第25話 約束の証2
心は晴れやかでないが、ずっとここで後悔していても何も始まらない。
それよりもまず王崎と約束した本を手に入れるべきだ。
そしてその本をきっかけに、彼との距離をより縮めていくにはどうすればいいのかを考えた方が、ここで立ち止まるよりよほど有意義である。
そうと決まれば、さっさと学校から出ちゃおう。
百瀬の席の横に立っていた茉莉花は、鞄を取りに自分の席へ戻ろうとした。
その足先に何かがぶつかった。
「なんだろう」
茉莉花は足元に落ちている物を拾いあげた。
垂れ目で少し泣きそうな表情をした、くまのぬいぐるみのキーホルダーだ。
少し汚れて草臥れた様子のくまのおなかにはローマ字のKが赤い糸で縫われている。
どこかに引っ掛けたのか、くまの顔の部分が少し裂けている。
どこかで見たことあるキーホルダーだな…。クラスの誰かの物なのだろうけど…。
茉莉花はクラスの女子生徒の顔を思い浮かべた。
しかし、誰を思い浮かべてもしっくりこない。
既視感はあるのに思い出せない状況にもやもやしながら、自分の席に戻ってロッカーから引っ張り出した裁縫箱から、針と糸を取り出した。
誰のものかわからなくても、せめて裂けた部分を修復しておこうと糸を選んでいると、教室の後ろのドアが乱暴に開かれた。
音に釣られて視線を向けると、そこには両手をポケットにつっこんだ、相変わらずのしかめっ面をした速水がいた。
彼はずんずんと足を進めて茉莉花の隣の席まで来ると、右手をポケットから出し、鞄の中に教科書を入れ始めた。
帰宅の準備だろうか。複数の教科書、ノートを片手で乱暴に鞄に放りこんでいる。
置き勉しないんだ。しかも英語や数学だけでなく生物まで持って帰るなんて、意外すぎる。
横目でちらりと盗み見ながら、妙なところで真面目だと茉莉花は感心した。
次々に物が詰められていく鞄は、もともと不安定な状態で置かれていたのか、速水が日本史の問題集を投げ込んだ瞬間、バランスを崩し派手な音をたてながら床に落ちた。
連鎖的に、中に入れられていた教科書やノートも雪崩のように散らばっていく。
見事な散らばりように、絶句して立ち尽くしている速水を横目に、茉莉花は席を立って、床に落ちている物を拾っていく。
その行動に速水が戸惑ったような雰囲気を出しているが、さすがに隣の席でこんなに物を落とされて普通無視はできない。
淡々と拾う茉莉花に、数拍して速水もしゃがみこんで、ようやく左手もポケットから出し、床に落ちているノートに手を伸ばした。
「っ…!」
ハッと息を呑む声と共に、速水のポケットから小さな物が落ち、ころころと茉莉花のところまで転がってきた。
「…指輪?」
アームやマウント、プロングが全てプラスチックでできた小さな指輪を摘んだ。
センターストーンには、赤いガラスがはめこまれている。
茉莉花ならばピンキーリングとしてなんとか使えなくもないだろうが、おそらくサイズ的に子供の玩具だろう。
この指輪、どこかで見たことある。
またも訪れた既視感に思考をめぐらせていると、目の前にぬっと大きな掌が差し出された。
「おい、それ」
気まずそうな顔をしている速水と、指輪を見て茉莉花はようやく思い出した。
くまのキーホルダーと指輪は、速水と百瀬が小さい頃に約束の証として交換した物だ。
道理で見たことあるはずだ。
先ほどから思い出せずにもやもやしていた気持ちが解消され、すっきりとした気分で茉莉花は速水の掌に指輪をちょこんと載せた。
子供用の玩具の指輪は、速水の掌の上だと更に小さく見える。
指輪を受け取った速水は、安心したように息をついた。
「大事な物なのね、その指輪」
「…だからなんだよ」
茉莉花が声をかけると、速水はぶっきらぼうに呟いた。
「大切だからいつも身に着けていたいのはわかるけど、そのままポケットに入れるのは危険じゃないかな、と思って」
「…別に、関係ないだろ」
「…よければ、今小物入れ作ってあげようか?その指輪が入るくらいの小さい布製の」
「はぁ?何でそんなもんお前が作るんだよ」
「まぁ、隣の席のよしみってやつかな。後、入学式の時助けてもらったしそのお礼も兼ねて」
二人とも何年も前の約束を大切にして、ずっとお互い交換した約束の証を身につけている。
少女漫画ではよくある設定だが実際目の当たりにすると、胸にぐっとくるものがある。
ただ片方は、約束を交わした人間が同じクラスにいることに全く気づいていないところがコメディ感を誘っているが。
しかし今二人の関係がどんなものであれど、彼らが大切にしてきた約束の証を無くして欲しくないなと個人的に思ってつい提案してしまったのだ。
「入学式って…。あ、お前あの時のやつか!桜の木の下でもふらふらしやがって」
茉莉花の言葉に速水が反応する。
隣の席になって三ヶ月。ようやく茉莉花を認識したようだ。
百瀬が転校してくるまで授業には最低限顔を出す程度であったし、百瀬が転校してきてからはいつ話しかけようかとずっと彼女を見ていたのだから、同じクラスの人間のことも、隣の席に誰が座っているのかも意識したことがなかったのだろう。
理屈はわかるけど、本当に百瀬さん以外に興味持たないんだなぁ…。
『スイートチョコレート』の速水慶吾の設定通りの性格だ。
「今端切れいくつか持ってるし、指輪の大きさに合わせた小さい裏地なしの巾着なら三十分あれば作れるよ?」
速水の言葉を流し、机の上に端切れを並べてみせる。
しかし、彼は端切れよりも机の上に置かれていたくまのぬいぐるみのキーホルダーに反応した。
「あぁ、そのくまのぬいぐるみ。さっき教室で拾ったんだけど、頬が少し裂けてるみたいだったから縫おうとしてたの。縫い合わせようと思ったんだけど、思いのほか避けた部分が広くて、むしろこれなら上から別の布をあてて傷を隠したほうがいいかなって思ってたところ」
「別の布?」
「赤いフェルトを小さな楕円形にして、ほっぺたに見立てるの。それならおかしくないでしょう」
「ふーん…」
否定しないということは、了承の意味だろう。速水の場合。
元持ち主に許可を得た茉莉花は、フェルトをくまの頬に縫いつけ始める。
キーホルダーについている小さいぬいぐるみのため、フェルトを縫うのに五分もかからなかった。
「ほら、かわいいでしょう」
くまを速水に渡し、ついで端切れを手に取り巾着袋を縫い始める。
指輪を入れるだけの巾着のため、お守り袋のサイズにおさめる予定だ。そのサイズならば、持ち運びに便利だろう。
いくつかある布の中から淡い桃色と白い布をパッチワークのようにあわせる。
横から桃色の端切れを茉莉花が選んだことに不満の声があがったが、茉莉花は黙殺してちくちくと縫い進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます