第三話 沈石山の戦い

 沈石山いかりやま

 それは播磨国風土記には沈石丘とも記されている、姫路の西に存在する小さな山であった。


 そんな山の中腹には姫路村を一望できる、やや開けた見晴らしの良い場所が存在する。

 そこには一対の巨石があり、積岩口とも呼ばれる事もあった。


 この積岩口に登り、山で取れたあけびや野苺などを食することこそ、この地に住まう子どもたちに取って至福の遊びであった。

 そして今、その積岩口は山脇の者たちに完全に占拠されている。


 そんな場所へ、僕らはまさにのこのこという体でゆっくりと歩いて来た。


「何だ、たった二人か?」

「はは、アレじゃねえか。ビビって他の奴らは来れなかったんじゃねえの?」

「ちがいねえ。まったく、姫路の奴らはほんと情けねえな」

 積岩口に乗った山脇の者たちは、僕ら二人が歩いてきたのをその目にして、堪えることが出来ず笑い出す。

 そしてそんな彼らを代表し、山脇重信は不敵な笑みを浮かべながら萬吉に向かって声を発した。


「ふふ、よく来たな目薬屋」

「それは俺のセリフかな。昨日の今日なのに、恥も知らずよくもここにやって来れたな」

 萬吉はわざとらしく呆れたように溜め息を吐き出しながら、重信に向かってそう告げる。

 すると、重信は一瞬表情を強張らせたものの、彼我の状況を思い直し、再びその口を開いた。


「昨日は貴様たちの卑怯な手にやられただけだ。だから今度はこうして、堂々と正面から山を奪ってやった」

「若衆まで引き連れて来てかい? はぁ、子どもたちだけでやるから遊びだったんだ。それが彼らまで連れてきたとなれば、事は政治となる。お前はそんなこともわからなかったのか?」

 心底軽蔑したような眼差しを向けながら、萬吉は重信に向かいそう告げる。

 一方、そんな萬吉の言葉を耳にしようとも、重信は自分の誤りを認めようとはしなかった。


「ふん、父上がやらなかったからこの俺がやるだけのこと。だいたい、小寺のお殿様は耄碌なされたのだ。どこの馬の骨かもわからぬ目薬屋を、この姫路城代にされるなどとありえんことだ」

「今度は小寺のお殿様を批判とはね。本当ならこのまま御着城に裁いてもらいに向かってもいいけど、残念ながらそれじゃあ宗治の敵が取れない。だから……」

 そこまで口にしたところで、初めて萬吉は重信を睨みつける。


「だから、弱っちい山脇のガキども。恥知らずのお前たちを、この俺たちが退治してやるよ」

「……っつ、よく吠えたな、目薬屋! たった二人のくせにいい度胸だ。お前たち、奴らを囲んでしまえ!」

「「おお!」」

 もはや我慢の限界だとばかりに、重信は子分たちに命じて一斉に僕達目掛けて突進してくる。

 それを目にした瞬間、萬吉はにやりと右の口角を吊り上げた。


「さ、逃げるよ、秀一」

「はい、萬吉様」

 お互い頷き合い、そして僕たちは歩いてきた道のりを一目散に駆け出した。


 この積岩口への道のりは三通り存在する。

 山裾からまっすぐに上がってくる急斜面の道のりと、ゆるやかに登ってくる比較的整備された登山道。

 そしてもう一つ、僕達二人が使用した、草と林の中に存在する獣道だ。


 その狭い獣道に、二十名以上の山脇の者たちがお互い押し合う形で、一斉に殺到する。

 そしてその先頭を走るのは、巨漢で鈍足の大柄な男であった。


「予定通り、彼が先頭になりましたね」

「ああ。奴らの動きを監視して、あいつがこの獣道に最も近づいた時に姿を現して正解だった」

「とはいえ、そうでなかったとしても、こいつを前にすれば彼らの足も止まるでしょうけどね」

 僕は走りながらそう口にすると、合図とばかりに天に向かい右手を突き上げる。

 するとその瞬間、メキメキという大きな音が山に鳴り響いた。




「な、危ない。止まれ!」

 先頭を走っていた巨漢の男は、その異音の原因に気づくや否や、後ろから押してくる者たちに向かいそう叫ぶ。

 そして次の瞬間、まさに彼の眼前に巨大な杉の木が倒れこんできた。


「罠……か。くそ、周りにあいつらの一味が隠れているんだな」

 一瞬ヒヤリとした重信は、表情を引き締めなおすとともに、足を止めてそう口にする。

 途端、昨日の敗北を知る周りの者が、不安そうな様子で彼の表情を見た。


「如何致します、重信様。まだ他にも罠を張っているやもしれません」

「ええい、構わん。あのガキどもに追いつきさえすればよいのだ。足の速いものが前に出ろ。そして奴らを捕まえるんだ。流石にあいつらの側まで近寄れば、自分たちも巻き添えになる罠は使うことができん」

「分かりました。では俺が先に行きます」

 山脇に連なる者の中で最も足の速い康呉は、立ち止まった彼らの先頭に立って、全力で駆け出す。

 そしてその後に続くように、彼らは再び一斉に駈け出した。




「ふむ、ちょっと並びは変わったけど、ちゃんと付いて来てくれているようだね」

「そうでないとわざわざ速度を落とした意味が無いよ」

 立ち止まった山脇の者たちが見失わないよう、敢えてゆっくりと走っていた僕は、苦笑交じりにそう漏らす。


「それもそうだ。さて、次だけど走る場所を間違えるなよ!」

「ええ。萬吉様も気をつけて」

 僕たちはそう口にしあうと、一列になって注意深く予定されたコースを走りだす。

 一方、勢いを増して後を追ってきた山脇の者たちは、明らかに相対的な距離を詰めつつあった。




「お前たち、奴らの仲間がまた木を倒してくるかもしれん。周りには注意しながら走れよ!」

「はい、わかっていま……うわっ」

 重信の言葉に返事をしようとした長身の少年は、突然その場で前のめりに転倒する。

 そして時を同じくして、彼らの仲間の何人もが次々と突然転倒し始めた。


「お前たち、どうしたんだ?」

「草です。奴ら、足元の丈の高い草を結んで罠にしています!」

「くそ……ならば奴らの走る道をよく見ろ。あいつらは罠にかかっていない。つまり同じ道を走れば罠にはかからん。いいか、俺に続け!」

 そう口にすると、重信は自らが先頭に立って、走りだした。




「ふむ、あいつ意外と根性があるな」

「執念深いだけかもしれないけど、僕たちと同じ道を走ろうとしているみたいだし、単純な馬鹿ではないのかもしれませんね」

「親や周りへの影響を理解できない馬鹿ではあるがな。ともあれ、もう少しで終点だ。追いつかれないように急ぐとしよう」

 前を走る萬吉はそう言い終えると、更に速度を上げて目指す地点まで一気に駆け抜ける。

 そして僕たちは、この獣道と登山道の合流部である木々に囲まれた小さな広場へとたどり着いた。


「追いついたぞ、目薬屋!」

「……ああ、残念ながら追いつかれてしまったようだな」

 僕たちは少し開けたこの広場の隅で、彼らと向き合う。

 一方、山脇の者たちは次々とこの場にたどり着くと、勝負あったとばかりに笑った。


「ふふ、なかなか小細工をしてくれたが、残念ながらこれで終わりだ」

「ああ。たしかにこれで終わりさ……おまえたちがな!」

「何!?」

 意味ありげな萬吉の笑みを目にした瞬間、重信は眉間にしわを寄せる。

 すると次の瞬間、大量の灰や煤といった粉塵が彼ら目掛けて上方からばらまかれた。


「な、なんだこれは。目が、視界が!」

「今だ、竹蔵!」

「はい。みんな、一斉に手を離せ!」

 萬吉の指示が下されると同時に、広場の周囲の木に登っていた者たちは手にしていた網を一斉に落下させる。

 そして瞬く間に、視界を奪われ、上空から落とされた網に絡まった山脇の者たちは、まったく身動きが取れなくなってしまった。


「コホッ、コホッ。はぁ、だからこの手はやりたくなかったんだよ」

「とは言え、こんな時のために各家の灰を集めておけと言っていたのは、秀一だろ」

「それはそうですけど……はぁ」

 勝敗が決まり、広場の端にいた二人に弛緩した空気が流れる。

 そして周りに潜んでいた彼らの仲間たちが、その側に駆けつけようとしたその時、山脇の若衆の一人が、絡まった網の中から這い出てきた。


「糞ガキども、絶対に許さんぞ!」

 いまだ霞む目をこすりながら、その男は腰にぶら下げていたナタを手にする。

 そして僕たち目掛けてまっすぐに走りこんできた。


「な、刃物だと!?」

 ナタの鈍く光る刃を目にして、萬吉は思わずその場に固まる。それは僕も全く同じだった。

 そうして男は萬吉より前に立っていた僕目掛けてナタを振りかぶる。


「秀一!」

 悲鳴に近い萬吉の声が僕の鼓膜を叩く。

 だがそんな声を耳にしても、僕は恐怖のあまり一歩も身動きを取ることができなかった。


 まるでスローモーションの様に近づいてくるナタの刃。


 ああ……結局僕は、また何も成すことができぬまま、ここで終わるのか。

 僕は自らの詰めの甘さと、前世と変わらぬ不運を呪う。


 しかし次の瞬間、目の前の男のナタを握る右手に、突如飛来した物体がぶつかった。


「ぐうっ!」

 村の子供を配置していない方向から飛んできたその物体が直撃し、男は握っていたナタを取り落とす。

 途端、僕は恐怖による体の縛りが無くなった事を自覚すると、手の痛みと予期せぬ事態に呆然とする男の股間を蹴りつけた。


「ぐごがぶっうぇ!!」

 言葉にならぬ痛みを訴えながら、男は股間を押さえつつその場にのたうち回る。

 すると、たちまちに駆け寄ってきてくれていた、他の村の子供たちが、集団で彼を取り押さえた。


「大丈夫か、秀一」

「はい……しかし、一体誰が?」

 萬吉に言葉を返すと同時に、僕は眉間にしわを寄せる。

 地面に転がっている一つの礫。

 それは先程、僕達が村の子供を配置していない方向から投げられ、そして迫り来る男の右手に直撃したものであった。


「……おそらく、あの男だろうな」

 予期せぬ萬吉の言葉。

 それを耳にして、僕は僅かに首を傾げる。


「あの男?」

「ああ。一人の報われぬ少年を紹介したくてな、父に頼んでこの地へと呼び出した男だ。まあ、今はそれは良い。お前が無事ならな。そしてだ……」

 僕との会話をそこで打ち切った萬吉は、もはや敗北を受け入れ身動きを取らなくなった山脇の者たちの下へと歩み出す。

 そして彼は目当ての人物を見つけると、自ら彼に掛かっている網を外してやり、突然思わぬ事を口走った。


「山脇、俺達と組まないか?」

「は……な、何!? 今なんと言った?」

 敗北の悔しさと、これからの自分たちを待ち受ける暗い未来に思いを馳せていた重信は、全く予期せぬ言葉に戸惑いを見せた。


「俺達と組めと言ったんだ。いいか、もしお前らが俺達と組めば、この山は子供たちにとって、お互い使用可能だ。そしてだ、これだけのことをしたとしても、仲間となったのなら誰にも罪を訴えかける必要はない。つまりお前の親の面子も立つ」

 萬吉は重信の目をまっすぐに見つめながら、ゆっくりとした口調でそう告げる。

 すると、重信は僅かに視線を逸らしながら、震える声で萬吉に問い返した。


「確かに悪くない話だ……だが、それはお前の下につけということか」

「ああ。しかしお前たちのために、一つ譲歩しよう。もし、お前たちが俺を能力無しだと判断すれば、何時俺たちの下から立ち去っていっても良い。もちろんその際はこの山は明け渡してもらうが……どうだ、重信?」

 萬吉の口から発せられた一つの提案。

 それを耳にした誰もが、敵味方関係なく、息を呑んで重信の答えを待つ。

 そして、重信は視線を萬吉へと向け直すと、はっきりと返答を行った。


「受けよう。お前の提案を飲んでやる。精々、俺達に無能だと思わせないようにするんだな」

「ああ、任せろ。絶対に後悔はさせないさ」

 そう口にすると、萬吉は重信の肩を軽くポンと叩く。


 そしてゆっくりと周囲を見回すと、彼は高らかと皆に向かい宣言した。


「姫路城代が長子であるこの小寺萬吉。ここに宣言する。これより山脇の子供衆は、姫路村の子供衆とお互いともにある。つまり、此度の戦いに敗者はいない。一つとなった俺たち全てが勝者だ。皆の者、勝鬨を上げい」

「「エイエイオー!」」

 山脇の者たちは僅かに戸惑いを見せつつ控えめに、そして姫路の者たちは叫び声に近い大声で、この小さな沈石山を震わせるような勝鬨がここに発せられた。

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