度は横顔でそれやってくれるかな」

 パシャリ。

 闇とは言っても、多分普通の人が思うような闇じゃない。

 例えるなら、そう、強烈な光が過ぎ去った後に訪れる不思議な闇のよう。決して暗闇というわけじゃない。それに、ちっとも怖くない。


「よしよし。良いよ。可愛いよ、RIASちゃん」

 パシャリ。

 ただ、くらくらっとして私の足元を不安定にさせる。そして、その浮遊感に私は病みつきになる。まるで奈落の底のような真っ暗闇が私を一瞬だけ襲うのだ。


「よし、今度は笑顔になってみようか。無邪気な感じで」

 にこっ。

 パシャ。

 そして、まるで空でも飛べるかのような錯覚を起こすそれは、私を無敵にさせるのだ。



「お疲れさまでした!」

 カメラマンのその言葉で、私の仕事は終わりを告げる。

 私は作っていた表情を無に変えて、輝く白の世界から撤退する。戻ろう。いつもの日常に。

 マネージャーの塩見さんが笑顔で私を褒め称える。

「よかったわよ、リアス。まさかあんな素敵な眼差しをあなたがするなんて。憂鬱そのものだったわ。ふわふわショートの可愛いお嬢さんの心の中には一体何が秘められているのかしら」

 いつものように彼女は今日一番の私の良いところを、嬉しそうに挙げている。うふふ、なんていう効果音付きで。

 私はそれに答えるように、彼女に笑いかける。

「ありがとう。あれは私も中々の出来だったと思う」

 そんな風に話しながら控室へ向かう私たちの前に、一人の男の子が現れた。


 塩見さんは彼を見て少し驚いた顔をした後、私の耳元でこう囁いた。

「今日はこれで終わりよ。次の撮影日前にまた連絡するわ」

 そして、私の肩を軽くぽんと叩いた後、彼に向かって会釈をすると、その場を去っていった。てっきり目の前の彼は塩見さんに用事があるのだとばかり思っていた私は、塩見さんが立ち去ったことにかなり驚いた。

 優雅にお尻を振りながら去っていく塩見さんの後ろ姿を、ただ唖然として眺めることしかできなかった。


 そしてこの時、私の口が乙女らしからぬほどに開いていたわけだが、そのことは都合よく忘れてしまった、ということにでもしよう。唖然としていたから、忘れたとしても不思議じゃないはずよ。

 とにかく、私は廊下に取り残された。しかも面識のない男の子と二人きりで。

 私が彼の方に視線を戻すと、彼は(恐らくホワイトニングをしたであろう)白い歯を見せて私に向かって笑いかけてきた。

「君、モデルのRIASちゃんだよね。俺も君と同業者なんだ。Ryoって名前のモデルなんだ。知っていたりする?」

 一方的に突然始められた自己紹介。そして差し出される彼の右手。

 私は肩を竦めて苦笑いを返す。「あなたなんか知らないし、よろしくもしたくないわ」のサイン。

 彼がそのサインに気が付いたのかは甚だ疑問だが、彼もまた私の仕草を真似すると、手持ち無様になった右手を目にかかるほど長い茶髪の前髪に当てて、それを払いのけた。

 ……邪魔だったら切ったら良いのに。

 呆れながらその仕草を見た私に何を思ったのか、彼は続けて口を開いた。


「まぁ、とにかくさ、よろしく。これから一緒の仕事をするかもしれないしさ。それに、ほら、俺も本名の『亮』って名前を英字にした芸名なんだ。君もそうだろ? ってことで、同じ芸名同士、これから仲良くごはんとか、どう?」

 きらり☆

 なんて効果音が聞こえてきそうな爽やかな、そして本人は絶対にイケてると思っているだろう笑顔を寄越して、Ryoと名乗る彼は私に誘いをかけてきた。

 まず、一緒の仕事をするかもしれない(不確定)だけの相手とよろしくする意味も分からないし、そもそも同じ芸名とかこじ付けにも程があるわ。


 そんな諸々の不快さは置いといて、私は事実だけの丁寧なお断りを彼に差し上げることにした。

「お誘いは大変嬉しいのですが、まだあなたのことよく知りませんし、それに私、今夜は母の誕生日だから姉と二人で夕飯を作る約束をしているんです。だから、その、今日はちょっと……」

 お誘いが大変嬉しいだなんて、私もよく言えたものね。少々の嘘偽りはちょっとしたスパイスということで。てへ。


 まるで良家のお嬢様のような可憐さを醸し出す私の返事に、彼は少しだけ悲しそうな顔で、

「そうかい、分かったよ。それじゃあ、今度は君の予定がない日に誘うことにするよ」

 そう言って、悲しみに打ちひしがれる自分を愛しながら、彼は私の前から去っていったのでした。ちゃん、ちゃん。


 スタジオを出てすぐのところにアリスはいた。どうやら私の撮影が終わるのを待っていたみたい。アリスは扉から出てきた私に気が付くと、今まで読んでいた文庫本を鞄の中に仕舞った。私はアリスに駆け寄りながら、声をかける。

「やほ」

 アリスは何も言わずに歩き始める。ほんと、無口なんだよね。我が姉は。


 同じ制服を着て、同じ顔を持って。けれども、異なる左右の瞳と中身と、ついでに髪形も持って、私たちは電車に揺られる。ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 ゆっくりと窓の外を流れていくどこか見知らぬ街並み。野良猫はどの街にだって生息していると思う。そんな、有り触れた、平凡な世界。

 だんだんに訪れる緩やかな眠りを受け入れるかのように大きな欠伸をしながら、私は隣で先ほど鞄に仕舞っていた文庫本を読んでいるアリスに話しかけた。


「ねぇ、なんか、良いね」

 途切れ途切れに紡がれた私の言葉。アリスは文庫本から顔を上げると、怪訝そうな顔をしながら、

「……え、何が」

「いや、ほら、夕方の電車ってそれだけで素敵じゃない? まるで千尋にでもなったみたいな気分」

 私はあの有名なアニメ映画の主人公の名前を挙げてアリスに説明しようと奮闘した。アリスはそれを聞くや否や「あぁ」なんて淡泊な返事だけを寄越して、すぐにまた物語の世界に戻っていく。


 ちくしょう。ガタンゴトン。ガタンゴトン。

 私はふと、姉が一体何を読んでいるのかということが気になった。そして、一度気になり始めたら、あとはもうその純粋たる疑問が雪だるま式に膨らみ続けるばかりだった。

 そこで、ちらり、と彼女の持つ本の背表紙を盗み見る。

 あ、こいつカバーを付けてやがる。ちくしょう……。


 ガタンゴトン。こくり。ガタンゴトン。

 ガタンゴトン。こく。ガタンゴトン。

 ガタガタ、ゴトゴト、……。

 ……プシュー。

 電車が自宅の最寄り駅に着いて、アリスが立ち上がる気配で目が覚める。


「……はっ」

 慌てて涎が出ていないか確認する私を、呆れたような目で見下ろすと、アリスは電車を軽やかに降りていく。

 慌てて後を付いていく私。……良かった、どうやら涎は出ていなかったようだ。

 ホームから出ると一目散に、駅前のスーパーに向かおうとするアリス。私はそんな姉の腕を掴むと、問答無用で引き摺り始めた。

「アリス、せっかくだから、一緒の服買おうよ! これぞ本当の双子コーデ、なんてね」

「え、嫌よ」

 即答で答える我が姉。なんて薄情なの。もちろん、彼女のおしゃれへの興味の無さは知っているけれど。


 私はすたすたと前へ進めていた足を止めると、くるりと後ろを振り返った。そして、瞳を潤ませて、

「……そ、そんな……お姉さまは私のことがお嫌いですの……?」

 アリスは溜息を一つ。それから、ぽつりと、

「……また、始まったよ」

 私と反対の色を持つオッドアイをぐるり。そんな姉の様子に私は少しばかりむくれてみせた。

 青目と青目が、黄目と黄目が、それぞれ向かい合わせに火花を散らす。


「何よー。こんなに必死になって頼んでいるのにさ。……本当、アリスって淡泊! 薄情者! ……えーっと、それから……」

 あぁ、悲しいかな。私の語彙力では彼女を真に追い詰めるようなことは出来ないのだ、決して。

 アリスは、言葉を探してキョロキョロと視線を空に泳がす私を宥めて、

「はいはい、分かったわよ。……それで? 何があったの」

「……!! さすがお姉さまだわ」

「だって、リアスが無理矢理にでも私と一緒に買い物をしようとする日は、大抵何か話を聞いてほしい時だもの」

 アリスのその言葉に私はただただ感服するばかり。ほんと、無口なくせに、私のことは一番に分かっているのよね。ちくしょう。悔しいな。


 でも、今は、早くアリスに今日のことを話したかった。

 撮影で褒めてもらったこと。その後でわけの分からないRyoっていうモデルに誘われたこと。そして、それが全く、ちっとも、完全に、嬉しくなかったこと。

 私とアリスは並んで歩き始める。姉はもう何の抵抗も見せなかった。

 私がちょうどアリスに今日の出来事全てを話し終えたとき、私の瞳が今日一番の獲物を捉えた。


 そう、私はアリスに話しながらもちゃっかり店頭に並んでいる洋服や靴、アクセサリーなどを隈なくチェックしていたのだ。

「アリス! あのワンピース可愛いよ」

 そう言って私が指差したのは、ノースリーブのワンピースだった。無口で愛しい私の姉は、私の指が示す方向を見て、顔を顰めた。

「言っとくけど、私、あんなの着ないからね。絶対」

 そういう彼女に生返事を返しながら、私はそのワンピースが飾られているお店に入っていった。アリスも渋々といった様子で付いてくる。


 目当てのワンピースは入ってすぐの所に置いてあった。どうやら、白と黒、二種類の色があるようだ。

 私はその二つのワンピースを手に持って、アリスに向かって掲げてみせた。

「ねぇ、アリスはどっちの色を着たい?」

「……嫌よ。肩も出ているし、見たところスカートの丈も膝上じゃないの」

 そう言って、いやいやと首を横に振る姉。本当、そういうところは子どもみたいなのよね。

「違うってば、私が着たいだけなの。どうせなら、アリスの選ぶ方と反対の色を選ぼうと思って」


 まぁ、嘘なんだけれど。アリスは私の言葉を少々疑いながらも、納得はしてくれたみたいで、

「……じゃあ、黒、かな」

 私はアリスの返事を聞いて、満面の笑みになる。

「分かった! じゃあ、買ってくるね。ここで待っていて」

 そう言って、私はレジに向かって歩いていく。白と黒のワンピース、両方を手に持って。


 袋を二つ持って出てきた私に、アリスは嫌そうな視線を向ける。さすが、よく分かっていらっしゃる。

「はい、どーぞ」

 私はそう言って、黒いワンピースの入っている袋をアリスに渡した。アリスはそれを受け取るとすぐに、

「分かった。返品してくる」

 と言って、お店の中に戻っていきそうだったので、私は慌てて彼女を止めた。

「待って、待って。そんなことしても無駄だよ。だって、レシート突っ返してきちゃったもん」


 にこっ。カメラのシャッター音は鳴らないけれど、私はここで一番の笑顔を見せた。アリスを説得するためなら、全世界が見惚れるような笑顔をしたってちっとも惜しくはない。

「……はぁ、分かった」

 アリスは、今度こそ本当に観念した。最早、私に何を言っても無駄だと諦めたのかもしれない。

 どちらにせよ、私にとってはそんなことはどうでもよくて。ただ、同じ服を着られるというだけで嬉しいものなのだ。

「やった! 今度、二人で一緒に着ようね」

 にこにことそう言う私に、アリスはもう何でもいいよ、と返事をした。


「それより、早く食材を買って帰りましょう。母さんが待っているわ」

 アリスのその言葉で、私は本来の目的を思い出した。

「あ、そうだった。よし、急ごう」

 私たちは、同じ顔、同じ制服、そして同じショップの袋を持って、急ぎ足で歩き始めた。ついでに、始めに出した足は反対だった。

 あと、瞳の色と、中身と、髪形も。

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