第24話 約束の証
顔面でボールをキャッチした百瀬は、頭から派手にバターンと勢いよく倒れ込み、ぴったりと揃えた両足を反動で90度まで上げた。
そして、数秒間手足をピクピクさせながら目を渦巻き状にくるくるとまわし、口元でほにゃほにゃと何か呟くと、パタリと完全に動きを止めた。
漫画の典型的な倒れ方をした彼女はその後、隣の体育館でA組の男子生徒達を教えていた武田によって、保健室へと運ばれて行った。
幸い体育の授業が六時間目にあったために、残すはホームルームのみだ。
ゆっくりと休むことができるだろう。
イレギュラーな事態に、体育の直後の教室は少しざわついていたものの、ホームルームと掃除を終える頃には、皆の関心は薄れていった。
放課後になるとクラスメイト達は各々が、慌しく部活へ向かったり、友達同士で寄り道の計画を立てながら教室を後にした。
クラスメイト達の意識から百瀬のことが抜け落ちている中、茉莉花の意識は未だに百瀬に向かっていた。
目の前でボールが勢いよくぶつかり、倒れたのだからもちろん心配もしている。
しかしこの後の展開を知っている身としては、心配よりもむしろ、迷いが茉莉花の心中を占めていたのだ。
事あるごとに自分と宮本茉莉花を比べ、憧れを募らせていくヒロイン。そして王崎と共にいる宮本茉莉花を見て、彼女の気持ちに気づいてしまう。
全てにおいて優れている宮本茉莉花には敵わないという劣等感を抱き、体育の時間さえぼんやりと考え事をするヒロインは、ボールにあたって気絶してしまう。
百瀬が転校してきてから現在まで、『スイートチョコレート』で描かれた展開通りに事が起きている。
百瀬がここ数日ずっと茉莉花を観察していたことから、心情も『スイートチョコレート』と一致しているに違いない。
『スイートチョコレート』通りということは、現時点で百瀬は王崎のことが好きだ。しかし、宮本茉莉花の存在によって、彼女の心に迷いが生じている。
この先、「何か」が起きて漫画通りの展開にならなければ、あるいは彼女は王崎への気持ちを諦めるかもしれない。
彼女が気持ちを捨ててしまえば、王崎との距離も自然と『スイートチョコレート』で描かれるよりもずっと離れるはずだ。
そして距離が遠ければ、二人が結ばれる可能性もぐっと低くなるに違いない。
つまり、その「何か」を起こさないためにも、この鞄は私が届けるべきね。
閑散とした教室で、百瀬の席の上に彼女の鞄を置いた茉莉花がそう結論を出していると、前方のドアから王崎が姿を現した。
「茉莉花ちゃん、よかった。まだいてくれたんだね。実は、謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「王崎君が私に?」
「そう。お互い部活がないから放課後本屋に寄ろうっていう今朝の約束、守れそうにないんだ。先生に頼まれて、百瀬さんを家まで送って行くことになって…。本当、ごめんね」
王崎の形のいい眉が、申し訳なさ気に下がっている。
こちらを気遣うような瞳に、茉莉花は首を振った。
「そんな、いいの。先生に頼まれたことだもの、仕方ないわ。そうだ、百瀬さんのこと心配だし、私も一緒に送ろうかしら」
「いや、大丈夫だよ。茉莉花ちゃんの家とは逆方向みたいだし」
「でも…」
「それより、本屋に寄って例の新刊を手に入れてきなよ。一緒に行けなくて本当に残念だけど、明日茉莉花ちゃんの感想聞きたいな」
でも詳しいネタバレはあんまりしないでね、と笑ってみせた王崎は百瀬の鞄を持って教室を後にした。
王崎の出て行ったドアを見つめながら、茉莉花の脳裏に夕焼けに照らされながら、帰宅している王崎栄司と百瀬亜依の姿が思い起こされた。
倒れた百瀬を気遣っているのか、足取りはゆっくりだ。また、倒れてもすぐ支えるためか、二人の距離は近い。
手と手が触れ合いそうなほどの距離に、自身の心臓の鼓動が王崎に聞こえてしまうのではないかと顔を赤らめながら百瀬は王崎を見上げた。
楽しげに話している王崎は夕日に照らされているせいか、それとも百瀬の心情を表しているのか、キラキラと輝いている。
ああ、私、王崎君のこと、好きだなぁ。
百瀬の心の中にストンとそんな感情が落ちてくる。
同時に、朝見た王崎と宮本茉莉花の姿を思い出す。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、この人のことが好き。
見つめるだけなんて、この想いを捨てることなんて、できない。
住宅地を歩く二人の姿を背景に、百瀬のそのモノローグが想いに比例するかのように大きく書かれていた。
「叶わない恋なのは、むしろ私の方だって…」
茉莉花は大きなため息をついた。
鞄を自分一人で届けることも、一緒についていくこともできなかった。
王崎が百瀬の鞄を持って行き、家まで送るという「何か」。
『スイートチョコレート』通りの展開なら、この出来事で百瀬は王崎への恋を諦めないと決意するようになる。
まだヒーローがヒロインに恋すると決まったわけではない。
それでも、物語が少しずつ、確実に進んでいると、茉莉花は感じていた。
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