第42話

 大量のゴブリンが出た。

 そんな言葉が聞こえた瞬間、一瞬ギルドの中が静寂に包まれ……次の瞬間、多くの者から笑い声が上がった。


「ゴブリンが出たって……何匹だよ、五匹か? 十匹か?」

「ったく、ゴブリン相手になんだってそんなに血を被ってるんだよ。お前、そこまで弱くないだろ?」

「ゴブリン? ゴブリンか。……興味はないな」


 顔見知りらしい者から、初めてその男を見るだろう冒険者まで、軽い様子で男に言葉を掛ける。

 ただし、ギルドの中にいた何人か……特に腕利きと目されている者達は、男の様子にただならぬものを感じて沈黙を保つ。

 それは、ビルシュやサニスンも同様だった。

 そんな二人に釣られるように、アースも特に何も口にしていない。

 普段であれば、アースもゴブリンを相手に何を騒いでいる? と疑問に思うが、自分より圧倒的に腕が立つ二人が真剣な表情をしているのを見れば、笑い飛ばすことは出来ない。

 周囲の雰囲気を感じたのか、アースの左肩の上ではポロも同様に黙り込んでいた。

 笑い声すら聞こえる中、アース達の中で最初に口を開いたのはビルシュ。


「おい、サニスン。どうやら宴会はまた今度になりそうなんだが」

「そうね。正直なところ、非常に残念だけど……けど、これがもしこの前にリヴから聞いていたことと関係があるとしたら……もしかしたら、もしかするかもしれないわ」


 リヴ? と二人の話を聞いていたアースが首を傾げ……リヴがゴブリンの調査を頼まれていたのを思い出す。

 丁度ライリーから文字を習っているときにその辺の話を聞いたのだ。


(つまり、あの人を襲ったのが、ライリー姉ちゃんが言ってた希少種や上位種? いや、でもあの時から結構時間が経ってるけど……)


 アースがその話を聞いたのは、それこそアースがまだシュタルズに来てからそれ程経っていない頃だ。

 まだ殆ど文字が読めずに日中で暇だったライリーから文字を教えて貰っていた時、ライリーとリヴがゴブリンについて話しているのを聞いた。

 それから結構な時間が経っているのだから、リヴような腕利きの冒険者であれば既にゴブリンの調査はとっくに終わったと思っていた。

 事実、リヴはローズを助ける時に力を貸してくれたのだから。

 もし依頼があったのであれば、そちらを重視したのではなかったか。

 そんな風に思うアースだったが、ゴブリンの調査という依頼は非常に根気強く行わなければならない。

 どこにでも姿を現すゴブリンだけに、調査するのは難しい。


「……アース、悪いが今日はここまでだ。俺とサニスンはちょっと用事が出来たからな。そっちの方に手を出さないとならない」

「ごめんね。また今度一緒にビルシュに奢って貰いましょ」


 二人はそう告げ、去っていこうとし……


「待って!」


 殆ど反射的に、アースは二人に声を掛けていた。


「ん? 何だ?」

「……ゴブリンと戦いに行くんだろ。俺も行くよ」

「馬鹿言うな」


 考えるまでもなく、ビルシュはアースの言葉を却下する。


「何でだよ! 俺がゴブリンを倒せるようになったのは、ビルシュもサニスンも知ってるだろ!? なら、連れていっても足手纏いにはならない!」


 そう言うアースの言葉に、ビルシュは小さく溜息を吐く。


「そうだな、お前はゴブリンを倒せるようになった。……けど、それはあくまでも一匹か、よくて二匹程度を相手にしているからだろ? もし十匹、二十匹といった規模で襲ってきたら、どうにか出来るか?」

「それは……」


 出来る。そう言いたいアースだったが、それは出来ない。

 アースも自分の力がどれ程のものなのかというのは、十分に理解している。

 ビルシュが口にしたように、一匹や二匹であれば弓で遠距離から攻撃するので何とかなるだろう。

 五匹であっても、ポロの力を借りればどうにかなるかもしれない。

 だが……その数が十匹を超えれば、幾らポロの電撃が一撃で相手を無効化するとしても、手には負えない。

 こんな大きな騒動に、自分がビルシュ達と一緒に行動出来ないのが悔しく、奥歯を噛み締める。

 勿論自分のランクがまだ低いというのは分かっているが、それでもここで動かないという選択はアースにはなかった。


(なら、テイマーとして……いや、駄目だか)


 ポロに視線を向けるアースだったが、すぐに首を横に振る。

 自分がテイマーとしてそれなりに才能があるのは分かっているが、それでも今の自分でどうこう出来るとは思えない。

 そもそも、テイマーとして動くにもテイム出来るモンスターがいない。

 今のアースがどうにか出来るとすれば、シュタルズ周辺にいる中でも最弱のモンスターのジャンプマウスだけだ。

 ジャンプマウスも集団で……それこそ二十匹、三十匹でゴブリン一匹に襲い掛かれば、倒すことは出来るだろう。

 だが、当然そんな真似をすれば、ジャンプマウスにも大きな被害が出る。

 自分を慕って、懐いているジャンプマウスをそんな風に使い捨てにすることは、アースには出来なかった。

 それを自覚し、黙ったのを見て、ビルシュはアースの頭に手を乗せる。


「これは仕方がないことだ。お前はまだ冒険者になって日が浅い。そんな奴に出てこられては、こっちの方が役立たずだと思われちまう。そもそも、ゴブリンの集団だって言ったってどれくらいなのかも分からないだろ」


 乱暴に頭を掻き回すビルシュの言葉に、アースは不承不承黙り込む。

 ビルシュの口から出た言葉は、有り得ないことではないからだ。

 もしかしたら、偶然ゴブリンが集まっているだけ……という可能性も、決して否定できなかった。

 勿論それが本気だとは思っていないが、それでも……と。


「それに、アースは折角自分に合った武器を見つけたんでしょう? なら、もう少し弓の扱いに慣れておいた方がいいわ」


 師匠でもあるサニスンもそこまで言われれば、アースとしては無理を言える筈もない。


(最悪、後からこっそり……)


 そんなことを考えていると、アースの頭を撫でているビルシュの手の力が少しだけ強まる。


「言っておくが、後から追いかけてこようなんて馬鹿な考えは起こすなよ?」


 釘を刺すようなその言葉に、アースは頷くしか出来ない。

 実際にそう考えていたのだから、咄嗟に言い返すことも出来なかった。

 

「……うん、分かった」


 結局はそう言葉を返すしかなく、そんなアースの言葉を聞いてビルシュは満足そうに頷く。


「分かればいいんだ。後で、今回の件がどうなったか教えてやる。だから、飯はその時までお預けだな」


 そう告げ、アースの頭から手を離したビルシュは、サニスンと共に報告を持ってきた者へと近づいていく。

 いや、男の下に移動しているのはビルシュとサニスンだけではない。ギルドにいた、ある程度以上の腕利き達もその男の下へと向かう。

 報酬もしっかりと確定していないというのにこれ程までにやる気が出るというのは、ビルシュを含めて同じことに考えが及んでいるからだろう。

 即ち、ゴブリンの上位種や希少種といった存在を。

 例えモンスターの中でも弱いゴブリンであっても、それが上位種や希少種といったものになれば話は違ってくる。

 シュタルズでは入手出来ない魔石や素材といった物を入手出来るかもしれないし、何より名声が広まるのはありがたかった。

 勿論中には、面倒臭いのはごめんだと全く話に興味を示さない腕利きもいるのだが、それは少数にすぎない。

 そんな冒険者を見ながら、アースも自分がもっと腕が立てば……と思わざるをえない。

 だがビルシュが口にしたように、今の自分では向こうに行く資格がないのも間違いないのだ。


「はぁー……」

「ポルルルン?」


 大丈夫? と語尾を上げるような鳴き声を漏らすポロ。

 そんなポロを軽く撫でると、少しだけアースも落ち着いてきた。

 自分の技量が低いのであれば、もっと強くなればいいだけなのだ。

 それこそアースが知っている英雄というのは、皆が強大な力を持っている人物なのだから。

 自分もそんな風になれるように頑張れば……アースがそんな風に考えている間にも、ビルシュ達はそれぞれゴブリンの群れに対しての話を進めていく。

 最初こそゴブリンの群れの報告を持ってきた冒険者を笑っていた者も多かったのだが、腕利きと言われている冒険者達がこぞって今回の話に興味を持っているのを見ると、他の冒険者達も笑ってばかりはいられない。

 もしかしたら危険なことになるのではないかと、仲間達と会話を交わす。

 そんなやり取りを眺めていたアースは、丁度そのタイミングでギルドに入って来た者達の姿に気が付く。

 それは、アースにとっても顔見知りの者達。

 ニコラス、フォクツ、メロディの、アースにとっては同期と呼んでもいい三人だ。

 特にメロディは、サニスン以外のもう一人の師匠と呼んでもいい存在だった。

 ……もっとも、同期のアースにとっては師匠と呼ぶよりは友人という言葉の方がピッタリくるのだが。

 向こうもギルドの中に漂っている空気に戸惑った表情を浮かべていたが、アースの姿を見ると助かったといった感じで近づいてくる。


「アース、ギルドが騒がしいようだけど何が……」

「ちょっと待って!」


 あったんだ? そうニコラスが最後まで言い終わるよりも前に、三人の中でも紅一点のメロディが鋭く叫ぶ。


「アース、弓を使って戦闘に行ったのなら、私に報告してもいいんじゃないの? まぁ、サニスンさんに報告したくなる気持ちも分からないではないけど……私だってアースに弓の使い方を教えたんだから」


 不満そうに告げるメロディに、急に自分の言葉を遮ったことに驚いていたニコラスは溜息を吐く。

 そんなニコラスの横では、こちらもまたフォクツが苦笑を浮かべていた。


「メロディ、その話は後でもいいだろう。今はギルドで何が起こっているのかを聞く方が先だ」

「……分かったわよ。でも、いい? その話が終わったら、しっかりと私に弓を使った時の感想を教えるのよ。たたでさえアースの弓はいい弓なんだから、きちんと使いこなしてやらないと可哀相じゃない」

「分かったよ。……で、向こうの話だけど、どうやらゴブリンが出たみたいだ」

「ゴブリン?」


 何でゴブリン程度でこんなに騒がしくなっているんだ? と疑問を表情に浮かべるニコラス。

 以前はジャンプマウスを倒すのに苦戦していたニコラス達だが、今ではゴブリン程度なら三人もいれば楽に勝てるようになっている。

 いや、寧ろゴブリンの方が身体が大きい為、非常に戦いやすかった。

 ゴブリンとジャンプマウスのどちらと戦うのかと言われれば、ニコラス達は迷わずゴブリンを選ぶだろう。

 だからこそ、何故ゴブリンのことでこんなにギルドが騒がしくなっているのかが理解出来なかったのだ。

 それはアースも同じだから、ニコラス達の気持ちもよく分かる。

 それを説明する為に、アースは口を開くのだった。

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