第51話

 周囲に響き渡ったその声は、怒声であり、咆吼であり、威嚇であり……何より聞く者全てを萎縮させる効果を持っていた。

 ゴブリンが作った、木々を組み立てただけの家とも呼べないような建物が何軒かある程度の集落……その集落の外にいるアースですら、聞こえてきた声が耳に入った瞬間動きを止めてしまう。

 だとすれば、集落の中でゴブリンを相手に戦っていた者達は今の雄叫びを聞いてどうしたのか。

 身体が動かず、何とか目だけを動かしてそちらに視線を向けると、そこでは予想通りの光景が広がっていた。

 つい先程までは右往左往しているゴブリン達を次から次に仕留めていた冒険者達の殆どが動きを止めているのだ。

 今の状況でも何とか動けているのは、冒険者の中でもごく少数のみ。

 ……それでもまだ冒険者達が全滅していなかったのは、先程の雄叫びで動けなくなっているのが冒険者達だけではなかったからだ。

 冒険者達から逃げ惑い、また戦い続けていた一部の者達も含めて、殆どのゴブリンが動きを止めていた為だ。

 ゴブリン達は知っていた。今の声を発したのが誰なのかを。

 それが、自分達の王であることを。

 一方的に冒険者に狩られるという今の状況があまりにも情けなく、だからこそゴブリンキングは雄叫びを上げたのだ。

 それでも自分の部下か、と。

 ……動きが止まっているという意味では、ゴブリンと冒険者に変わりはない。

 だが、動きが止まっている理由は正反対のものだった。


「ギャアアアアアアア!?」


 ゴブリンのうちの一匹が、叫ぶ。


「ギャアアアア!」

「ガアアアアアアア!」


 すると、そのゴブリンの叫びに応えるように、他のゴブリン達も叫ぶ。

 それに釣られるように多くのゴブリン達がそれぞれに雄叫びを上げていく。

 幸いだったのは、雄叫びを上げているゴブリン達はその行為のみに集中していたことだろう。

 おかげで、他の冒険者達もなんとか動けるようになっていた。

 そして再び始まる戦い。

 だが、少し前までは一方的に狩られるだけだったゴブリン達は、今や目の前の冒険者を相手にして曲がりなりにも互角に近い戦いを繰り広げ始める。


「くそっ、厄介な! ゴブリン如きが!」


 叫んだ冒険者の男は、そのまま持っている長剣を振るう。

 つい数分前までであれば、自分の一撃で容易に死んでいたゴブリンが、曲がりなりにも自分の攻撃を防ごうとする。

 勿論こうして奇襲部隊に配属され……それも直接こうしてゴブリンの集落で戦っている以上、男もシュタルズの中では決して腕が立たないという訳ではない。

 その証拠にゴブリンの持つ棍棒は男の長剣の一撃を防ぎはしたが、次の瞬間には一撃を受け止めた衝撃で身体の動きが止まった隙を突かれ、あっさりと袈裟懸けに斬り裂かれたのだから。

 それでも男にとって、ゴブリン如きに自分の一撃を受け止められたというのは驚き、そして何より不愉快だった。


「ギャギャ!」


 仲間が殺されたのを見て、近くにいたゴブリンが真っ直ぐに男へと突っ込んでいく。

 自分に向かってくるゴブリンに対して、男は再び長剣を振るう。

 そんな戦いが、集落のいたるところで行われていた。

 戦意は高くなっても、強さそのものはゴブリンなので冒険者達も何とか戦えていたが、そこに上位種が混ざってくると厳しくなる。


「くそっ! させるか!」


 矢を補充して戻ってきたアースの視線の先で、他のゴブリンより身体の大きいゴブリン……ゴブリンリーダーが冒険者に向かって棍棒を振り下ろそうとしているのを見て、矢を放つ。

 空気を斬り裂きながら飛んでいったその矢は、ゴブリンリーダーの額に突き刺さると、一撃で命を奪う。


「うわ……」


 自分でやったことではあったが、まさか一撃でゴブリンリーダーを仕留めることが出来るとは思わなかったアースは、思わずといった様子で呟く。

 だが、ゴブリンリーダーに襲われそうになっていた男に軽く手を振って感謝の態度を示されると、アースもまた我に返って頷き、次の標的を探す。


「いいか、上位種を早めに倒すようにしろ! それと、ゴブリンメイジを見つけたら最優先だ!」


 遠距離部隊を率いている男の叫ぶ声が周囲に響き、その指示に従ってゴブリンの上位種……まともに戦った場合、手こずるだろう相手にアースは攻撃を集中する。

 神懸かっている……というのは、今のアースのようなことをいうのだろう。

 アースの護衛をしながら周囲の様子を警戒していたニコラスは、そんな風に思う。

 アースの手から放たれる矢は、次々にゴブリンへと突き刺さっているのだ。

 勿論一撃必殺という訳にはいかず、胴体だ腕に刺さっているゴブリンも多い。

 だが、一矢の無駄もなく次々に矢を命中させているのは、とてもではないが弓を使い始めてから日が浅いとは思えない。

 一矢、二矢、三矢……放たれた矢は、次々にゴブリンの上位種へと命中していく。

 そんな中、不意に遠距離部隊の一画で爆発が起こる。

 アースから離れた位置での爆発だった為、衝撃波の類には襲われなかったが、それでもアースの注目を引き付けるには十分だった。

 何が起きたのか最初は理解出来なかったアースだったが、少し離れた場所で冒険者の一人が叫ぶ声を聞き、何が起きたのかを理解する。


「くそっ、メイジだ! ゴブリンメイジがいやがるぞ! 向こうで他のゴブリンに守られている! そっちに集中攻撃しろ!」


 必死の叫びに従い、アースを含めた遠距離部隊は次から次に矢を射る。

 連続して放たれた矢は、ゴブリンメイジを守っているゴブリン達を次々に倒していく。

 自分の肉壁として配置されたゴブリンの数が急速に減っていくのを見て、危険を察知したのだろう。ゴブリンメイジはそのまま逃げようとして……


「させるか!」


 素早くそれを見つけたアースが射った矢は、真っ直ぐに空気を斬り裂きながら飛んでいき、後ろを見せたゴブリンメイジの腹へと突き刺さる。


「グギョ!?」


 腹を矢で射貫かれたゴブリンメイジは、その衝撃で持っていた杖を落とす。

 それと殆ど同時に、遠距離部隊から射られた矢が無数にメイジへと突き刺さり、その命を奪う。


「よし、次は……ギョペ」


 遠距離部隊の指揮官が次の命令を下そうとした、刹那。

 最後まで言葉を言わせることがないままに、その頭部が破裂する。

 咄嗟に声の聞こえた来た方へと視線を向けたアースは、その場で動きを止めてしまう。

 分かってしまったからだ。今、視線の先にいるのが、自分ではどうしようもない相手だということを。

 自分が何をしようとも、ましてやポロの力を借りようとも……それでもどうしようもない程に力の差が隔絶している相手なのだと。

 アースの視線の先にいるのは、ゴブリンという言葉で想像するゴブリンとは全く違う。

 身長はゴブリンの二倍近くもあり、それでいながらひ弱に見えない程に身体には鋼のような筋肉がついている。

 林で見たゴブリンの上位種も、見ただけで自分には勝てないと分かってしまうゴブリンだったが、今アースの視線の先にいるゴブリンはそれ以上の存在だった。

 とてもではないがその姿はゴブリンには見えないその姿を見た瞬間……アースは半ば直感的に理解する。

 これが、これこそがゴブリン達を率いる存在、ゴブリンキングなのだと。


「ひっ!」


 不意に悲鳴のような声がアースの耳に入る。

 誰がその悲鳴のような声を漏らしたのかというのは、アースの側にニコラスがいたことを思えば考えるまでもなく明らかだった。

 だが……その小さな声が、ゴブリンキングの注意を惹く。

 見るからに固そうな金属の塊……棍棒と呼ぶには大雑把な形すぎる金棒を肩に乗せ、ゴブリンキングは声のした方……即ち、ニコラスとアース、そしてポロの方へと視線を向ける。

 アース達を見るゴブリンキングの目に、愉悦の表情が浮かぶ。

 怯えている獲物を殺すことが楽しいのだろう。

 ゴブリンの本能に従い、一歩を踏み出したゴブリンキング。

 瞬間、アースの左肩から……正確にはそこにいたポロから一条の電撃が放たれる。

 空気を斬り裂くような紫電が真っ直ぐにゴブリンキングへと向かい、避ける間もなく命中した。


「ギャ?」


 だが、普通のゴブリンであれば一撃で痺れ、身体を動かせなくなるポロの電撃を食らっても、ゴブリンキングは微かに不愉快そうな鳴き声を上げただけだった。


「くっ!」


 それでも一瞬ゴブリンキングが動きを止めたのは明らかであり、アースがその絶好の……唯一にして最大ともいえる好機を見逃す筈がなかった。

 アース自身、つい一瞬前まではゴブリンキングの姿に完全に萎縮していたにも関わらず、今がチャンスだと理解した瞬間、何の躊躇いもなく矢筒から矢を取り出す。

 そして自然な程に躊躇すらなく弓に矢を番え……射る。

 真っ直ぐに飛んでいった矢は、ゴブリンキングの左足に突き刺さった。


「ギャウ!?」


 ポロの雷は軽く衝撃を受けただけだだったが、アースから射られた矢は何の抵抗もなくゴブリンキングの身体へ……どうやって入手したのかアースには分からなかったが、レザーアーマーの隙間から左足へと突き刺さったのだ。

 それでも上げた悲鳴は小さなものだったのは、アースの射った矢では皮を破り、肉を斬り裂くことは出来ても、骨を砕くことは出来なかった為か。

 寧ろその一撃が余計にゴブリンキングを苛立たせ……やがて手に持つ金棒を手にして一気に前に出た。

 普通のゴブリンとは比べものにならないだけの速度。

 アースは手にしている弓を構えようとし……だが、その行動は明らかに遅かった。

 矢筒に手を伸ばし、矢を取り出した時には、既にゴブリンキングはアースの目の前で金棒を振りかぶっていたのだから。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、矢ではなく近接戦闘用の短剣に手を伸ばしていれば。

 そんな風に考えるも、既に遅い。

 それでも諦めず、何とかゴブリンキングとの距離を取ろうとするも……そうはさせじと、金棒が振り下ろされて……ギィンッ、という金属音が周囲に響き渡ると同時に、アースが感じたのは強い衝撃。

 同時にその場から吹き飛ばされ、地面を何度も回転しながら転げ回る。


「痛っ! くそっ、一体何が……?」

「ポル! ポロロロロロ!」


 慌てて起き上がろうとするもの、何かが自分の上にいてすぐには起き上がれない。

 それが人の身体だと……自分の護衛を任されていたニコラスだと知るや、慌ててその身体を寄せて起き上がる。

 幸いニコラスに怪我はない。

 だが、ニコラスの持っている長剣は刀身の半ばから先がなく、それが先程の金属音の正体であると知れた。

 つまり、ニコラスはゴブリンキングとアースの間に割り込んできたのだ。

 護衛としての仕事と言えばそれまでだが、それでも十分な程に役目は果たしたと言えるだろう。

 そして立ち上がったアースが見たのは、見て分かる程に嗜虐的な笑みを浮かべながら自分の方を見ているゴブリンキングの姿。


「くそっ!」


 再び矢筒へと手を伸ばすが……そこには何もない。

 慌てて周囲を見回すと、少し離れた場所に矢筒が転がっているのが見える。

 先程の一撃の衝撃で、矢筒が吹き飛ばされたのだ。

 ゴブリンキングも、それを理解しているからこそ、笑みを浮かべて様子を見ていたのだろう。

 周囲の遠距離部隊の者達がアースを援護しようにも、他のゴブリン達の攻撃を防ぐのが精一杯の状況であり……


「ギャガアァァァア!」


 そんな雄叫びと共にゴブリンキングは前へと進み出ると、再び金棒をアースへと向かって振り下ろす。


「ポルルル!」


 少し離れた場書にいるポロが電撃を放ち、一瞬だけだがゴブリンキングの動きが鈍り……だが、一瞬でアースが出来ることと言えば、咄嗟に後方へと跳ぶだけだった。

 そして次の瞬間には金棒がアースへと命中し、そのまま吹き飛び、木の幹へと強烈に背中を打つ。

 そのまま意識を失いかけたアースだったが……最後に見たのは、どこからともなく聞こえてきた雄叫びと、雷を纏ったバトルアックスが上空からゴブリンキングへと振り下ろされる光景だった。

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