03 いざショッピング
午後の十一時。
柚子と亜森が順番にお風呂をいただいてから、ようやく一同はレオナの寝室に移動することになった。
それまでは、ずっとリビングで紗栄子をまじえて雑談に興じていたのだ。そうして紗栄子と親睦を深めるのも、お泊り会のひとつの醍醐味なのだった。
寝室に移動したのちは、まず客人のための二組の布団を敷いてから、その上であらためて膝を突き合わせる。三名とも夜は早いほうであったが、それでもまだ数十分ばかりは雑談を楽しめるはずだった。
「……あの、念のために確認しておきたいのですけれども」
と、雑談会の準備が整うなり、レオナが声をあげてきた。
何故か頭からタオルケットをかぶり、その陰から不安そうに柚子たちを見比べている。
「本当に、私に対して思うところはありませんか? できれば心情は偽らず、本音で語っていただきたく思います」
「んー? それってまさか、昔の写真のこと? 気にしすぎだってば、九条さん!」
「き、気にしないわけにはいきません。私自身が、あの頃のことは死ぬほど恥ずかしく思っているのですから」
そのように述べながら、レオナは亜森の反応を気にしているようだった。
まあ確かに、弁財女子学園でも浮いた存在であった柚子より、生粋のお嬢様である亜森のほうが衝撃は大きかったことだろう。
しかし亜森は、普段通りの静かな表情でレオナを見つめ返していた。
「何も心配なさる必要はありません。九条さんは常々、過去の自分を切り捨てたいのだと仰っていましたものね。そのお気持ちが、痛いほどに理解できたように思えます」
「そ、そうですか……」
「はい。それに、九条さんにはあのような過去があったからこそ、その反動で、弁財女子学園に入学されたいとお考えになられたのですよね? それでしたら、いっそう文句などつけようはありません」
「うん、そうそう! 何にせよ、あたしたちが好きなのは今の九条さんなんだから、昔がどうだったとかは関係ないんだよ! キンパツも、けっこー似合ってたし!」
「あああ……」とレオナがタオルケットの中で小さくなってしまったので、柚子は亜森に軽くにらみつけられてしまった。
「いや、悪い意味じゃなくってさ! あれでスカジャンとか着てたら、すごくかっこよさそうだもん!」
「やめてくださいいい。そのようなかっこよさを私は求めていないのです!」
「遊佐さん。たとえ悪気はないのだとしても、デリカシーに欠けた発言であると思います」
「えー、そっかなー? これでもほめてるつもりなんだけど」
そもそも品行方正な女性などというものに憧れを抱いていない柚子であるので、この際は亜森たちと価値観やら何やらがずれてしまっているのかもしれない。
ともあれ、レオナの傷口に塩をすりこむのは本意ではなかった。
「まあ、あれだよ! 一番大事なのは、今ってこと! 九条さんとお友達になれて、あたしは最高に幸せだから! 過去の話なんて気にしないでほしいな!」
「……はい」
「これで九条さんが今より昔のほうが幸せだったーなんて思ってたらショックだけど、そんなことはないんでしょ?」
「それだけは、断固としてありません。あの頃の私は、完全に道を踏み外していましたから」
タオルケットで表情を隠したまま、レオナは低い声でつぶやいた。
「あの頃には、母にもつらい思いばかりをさせてしまいました。こんな私に愛想をつかさず、あの家から連れ出してくれたことを、私は心から感謝しています」
「んー? 親子だったら、それが当たり前じゃない?」
「そうでしょうか? あの頃、家族内で孤立していたのは、間違いなく母のほうだったと思います」
やっぱりその表情は見せないまま、レオナは暗い声で言いつのった。
「たとえば、七五三で母は立派な晴れ着を準備してくれていたのですが、私はそんなものを着たくはないと言って拒絶してしまいました。あの頃は、女の子らしく振る舞うことが間違ったことであると思い込んでしまっていたのです。……三人目にしてようやく生まれた娘の晴れ姿を、母がどれだけ楽しみにしていたのかと想像すると……私は自分で自分を絞め殺してしまいたくなります」
「なるほど。色々とすれ違っちゃってた部分があるんだね」
柚子は情動のおもむくままに膝を進めて、タオルケットごとレオナの頭を抱え込んだ。
「でも、そうやって後悔してるなら、これからいくらでもやりなおせるじゃん。成人式とか結婚式とか、晴れ舞台はまだまだ残されてるんだしさ!」
「……はい」
「そんじゃあ明日は、女の子っぽい服もたくさん買おうね! お母さんを喜ばせてあげなくっちゃ!」
「あ、いや、それはその……できれば、あまりひらひらした服は避けたいところなのですが……」
タオルケットの下で、レオナがもぞもぞと身をよじっている。
笑いながら、柚子はそのこめかみのあたりに頬をすりつけた。
「もちろん、九条さんの好みにあうってのが第一条件だよ。でも、九条さんって全然自分の意見を言ってくれないからなー」
「だ、だって私は、自分で服を選んだことなど、ほとんどありませんし……」
「それなら、あたしと亜森さんのセンスに任せてよ! 二人がかりでばっちりコーディネートしてあげるから! ね、亜森さん?」
「ええ、それはもちろん、できる限りお力になりたいとは思っていますが……遊佐さん、いつまでそのようにくっついておられるのですか?」
シックな紫色のパジャマに身を包んだ亜森が、切なそうに身体を揺すっている。その顔には、はっきりと「ずるいです」の五文字が浮かびあがっていた。
「あのねー、九条さんの体温と相まって、タオルケットの肌触りがすごく気持ちいいの! よかったら、亜森さんも一緒にいかが?」
「よ、よろしいのでしょうか?」
「はいはい、どうぞどうぞ」
「あ、あの、私の意見は聞いてもらえないのでしょうか?」
「うん。あえて黙殺させていただきます」
そうして亜森は柚子の逆側からレオナの身体に寄り添うと、黒縁眼鏡の下でうっとりと目を細めた。
「ああ、本当に素晴らしい温もりと肌触りですね……」
「うん、できればこのまま抱き枕にしたいぐらいだよねー」
「あ、あの、いささか気恥ずかしくなってきてしまったのですが」
柚子と亜森はかまわずに、しばらくはその温もりと肌触りを満喫させていただいた。これもまた、お泊り会の醍醐味というものだった。
(この先、いくらでもやりなおすことはできるんだよ。……あたしみたいに、死に別れたわけじゃないんだから)
後半部分は口にすることのなかったその言葉が、柚子の頭にはまだ響いていた。
レオナも紗栄子もそれぞれ相手に後ろめたさを抱えているようだが、まだ二人きりの生活が始まってから一年も経ってはいないのだ。それでこれだけ相手のことを思いやれているのだから、いずれは健全な関係を構築することができるだろう。
(九条さんとお母さんなら、絶対に大丈夫だよ)
そのような思いを込めながら、柚子はレオナの頭をぎゅっと抱きすくめた。
すると、「苦しいです」と肩をタップされることになった。
そうしてお泊り会の最初の夜は、至極なごやかに過ぎ去っていったのだった。
◇◆◇
その翌日は、ショッピングであった。
目的は、レオナの春服の購入である。柚子の見立てたコートの季節が終わってしまうと、レオナの私服は男の子っぽいパーカーやスウェットぐらいしか残らなかったのだ。それはそれでレオナの凛々しい面立ちに似合ってはいたのだが、どうせならば異なる魅力も引き出してみせたいところであった。
午前の十時に家を出て、最初に向かったのは代官山だ。
これは、亜森の提案である。彼女は普段このあたりで私服を調達しているらしかった。
が、さすがは生粋のお嬢様ということで、ここではいささか金銭感覚の相違が生じることになった。亜森に案内されたショップはどこも
「でもさー、今回は予算にもゆとりがあるんでしょ? 何せ、九条さんが自力で稼いだお金なわけだし」
何軒目かの店を出て、通りを歩いているときに柚子がそう述べてみせると、レオナは申し訳なさそうな面持ちで首を振ったものだった。
「そうだとしても、あまり軽はずみに浪費するべきではないと考えています。……半分は、母に渡してしまいましたしね」
「あ、そーなんだ? でもきっと、お母さんは九条さんのために貯金してるだろうねー」
三月末に行われた『NEXT』の大会において、レオナとアリースィはベストバウト賞なるものを獲得した。それには副賞として金十万円が添えられていたのだ。
「お力になれず、申し訳ありません。わたしはいつも母に会計をまかせてしまっていたので、あまり値段については考えたことがなかったのです」
と、レオナの隣では亜森が
「とんでもないです」とレオナはそちらをフォローする。
「デザイン自体は、とても素晴らしいと思いました。亜森さんの本日の格好も素敵ですね」
「これらも母が見立てたものなのです。そんなわたしが九条さんのお力になろうなどと考えたことがおこがましいことであったのでしょう」
「そんなことはありません。亜森さんと一緒に出かけられるだけで、私はとても楽しいです」
そうして亜森をなだめながら、一同は原宿に移動した。
駅前のカフェで軽めのランチをとり、いざ後半戦である。
ここからは、柚子が先導役であった。
柚子とて、ファッションセンスなどというものに自信があるわけではない。中学時代はヒマを持て余していたので、あてどもなく繁華街をうろつくことが多かっただけだ。
また、柚子も経済的には恵まれているほうだった。父から与えられた口座には毎月十万円が振り込まれており、その大半はいまだ手つかずになっているのである。
しかし、柚子は友人の一人も持たない身であった。それでファッションに気を使ってもむなしいだけなので、よほど気に入った服ぐらいしか購入することはなかったのだった。
「とりあえず、コートを買ったお店に行ってみよっか。あそこなら近くにも色んなお店があるし」
ということで、まずは馴染みのファッションビルに突撃した。
ここには十代から二十代の前半ぐらいを対象にしたショップがたくさん入っている。本日は日曜日であったので、お客の入りもなかなかのものであった。
「女の子らしいといえば、やっぱスカートだよね! この前もけっきょくスカートは買えなかったし!」
「うーん。ですが私としては、スカートなど学校の制服だけで十分だと思えてしまうのですよね……」
「確かに九条さんはパンツルックも死ぬほど似合ってるけどさ! その脚線美を隠し続けるのはもったいないと思わない?」
「脚線美ですか。試合前で体重を落としたときなどは、まるで子持ちししゃものようなふくらはぎになってしまいますが」
「それはそれで美しいでしょ! ……ま、そのときはパンツルックのほうが無難かもしれないけど」
楽しく会話を弾ませながら、店内を物色していく。
そんな中、亜森はわずかに居心地が悪そうな様子であった。
「どうしたのですか、亜森さん? どこかお加減でも?」
「あ、いえ、そういうわけではないのですが……いささか身の置きどころがないように思えてしまって……」
亜森は本日もブラウスにカーディガンにロングスカートという姿で、そこまでお嬢様チックなわけではない。が、柚子はジャージにキュロットスカート、レオナはパーカーにダメージデニムといういでたちで、周囲のお客たちもきわめてカジュアルな格好に身を包んでいる。こういう場では、亜森も実際以上に清楚なたたずまいに見えてしまうのかもしれなかった。
しかしまあ、それを言ったら代官山における柚子たちなどは、もっと悪目立ちしてしまっていただろう。それに比べれば、せいぜい柴犬の群れに放り込まれたマルチーズぐらいの目立ち具合いであるように思われた。
「だいじょぶだよー。なんなら、亜森さんももうちょいカジュアルな服でも買ってく?」
「いえ。母に無断で服を買うことは禁止されていますので」
「ほへー。だったら、九条さんのおうちに隠しておいてもらうとか」
亜森はわずかに心を揺らされたようであったが、すぐに表情を引き締めて「いえ」と言った。
「家族に秘密を持つのは非行の始まりです。わたしをたぶらかそうとしないでください」
「うふふ。だったらあたしの言葉に誘惑されそうになっていたのだね。……あ、これ、かわいー! 九条さんに似合いそうじゃない?」
柚子が左手ひとつでそれを自分の身体にあてがってみせると、レオナは大げさに目を見開いた。
「ゆ、遊佐さんには似合うと思います。でも、私のような大女では、ちょっとどうでしょう?」
「そんな自虐的なセリフはおよしなされ。こーゆーのは九条さんみたいにすらっとした人のほうが似合うと思うなー」
それはほのかにグリーンがかった、五分袖のワンピースであった。質感はふわっとしているが、生地はそれなりにしっかりしているので、この季節でも上着とあわせれば問題はなさそうだ。
「とりあえず試着してみようよ! 気にいらなかったら、やめればいいんだし」
「はあ……」
レオナはしぶしぶ試着室へと向かっていった。
その間に、柚子はあのワンピースに似合いそうな上着を物色する。
「やっぱ上着もグリーン系が無難かなー。ニットのカーディガンあたりが狙い目だと思うんだけど、亜森さんはどう思う?」
「いえ、わたしはそういう組み合わせを考えるのは苦手ですので……」
「そーお? あたしなんて直感頼りだから、亜森さんの理論的な意見を頂戴したいなー」
「……同系色でまとめるのは無難であると思いますし、この季節ですとカーディガンはちょうどいいのではないでしょうか。これからは日を追うごとに温かくなっていくでしょうしね」
「うん、やっぱそうだよねー。……えへへ、友達と洋服を選ぶのって楽しいね!」
亜森は何だかくすぐったそうな顔で肩をゆすっていた。
「はい。わたしも買い物は母と出向くのがほとんどでしたので、とても新鮮です」
「うんうん。そういえば亜森さんは、普段お友達とどんな場所で遊んでるの?」
「そうですね……図書館で調べ物をしたり、参考書を買いに書店を巡ったりでしょうか」
「……それは遊びではなくお勉強の一環では?」
「あ、そうですね。……ううん、日本舞踏の発表会や茶会などは、友人ではなく家族と一緒に出かけていますし……そういえば、友人と完全なプライベートで出かける機会というのは、あまりなかったかもしれません」
ならば、全員がこういうお出かけには初心者である、ということだ。
そういえば、亜森はカフェで食事をすることすら、保護者なしで大丈夫なのだろうかと腰が引けていたぐらいであったのだった。
(三人ともバラバラな人生を送ってきたのに、へんなところでは共通してるんだなー)
柚子はいよいよ楽しい気分になりながら、陳列棚に飾ってあったカーディガンを取り上げた。
「グリーン系でニットのカーディガン! サイズは、L! これならさっきのワンピースと合いそうじゃない? 七分袖だから、九条さんのリーチでも問題なさそう!」
「ああ、素敵な色合いですね」
「うんうん! 九条さんって背が高いから、袖とか丈の合う服を探すのが大変なんだよねー」
柚子は亜森と連れ立って、レオナが消えていった試着室の前で陣取った。
そのカーテンが細めに開けられて、レオナの心もとなさそうな顔が覗く。
「あの、やっぱり私には似合っていないようなので、元の服に着替えてもよろしいでしょうか……?」
「えー? せめてあたしたちにはお披露目してよ! ほんとに似合ってないか、確認してあげるから!」
「では、こちらから覗いてください。他の人には、あまり見られたくないのです」
柚子と亜森は左右から試着室の中を覗き込んだ。傍目からは、さぞかし珍妙な姿に見えたことだろう。
で、レオナの姿はというと───似合っていないどころか、別人のように綺麗であった。
いや、レオナはもともと綺麗であるのだ。しかし、さきほどまでのボーイッシュな格好とのギャップが凄まじい。百七十四センチという長身で、すらりとしたプロポーションをしたレオナに、そのワンピースはとてもよく似合っていた。
「九条さん、髪! ちょっと髪をおろしてみて!」
レオナは本日、ポニーテールであった。レオナが「はあ」と気の抜けた返事をしながらそこに手をかけると、黒い髪がさらりと肩に流れ落ちる。
「そしたら、これ! これも着てみて! カーディガン!」
「遊佐さんは、何を興奮されているのですか?」
不思議そうにつぶやきながら、レオナはニットのカーディガンに腕を通した。
このカーディガンはボタンなどがついておらず、ただ羽織るだけのタイプだ。丈はロングで、膝の上ぐらいまで達している。その下に纏っているワンピースは膝丈であったので、バランスとしては申し分なかった。
「すごい! ばっちり! 亜森さんはどう思う?」
「はい……とても素敵です」
身体をななめにして試着室を覗き込みながら、亜森はうっとりと目を細めている。
「で、ですが、足もとがすかすかしていて、ちょっと不安なのですけれども……」
「えー? 学校の制服もそんなもんじゃない?」
「制服はもっと重みがあるので、あまり気にならないのです。こんなにふわふわしていると、町中を歩くのにも気を使ってしまいます」
「だいじょぶだよー。心配だったら、何か下に一枚はいておけばいいじゃん! これは買いだね、絶対に!」
だけどレオナは、まだ弱々しげな表情をしていた。擬音をつけるならば「とほほ」というのが相応しかっただろう。
「ちょ、ちょっと考えさせてください。候補のひとつ、ということで」
「うん、最有力候補だね!」
それから数分後、元の服装に着替えたレオナがいくぶんぐったりとした表情で試着室から出てくる。
「……あのさ、ほんとにイヤだったら、無理に買う必要はないんだからね?」
ちょっと心配になって柚子がそのように声をかけると、レオナは「はあ」と溜息のような声で返事をした。
「しかし、自分の感覚というものに信用が置けない以上、私にはお二人の感覚が頼りなのです。そのお二人がそろっておすすめしてくれるのなら、やっぱりそれには従うべきなのかとも思えてしまいますし……」
「とにかく、他のお店も回ってみようよ! 九条さんが心から気に入る服もあるかもしれないし!」
しかし、なかなかそういう幸福な出会いは訪れなかった。
やっぱりまず、レオナはかなりの長身であるため、その時点でけっこう選択肢が限られてしまうのだ。
なおかつ、一見はすらりとしていてスレンダーに見えるぐらいであるが、平常ならばウェイトだって六十キロ近くにまで達している。身長百七十四センチで体重六十キロ弱というのは、どちらかというと男性に近い体格になってしまうのだった。
そんな中、何軒目かに訪れたのは、いわゆるアメカジのショップであった。
カウガールとインディアンのファッションをごちゃまぜにしたような女性の店員が、レオナの姿を見るなり、「ひょう!」と奇怪な声をあげた。
「おねーさん、美人だね! ひょっとしたら、読モか何か?」
「ど、どくも?」
「読者モデル! 違うのー? まさか、本職さんじゃないよね? お連れさんも、みーんな可愛いけど!」
「よ、よくわかりませんが、ただの学生です」
「そっかそっか。ま、お忍びだとしても、そのカッコはあんまりだもんね。さすがに本職のモデルってことはないかー」
ほめられているのかけなされているのか、柚子にしても判断の難しいところであった。レオナはとりあえず気分を害してしまったらしく、冷ややかな目で店員さんを見据えている。
「ボトムはまだいいけど、そのパーカーはねー。ちょっくらコンビニでお買い物ってレベルかなー」
「そうですか。では、失礼させていただきます」
「あー待って待って! おねーさんに似合いそうな服があるから! ちょいと試していってよー」
そうしてレオナは店員さんに引っ張っていかれてしまった。
亜森はさきほどのレオナと同じような顔つきで柚子を振り返ってくる。
「どうしましょう? 九条さんもあの方のように素っ頓狂な格好にされてしまいそうです」
「それはそれで似合いそうだけど、いつ着るんだって話だよねー」
とりあえず、二人はレオナたちを追いかけた。
が、レオナはすでに試着室に閉じこめられてしまっていた。民族衣装のようなワンピースでカウボーイハットをかぶった店員さんは、ご機嫌の様子で鼻歌など歌っている。
それからさほど待たされることなく、試着室のカーテンが開けられた。
レオナが着替えたのは、上半身だけだったのだ。どんな姿で現れるのかと待ちかまえていた柚子は「へえ」と感心することになった。
「かっちょいいね! すっごく似合ってるよ、九条さん!」
「でしょー? 似合うと思ったんだー」
そのように応じたのは、もちろん店員さんのほうだった。
レオナ本人は、頭でもかきたそうな表情で立ちつくしている。
「これはまあ、普段の格好ともギャップがないので、私も抵抗なく着られそうですが……亜森さんは、どのように思いますか?」
「わたしは……とても素敵だと思います」
亜森はさきほどのワンピースのときと変わらないぐらいの表情で、満足そうに目を細めていた。
レオナが着させられていたのは、カジュアルなジャケットとウエスタンシャツである。ウエスタンシャツといっても過剰な装飾のあるタイプではなく、色合いもシックなインディゴブルーだ。
そして、ポニーテールにした頭には、キャップがかぶせられている。冬合宿の際のスカジャン姿を思い出させるファッションであるが、こちらは不良がかって見えることもなく、とても小洒落ているように感じられる。
「このシャツはけっこう厚手だからさ。もっとあったかくなってきたら、上着代わりに羽織るって着こなしもできるんだよね。こんな風に前を外して───」
「あ、ちょっと! この下は下着ですので、おやめください」
「あー、それはそれでアリな着こなし!」
「そのような着こなしを認めることはできません!」
シャツの胸もとをかき合わせながら、レオナは店員さんをにらみつける。
「……それに、こちらの服はサイズがMとなっておりました。このサイズでMということは、どちらも男性物なのではないですか?」
「うん、そーだよ。何か問題でも?」
「……私は男性物の服から脱却するために、新しい服を探していたのですよね」
「別にメンズとかレディースとかで区別する必要はないんじゃない? 最近はメンズでも細身の服が多いし、そもそも一番重要なのは似合うかどうかでしょ!」
店員さんは、おどけた様子で肩をすくめる。
レオナはまだ迷っている目つきで柚子たちのほうを見てきた。
「……私はどうするべきでしょう?」
「いやー、あたしもいいと思うな! それだったら、お出かけ用でも普段用でもどっちでもいけるんじゃない? さっきのワンピと使い分けたらカンペキかも!」
「……やはりあのワンピースは最有力候補のままなのですね」
「うん、どっちも九条さんにはすっごく似合ってるからねー」
尋ねてみると、亜森も同意見であるようだった。
それでレオナは、決然と店員さんを振り返る。
「では、こちらの服を買わせていただこうかと思います」
「お買い上げありがとー! それじゃあ、タグを取っちゃうね! 脱いだパーカーのほうは袋に入れてあげるから!」
問答無用の勢いで、レオナは購入した服をそのまま着続けること決定されていた。
あれよあれよという間にタグを取られて、会計も済まし、「ありがとうございましたー」と店を追いやられてしまう。なんだか、狐につままれたような心地であった。
「あれがプロの販売員というものなのでしょうか。ちょっと恐ろしい感じがします」
「そうだねー。でも、九条さんもその服は気に入ったんじゃないの? 最初から、あたしたちに後押ししてほしそうな空気を感じたんだけど」
柚子が指摘すると、レオナはいくぶん眉尻を下げながら「はい」とうなずいた。
「実は、そういう心境でした。でも、気に入った服が男性物であったことが、何だか少し無念にも感じられてしまって……」
「それだったら、さっきのワンピも購入してバランスを取ってみたらどうだろう?」
レオナは大いに煩悶しながら、柚子と亜森の姿を見比べてくる。
「あの、もう一度だけ確認させてください。さきほどのワンピースは、本当に私に似合っていたのですか?」
「うん、ばっちりだったよ!」
「はい。わたしは思わず見とれてしまいました」
「そうですか……母もそのように思ってくれるといいのですが……」
レオナはまだ、七五三の話を気にしているのかもしれなかった。
レオナはぐっと拳を握り込み、キャップのつばの下で切れ長の目を燃やしながら、やがて言った。
「決めました。さきほどのワンピースも購入していこうかと思います」
「す、すごいね。まるで試合前みたいな迫力だよー?」
「はい。それと大差のない心境なのかもしれません」
何がどうしてどうなったら、そんな心境に陥ってしまうのか。まだまだ謎多きレオナであった。
しかし、半日に渡って繰り広げられた戦いは、これにてひとまず終局を迎えたようだった。
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