Episode3 前夜



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 二〇一三年八月二十六日月曜日、東光東京撮影所第八ステージ―。

 『飛翔戦軍スカイフォース』最終選考オーディション当日。

 この撮影所内では一番大きなスタジオに、下は十六歳、上は二十九歳までの若き男女が集結した。その数六十名以上。ステージの片隅に椅子が並べられていて、全員静かに自分の名前が呼ばれるのを待っている。全員漏れなく胸にエントリーナンバーパネルをつけている。そして基本的には皆、美男美女ばかり。

 オーディションのやり方は業界それぞれいろいろあろうかとは思うが、こと戦軍においてはこうしてステージに全員待機させて、その過程を他の応募者に逐一見せつけていろいろと考えさせるやり方をとっているらしい。

 一年通してテレビで活躍する役者を決める……言うまでもなく、困難な作業であることに間違いない。今まで、小規模な映画やVシネマのプロデュースを長年やって来て、それまでも何度かオーディションは経験してきている。しかしその場合でも、東光本社に五人から十人くらい呼びつけて会議室で品定めするといった程度のものだ。ここまで大規模な最終選考の場は初めてである。

 そもそも真由香はオーディション反対論者である。たった何個かの通り一遍の質問、面接、台詞の読み合わせなどでその役者の魅力や素材、スキルやポテンシャルを一目で見抜くほど自分の眼力が確かなものだと自惚れるつもりはさらさらなかった。それよりも、自分が惚れ込んだ役者を、長い時間かけてでも徹底的に掘り起こした方が納得がいく。

 そこで、このオーディションが始まる前、真由香は東條に提案した。自分の中で、一人気になる役者がいる、その役者をオーディションを通さず、是非スカイレッド/赤名翼役に据えたい―と。

 東條信之はその提案を一蹴した。

「あなたがその役者を最終選考に呼ぶのは構わない。シード権を与えることは可能だよ。でもラストのオーディションは必ず受けてもらう。理由はいくつかある。……一つは、これはビジネスだから。失敗は許されない。その役者ひとりに想像を絶するカネが動く。大多数の人間がマルをつけられるような奴でないとダメで、単純に一人だけの意見では決められない領域なんだよ。そして二つ目は、役者に戦軍のオーディションの空気感を味あわせてやりたいんだな。いろいろなことがわかるから」

 戦軍プロデュースの采配は真由香に任せると言っておきながら、全ての決定権を委ねるというわけでもないようだった。納得いかないなァ……と思いながらも、やむなく真由香は自身の提案を引っ込めた。

 それはさておき―。

 大手事務所、弱小事務所、フリー問わず若き役者・タレントの卵たちは真由香の目からはとにかく懸命、健気に見えた。選考は白→黄→黒→桃→赤の配役順に進む。今回のオーディションではメインライターの能勢朋之が組み立てたキャラクター設計図に従い、赤ならこの子がいい、黒なら彼が……といったふうに書類選考を施した(「最終選考のお知らせ」に簡単なキャラクターのイメージも記し、オーディション参加者に考えさせる工夫も行っておいた)。そういう意味では、ピンク役の候補者が一番難儀したのかもしれない。「九州出身で、言葉に少し福岡訛りがある」と提示しているものだから、皆ちゃんと博多弁を練習してきている。女の子が健気にも、慣れない博多弁で挨拶する光景が見られた。

 それぞれの配役レーンことで五、六名程度呼ばれ短時間のうちに自己紹介、PR、質問、台詞演技、自由演技の順に審査していく。

「戦軍は子供の頃、ずっと見ていました、特に『ランボーフォース』の大ファンです。今日は家でDVDを見て久々に変身ポーズを思い出しました。是非、そのポーズを見てください! ……ランボーチェンジ!」

 そう言って、懸命に変身ポーズを真似る十九歳の男の子。事務所に言われて必死にポーズの練習をこなしてきたのか、さまにはなっていた。だが、その男の子はパッと見カッコよくても、もう一度見たい、見てみたい、このコと一年間心中したいという華までは持ち合わせていなかった。しかしひっかかるものはあった。惜しいな、このコ。履歴書を見ると多田瞬とあった。

 うーん、本当に申し訳ないね、と心の中で頭を下げながら真由香は手元の審査ボードでバッテンをつけた。でも何かの機会で番組にゲストで出てくれたら、とは思いメモ帳に所属事務所と名前は控えておいた。

 こういうふうに気疲れするからオーディションは嫌なのだ。知らず彼らの今後の人生すら左右しているかもしれない。罪悪感すら覚える。とにかく苦手。

 しかし、ほんとうに皆いろいろとPRしてくる。手を変え、品を変え、一生懸命だった。感心する。

「今から泣きます!」と言って泣きの芝居をし、三十秒後には本当に涙を流す女の子。

「バク転します!」と言って華麗に宙返りを決めてみせる男の子。

「ワタシ、唄います!」と言って朗々と昔のとある戦軍主題歌を唄い上げる女の子。

「オレ、形態模写します!」と言ってコケコッコー! と今ドキ時代錯誤としか思えない、ニワトリの鳴きまねをする男の子……。

 こういったパフォーマンスを見て、他のオーディション応募者がどういったリアクションを取るかどうかもしっかりチェックしている。真由香たち選考委員以外に、東光が委託したリサーチ会社のスタッフが調査―エントリーナンバーで簡単に確認できる―を行っていた。東條が言っていたように、確かにオーディションをすることでいろいろなことがわかる。もう自分の出番は終わったからと居眠りをしていたり、携帯電話を操作している奴らは減点対象。どうせならそういった余興に対しても皆と一緒に楽しんでくれたり、笑ってくれる人間を真由香たちは求めていた。

 それにしても、一年通してのテレビドラマの主役は昨今少なくなった。その分、事務所としては旨みのある仕事であることは想像に難くない。ギャラは新人だから格安だし、そのわりにスケジュールはキツキツで仕事量はハード……ただし、全国ネットのテレビで一年間毎週毎週放送される。名前も認知してもらい、一年間徹底して鍛えられる。また雑誌のインタビューなどは特撮雑誌の媒体絡みで途切れることがないから、露出も多くなる。事務所が本来賄うべき広告宣伝費を東光が肩代わりしてくれる。そして、演技や芝居以外にも礼儀作法もみっちりと叩きこまれる。新人デビューとして、これ以上の土壌はなかった。現に戦軍の現場デビューをきっかけに、一流の役者、女優になった者もいる。ただ戦軍での一年間が、結局役者人生のピークだった者も星の数だけ存在するのだが―。

 オーディションは小休憩を時折挟むだけで、昼食の時間もとらず、ぶっ通しで続けられた。

 そんな中、不気味なのは長門清志郎だった。トレードマークのサングラスは健在で、若い男の子と女の子をがっちり威圧するのに抜かりはなかったが、何かしら厳しい質問でも投げつけて若き役者の卵を困惑させるのかと思いきや、先程から無言で手元の手帳にペンでさらさらと書き込みをしていて、特に何も発言しなかった。パイロット監督なんだから、それなりの発言権限を持っているにもかかわらず。この点を小休憩中に東條に確認すると、「ああ、カントクはこういうオーディションのときは、あまり自己主張しない人なんだよ」って事も無げに言われた。本当に長門の性格は掴みどころがなかった。

 こうしてこの日の最終選考の本当の最終、スカイレッド役の選考を残すのみとなった。主役が五人組の番組の中でも、これが本当に、本当の主役。

「それでは、エントリーナンバー三十五番すら四十番までの方、ステージに出てきてください」

 進行役を務める東光テレビプロの制作進行の男性が声を張り上げると、上手から五人の若者が立ち上がり、こちらにやって来る。皆十代後半から二十代前半の若者たちで、揃いも揃って世間一般ではイケメンで通用する男性ばかりだった。そして、その中に真由香がどうしてもレッド役にキャスティングしたい若者も混じっていた。

 五人はステージ中央で横一列に並ぶ。まだこういったオーディションに慣れていないのか緊張の面持ちを隠せない男の子が多い中、傍から見ると何となくふてぶてしい態度のようにも見える若者が一人混じっていた。真由香は何となく不穏な空気を感じとった。

「まずはお一人ずつ、自己紹介と自己アピールを1分以内に纏めて自由に表現してください。それでは、エントリーナンバー三十五の方からお願いします」

 進行役の言葉のあと、紹介されたエントリーナンバー三十五の若者は一歩前に出た。

「―西川正秀、十八歳です。リクロ―エンターテイメントに所属しています」

 この西川正秀を最終選考に呼んだのが真由香だった。無味乾燥なイケメンではなく自分の身の周りに居ない、天使的なオーラを醸し出している男の子だった。以前『サイコパス・ロマン』シリーズのとある作品で、殺人鬼に殺される中学生役を演じて貰ったことがあったが、元々の顔立ちが整っていたせいか非常に無残な死顔がすごく印象に残っていた。西川本人とは一面識もないが、戦軍でレッドを、と考えたとき真っ先に浮かんだのが西川正秀の天使のような顔だった。

 彼なら新しいヒーロー像を確立することが出来るのではないか……そう信じて。

 西川はそつなく自己紹介を纏め上げてきた。「……二〇一四年の地球の平和はボクが守ります。めい一杯、自分の青春を一年間、戦軍に捧げます。是非スカイレッド役をやらせてください。よろしくおねがいします!」

 深々と一礼し、元の位置に戻った。

 他の選考者はどういった評価を下したのだろう―真由香はそう思い、周りの審査メンバーの顔を見るが、皆のその表情からは真意はうかがえなかった。

「では、エントリーナンバー三十六の方、お願いします」

 進行に促されてスッと前に進み出たのがポロシャツにジーンズといったラフな格好で、無精髭がうっすらと生えた野武士のような若者だった。顔色が悪く、表情が死んでいる。ロン毛でチョイ茶髪。ただ、一目見た者に、何となく不思議な魅力や印象を残す若者とも思えるのだが……。

 オイオイ無精髭? 今日って、ヒ―ロー番組の主役を決めるオーディションの日だよな? なのに髭を生やしている? 意味が分かんない。奴以外はの男の子は、全員小ざっぱりとした顔でやって来ているのに。

 審査席が何となくざわめき始めた。真由香の隣に座っている槇が納得いかないように何度も小首を傾げている。

「阿部タケル、二十一歳です……以上です」

 それ以上何も阿部某は語らない。遂には周りのオーディション参加者も何となく不穏な気配を感じ取ったのか、その場がざわつき始めた。

 やがて阿部タケルは自分の仕事は終わったとばかりに、一歩後ろに下がった。

「……阿部君、時間はまだあるよ。他に何か言っておきたいこととかないの? 別に緊張しなくていいからね。どんどん自分をPRしなきゃ」

 局プロの海老沢孝夫がそう言ってフォローに回る。海老沢らしい気配りのきいた言葉で、今ならまだPRが間に合うからと助け舟を出した。

 若者は頭を掻きむしると、また前に進み出る。

「―じゃあこの場で一つ言っておきたいことがあります。今日のオーディション、事務所に言われて仕方なく受けに来ました」

 ざわめきが一瞬にして水を打ったように静寂に変わる。

 そりゃ、そういう事情もあるだろうよ。でもこういう場で本音を言うなよ―真由香は内心舌打ちした。

 無精髭は尚も捲くし立てる。

「高校卒業してからアメリカに渡りました。ニューヨークの日本レストランでずっと皿洗いして、ブロードウエイで役者の修業を続けてようやく日本に帰ってきたのに……事務所に言われて仕方なく今日やって来ました。ここでは俺の望む芝居は出来ないと思います。ごめんなさい、だから俺、辞退した方がいいですね、うん」

「キミ、仕方なくってどういうことだよ。日本全国にはこの役がやりたくてたまらない人達が大勢いるんだよ。中には何年も連続してわざわざオーディションを受けにやって来る人達だっている」

 東光入社以来、戦軍プロデュース一筋の槇憲平が遂に気分を害したようで、不快気にボールペンで机をトントンと叩いた。「ヒーローだよ、ヒーロー。戦軍のレッドなんて年に一人しかやれない、非常に稀少価値のある役だ。ここから一流になった人間もいる。いったい何が不満なんだよ。御高説伺おうじゃないか」

「……所詮、オモチャが売りたいだけなんでしょ」

 審査員の中にはメインスポンサーの玩具企業・MANDEIの広告宣伝部の担当者も三名いる。その三人の顔が瞬間凍りついたのが、真由香の目からも明らかだった。

「剣振り回して、ガンぶっ放して、ロボットを二体も三体も出して、結局なんだかんだ言ってヒーローにかこつけて、自分たちが金儲けしたいだけだ。子供たちに夢を売ると言っておきながら、そのダシに使っているだけ。違いますか?」

 阿部タケルは止まらない。 

「俺はちゃんとしたドラマでちゃんとしたお芝居がしたい、ただそれだけなんです。だからこんな―」

「オイ、今すぐそいつをここから摘みだせ!」

 遂に槇の堪忍袋の緒が切れたようで、立ち上がって激昂する。彼の指示によってスタッフ四名に取り囲まれた阿部タケルは、そのままスタジオから摘み出されてしまった。特に阿部は抵抗するそぶりも見せなかった。

 長門清志郎が連れ出される阿部タケルをじっと目で追っているのが、何となく不気味だった。



 多少のアクシデントはあったものの、こうして『飛翔戦軍スカイフォース』最終選考オーディションはつつがなく終了した。

 そしてオーディション参加者が全員返された後、審査員全員で協議しスターティングメンバーを決めていく。諸々のスケジュールを早急に立てないといけないので、その日のうちに決定し、事務所に通達する段取りになっていた。

 スカイレッド役は真由香の目論み通り、西川正秀が決定した。無論、最初からすんなり決まるはずもないから、ある程度真由香が気心知れた人間には事前に根回ししておいたのである。それが見事、功を奏した。

 候補者が数多いので喧々囂々、それなりに会議は紛糾した。それでもとりあえず、イエロー、ホワイト、ピンク役も役者を選出することが出来た。しかし最後に残ったブラック役についてのみ、調整が難航した。

「僕の中ではギラついた奴、というか男の中の男、というイメージだったんですが、今日の候補者にはいなかった。うまくホンに宛て籠められない印象ですね」

 メインライターの能勢朋之がそんな抽象的な事を言う。ただ、脚本家のイメージは大切なので、彼の意見を尊重する必要もあった。

「確かに適役はいなかった感じはするなァ」

 東光アドエージェンシーの利根川研が手元の応募者のプロフィール写真をぱらぱらとめくりながら、感想を漏らす。「ブラックだけもう一回やり直す? あんまり時間ないけど。消去法はとりたくないよね」

 真由香も彼らの意見に実は密かに同意していて、イメージの合う役者はいないという印象だった。確かに少し時間はかかるが、一年間の長丁場の番組だし、もう一度だけブラックのみ二次選考オーディションを開催しようかと考え始めていた。こういったオーディションをやり直すケースというのは、これまでも何回かあったと聞いている。

 他から彼ならどうか、あのコならどうかと様々な意見が出たが意見が一つにまとまらない。場の空気は何となく、ブラック役のみオーディションのやり直し、という方向に固まろうとしていた。

 そんなとき―。

「その必要はないだろう」

 腕組みをしながら、そう断じるように口にしたのが長門清志郎だった。長門はこれまでオーディションからこの会議に至るまでほとんど発言してこなかった。その理由については恐らく、本日はメインスポンサーの担当者が複数いるので委縮していると真由香は踏んでいたのだが……。

 鬼監督はマイルドセブンに火をつけると、口を開く。「やり直す必要はない。スカイブラックがやれる役者は今日あの場にいた。あいつと一年間仕事が出来ると思うとわくわくするなあ」

「じゃあ誰なんですか、そのカントクの御眼鏡にかなったその役者は?」

 能勢が話の続きを促したが、長門は深々と煙を吸い込み少し間を持たせたあと、おもむろにその名を告げた。

「―阿部タケル、だな」

「……ご冗談でしょ?」

 槇が首を振りながら目を大きく見開いた。口をあんぐりと開けている。「阿部タケルって、途中で摘み出された無精髭ですよね」

「そうだ。まあ、俺の目からは奴はマルだ。面構えが良い。堂々と自分の意見が言える、思いを発信できる。芯が強い。こだわりもある。役者は自己主張できる奴ほど、伸びる。さらに叩けばもっと伸びるぞ。ありゃ、蕎麦のような奴だと俺は見た。……つまり、阿部タケルこそ、スカイブラックに相応しい男といえる」

「でも、そもそも彼はレッド役でオーディションにやって来たんじゃなかったですか?」

 MANDEIの上原英正がうーんと唸りながら、阿部タケルの書類と写真をチェックしていく。ラフな出で立ちで、サラリーマンというよりはどこか自由業のような雰囲気を全体的に醸し出している不思議な雰囲気の男だった。

「レッドじゃなくて、奴はブラックタイプです。……まあ、そこは最初の選考の奴が見誤ったというべきなんでしょうな。とはいえ、一年間の物語を作っていく中で、阿部タケルの素質は必要不可欠です」

 長門は煙草を灰皿に押し当てると能勢朋之のほうを見る。「能勢先生はいかがですか? アイツをブラックに据えれば、話が尚膨らんではこないですか?」

「……まあ確かに、意外性はありますね。彼の持ってるふてぶてしさが、作劇にプラスに作用するかもしれない。今回ブラックは影のある謎めいた男、という設定ですから」

 戸惑いながらも能勢が長門の意見に同意する。もともと能勢は長門信者なので、そこまで長門が推すのなら無理には反対出来ないようである。

「正気ですか? あんな場の空気を乱すような奴をキャスティングして!」槇は当然のように天敵・長門に食ってかかる。「あいつはね、事もあろうにヒーロー番組を愚弄したんですよ。MANDEIさんにすら喧嘩を売った。戦軍には三十年以上の歴史がある。あんな奴にブラックなんて託せませんよ」

 まあ、このケースに置いては槇の言い分もわからないでもない。真由香の気持ちもほぼ槇の言い分と一致してはいた。

 長門は槇をつまらなさそうに見ると「お子チャマか、お前は」と言い放った。

 十五人以上ひしめく会議室の中で、お子チャマ呼ばわりされたプロデューサーは「……はあ?」と声が裏返しになった。

「所詮あいつはガキなんだよ。ガキの言い分をオトナがいちいち真に受けてどうする。もう少し広い心を持てよ。そもそもあの程度言われて、天下の玩具メーカー・MANDEIさんが目くじらを立てるわけないだろうが……そうですよね?」

 長門にこう言われては、MANDEIの三人も「いや、僕たち怒ってるんですけど」なんて言えるはずもない。彼らは曖昧な笑みを浮かべて、何も言えなくなった。

「それにあいつの気持ちを汲んでやれよ。……あいつはな、なんとしても戦軍で役を掴みたかったんだよ。ああやって、俺たちに喧嘩を売ったのも少しでも自分が他より少しでも目立とうとしたからだ。トンガって見せたのは、自信のなさの裏返し」

「こじつけとしか思えない」

「俺がこのオーディションでここまで強硬に推すのは奴の時だけだ。その俺に免じてブラック役、認めてやってくれよ」

「ただの気まぐれで、卓袱台ひっくり返そうとしてるだけじゃないですか」

「気まぐれかどうか、俺を信用してみたらどうだ」

 槇はゆるゆると首を振った。「宮地さんはどう思うわけ? あいつをスカイブラックに据えていいの? チーフなんだから君が決めちゃってよ」

 遂に匙を投げたように、槇憲平は真由香に答えを委ねてきた。「おうおう、そうだそうだ。お前が決めろ」と長門までもがそんなことを言いだしてくる。

 うーん、どうしよう―真由香は東條を見る。しかし東條は手元の資料を見てるふりをしていて、目線を合わせてくれなかった。お前が決めろということなのか。

 長門や槇、その他大勢の人間が真由香を注視していた。真由香がどう決断を下すのか待ち構えている。

 どうしようどうしようどうしようどうしよう。本当に困った―心の中で真由香は悶絶するしかなかった。

 


 午後九時過ぎ、真由香は電話を掛けた。連絡先はオータニエージェンシーで、社長の大谷宛だった。この事務所は中堅どころのプロダクションで、所属タレントも数多い。

 真由香は感情を深く籠めずにこう告げた。阿部タケルを連れて、東京東光撮影所に今すぐおいでいただきたい、と。さらにこう念押しをしておいた。

「……わたしたちが連絡した理由は、もうおわかりですよね?」

 社長はすぐに行きます、と電話口の向こうで叫ぶように言った。

 それから一時間もしないうちに、大谷社長は阿部タケルを連れてやって来た。会議室には真由香の他に、長門、能勢、槇が残っていた。

 社長はエネルギッシュでガタイのでかい、押しの強そうな老人だったが顔面は蒼白になっている。一方の阿部は社長とは対照的に顔色が良かった。ただ昼間の無精髭は社長に言われたのかきれいさっぱり剃られていて、上下もスーツでキメていた。

「この度の件、阿部から報告を受けました。大勢の皆さんの前で、意味不明な啖呵を切ったと聞きました。また改めてお詫びに伺おうと思っていたところです。ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。……お前からも謝れ!」

 大谷社長は隣の阿部タケルの首根っこを押さえて、自分と一緒に勢いよく頭を下げさせた。腐っても戦軍は東光の看板シリーズであり、東光を怒らせたら今後仕事が貰えなくなると考え、社長も必死なのだろう。

 阿部タケルは昼間の勢いはどこへやら、社長に倣って、素直に頭を下げている。

「いや別に謝ってもらう必要はありません」真由香は淡々と続ける。「わたしたちが連絡した理由ですが、是非一年間一緒に仕事がしたいと思いまして、それでご連絡させていただきました」

「はい?」

 きょとんと社長は間抜けな相槌を打つ。阿部タケルも口をぽかんとしている。

「―採用です。ただしレッドじゃなくて、ブラック役」

 真由香は肚を決めることにしたのだった。社長に意味ありげな呼び出しを仕掛けたのは、まあ面倒なやりとりを増やしたことに対する軽い報復のつもりだった。先方は気が気でなかったのかもしれないが。

 長門の言いなりになってるだけじゃないのか―よそからそう思われても仕方がないが、確かにこの若者には忘れがたい魅力を放っていたのも事実だった。そのインパクトに賭けてみたいと最終的には思うようになった。

 ただ槇憲平は最後まで反対の姿勢を崩さなかった。今、その槇は少し離れた場所でつまらなさそうにそっぽを向いている。

「こちらにいる長門監督が、彼なら育て甲斐があると一人で強硬に阿部君を推したんです」真由香は長門を見る。「カントク、何か言いたいことはありますか?」

「―阿部タケル」

 何故か長門はフルネームで呼びかけた。おそるおそる、阿部タケルは「……はい」とそれに応じる。

 長門清志郎は立ち上がると、つかつかと阿部タケルのもとに近づいた。一瞬、長門は阿部をブン殴るんじゃないかと皆で妙に緊張してしまう。が、長門はサングラスを阿部の目にぐっと近づけ、しばらく静止した。たじろいだ阿部も何とか姿勢を踏みとどまり、長門と対峙した。

 しかし長門は何も言わず、そのままくるりと踵を返すと元の席に戻った。思わず拍子抜けする。

 長門は口を開いた。「……お前、どうせこういったヒーロー番組はオモチャ売りたいだけだろうと言ってたな」

「確かに言いました」

 少し硬い表情で阿部タケルが言う。

「当たってるよ、間違いない。相違ないよ」長門は口元を少し歪めた。「ボランティアじゃなねえんだ、俺たちは。民間企業である以上、利潤を追い求めて当たり前。ビジネスだよ。東光も、テレビ局、オモチャ屋も。みんな必死なんだよ。東光はテレビ局から金を貰って制作を請け負う。テレビ局はスポンサーから予算を掻き集める。オモチャ屋は全国のガキに商品を買って貰おうと腐心する。そして、俺はギャラを貰って、そのミッションをクリアするために必死になって知恵を絞る。そのためにはお前の力が必要というわけだ」

 阿部タケルの肩がピクンと動いた。

「だから騙されたと思って、この現場でやってみたらどうだ。お前にとって、自己表現に相応しい場所であったかどうか、決めるのは一年間走り切ってからにしろ。その後で、お前の感想を聞いてやる」

 長門の言葉は相変わらず淀みがなかった。流暢に言葉を紡いでいく。

 阿部タケルは咳払いを一つすると、長門に向き合った。もしかして何かほかに言うべきセリフがあったのか逡巡していた。しかし彼の中で何かが決着したのか唇を噛み締めて、背筋を伸ばした。

「―是非やらせてください。よろしくお願いします」

 若者は頭を深々と下げた。

「まあ、今日はもう遅いからさっさと帰れ」

 長門はつまらなさそうにしっしっと追い払う。

 真由香はまた細かな話は明日以降追って連絡すると恐縮しきっている大谷社長に説明した。槇憲平は結局一言も発しなかった。

 こうして長い一日は終了した。時刻はもうすぐ二十三時になろうとしていた。



 結局自宅マンションに帰り着いたのが、深夜一時前になった。結局今夜もタクシーでの帰宅になった。昔はマスコミもタクシーチケットが大盤振る舞いされていたらしいが、経費削減の折真由香はいつも自腹を切っている。

 これから連日こういった状態になるんだろうなあ、とベッドに倒れ込みながらしみじみと憂鬱になる。明日からも予定がみっしりと詰まっていた。まずは明日、MANDEIをはじめとするスポンサーを掻き集めて説明会の実施、その後主役に決まった五人の所属事務所との折衝。あと主題歌のデモテープが十曲以上レコード会社の音楽ディレクターから送られてきたのでそれらを聴き比べ、造型会社に赴きデザイナーとの打合せ……。

 その合間を縫って連日の打合せ、打合せ、打合せ。

 明日も、明後日も、それ以降も予定がぎっしり。

 いくらあっても時間が足りない。

 電話器が視界に入った―あちらは午前の十一時好きで、あの人は家にいるわけもなかった。メールでも打とうかと思ったが、その気力も湧きおこらなかった。

 そういえば……毎日欠かさずチェックする24ちゃんねるの戦軍ネタバレ掲示板も、本日は確認する暇がなかった。悲しいことに掲示板の確認が半ば習慣になってしまっていた。ネタバレの主は一週間のうち、二つか三つの書き込みを行っていく。そのどれもが精度の高い内容のものばかりだった。

 東光本社の法務部からスタッフ全員に情報漏洩を行わないよう再三再四通達は行っている。にもかかわらず、一向に書き込みが止む気配がない。そして、犯人を突き止める術は現状ないのだった。

その内容は現場で働く人間なら誰でも普通に入手できる情報なので、そこから犯人を辿ることもできない。

―まあそのことは明日また考えよう。

 シャワーは十分後にしようと思い、結局はベッドに寝転んで三十分程真由香はその態勢でグズグズすることになった。



●●●● 



 『『スカイフォース』オーディションはごたごたあって難航したけど決まった模様。

 十月最初の週のどこかでクランクイン。現場は長門のオヤッサンが戻ってくるというのが皆に知れ渡ってるから、今からスタッフ全員戦々恐々。

 女プロデューサーはとにかくかなり強引。自分のオキニをレッドにキャスティング。まあ、しゃーないよな。だってそいつとは×××の間柄だし! 超絶公私混同女!』



 ある人物は、パソコンに特に深い考えもなく適当に言葉を並べて入力し、送信した。投稿者名はもちろん「魚」。

 今回の書き込みから巧妙に嘘を織り交ぜることにした。いままでの情報はすべて本当。そこに嘘を織り交ぜる。それによって、その嘘を信じる者が多く現れることを期待した。宮地真由香とその若者が懇ろかどうかなんて、勝手に想像しただけで真実については全く知らない。

 今後も引き続き、ある人物は、宮地真由香を中傷し続ける予定だった。



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 二〇一三年九月―。

 三週目の戦軍シリーズ第三十三作目『稲妻戦軍サンダーフォース』は視聴率2.9%だった。

 2.9。

 その回の数字は戦軍シリーズ三十三年の歴史上、もっとも低い数字であった。視聴率ワースト記録。視聴率が三パーセント台を遂に切ってしまった。

 連休の谷間であったこと、天候に恵まれ在宅率が低かったことなどを差し引いてもやはり、この時間帯での2.9は失格であった。それによって、部長の堤谷と槇はテレビ太陽に呼び出しを受け、大澤局次長直々に叱責を受けたと聞いている。

 このままでいくと年間平均もワーストを記録するのは確実だった。

 またMANDEIの玩具売り上げの2013.6―8月期の決算報告も上がってきたが、これまた計画目標の七割弱というお寒い数字だった。さらに戦軍シリーズは毎年夏に東光でもう一本走っている特撮ヒーローシリーズと一緒に夏の劇場版が公開されるのが定番なのだが、こちらの最終興行成績も芳しいものではなかった。

 これらの結果は『戦軍不調』を改めて世に知らしめることになり、一部の業界人と一部のオタクからは「戦軍もう終わりじゃね?」「来年もまだやるらしいけどもう打ち止めだろう」「時代遅れ」「時計が止まってる」とさんざん揶揄されることとなった。

 槇憲平はそれらのストレスが原因かどうかは分からないが体調を崩し、緊急入院することになった。打ち合わせの合間を縫って真由香は小曽根卓と共にフルーツを持って病室にお見舞いに行くと、槇はベッドの上で虚ろに出迎えてくれた。随分と顔色悪く、げっそり瘠せ細っているように見える。急性の胃潰瘍と診断され、ひとまず七日間の入院治療が必要らしい。

「……何も手伝えなくて本当に悪い。とにかく今の作品で手いっぱいなんだよ。もはや敗戦処理みたいなもんだけど」

 ジャージ姿でベッドから起き上がると、自嘲的に槇が詫びる。「最悪な形で来年にバトンタッチしてすまないね。『スカイフォース』にはこっちが落ち着けば、合流するから」

「顔色かなり悪いですね。とりあえず今はしっかり休んでおかないと」

「そうだな。この夏まだ三日くらいしか休んでないや」

 槇は嘆息したあと、少し居住まいを正した。「……ところで、『スカイフォース』の監督ローテって長門カントクのあと、どういう感じにしようと考えてる?」

 「とりあえず長門監督に最初の三本をパイロットで撮ってもらって、『サンダーフォース』のローテーションとの兼ね合いもありますけど次に北村監督。でその次が阪口監督で行こうかと。あとのローテの谷間には、どこかの現場からヘルプを呼びたいと思っています。とにかく、この三人が中心でローテが組めればいいですね」

 『スカイフォース』のクランクインは翌月上旬に迫っていた。第一話から第三話のパイロット長門組は一か月ほどの撮影期間を予定している。通常は二週間程度で二本を撮るが、パイロットはオープニング・エンディング映像、一年間使い回すバンク映像のカット撮影など諸々の作業を含むので、予算もスケジュールもある程度余裕を持たせるのが通例であった。

 しかし当然一年間の長期シリーズ、監督は長門だけではやりくりできない。通常こういった一年間のシリーズの場合、監督は三名から四名程度が必要となる。

 最初は外部から新規で別の監督をもっと呼ぶつもりだった。イキのいい若手監督に戦軍を撮らせようと考えていたが、そこは東條からコンコンと注意を受けた。

「監督をよそから呼んでくるのは簡単だよ。そりゃ、僕だって呼びたい人間は大勢いたけど、それだとうちに尽くしてくれているレギュラー監督の士気が下がる。あんまりホイホイとローテーションを入れ替えることだけは慎むように。いいね?」

 当初、この東條の意見には真由香は異を唱えた。

「でもここ数年戦軍人気が停滞したのは彼らの責任もあるんじゃないですか。それに『サンダーフォース』のライター陣を全員更迭した時は、東條さん何も言わなかったじゃないですか」

「ホンヤと演出家は別だよ。ホンヤはよそでいくらでも仕事が見つかる。でもこういった特撮ドラマの監督ほどツブシのきかない商売もないんだよ。彼らにだって生活はあるんだから、とにかく演出家のローテ総ひっかえだけはダメだからね」

 結局、『スカイフォース』は五年ぶりに戦軍復帰の長門清志郎をメイン監督に据え、あとのローテーションは戦軍でこれまで実績のある北村尚哉監督、『サンダーフォース』のメイン演出の阪口大輔監督が脇を固める布陣で出発することにした。

 具体的に言うと、第一話から第三話までが長門組、第四話・第五話が北村組、第六話・第七話が阪口組―といった具合に。そのローテが一巡すれば、また長門組に戻り、北村組、阪口組と続く。

 槇は人差し指で鼻の頭を掻いた。

「天野さんに聞いたんだけど、やっぱりサンコンさんは外すんだ?」

 サンコンさんとは山根正幸監督のことである。ラインプロデューサーの天野正典によると、山根組はとにかく金がかからないらしい。「早撮りの山根」として知られ、通常二本組十二日前後かかる撮影を、山根組は八日で納めてしまうという。しかもサンコンさんは長門とは真逆の温厚な性格なので、スタッフやキャストの受けもいい。なので皆から親しみを込められてサンコンさんと呼ばれているときいた。

 しかし―。

「今のところそのつもりです。わたしが見る限り、監督のメンバーの中で山根演出は一段落ちる印象です。天野さんからは長門組がスケジュールめちゃくちゃになるのが目に見えているから、早くて安い山根監督を是非ローテに加えてくれと頭を下げられましたが、あくまで演出の腕本位でいきたいと思います」

「宮地さんが今までやってたビデオや映画なら、その考え方は間違っていない」だけどね、と槇が続ける。「テレビのシリーズものになると少し事情が違う。山根演出が画的に他に劣るというのは僕も同意見だよ。でもこういうシリーズものの監督の中には、どんなに困難な状況でも作品を撮り上げる演出家も必要なんだよ」

「……僕は山根組好きですけどね。ほんわかしてて、ゆったりと見れます」

 おずおずと小曽根卓が横から割り込んでくる。「サンコンさんの『スカイフォース』、見てみたいなあ」

 真由香は咳払いをする。

「……聞くところによると、確か山根監督は駐車場経営のお仕事で悠々自適と聞いているので、別に監督を辞めても生活に困らないと」

「いや、そういうんじゃなくて」槇は髪を掻き毟った。「戦軍の現場にはサンコンさんは必要なんだよ。長門さんの腕は僕も認める。しかし役者もスタッフも、逃げ道というか、給水ポイント的な組も必要になるんだな」

「給水ポイント?」

「語弊があるかもしれないが、現場の負担が軽い組ということだ。撮影が早く終わる、演技が拙くても褒めてもらえるとかさ。作品の出来は並み以下であったとしても、一年ものロングシリーズだといつも長門清志郎のような組ばかりじゃチームが持ちこたえないんだよ……そういう言い方しか出来ないけど」

 真由香には今一つ、この先輩プロデューサーの言っている意味が分からない。しかし、これがテレビの長期作品に長年携わった男の本音なのかとも感じた。

 ふっ、と槇は溜息を吐いた。「まあ、僕はチーフじゃないからね。人事の権限はないんだけど。サンコンさんのこと、頭の片隅に留めておいて」

 最近、ようやくこの男と肚を割って話せるようになったと思う。テレビ部に移るまでは悪評高くどんな奴かと最初心配だったのを思い出す。確かにとっつきにくく、根暗で、長門とそりが合わなかったり、人付き合いも不得手といろいろと厄介な先輩ではあったが、根は仕事に対しては真面目でスタッフ想いの男というのが真由香の評価だった。

 槇憲平は例のネタバレ犯「魚」じゃない―改めて確信する。

 


 病院を後にすると、帰りの電車に揺られながら小曽根と細かな打ち合わせを行った。ただ、頭の片隅にはネットの巨大掲示板24ちゃんねるのスレッドの書き込みがずっとひっかかっていた。

 なので、一人知らず呟いてしまう。

「―ホント、誰なんだろう。『魚』の正体」

「気にしない方がいいですよ」

 のほほんと小曽根が気楽に言う。「あんなの、嘘八百だってみんな分かってますもん」

「そりゃスタッフのみんなはね。でも、わたしのことを知らないネットの一般市民からのイメージは最悪なわけよ」

「あんなネタバレ掲示板、見てる人間でしかも内容を真に受ける奴らって日本で十人位じゃないですか? 先輩ってヘンなところでビビリですよねえ」

 小曽根の言うことが正論過ぎて、何も言い返せなかった。

 つい先日までは明らかに内部の関係者と思しき人物のリークが小刻みに続いていたが、その書き込みに付随してここ最近真由香に対する攻撃が含まれるようになった。それも、事実無根、虚偽ばかりのネタである。

 いわく―。

 女プロデューサーは稀代の若い男好きで、レッドにキャンティングした西川正秀とはオトコとオンナの関係にある。プロデューサー特権で自分のオトコを主役に捻じ込んだ。

 女プロデューサーは実は若い男のみならず、長門清志郎ともオトコとオンナの関係にある。長門と夫婦のように振る舞っていて、スタッフから総スカンを食らっている。

 女プロデューサーはカネに汚い。番組の予算をキックバックして、自分の懐に仕舞いこむ。東光始まって以来の稀代の悪徳プロデューサー。

 女プロデューサーはブラック役を決定させる際、自らの特権を振りかざし、役者と所属事務所の社長に土下座を強要した。稀代の大悪女。

 すべてデタラメだ!

 本当に頭に来る。だが、そのスレッドでは魚の言うことはすべて「正しい」ことになっているため、一部からの真由香に対する評判はかなり最悪である。

 だが小曽根の言うとおり、あくまでほんの「一部」からである。特に気にする必要もないかもしれない。

 いったい誰がこんなことをしているのか。何の得にもならないこんなことを……。当然このような行動に出るわけだから、真由香に対して悪意を持つ者の仕業ということになる。

 しかし真由香には全く心当たりがなかった。

 今はまだ、この程度のネットの書き込みで済んでいるが、それが突然、何らかの拍子にエスカレートするんじゃないか。その点も密かに危惧しているのだった。

 


12



 二〇一三年九月下旬―。

 一冊の台本が完成した。二〇一四年一月スタート予定『飛翔戦軍スカイフォース』の第一話「たちあがる英雄」第二話「さまよえる悪魔」第三話「よみがえる巨人」(脚本・能勢朋之 監督・長門清志郎)の決定稿である。三話分が一冊の台本として合本になっている。撮影が三話同時に進むので、こうして一冊に纏めた方が都合がよいのだった。印刷所から東光テレビプロに段ボールが送られてきたとの連絡が入ったので、真由香は東條信之と共に大泉に赴いた。

 真由香は感慨深い想いで台本を手に取る。台本表紙の右隅には「No.6」とナンバリングされてある。台本は百冊程度用意されるが、これから手渡す人間のリストを用意していく。昨今、ネットのオークションではこういったテレビのシナリオが売買されていることが少なくないため、それを防ぐための措置というわけだ。

 ここに至るまでいろいろ紆余曲折あった。このパイロット組のシナリオもゆうに十回以上は練り直したはずだ。ライターの能勢が「これまでの戦軍にない斬新なものを。尚且つリスペクトの精神も忘れずに」と頑張ってくれた成果である。

 造型準備や声優のキャスティングオーディションなど、各方面の準備の全ても完了している。あとはこの台本を元に制作部がスケジュールを組み、ロケ地の許可を求めるなどの準備を進めていく。

 二週間後に『スカイフォース』の長門組がクランクインする。とはいえ、もうすでに準備自体は始まっていた。主役に決まった五人は連日この撮影所に呼び出され、本読みや、立ち回りの稽古に明け暮れていた。場を仕切るのはパイロット監督の長門清志郎である。何度かその風景を見学したが、長門のシゴキはそれはもう、想像を絶するものだった。こと真由香や能勢と対応するときはプロデューサーや脚本家ということでそれなりにリスペクトしてくれるのだが、相手が新進の男優、女優となると容赦なし。怒鳴る、喚く、叫ぶ、キック、灰皿投げる……とにかくフルスロットルだった。

 『長門の洗礼』を受けた五人の若者は全員必死になってがむしゃらに稽古を繰り返していたが、長門推しで役が決まった阿部タケルがもっとも長門の標的にされていた。真由香の目からは逆に彼が最も演技力があるように思えたのだが、長門にしてみればまだまだ不満が残るようで「オイタケル、お前全然だめだなあ、このまま田舎に帰ってしまえ!」とさんざんやられる始末だった。それに対し、阿部タケルは健気にも鬼演出家の指示に「すみません」と従順に従っているのが印象に残った。

 ただ一緒に稽古を見学した槇によると長門の指導は、「まだマシ。だいぶ抑えている」とのことだった。とにかく、最初に真由香と交わした「役者にはソフトな態度で接する」という約束は、知らないうちに反故にされた格好となった。

 それはさておき―。

 現在放送中の『サンダーフォース』の撮影は十一月中旬まで続くから、撮影部隊が並行して進む。パイロットの撮影にはそれだけの手間と時間がかかるため、二班体制となる。その準備にてんてこまいで、今この東光テレビプロも人の出入りが激しく、忙しい。

 ラインプロデューサーの天野正典が首筋を撫でる。

「……今の時期が一番わちゃわちゃします。パイロットと終盤の撮影が重なる時期ですね。あとは、本編と映画が重なる時期もそう。とにかく人手が足りなくなるわけです。……しかしまた、長門監督のワガママに振り回される日々が始まるのかと思うと何とも言えない気分になりますね」

 真由香は曖昧に笑っておくことにした。

 事務所の片隅では、チーフ助監督の鹿島忠司がサード助監督の佐脇侑と共に『スカイフォース』の台本をもとに何やら書き込みを行っていた。天野によると、撮影スケジュールの打ち合わせ中ということだった。二人とも連日夏の猛暑の撮影のせいか、真っ黒に日焼けしている。

 そういえば佐脇は、およそ四カ月前に真由香が初めてこの東光テレビプロに東條と共に訪れたとき、入口でぶつかった相手だった。何度か撮影現場に足を運ぶようになって、ようやくそのことに気付いたのだった。そのことを佐脇本人に話すと、「あの時は慌てていて、謝らずにそのまま行ってしまってすみません」と短く切り揃えた短髪頭を恐縮されながら下げられたことを思い出す。

 こういった撮影現場は多くのスタッフによって支えられている。この佐脇は真由香と同年代で、四年前まで医療の仕事に携わっていたが一念発起して東光テレビプロの門を叩いたという。二十代後半での業界入りだから、これは異例の遅さである。

 保証もない、ボーナスもない、退職金もない、安定しないフリーの立場での仕事。ただ、佐脇のような人間はこの業界では決して珍しくない。大勢いる。

 そして皆、口を揃えて仕事に対する想いをこう述べた。現場の仕事に関わっていたいから、この仕事が好きだから―。

 台本の冒頭にはスタッフ・キャストの一覧表が掲載されている。それらをぱらぱらと見ていて、急に思いついたことがあった。

「―天野さん」真由香は提案する。「毎回毎回スタッフみんなの名前、テロップで出せませんか? 映画やビデオなら全員エンドロールで流してます。でも今の戦軍はスタッフはチーフだけ流れるじゃないですか。……要はね、正味二十四分の特撮ドラマにはいつもこれだけの人間が制作には関わってるんですよって視聴者に教えたいんです」

「全員のせるとあっちゃあ、画面の字が小さくなって潰れてしまわない?」と東條。

「最近のデジタルテレビは大画面ですもん。大丈夫。読めますよ」

「まああなたがチーフだからね。あなたが了なら、こっちは別に構わんよ」

 東條は認めてくれたが、天野は腕を組みながら「……私は正直、どうかと思いますよ」と意外にも異を唱える。

「折角そう考えてくれるのはありがたいのですが、彼らの中には自分の名前がテレビに出るまでは頑張りたいと考えて仕事をする連中もいる。それをモチベーションの拠り所にして日々汗を流しているんです。あっさり夢が叶ってしまうのは考え物じゃないかと」

 いつかの撮影ロケで仙台に住む両親に自分の名前がテレビに出ることで安心させたい、と言っていたアシスタントラインプロデューサーの北島衣里の顔を思い出した。彼女は今日も撮影所内をぴょんぴょんと駆け回っているはずである。

「そこはそれ、もっとそれを励みにしてもらって頑張ってくれることに期待しようよ」

 幸い東條が賛成に回ってくれたので、天野も「まあね、悪いことじゃあありませんからね」と最後は認めてくれた。

「……でもようやくここまできたか。ここまで長かったなあ」

 真由香が台本を撫でながら安堵するように呟くと、「何言ってるんだよ。まだ始まってもないじゃない。ここから一年以上、本当の戦いが始まるんだよ。……スカイフォースにとっても、あなたにとっても」と東條が可笑しそうに言う。

 そうなんだよな。―本当に、そう。

「宮地さんと最初に会った日に、僕がこう訊ねたのを覚えている?」東條が続ける。「……あなたにとって、ヒーローとは何だ?」

「覚えています。確か、はっきりとした答が思い浮かばなかった記憶があります」

「数か月番組の立ち上げに関わっていて、今ならカンタンに答えが出て来るんじゃない? そこで改めて問いたい。……あなたにとって、ヒーローとは何だ?」

「―仕事、ですね」

 真由香は即答した。迷いなく言えた。それ以外の答は、現時点では何も思い浮かばない。

「仕事です、仕事。それ以外の何物でもありません」

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