第41話 想定外の帰り道
『スイートチョコレート』では百瀬亜依がそう決意してから、いきなり場面がとんで試験の返却日に飛んでいたが、あの話の流れから突然宮本茉莉花や速水が乱入することはまずないだろう。
そう考えると、現実の百瀬はかなり損をしている。
下校時刻のチャイムによって解散となった初回の勉強会の帰り道、茉莉花は百瀬に同情した。
想定外に始まった勉強会は、想定外の幸福をもたらした。
勉強会では教える立場と教えられる立場のため王崎、百瀬と茉莉花、速水の二組に分かれることが自然な流れであった。反対に帰宅は家の近い百瀬と速水が一緒に帰ることが自然であった。茉莉花の家は三人の誰とも近くないが、紳士な王崎が一人で帰らせるわけもなく、二人は傘を差しながら茉莉花の家へと向かっている。
これからテスト実施日まで勉強会をする一週間はずっと二人で帰れるってことよね。
勉強会では百瀬さんにつきっきりだけど、王崎君は真面目だからほとんど勉強の内容でしか彼女と会話をしていないし、むしろこうして二人で一緒に帰れる私のほうが王崎君とたくさん話せるチャンスが多い。
漫画にない出来事だから完全に想定していなかったし、百瀬さんは少し可哀想だけど、幸運だわ。
嬉しい誤算に、茉莉花はぎゅっと傘の柄を握る。
「今日は突然勉強会に誘ってごめんね茉莉花ちゃん」
しかもテスト一週間前に、と申し訳なさそうに謝る王崎に茉莉花は声が上ずらないように慎重に返事をする。
「そんな、私は逆に誘ってもらえて嬉しかったわ。人に教えると復習になるもの。それに皆で勉強したほうがお互いやる気もでるし」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
茉莉花ちゃんは優しいなあ、と言う王崎に照れた茉莉花が顔をふいっと横にそらす。
外した視線の先に、ふと色鮮やかな花火の絵が描かれたポスターが目に入り、自然と声を漏らしてしまった。
「どうかした?」
「あ、ううん。ちょっと気になったものがあっただけ」
なんでもない風に答えたが、茉莉花の視線の先を追った王崎は、お店に近寄り貼られているポスターを眺めた。
「夏祭り?そうか、もう夏がくるのか…。試験が終わる頃には七月に入るし、その後はすぐ夏休みだもんな」
「そうそう、ここ最近行ってないから懐かしいなあと思って」
ついでに王崎君と夏祭りに行って打ち上げ花火みたいと思って。
心の中でそう思うものの、茉莉花は言い出せずにいた。
何しろ、『スイートチョコレート』では試験に向けて勉強を教えてくれたお礼として百瀬亜依が王崎栄司を誘ったデート先が、何を隠そうこの夏祭りなのだ。
いくら勉強会で漫画と違う展開になっていたとしても、夏祭りもそうだとは限らない。
誘いを断られた未来を想像するだけでズキズキと心臓が痛む。
「もう先約があるんだ」と、眉を下げた困った表情の王崎が鮮明に思い浮かび、茉莉花の判断を鈍らせている。
断れたくない、けれども行動しなければ何も始まらない。
せっかく二人きりのチャンスなのに、ここで誘わないでどうするの私!
意を決した茉莉花が傘を傾けて王崎の顔を見つめた瞬間、
「夏祭り一緒に行かない?」
「え?」
思わぬ誘いに茉莉花は目を丸くした。
王崎のキャラメルのような甘い茶色の瞳には、きょとんとした顔の茉莉花が映っている。
「楽しみがあると試験勉強ももっと頑張れるしさ。どうかな」
漫画では、百瀬亜依とのデート場所だった夏祭りに、王崎から誘ってもらえている。しかも、茉莉花と一緒に夏祭りに行くことが楽しみだと言う王崎に、茉莉花の頭は真っ白になった。
「あの…あの、是非。私も、王崎君と行くの、楽しみ…」
数秒置いて、王崎の言葉を噛み締めた茉莉花はなんとか言葉を搾り出した。
鏡を見るまでもなく顔は赤いだろうし、ドキドキしているせいかうっすら涙まで出そうだ。嬉しい気持ちをもっとたくさん王崎に伝えたくとも、胸がいっぱいで息をするのすら苦しい。
そんな茉莉花の様子に気付いていないのか、返事をもらった王崎はにこりと、いつもどおりの綺麗な笑みを浮かべる。
「よかった!じゃあ明日にでもあの二人にも伝えよう」
「え?」
またしても茉莉花の頭が真っ白になる。
何度か頭の中で王崎の言葉を反芻し意味を考えると、先ほどまでの息苦しさが嘘のようにクリアになった。
「あの二人って、百瀬さんと速水君のこと?」
「そう、せっかく一緒に勉強しているんだしね」
「あー、うんなるほど。そうね、彼らも楽しみがあれば勉強もはかどるでしょうね」
「百瀬さんたちの予定があえばいいな」
「絶対大丈夫だと思うわ」
百瀬さんは王崎君から誘われれば何が何でも来るでしょうし、速水君は百瀬さんが行くなら何が何でも来るでしょうから。
棒読みにならないように気をつけながら茉莉花は言った。
期待が大きかった分、気持ちの下がり方も激しくその後の会話はろくに覚えていない。
しかしもともと漫画では、夏祭りは百瀬と王崎のデート先だった。むしろそこに混ぜてもらえるだけ、事態はいい方向へ進んでいると考えるべきだ。
家につく頃にはそう結論が出た。
「送ってくれてありがとう、王崎君」
「どういたしまして。明日も勉強会よろしくね」
「こちらこそ、よろしく」
もときた道を逆戻りする王崎の姿が見えなくなるまで、茉莉花は彼の後ろ姿を見つめた。
夏祭りも楽しみだけれど、今週はこうしてずっと一緒に帰ることができるのだと思うと、自然と頬が緩む。
明日は何を話そうかな、と茉莉花は上機嫌で家の中に入っていった。
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