第二十一話 引き際
交差する日本の太刀。
そして一振りは折れ、そしてもうひとりは変わらぬ輝きを放っていた。
「姫鶴一文字を折りますか。神仏を切り裂く境地……たどり着けたようですね」
手にしていた姫鶴一文字であった柄を悲しそうに見つめながら、政虎は頭を振りつつそう述べる。
するとそのタイミングで、突然僕の側面から全身が朱に染まった男が手にした槍を向けてきた。
「政虎さまはやらせんぞ!」
「むっ、この間の人か」
後方へと飛び退る形で、その乱入してきた第三者の槍を僕は躱す。
そうして僕が目にした人物。それは体中に大小様々な傷を負った、あの柿崎景家であった。
「景家、その体は!?」
「ふふ、この私以上の槍使いが敵におりましてな。こうして御館様のもとに駆けつけるためなら、この程度の代償はやむを得ますまい」
政虎に心配をかけぬよう薄く笑いながら、景家は痛みを堪えながらそう述べる。
すると、そんな彼にこれだけの負傷を負わせた当人が、わずかに遅れる形でこの場へとたどり着いた。
「ちっ、楽しい喧嘩の最中だったってのに、突然尻尾を巻いて逃げやがるからどうしたかと思えば、こんな理由だったか」
「すまんな。お主に負けることよりも、御館様の命のほうが優先されるのでな」
苛立ちを隠せぬ慶次郎に対し、景家はまったく迷いのない声でそう返答する。
一方、そんな彼の存在に一番戸惑っていたのは、僕たちではなく目の前の政虎であった。
「なぜ、貴方がここに。車懸りの殿はどうなったのですか」
「未だ健在にございます。ですが、それどころではないのです」
景家は首を左右に振りながら、主に向かいそう告げる。
途端、政虎の端整な顔の眉間には深いくっきりとしたシワが刻まれた。
「それどころではない?」
「あれを、北の横山城の方角を御覧ください」
景家はそう述べるなり、川中島の北に位置する上杉方の城を指し示す。
するとそこには、天に向かって三本の煙が昇りつつあった。
「あれは越後への攻撃を示す狼煙……まさか!?」
「おそらく北条の仕業でしょう」
景家のその言葉に、政虎は表情を歪ませる。
一方、そんな彼らの言葉に安堵する者が存在した。
そう、このための手配を行ったこの僕である。
「どうやら間に合ったようですね」
「……そうですか。貴方の仕業ですか」
僕の言葉からある程度の予測を覚えたのか、政虎は深い溜め息を吐き出す。
そして彼はそのまま、僕へと向けて言葉を続けた。
「良いでしょう。認めるとしましょう、ここは私の負けです。引きますよ、景家」
その言葉と同時に、政虎は折れた姫鶴一文字を僕目掛けて投げつけてくる。それを軽く躱したタイミングで、既に彼は自らの愛馬に景家ごと跨っていた。
「天海秀一さんでしたね。いいでしょう、その力であの御方を守ってみせなさい。その為に、小賢しい知恵と剣を振るうというのならば、少なくとも今は見逃してあげます」
「見逃してもらえると思ってるのか? って、隊長!」
今にも政虎に襲いかからんとしていた慶次郎を、僕は片手で制する。
そしてそのまま僕は、彼に向かい一つの問いを放った。
「近いうちに、講和の文があの方から送られます。拒否しないでもらえますね?」
「……良いでしょう。ただし勘違いしないで下さい。貴方に命を握られているからではなく、あくまであの方の重ねての御提案だから受けるのです」
「承知しました。それで結構です」
政虎の物言いに対し、僕は端的にそれだけを述べる。
すると、政虎はほんの僅かに右の口角を吊り上げてみせた。
「では、きっとまた会うことになるでしょう。その時はこうは行きませんよ、天海秀一」
それだけを述べ、政虎は馬を駆けさせる。
武田本陣から逃走する一頭の白馬。
その存在に気づいた武田兵たちは無数に存在した。
しかしながら誰一人、その上に跨っていた者たちを捕らえることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます