第四話 誘拐
一振り、二振り、三振り。
僕は虚空に向かい、繰り返すように手にした木刀を振るい続ける。
真冬にもかかわらず、体中から吹き出す汗。
額から汗が滴り落ち、そして目元に入った。
途端、僕は剣を振るう手を一瞬止め、思わず瞬きをする。
だがその刹那、手にしびれを感じると、いつの間にか僕の木刀は弾き飛ばされていた。
「どうした、秀一。どうにも剣に迷いが見えるな」
いつの間にか喉元に突き付けられた木槍を目にして、僕はその場に固まる。
木刀を弾き飛ばした犯人。
それは眼前に立つ、不敵な笑みを浮かべた大男であった。
「いえ、そんなことは……というか、突然仕掛けてくるのはやめてくださいよ」
「ふん。
「後ろからとは、こうゆうことかのう?」
腰に手を当てながらニンマリと笑みを浮かべていた十河様は、その老人の声が響くなり、木刀によって打ち付けられた頭を両手で押さえる。
気づかなかった。
目の前で起こったことの是非云々よりも、それこそが僕の正直な感想であった。
先ほどの十河様の一撃は、確かに僕が集中を欠いていた事にその原因がある。
しかしたった今、師匠が眼前で見せた動きは、後ろを取られたわけではない僕にも、全く認識することが出来ないものであった。
「お師様、いきなり後ろからとは卑怯ではないですかねえ」
手にしていた木槍を取り落とし、両手で打たれた頭を押さえたままの十河様は、後ろを振り返るなり抗議を口にする。
だが眼前の老人は、嬉しそうにニンマリと笑みを浮かべてみせた。
「ふふ、さっき自分で言っておっただろうが。戦場では後ろからやられることもあると。ただそれを実践して見せただけじゃよ」
「あのですね、あれはあくまで戦場でのたとえですぜ。だいたいお師様ほどの化物が、どこの戦場にいるっていうんですか。この俺に全く気配を感じさせず、後ろを取るような化物なん――」
「誰が化物じゃ。まったく」
再びその頭を打ち据えることで十河様の反論を遮ると、師匠は深い溜め息を吐き出す。
そして地面に転げまわる十河様を無視して、師匠はその視線を僕へと向けた。
「で、秀一。本当のところ、何か気になることでもあるのかのう。こやつではないが、わしの目から見ても、剣筋に些か迷いが見受けられたが」
「さすが師匠には、隠しようが無いですね……実は僕の知り合いの娘さんが、朝のうちにここを訪れるはずだったんです。それが一向に姿を見せないので、少し気になっておりまして」
朝のうちに来ると言ったマリア。
だが昼過ぎとなったこの時間においても、依然としてその姿は全く見受けられない。
そしてそのことを考える度に、胸が苦しくなるような、言い様のない違和感を僕は覚えていた。
この感覚、それはかつて経験したことがある。
そう、前世において不幸が訪れる直前に僕がいつも感じた感覚と完全に一致していた。
一方、そんな深刻な表情を浮かべた僕に対し、先程まで地面を転げまわっていた大男は、いつの間にか立ち上がると頭をさすりながら口を開く。
「いつつ……というか、娘だと? おい、秀一。お前も隅に置けねえな。で、どんなだ、美人か?」
「いや、美人というか……まだ僕より二つも幼い女の子ですよ」
「何だ
「馬鹿者が。そんなつまらんことばかり言っておると、本当に秀一に追い越されるぞい」
本日三度目となる師匠の折檻。
それを立て続けに受け、十河額と呼ばれる剃りあげた額を腫らした男は、思わず涙目となった。
「痛えなぁ、お師様」
「ふん、自業自得じゃ。そんな調子では、鬼十河の異名が泣くぞ、まったく」
師匠は小さく首を左右に振りながら、呆れたように溜め息を吐き出す。
そんな二人のやり取りを目にして、どう反応して良いのかわからなかった僕は、兎にも角にもと師匠に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。師匠に確認を取らず、女人をここに呼ぶような真似をしてしまいまして」
「かまわんかまわん。此奴のような馬鹿者ならともかく、お前さんはもう少し余裕を持ったほうが良いじゃろうてな」
頭を下げ続ける僕に対し、師匠は片手でそれを制すると、いつもの人好きのする笑みを浮かべる。
一方、そんな彼の口にした言葉を耳にして、僕は引っかかった点をそのまま問い質した。
「余裕……ですか」
「ああ、余裕じゃ。六十九も生きた老人の戯れ言ではあるが、わしの目から見て、お主はいささか生き急ぎ過ぎている感がある」
僕はその言葉に、一瞬ドキリとする。
「僕自身は、これでも歩みが遅いと思っているのですが」
「ふふ、そこじゃよ。周りが見ているお主と、お主自身の自己評価が些かずれておる。そんなことじゃと、これから苦労するぞ。お主の大望を成すのにな」
「……それは」
どこまで気づいているのだろうか。
目の前の老人は初めてであった時から、まるで空に浮かぶ雲のように、あまりに自然体でその全貌をつかむことが出来なかった。
そして今、その思いは一層強くなりつつある。
そうして思わず神妙な表情を浮かべた僕に対し、師匠は突然高らかと笑うと、右の口角を吊り上げた。
「かっかっか。いや正直な所、お主が本当に何を考えとるかなど知らんし、特に知りようもない。だがその目指すところが、お主を持ってしても遠い場所だということは何となく分かる。将来を嘱望された商人にもかかわらず、こんな爺のところで、修行しようと言う物好きじゃからな」
「将来を嘱望されているかどうかはともかく、僕自身、星をつかむようなことを目指しているという自覚はあります」
「ふむ、それは結構。しかしだ、そのためにもお主は、もう少し足もとを見るようにすることじゃな。天に浮かぶ星ばかり見つめていれば、足元の小石にさえ躓いてしまうこともある。言いたいことはわかるな?」
師匠はそう口にすると、試すような視線を僕へと向ける。
僕はとっさに胸を押さえ、そして深々と頭を下げた。
「しっかりと、この胸に刻ませていただきます」
「ふふ、お主はほんと根が真面目じゃな。此奴にも少し見習わせてやりたいものじゃ」
「何ですか、お師様。俺は俺なりに、兄者たちのためにまじめに生きてるつもりですぜ」
十河様の兄者達。
それが意味するのは、現在のこの畿内の覇者と呼んでも良い三好家の三人の兄たちのことである。
野口氏の養子となった末弟の
結果として、天下に覇を唱えるほどの勢力となりつつあったのだが、そんな三好家の武を支え続けているのが、彼こと十河一存である。
だからこそ、彼の兄弟への献身に関しては、師である卜伝でさえも何一つ否定する言葉を持たなかった。ただし、それ以外のこととなれば、また全くの別問題である。
「お主の槍働きは認めておるよ。おそらく長慶殿もな。だが、あまりに自らの事がいい加減すぎる。特にだ、酒癖と女癖を少しは直せ。朝から酒と女人の香りをまとって槍を振るいに来る奴がおるか、馬鹿者め」
「いっつ……え、バレてたんですか」
本日四度目の折檻を受けながら、十河様は信じられないといった表情でそう問いかける。
そんな彼の言葉を耳にし、僕は二人の間に入りながら、呆れたように十河様に向かって口を開いた。
「はぁ……当たり前ですよ。僕でさえ気づいていましたからね」
「おい、秀一。ならお師様にバレる前に教えてくれよ」
「そういうのは、師匠のいないところで言ってください。袖の下次第では聞きますから」
「なんだ、お前も結局は堺の強欲商人か? 実につまらん生き方だぞ、それは」
頬を軽くふくらませながら、十河様は僕に向かってそう苦言を呈する。
粗野で破天荒。
だが、たまにこんな子供のようなしぐさを見せるこの人のことを、僕は正直慕っていた。
しかし、この場においてそんなことを口にするのは野暮である。だから、更に十河様をいじめようと、僕は頭の中で適切な言葉を、羅列していこうとした。
だがそんな折、突然修行場の外から今にも途切れそうな声が発せられる。
「しゅ、秀一様……秀一様はいらっしゃいますか?」
僕は思わず後方を振り返る。
そして僕の視界には、血まみれの一人の執事が写り込んだ。
「与兵衛さん!? ど、どうされたんですかその姿は。それに、マリアは一緒じゃなかったのですか?」
「そ、それが……うぅ……」
そこまでを口にしたところで、与兵衛さんは前のめりに崩れ落ちる。
それを目にして最初に駆け出したのは、先程まで額を押さえていた十河様であった。
「お、おい。お前どうした……秀一、この傷!」
前のめりに倒れこんだ与兵衛さんをその目にして、十河様はそう口にする。
そう、与兵衛さんの後頭部には、はっきりとした巨大な打撲痕が刻まれていた。
「もうしわけ……ありません」
人を呼び、与兵衛さんをコスタ家が滞在する南蛮屋敷へと運びこんだのは、もう夕刻になろうかという頃合いであった。
ようやく意識を取り戻した与兵衛さんの頭には、ファビオ氏が船から運び込んできた包帯がぐるぐると巻かれ、ベッドの上で寝かされた彼は、痛む頭を皆の前で深々と下げる。
そんな行為を目の当たりにして、僕は皆の思いを代弁し片手で制すると、まっすぐに彼に向かって疑問をぶつけた。
「いえ、それはかまいません。それよりも何があったのですか?」
「わかりません。いえ、突然お嬢様の悲鳴を耳にするとともに、背後から何者かに殴られまして……そして気がつけば、お嬢様の姿はそこになく……」
「……誘拐か。ひでえことしやがる」
僕の隣で壁にもたれかかっていた十河様は、不快気な表情を浮かべながらそう吐き捨てる。
一方、誘拐という言葉を耳にして、ファビオ氏の表情が変わったのが見て取れた。
だからこそ、僕は申し訳ないという思いを胸に秘めながら、ファビオ氏に向かって更に詳細な情報を求める。
「あの……何か心当たりはありませんか?」
「いえ、昨日この堺に来たばかりでス。特に誰かに恨みを買ったような覚えもなク……」
だんだん弱くなっていく彼の言葉。
それを僕は皆に向かって翻訳して伝えると、十河様は眉間にしわを寄せた。
「南蛮人を狙った犯行か、それとも金目当てといったところだな」
「かも知れません。となれば、何らかの脅しか揺すりを掛けてくる頃合いですが……」
僕はそこまで口にしたところで口をつぐむ。
あまりにも静かすぎる。
それが僕の最初に抱いた疑問であった。
そして全く同じことを師匠も考えていたのか、顎に手を当てながら疑問を口にする。
「おかしいのう。わしが連中ならとっくにこの家に来て、取引という名の脅しをかけておるところじゃ。ところが――」
「未だ何も動きはない……ですか」
師匠の言葉を引き取るような形で、僕はそう口にする。
すると、その言葉を耳にした十河様も、大きく首を縦に振った。
「その通りだな。誘拐ならば目的が必要だ。お嬢ちゃんが年頃のいい女だったって言うなら、護衛付きでも欲に駆られた馬鹿が襲ってくるかもしれん。だが、まだ十歳程度のちんちくりんだったというなら、些か疑問が残るわな。如何に、南蛮女性だとしてもだ」
そう、この堺においてブロンドの髪を有する女性など存在しない。
今現在、この地を訪れていたマリアが唯一である。
だからこそ、そんな彼女に対し邪な思いを持つものが仮にいたとしてもおかしくはなかった。だがそれにしても、護衛付きのところを襲うとは、目的に比してあまりに大胆すぎると言えよう。
「となれば、やはり金絡みと見るべきですかね……ん、待ってください。与兵衛さん、あなたが襲われた場所はどの当たりでしたか?」
「秀一様たちの修練所の少し北になります。確かに人気がなく、少し狭い道でしたが、まさか突然……」
与兵衛さんは無念さのあまり、そこまで口にしたところで俯いてしまう。
一方、その答えを耳にするなり、僕の頭の中では一つの可能性がはっきりと浮かび上がった。
「どうした、何か気になることでもあるのか?」
「確かその辺りで人攫いが繰り返されていると、昨日宗易様に伺いまして」
十河様の問いかけを受け、自分自身が警告された話を、頭の中から引き出す。
すると、僕が口にした人名を耳にし、十河様は大きく目を見開いた。
「宗易……あの千宗易ことか!」
「はい」
驚きを見せる十河様に向かい、僕ははっきりと首を縦に振る。
「ふむ……あの御仁は嘘を言わん男じゃ。もちろん全てを明かすような単純な男ではないがの」
「師匠、もう少し詳しい話を聞くべきでしょうか?」
「そうじゃな、それがええかもしれん」
僕の問いかけに、師匠は一つ頷く。
それを受けて、十河様へと視線を向けると、僕は一つの頼みを口にしかけた。
「十河様。申し訳ないのですが、できれば一緒に宗易様のもとに――」
「ふふ、宗易ならここにいるぞ!」
突然、部屋の入口から発せられたやや甲高い声。
それを耳にするなり、部屋の中にいた僕たちの視線は一斉に動く。
僕たちの視線の先。
そこには千宗易と、やや派手な衣服に身を包んだ若い武士が存在した。
「上総介殿!? それに宗易様も、どうしてこちらに」
「いえ、外から何度かお声をかけさせて頂いたのですが、誰もお出になられず困っておりましてな。そうしておる内に、上総介殿が勝手に中へ入っていかれたので、後を追わせて頂いた次第でして」
「宗易、一つ聞きてぇが、これはてめえの仕込みじゃねえだろうな?」
宗易の言葉を聞き終えるか終えぬかのところで、待ちきれぬとばかりに十河様は疑問をぶつける。
「仕込み……ですか? 手厳しいですな、十河様」
「ふん、その反応を見るに、どうやら状況は理解しているようだな」
宗易様の言葉を耳にして、十河様はにやりと笑った。
そう、普段の素行と振る舞いから勘違いされることも多いが、この男は決してただの猪武者ではない。
時として、戦場仕込みの鋭い刃を見せることがあった。
もちろんそれは、当然のことだということも出来よう。
なぜならば、ただの馬鹿が三好家の武を背負って立つことなど、到底出来るはずもなかったからだ。
一方、先手を取られたと理解した宗易様は、少しばかり苦い表情を浮かべると、一つの事実を明かされる。
「……否定はいたしません。何しろ、うちの者が偶々現場に居合わせておりましたもので」
「え、それは本当ですか!」
その言葉を耳にして、僕は思わず二人の間の会話に言葉を差し挟む。
すると、宗易様は僕に向かって小さく首を縦に振った。
「おい……居合わせたってのは、まさか犯行に及んだってのと同義じゃねえだろうな?」
「十河様。はっきり申し上げますが、もちろんそんなことはありません」
「そうか……しかしあまりに間が良すぎる。直接あんたが、今ここに身代金要求に来たと言っても納得するくらいにだ」
宗易様の言葉に一度頷いてみせるも、十河様は改めて追求を行う。
そんな彼の言葉を受けて、思わぬ人物が宗易様に向かって口を開いた。
「なんだ、宗易。意外とお前、信用ないんだな」
「上総介殿まで。ともかく冷静に考えて下さい。私がコスタ家のご令嬢をさらったところで、何の利益があります?」
怒りは見せぬでも、険しい表情を浮かべた宗易様は、十河様に向かってそう問いかける。
「今井のところの商いを、そっくり奪うことは出来るんじゃねえか?」
「誘拐した相手とファビオ氏が、これからも末永く付き合ってくださると?」
「犯人は別で、あんたが救い出したふりをして恩を着せるって手もあるぜ」
「たしかにその可能性は否定できません。ですが、娘が誘拐された地で今後も商いをしたいと思われますか? それも又、益のない行為ですよ」
一切その言葉は感情の乱れを見せることなく、あくまで淡々と宗易様は反論される。
その理を前にして、確かに彼が黒幕であると僕には思えなかった。
それ故に、二人の仲裁にはいるような形で、確認の問いを行う。
「つまり宗易様は今回の件に無関係だと、そう言われるのですね」
「ええ、そのとおりです。と言うより、私はただうちの者から聞いた話を、お伝えに参った次第でして」
「信じましょう、十河様。僕も商人の端くれです。本人の言われるとおりで、宗易様が真の商人ならこんな益のないことはなされない。僕はそう思います」
僕は視線を十河様に向けながら、はっきりと自分の見解を伝える。
そこでようやく納得したのか、十河様は小さく頭を下げた。
「……確かにな。済まねえな、疑って悪かった」
「いえいえ、間があまりに良すぎたというか、逆に悪かったというか……ともあれ、その結果でしょうから」
宗易様はそう口にすると、軽く苦笑を浮かべる。
そこで僅かに空間の空気が弛緩するのを感じ取った。
だからこそ、僕は改めて一つの問いを宗易様にぶつける。
「それでお伺いしたいのですが、宗易様が聞かれたお話とは、どんなものだったのですか?」
「はい。それですが、どうも三人ほどの若い男が、背後から突然そちらの与兵衛殿と異国のお嬢様に襲いかかったようでして……そして彼らはお嬢様を連れて、そのまま西に向かい駆けて行ったそうです」
「ほう。で、その見たって奴は、その間、一体何をしていたんだ?」
先ほどの謝罪から間もないにもかかわらず、十河様のややキツイ問いかけを行う。
途端、宗易様は少しばかり視線を逸らしながら言葉を紡いだ。
「それは……多勢に無勢、ただ見ていることしか出来なかったとの由にて」
「十河、全てをお主の基準で考えるではない。町人には町人の生き方と限界がある。それは武士の我らとて同じじゃろう」
ポカリというはっきりとした打撃音が、その声とともに部屋に響き渡る。
そして十河様は、赤く腫れた額を押さえる羽目になった。
「イテッ、いや、今から謝ろうと思っていたところですよ。お師様」
「じゃあ、つべこべ言わずとっとと謝らんか」
「宗易、重ねて俺が悪かった」
師匠に促される形で、十河様は先ほどと異なり深々と頭を下げる。
三好家の四男という立場の男による謝罪。
その行為を前にして、宗易様は急ぎ彼を制止すると、慌ててその口を開く。
「いや、本当に気にしておりません。十河様に悪意がないことはわかっておりますので、おやめ下さい」
「そうか……だが悪かったよ、ほんと」
それは間違いなく、十河様の本心だろう。
この人は、思ったことをそのまま口にするし、自分が悪いと思えば素直に謝られる気質がある。
それ故に、
「あの、重ねて一つお尋ねしたいのですが……宗易様、彼らは昨日話されていた、噂の誘拐犯たちだと思われますか?」
「どうでしょうか。ですが、どうにもやり口が手馴れていた様子。可能性は大いにありましょう」
「そうですか……」
僕はその回答を耳にして、わずかに考えこむ。
「どうする、秀一。西の方へ行ったって言うなら、そっちにある建物を片っ端からやさ探ししていくか?」
「この堺の西側に、何件の建物があるかのう。正直、うまくいくとは思えんが」
「そうでもありませんよ、お師様。何しろ、この俺は十河です。俺が一声かければ――」
「それはやめておけ、十河。兄たちに迷惑を掛けたくなくばな」
師匠は十河様の言葉をあっさりと途中で遮る。
途端、十河様は怪訝そうな表情を浮かべた。
「兄者たちに? どういうことですかい、お師様」
「お前が部下を使って、やさ探しをするとしよう。当然、そのほぼ全ては無関係の町民の家や倉となる。そこに土足で十河の……いや、三好の兵が足を踏み入れてくるとなると、彼らはどう思うかね」
「むぅ……」
そこまで言われたところで、十河様は胸の前で手を組んだまま黙り込んでしまう。
一方、ようやく頭の中が整理できた僕は、この場に居合わせた一人の豪商に向かい、その口を開いた。
「……宗易様。少しばかりお願いをしてもかまいませんでしょうか?」
「お願い? 一体どんなことかな。もちろん私に出来る事なら構わないが」
「一揃え、ちょっとした衣服を用意して頂きたいのです」
「服? 確か君の家でも、扱っていたと思うが……」
僕の言葉を聞き、宗易様はやや訝しげな表情を浮かべる。
するとそんな彼に向かい、僕は迷わずその理由を述べた。
「いえ、もちろんうちの店も扱っています。ですが、宗易様のところ方が、腕の良い職人を揃えていらっしゃると、莉乃様より以前から伺っておりまして」
「莉乃様……え……もしかして、君!」
宗易様の表情が変わる。
それを目の当たりにして、僕はほんの僅かに表情を緩め、そして大きく一つ頷いた。
「はい。僕が囮になります。女性用の服と化粧をさせて頂いた上で」
「はっはっは、秀一。お前面白いこと言い出すじゃねえか。気に入ったぜ、この俺も付き合ってやる」
僕の言葉を耳にした十河様は、大笑いをしながらとんでもないことを言い出す。
「いや、十河様が女装したら、流石にひと目で男と分かりますよ」
「そうかぁ? 仕方ねえな、じゃあお前が誘拐されたら後ろについて行くとしようか。この畿内で好き勝手する奴は、この俺の敵でもあるからな」
助力は嬉しい。
だがこの反応……多分止めなければ、この人も女装する気だったんだろうな。
「天海殿……少しお待ち頂けますか」
「はい。何でしょうか、宗易様。やはり衣服をすぐにというのは難しいですか?」
「いえ、そのことではありませんが……」
「ああ、もしかして家宰殿の件でしょうか?」
僕は何気ない調子で、おそらく目の前の商人の頭の中に浮かんでいる人物のことを、敢えて口にした。
途端、この場に来て初めて目の前の商人は驚きを見せる。
「な、なぜそれを!?」
「組織だった犯行。そして女子供ばかりが狙われている。さて、彼らの目的は何でしょうか?」
宗易様の動揺を目の当たりにしながら、僕はその空間に居合わせた皆に向かってそう問いかける。
すると、十河様がすぐに言葉を返してきた。
「そりゃあ、誘拐だろ。女子供のほうが拐いやすいだろうしな。というか、さっき話しをしたばかりじゃねえか」
「ええ、行われていることは誘拐です。ですが、一向に脅迫がない。となれば、誘拐する対象はマリアでなくても良かった。そして最近、港に怪しい船が出入りしていると言う話があります。ええ、奴隷船という話がね」
「奴隷船……まさか!」
そう口にしたところで、十河様は思わず息を呑む
僕はゆっくりと首を縦に振ると、迷うことなくその理由を口にした。
「はい、おそらくは人気の少ない場所を歩く女子供を、手当たり次第誘拐しているのでしょう。奴隷として、海外に売り飛ばす目的で」
「なんてことじゃ……だが、秀一。最近自治衆が堺に入港した船を調べていると聞く。もしそんな怪しい船が混じっていれば、すぐに分かるのではないかのう」
「いえ、この堺に寄港しながら、決して怪しまれぬ船があります。自治衆が調べない船、つまり三好家の軍船が」
そう、この堺において商人や町人の目につかず、そして自治衆の監視の目が及ばぬ船。
まさに聖域と言っても良いその船こそ、今回の事件の主犯たちの根城であった。
「おい、待てよ秀一! じゃあうちが――」
「いえ、そうではないです。十河様を始めとする三好家の方々が、組織だって行っているとは思っていません。ですが、三好家においてたった一人だけ、この堺で独自の動きを見せている者がおります……そうですよね、宗易様」
「……おそらくは君の考えの通りだろうな。私たちの草が掴んでいる情報によると、ルソンあたりに和奴隷として、少なからぬ者たちが連れて行かれていると聞いている」
僕の視線を真正面から受け止めながら、宗易様は初めてここまで口にしていなかった事実を明らかにした。
「となれば、先ほど犯行を目撃したのは、やはり貴方の草だったと、そういうわけですね」
「ああ、その通りだ。しかし、流石は今井家の若き俊英。これだけの会話で、そこまで読むとはね」
宗易様は苦笑を浮かべながら、僕に向かって笑いかける。
だが僕ははっきりと首を左右に振った。
「いえ、貴方が誘導されておられたからでしょう」
「……どういうことだ、秀一?」
僕の言葉の意味がわからなかったのか、十河様は怪訝そうな表情を浮かべながら、こちらに向かって問いかけてくる。
「要するに、堺ではびこる和奴隷貿易を、宗易殿は潰したい。しかし表立って動くと、その裏にいる人物を刺激することになる。だから、刺激しても構わない者たちにその役目を押し付けたい。但し、堺で面倒事は起こってほしくないから、彼らと家宰殿との対立は最小限にする……これが宗易殿の頭の中で描かれていた絵だと思います」
ゆっくりと言葉を選びながら、僕は宗易様の目を見つめながらそう述べる。
すると、突然甲高い声が、空間に響き渡った。
「はっはっは、面白い、面白いな小僧! それで貴様は、このあとどうすべきだと思うのだ?」
「そうですね。僕はこの堺が好きです。そしてマリアを僕は救いたい。だから取るべき選択肢は一つです」
そこまで口にしたところで、僕は一度息を整える。
そしてはっきりと皆に向かい宣言を口に仕掛けたところで、その先の言葉をそばに立つ大男に奪われた。
「捕まっている奴隷たちを、全部助けだす。その上で、調子に乗りすぎている松永の野郎に一泡吹かせてやろうぜ」
「……はい、そのとおりです。ともかく、第一手は僕が打ってみます。その後につきまして、皆様にちょっとご相談がございまして……」
美味しいところを奪われた脱力感故、僕は肩を落とす。
だが、そんなことを気にしている場合ではないと考えなおすと、すぐにその場に居合わせた一堂に向かってちょっとした説明を開始した。
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