第24話
最初、アースは自分が何を見ているのか全く理解出来なかった。
それこそ、まるで夢か幻でも見ているかのように、視線が地面へと向けられている。
そこにはつい先程までは自分に懐き、ポロと共に遊んでいたジャンプマウスの姿があった。
ただし、そこにいるのは……否、あるのは、生きているジャンプマウスではない。
身体を上下に切断され、上半身部分と下半身部分に別かれてしまっているジャンプマウスだ。
「あ……え……?」
アースの口から出るのは、現状を理解出来ないといった言葉。
同時に、理解しない方がいいとアースの心は判断しているのか、その脳裏を過ぎるのは今日までジャンプマウスと一緒に遊んだ光景だった。
ジャンプマウスがポロと共に自分の身体の上を駆け回ったり、手の上に跳び乗り、肩や頭の上に着地したりと、そういった光景。
「けっ、ふざけやがって。このクソネズミが!」
長剣を一閃してジャンプマウスを切断したマテウスが、未だに痛む鳩尾を押さえながら、切断している場所から内臓が地面へと零れ落ちているジャンプマウスの死体を踏みつける。
ぐちゃりという生々しい音と共に、ジャンプマウスの内臓が潰れる音がアースの耳へと入る。
「くそがっ! ったく、おい、クソガキ! てめえ、このままただで済むとは思ってないよな? えぇっ!」
地面へと唾を吐き捨てたマテウスが、つい今し方まで踏みつけていたジャンプマウスの死体を蹴る。
空中を飛んだジャンプマウスの上半身は、そのままアースの顔面へとぶつかり、顔にべっとりと血と内臓の残骸が纏わり付く。
「うっ、うわぁっ!」
その感触と濃厚な血の臭いで我に返ったのだろう。
アースは反射的に顔へと手を伸ばして拭い……その拭った手へと視線を向けると、そこには真っ赤に染まり、ジャンプマウスの内臓が絡みついている自分の手があった。
視線を地面へと向けると、少し前までは自分に懐いていたジャンプマウスの目と視線が絡み合う。
だが、自分を見ているジャンプマウスの目に意思の光は存在しない。
そんなジャンプマウスを見て、自分の手に付いている血を見て、そして最後にマテウスの方へと視線を向ける。
アースの悲鳴や混乱している様子に若干溜飲は下がったのだろう。
口元に下卑た笑みを浮かべながら、隣の男……アースが唯一名前の知らない男へと話し掛ける。
「デズホイ、あのガキの表情どう思う? 俺としては中々に傑作だと思うんだけどな」
デズホイと呼ばれた、弓を持った男はマテウスの言葉に溜息を吐いてから口を開く。
「俺はああいうガキは見てるのも嫌だ。自分の未来に栄光があるって信じてるような奴は、虫唾が走る。英雄を目指してるんだって? なら、この程度のことで呆気なく絶望したりなんか……するなよ、な!」
言葉通りに忌々しげに吐き捨てたデズホイの足は、その場に残っていたジャンプマウスの下半身へと体重を掛けて落とされた。
グチャリという生々しい音が周囲に響き、それがまた我に返ったアースの怒りに火を注ぐ。
そのまま感情に任せて一歩を踏み出そうとしたアースだったが、それを止めたのは左肩に乗っているポロだった
普段は青い毛並みをしてるポロなのだが、今はその青い毛並みがアースの顔と同じくジャンプマウスの血で汚れている。
内臓の類が付いていないのは、せめてもの幸運と呼ぶべきか。
「ポルッ!」
落ち着けと言ってるかのような、鋭い鳴き声。
その鳴き声を聞いた瞬間、アースの足は自然と止まる。
目の前にいる二人……そして気絶している男も合わせると、三人。
この三人は絶対に許せない。
だが、感情にまかせてそのまま突っ込んでも、元々の技量で劣っているアースだ。
とてもではないが、相手に一矢報いることすら出来ないだろう。
手に握られている短剣の柄を強く掴み直したアースは、マテウスとデズホイを睨み付ける。
そんなアースの態度が気にくわないのか、二人はこれ見よがしに舌打ちをする。
「ったく、さっきはいい悲鳴で鳴いてくれたのによ。もうこれかよ」
「さすが英雄を目指しているだけはあるな。落ち着けマテウス。長い間遊べるようになったんだと考えれば、決して悪いことじゃないだろ」
二人のやり取りを聞いていたアースは、睨みながら叫ぶ。
「へんっ、自分達より強い相手には勝てないからって、まだ新人の俺に絡んでくる辺り、あんた達の程度が知れるな!」
あからさまな挑発ではあった。
もしこれが、自分達の同等の相手にされた挑発であれば、そんな挑発に乗ったりはしなかっただろう。
少なからず相手を警戒する気持ちがあるのだから当然だ。
だが……今回挑発したのは、自分達と同等の相手などとはとてもではないが言えない相手だ。
見るからに自分達よりも小さく、まだ独り立ちするには早いとしかいえないだろう子供。
そんな相手に挑発されて、実力不相応の歪んだプライドを持つマテウス達が我慢出来る筈がなかった。
「んっだとこらぁっ!」
最初に行動を起こしたのは、アースに対する苛立ちを抱いていたマテウス。
その苛立ちが爆発し、長剣をアースに向けて振り下ろそうとする。
既にアースを殺すことに何の躊躇いもない。
いや、逆に殺意を身に纏いながらアースへと襲い掛かった。
まだ冒険者としては未熟としかいえないアースだけに、当然そんな殺気を感じ取るようなことは出来ない。
それでも、マテウスが自分をどれだけ本気で殺そうと思っているのかというのは、マテウスの姿を見れば明らかだった。
「ったく、しょうがねえな」
マテウスの背後では、デスホイが不満そうに……それでいながら弱い相手をいたぶる行為を楽しむ嗜虐的な笑みを口元に浮かべつつ、矢筒から矢を一本抜き、弓を引く。
アース程度の腕ではどうあってもマテウスに勝てるとは思わないが、この場合警戒するのはアースではなく、その左肩にいる青いリス……ポロだ。
現に、ポロから放たれた電撃により、ラモトは意識を失っているのだから。
「おらっ、お前に好き勝手はさせねえよっ!」
そう叫び、デスホイの手が張り詰められた弓の弦から離れる。
空気を斬り裂きながら飛んでいくその矢の一撃は、格別に鋭いという訳でもない。
本当に腕の立つ弓術士やレンジャーの類であれば、弓の弦をもっと強く張り、矢の速度を高める。
だがデスホイはまだ低ランク冒険者であり、そこまでの域には達していなかった。
それでも放たれた矢は、人に刺されば十分な殺傷力を持っているのは変わらない。
マテウス達が目的としていたのは、本来はポロを生け捕りにして売り捌くということだった。
そんな当初の目的を忘れたかのようにデスホイの行動だったが、この場合は寧ろそれが良かったのだろう。
「ポロロロッ!」
長剣を手にしたマテウスへと攻撃をしようとしていたポロが、自分に飛んでくる矢に気が付き、そちらへと紫電を放つ。
真っ直ぐに飛んだ一条の電撃は、ポロ目掛けて飛んできていた矢をあっさりと撃ち落とした。
焦げて地面に転がる矢に、デスホイは一瞬驚きの表情を浮かべる。
電撃自体は先程ラモトへと放った一撃を見ているのだが、それでも一度見ただけで慣れる程に簡単なものではない。
しかも先程のラモトへの一撃を考えると、迂闊に食らえばその時点で意識を奪われてしまうのだから、余計に警戒する必要があるだろう。
ポロを警戒するデスホイではあったが、十分に役目は果たしていた。
何故なら、ある程度魔力を貯める必要があり、ポロも電撃を連射出来る訳ではない。
強力な一撃を放てるポロではあるが、ポロもまだ子供なのだから。
そんな中でポロにとって幸運だったのは、デスホイがまだ低ランクの冒険者であり、相手の仕草からその行動を読むといった能力が未熟だったことか。
そして何より、自分の矢を一瞬で撃ち落とした電撃の能力を見れば、デスホイはとてもではないが迂闊な行動は出来ない。
そんな風にポロとデスホイが睨み合っている中、少し離れた場所ではアースがマテウスとの戦いを繰り広げていた。
いや、それを戦いと表現するのは相応しくない。
一方的に攻撃するマテウスの長剣による一撃を、アースが何とか防いでいるというのが正しいのだから。
自分の攻撃が次々に防がれ、回避されているにも関わらず、マテウスの表情に焦りや苛立ちの色はない。
当然だろう。マテウスは意図してアースが受け止めることが出来る程度の威力に抑えて攻撃を繰り返しているのだから。
最初は殺意に任せて一撃でアースを殺そうと思っていたマテウスだったが、最初の一撃をアースが凌いだのを見て考えを変える。
自分をここまで苛立たせる相手なのだから、一撃で殺すような真似をしては腹の虫が治まらないと。
アースと自分の実力差を思う存分に見せつけ、その上で絶望を感じさせてから殺してやると。
マテウスにとって幸いなことに、今いる場所は他の冒険者は殆ど来ないような場所だ。
もしここでアースが死んでも、それは依頼の最中にモンスターによって殺されたということになる。
……いや、そもそもこんな場所で死んでいるのであれば、死体を見つける者がいつになるかすらも分からないだろう。
もしかしたら、死んだのではなく行方不明という扱いになる可能性すらあった。
だからこそアースをここで殺すと決めたマテウスは、長剣を振るいながら下卑た笑みを浮かべる。
「おらっ、どうした! 英雄になるんだろ!? それがこの程度の攻撃も回避出来ないのかよ、おらぁっ!」
振るわれる長剣の一撃を、何とか短剣で防いでいくアース。
だが元々の技量で劣っている上、武器も短剣と長剣という違いがある。
その上、アースには近接戦闘における才能は皆無と呼んでもいいような状態であり、とてもではないが意思の力だけでマテウスに勝てる筈もない。
振るわれる長剣を何とか短剣で弾いてはいるのだが、それでも完全という訳にはいかない。
顔や手といった場所に小さくではあるが幾つもの斬り傷が付けられ、時間と共にその傷は増えていく。
マテウスが本気になれば、一撃で致命傷を受けるだろう。
それは理解していたが、今のアースに出来るのは、ただひたすら防御に徹して時間を稼ぐだけだった。
時間を稼げば、もしかしたら誰か来るかもしれない。
この場所が滅多に冒険者がくるような場所ではないというのは理解していたが、それでももしかしたらという思いはある。
(それに……)
振るわれた長剣の切っ先で手の甲を斬られ、血が地面に零れ落ちるのを感じながらも、アースの視線はこの場の最大戦力である自らの相棒へと向けられる。
身体中に斬り傷を作っているアースだったが、緊張と興奮により痛みを殆ど感じずに済んでいた。
「いい加減に飽きてきたな。……そろそろ死ぬか?」
一向にアースの目に絶望が宿らないのを見て、面白くなさそうに鼻を鳴らすマテウス。
そんなマテウスに対しアースは無理をしながらでも強引に口元に笑みを浮かべて叫ぶ。
「ふんっ、あんたの……いや、お前の攻撃で今までずっと俺を殺すことが出来なかったくせに、何を言ってるのさ。負け惜しみはみっともないぞ! 今謝れば、慈悲を与えてやってもいいぞ!」
こんな時でも、アースは自分が好きな英雄譚の中に出てくる台詞を口にすることが出来た。
そんな自分に満足しながらも、アースの視線は怒りで顔を真っ赤に染めたマテウスへと向けられ……
そして、少し離れた場所にいるポロが急に叫んだ自分の方へと視線を向けているのを見た瞬間、より大きな声で……マテウスと、そしてデスホイの注意を引くべく叫び声を上げる。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
その叫びは、間違いなくマテウスとデスホイの注意をアースへと引き付け……
「ポロロロッ!」
一瞬の隙を逃さず、ポロが電撃を放つ。……デスホイではなく、マテウスへと。
「なっ!」
ポロの声で我に返ったマテウスは、咄嗟に長剣を盾にしようと前に出す。
だが、それで電撃を防げる筈はなく……
「ぎゃっ!」
悲鳴を上げ、地面へと崩れ落ちる。
「うおおおおおおおおっ!」
地面に崩れ落ちたマテウスをそのままに、アースが向かったのは弓を持つデスホイ。
唯一誇れる、同じ年代の子供達よりは高い身体能力を活かし、短剣を構えてデスホイへと向かって駆け出していくのだった。
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