第50話

 周囲に聞こえるのは、静かなざわめきとでも呼ぶべき音。

 誰かの呼吸や、草を踏みしめる音を始めとした行軍の音。

 それでも誰も無駄な音は立てずに林の中を進んでいく。

 既にアース達がいるのは、林の中。

 夏だけあって、今の季節はもう太陽が姿を現しつつあり、薄らと日の光を地上へと照らしていた。

 ここが森であれば、そんな太陽の光は木々に遮られて今も森の中は夜に近いままだろう。

 だが、ここは林の中だ。

 森の木々が薄く、この程度の太陽の光でも林の中をある程度なら見通すことが出来る。

 勿論昼間のように全てが見えるという訳ではなかったが、それでも林の中を歩くのに支障はない明るさだ。

 林の中を進む者の数は、優に百人を超える。

 シュタルズにいる中で今回の件に志願した冒険者、シュタルズの騎士団や警備兵、通りすがりの冒険者……果てには最近冒険者や騎士、警備兵といったものから引退した者達までもが参加している。

 正真正銘、シュタルズの出せる戦力の大半がここに集まっていた。

 喧嘩自慢の若者といった者達もこの戦いに参加しようとしたのだが、そのような者達は当然却下された。

 喧嘩と殺し合いは違うのだから当然なのだが、そのような者達は現在シュタルズでもしも、万が一この奇襲が失敗した時にゴブリンが攻めてくるかもしれないということで、防衛の準備に駆り出されている。


(ゴブリンキングとの戦い……英雄譚ではよく出る話だけど、俺が本当にこんな戦いに参加することになるなんて……)


 林の中を歩きながら、アースは目だけで周囲を見回しながら、そんなことを考える。

 自分が今この場にいるということに、実感のようなものを持てない。

 もっとも、それは当然だった。

 アースは冒険者になってから、まだ数ヶ月程度の新人だ。

 色々と騒動に巻き込まれ、普通の新人冒険者では経験出来ないような経験をしてきたのは事実だったが、それはあくまでも個人での出来事……もしくは数人程度の出来事だった。

 だが、今回は味方が百人を超えるだけの人数がおり、敵対するゴブリンの群れにいたってはどれ位の数がいるのか正確な人数は確認出来ていない。

 偵察をしてもそれだけしか分からなかったのだから、自分から望んだとはいってもこのような出来事に巻き込まれるのは驚きだった。

 こうして歩いている中でも、まるで自分が英雄譚の中にいるような気分になっているアースの心臓は強く鳴っている。

 それこそ、もしかしたら周囲に自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかと、そう心配をしてしまう程には。

 自分の心臓の音が気になり周囲を見回すが、当然のようにその音が聞こえているような様子はない。

 ふぅ……とアースの口から安堵の息が漏れたその瞬間、突然アースの前を進んでいたニコラスの足が止まる。


「っ!?」


 もう一瞬の足が止まるのが遅ければ、恐らくニコラスの背中に顔面をぶつけていただろう。

 そんな風に考えながら、アースは周囲を見回す。

 すると前方から、微かにではあるが聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきた。

 その汚らしい声に一瞬アースの動きは固まったが、その声がゴブリンの悲鳴であると悟ると安堵の息を吐く。


「今の悲鳴、ゴブリンだよな?」

「ああ。多分ゴブリンの見張りでも見つけたんだろ」

「……ゴブリンの本隊の方に聞こえたんじゃないか?」

「どうだろうな。この辺だとまだ外側に近いし」


 アースの近くにいる冒険者が小声で話す。

 それを聞き、アースは左肩に乗っているポロへと視線を向ける。


「ポルル?」


 アースに視線を向けられ、小首を傾げるポロ。

 そんなポロの姿を見ると、どことなく安心する。

 実際、今のゴブリンの悲鳴では他に特に何も騒動は起きなかったらしく、暫くすると歩みが再開された。

 草や土を踏みしめる音、そして通るのに邪魔なのだろう枝が折れる音といった音が周囲に響く。

 そのまま暫く歩き続け……やがて奇襲部隊の歩みは止まる。

 すると、全員が何も言わずとも新たな行動へと移っていく。

 それは前もって決められていた行動。

 実際にゴブリンに奇襲を仕掛ける集団や、ゴブリンを逃がさないように包囲する集団、治療の為のポーションを持っている集団、遠距離から攻撃する集団……といった具合にだ。

 林に入る前から集団で纏まればいいのでは? という疑問を覚えたアースだったが、そうなると林の中で回復の為の集団や遠距離から攻撃する集団といった者達が襲撃を受けた場合、大きな被害を受ける。

 それを避ける為、大まかにではあるが集団を混ぜていたのだ。

 そうして全員の準備が整ったところで……全員が一斉に攻撃に掛かる。

 まず最初にゴブリンの集団に突っ込んでいったのは、当然のようにゴブリンに奇襲を仕掛ける集団だ。

 雄叫びを上げ、一気に眠っているゴブリン達へと向かって突き進む。

 ゴブリン達も自分達が住む場所としてそれなりに木々を伐採しており、幾つか家のような物も出来ていた。

 ……もっとも、家と言ってもシュタルズにあるようなしっかりとした家ではなく、木々を組み合わせてたような粗末な家だが。

 恐らく本職の大工にこれが家かと聞けば怒られるだろう、そんな粗末な作りの家。

 だがそれでもゴブリン達にとっては重要な家なのは間違いなく、この群れの中でも地位の高い者……ゴブリンキングやゴブリンジェネラル、ゴブリンメイジといった者達が住んでいるのだろう。

 それ以外の普通のゴブリンは、地面に直接横になっていた。

 そのようなゴブリン達は、真っ先に殺されることになる。

 また、家に住んでいるのがゴブリン達の幹部であれば、そこからそのような上位種が出てくる前に片付けるべく向かう者もいる。

 太陽がまだ完全に昇りきっていないこの時間、当然ながらゴブリンはほぼ全員が眠りについていた。

 見張りもこの時間には当然のように眠っている者が多い。

 これが、オークのようにもっと頭のいいモンスターであれば、見張りについての重要性を理解していたのだろう。

 だが、ゴブリンキングに支配されていても、結局はゴブリンでしかない。

 また、こんな場所に奇襲を仕掛けてくる者がいるというのも完全にゴブリン達の想定外だったのだろう。

 次々に殺されていくゴブリン達。

 戦いの最初は補給部隊や治療部隊といった者達は殆どやることがなく、ただじっと冒険者の雄叫びとゴブリンの悲鳴を聞いているだけだった。

 アースがいる遠距離攻撃部隊は、この部隊を率いる冒険者に従ってゴブリンの集落へと近づき、一匹で歩いているゴブリンや、逃げようとしているゴブリンへと次々に矢を射っていく。

 まだゴブリン達も混乱しているということもあり、アースの放つ矢も面白いようにゴブリンの身体へと突き刺さる。


「うわっ、こんな簡単にゴブリンを倒せるとは思わなかった」


 今までアースが倒したゴブリンは、自分目掛けて真っ直ぐに突っ込んで来る者を相手にしてのものが殆どだ。

 それだけに、混乱しているとはいえゴブリンをこんなに簡単に倒すことが出来るとは、思ってもいなかったのだ。


「ほら、いいから話している暇があったら矢を射れ!」


 アースの近くで次々に矢を射っている冒険者が、その動きを止めることなく叫ぶ。

 今回のゴブリンの群れの討伐では、矢は大量に用意されている。

 勿論その費用はギルド持ちであり、だからこそ矢を射る者達は矢の代金について考える必要はなかった。


(ある意味、弓の練習としては恵まれていると言ってもいいんだろうな。……出来ればこっちの武器の費用も何とかして欲しかったけど)


 アースの近くで護衛をしているニコラスが、内心で呟く。

 数日……もしくは十数日の訓練より、たった一度の実戦が勝る。

 その類のことはよく言われており、それが真実という訳ではないのはニコラスも知っているが、それでもやはり実戦というのは経験的な意味では非常に大きい。

 そういう意味では、今回のゴブリンへの襲撃はアースに決して少なくない経験を与えるだろう。

 それを羨ましいと思うと同時に、それはあくまでもアースが弓を武器としているからだというのも事実だという思いもあった。

 遠距離から安全に攻撃出来、しかもそれが仲間の邪魔にならない。

 勿論仲間と戦っているゴブリンに向けて矢を射り、それが仲間に当たるような真似をするのであれば話は別だが。


「上位種が出て来たぞ! そっちに攻撃を集中しろ!」


 遠距離攻撃部隊の中の誰かが叫ぶ声に、アースは必死に矢を射りながら周囲に視線を向ける。

 その言葉通り、ゴブリンが建てた家の中から数匹のゴブリンが……それも普通のゴブリンよりも体格のいいゴブリンが姿を現す。

 中には弓を持っていたり、杖を持っていたりするゴブリンの姿もある。

 数秒前に響いた叫びの通り、明らかにゴブリンの上位種達だった。


「ちぃっ、メイジだ! ゴブリンメイジを最優先に片付けろ! 魔法を使われると被害が大きくなる!」


 遠距離部隊の誰かが叫び、その声に従うようにアースは矢筒へと手を伸ばし……その手が何も掴めないのを不思議に思い、矢筒へと視線を向ける。

 するとそこは、何も入っていない矢筒の姿があった。


「しまった!」


 緊張のあまり、残りの矢の本数を確認していなかったアースは悔しげに叫ぶ。

 すると、そんなアースの声に、逃げ回っていたゴブリンのうちの一匹が反応して周囲を見回し、アースの姿を発見する。

 そしてアースの姿を見つけた瞬間、持っていた棍棒を振りかぶりながら真っ直ぐに襲い掛かる。

 混乱していたゴブリンが、明確に敵の姿を見つけてそちらに意識を向けた。

 それだけではあったが、矢の本数が少ない今のアースにとって、ゴブリンの対処をするのは難しかった。

 いつも使っている短剣も、今は鞘の中だ。

 弓を持っている状況でそれを抜くことは出来ず、一瞬顔を引き攣らせるアースだったが……


「させるか、よ!」


 そんなニコラスの声と共に長剣の一撃が放たれ、アースへと棍棒を振り下ろそうしていたゴブリンがそのままの勢いで近くに生えていた木に叩きつけられる。


「ポルルル!」


 そして木の幹に身体を叩きつけられて地面へと倒れ込んだゴブリンに対し、ポロから放たれる電撃。

 空中を紫電が走り、ゴブリンの動きは止まる。

 意識を失っただけなのか、それとも命が失われたのか。

 そのどちらなのかはアースにも分からなかったが、ともあれ脅威となっていたゴブリンが排除されたのは事実だ。


「助かった」

「ま、護衛だしこれくらいはな」


 アースの言葉にニコラスが自慢気に笑みを浮かべ、そのまま補給部隊へと矢を受け取りに戻る。

 アース以外にも何人かが戻ってきており、中にはポーションを使って怪我を治療している者の姿もあった。

 メロディがポーションで怪我人の治療をしているのを横目に、アース達が向かった先には、無言で荷物を運んでいるフォクツの姿もあった。

 近づいてきたアースを見て、何をしに戻ってきたのか理解したのだろう。

 黙って矢をアースへと渡し……


「グギャアアアアアアアアアアアッ!」


 そんな大声が周囲に響き渡るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る