第29話 暗黙の約束
家庭科部の活動の片付けを終え、部活で使ったエプロンとクッキーの入ったウサギ型のラッピング袋を手に、茉莉花は教室を目指した。
家庭科室へ鞄を持ってきてもいいのだが、茉莉花はいつも教室へ鞄を置いて、部活終わりに取りに戻っているのだ。
クッキーの入ったラッピング袋は2つある。
1つは、くまの形のクッキーが少し多く入っている袋。
もう1つは、ハート模様のクッキーがほんの少し多く入っている袋。
くまの形のクッキーが多く入っている袋の方は、結衣にあげるためのものだ。
お弁当のことから結衣の性格を理解している茉莉花は、言われる前に毎回用意し、部活のあった次の日のお昼時間に渡している。
そのたびに大きなリアクションつきで喜んでくれ、幸せそうに食べてくれているのだから、作った茉莉花としても悪い気はしない。
また今回も飛び上がるようにして喜んでくれるだろうと、結衣の想像をして笑みを漏らした茉莉花はもう1つのハート模様がほんの少し多く入っている袋に目線を移した。
この袋を受け取る彼も、またいつもの通りに眩い笑顔を見せてくれ、少女漫画でしかきけないような感想を言ってくれるだろう。
彼の顔を思い浮かべ、熱くなった頬を誤魔化すように茉莉花は早足で教室を目指した。
角を曲がれば、教室にたどり着く。
「だ、大丈夫だから!ほんとうに気にしないで!そもそも私が前見ずに走ってたのがいけないんだし…」
「でも始めての部活でせっかくつくったクッキーだったんだよね。それに誰かにあげるつもりだったんだろう?」
「そんな予定なかったから大丈夫だよ。ほら、その証拠に適当な袋にざざっていれただけだし。クッキーだって割れる前からもともと酷かったんだよ。市松模様
ぐちゃぐちゃだし、クッキーも四角じゃなくて変な形だったり、ひび割れてたもん」
聞こえてきた会話に、茉莉花は足をとめ、柱に姿を隠し、こっそりと角の先を覗き見た。
教室の前には、先ほどまで一緒にいた百瀬と、バスケの部活終わりの王崎がいた。
王崎の手には、百瀬が作ったクッキーが入っている袋がある。
会話の流れからして、二人がぶつかった際にそのクッキーが割れてしまったのだろう。
「さっきもけーちゃん…幼馴染にも下手くそって言われちゃうくらいだし、味だって正直普通だから、王崎君が気にするようなものじゃないんだよ」
幼馴染のお墨付きだよえへへ、と困ったように笑う百瀬の姿に、茉莉花はサァッと全身の熱が失われていくのを感じた。
見たことがある表情、聞いたことのある会話。
どこで見たことがあるかなんて、決まっている。『スイートチョコレート』だ。
漫画のワンシーンが今、目の前で現実になっているのだ。
やめてほしい。この先の展開は、いやだ。
茉莉花のその思いも虚しく、二人の会話は進んでいく。
「そうか、じゃあこのクッキー本当に誰にもあげないんだ」
「そうだよ、だからもう…」
百瀬の言葉の途中で、彼女が止める間もなく、王崎は突然袋を開けてクッキーを口にした。
さくさくと音を立てて割れたクッキーを食べる王崎を、百瀬は唖然とした表情で見上げる。
「美味しい。どうしよう、やみつきになってとめられないなこれは」
王崎はにこにこと笑いながら、どんどんクッキーを口に入れていく。
「王崎君!」
「本当、全部食べちゃいたいくらいだ。あ、そういえば誰にもあげる予定ないって言ってなかったっけ?なら俺がもらってもいいかな」
「で、でも本当にただのクッキーだし、それに形だって」
「ただのクッキーじゃないよ。百瀬さんが一所懸命作ったクッキーだ。美味しいに決まってる」
その言葉に百瀬は顔を真っ赤にし、ありがとうと小さく呟いて下を向いた。
「…あのね、私これからもっともっと練習するから、どんどん上手になると思うの。ラッピングだってがんばるから」
百瀬が赤く染めた顔をあげ、王崎を見つめながら震えた声で続ける。
「だから…だからね、また私の作ったもの…食べてくれる?」
「俺に作ってくれるの?嬉しいなぁ」
「本当!?えへへ、やった!次はパウンドケーキ持って来るね」
「楽しみにしているよ」
王崎の返答に百瀬がはしゃいでいると、最終下校時間30分前を知らせる校内放送がかけられた。
「あ、もうこんな時間」
「…百瀬さん、茉莉花ちゃんと同じ部活だよね。彼女見なかったかな?」
「茉莉花ちゃん?私、早くに家庭科室出たからわからない…。ごめんね」
「いや、いいんだ。約束しているわけでもないしね。百瀬さん、帰ろう。遅いから俺に送らせてくれるかな」
「え!ありがとう!お願いします」
弾むような声をあげた百瀬は、照れくさそうに王崎の隣へ並んだ。
微笑ましげに彼女が並んだことを確認した王崎は、茉莉花がいる方向とは逆の方向へ進んでいった。
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