第9話

「へぇ、ここがブルーキャタピラーが出て来た森か。こうして見ると、特に普通の森と変わらないように見えるけどな」


 森の方へと視線を向けながら、気楽にビルシュが呟く。

 ランクCモンスター相当のブルーキャタピラーと戦うかもしれないというのにここまで楽観的でいられるのは、ビルシュの隣にいる人物の存在があった。


「頼むぜツノーラ。この森のことは、お前が一番詳しい。それに強さも申し分ないしな」


 犬の獣人でもあるツノーラは、ビルシュの言葉に苦笑を浮かべる。


「そう言われても、俺はそこまで言われる程に強くないぞ? 実際、この前ブルーキャタピラーには散々やられたんだし。怪我も治ってはいるが、それだって完全じゃない。今回も森の案内以外にはアースのお守りって仕事が主だしな」


 ツノーラの視線の先にいるのは、酷く緊張した表情を浮かべたままのアースの姿。

 本来であれば、アースはルーフに残っている筈だった。

 それが何故ここにいるのかと言えば、本人が強く希望したからだ。

 最初はリヴを始めとした他の冒険者達……それどころかリュリュや村長、ツノーラといった者達までもが森への同行を反対した。

 だがアースは決して自分の意見を曲げず、このまま置いて行けば間違いなく自分達を追ってきて危険であり、それならいっそ……ということでリヴ達と共に森への同行を許された。


「……」


 無言で森の中を見つめる……否、睨み付けるアースは、とても自分から森への同行を望んだとは思えない。

 まるで嫌がる子供を無理矢理連れて来たかのような……そんな印象すらビルシュは受けた。

 勿論アースが自分から同行を申し出たと知っていてもだ。


「ポルルルル」


 アースの肩の上にいる青いリスが、心配そうにアースへと視線を向けて鳴き声を上げている。


「……」


 そんな青いリスを、じっと見つめる一つの視線。

 今回の討伐隊の主役とも言えるリヴの視線だ。

 傍から見ればランクCモンスター相当の力を持つ存在がいる森へ同行するという無謀な行動をしたアースの様子を見ているようにしか見えないが、実際の内心は大きく違う。


(可愛い……撫でてみたいけど、多分怖がられるわよね。でも、向こうの人は今触れると危険な目に遭いそう。ああいう張り詰めた人を何人か見たことがあるけど、大抵が過敏に反応するし)


 青いリスに触れたいと思いつつ、アースの様子を見ればそれも出来ないと判断する。

 今、アースは自分の恐怖を克服しようとしているのだろう。

 それはリヴにも理解出来た。

 冒険者として生きていく以上、殆どの者が通る道ではあるのだから。

 ……もっとも、実はまだアースは冒険者として登録されてはいないのだが、リヴがそれを知ることはない。


「リヴ、そろそろ森の中に入ろうと思うんだけど。構わない?」

「そうね。いつまでもここでただ森を見ているだけでは意味がないわ。なら、さっさと中に入りましょう。……出来れば広い場所があればいいんだけど」


 サニスンからの言葉に、リヴは自分の槍へと視線を向ける。

 槍というのは、その長さ故に長剣よりも遠くの敵に攻撃出来るが、その分障害物の多い場所では使いにくい。

 特にこの森のように自然が豊かで多くの木が生えているような場所での戦いとなると、槍の長さは長所ではなく短所へと変わる。


(もっとも、ランクA冒険者になれば森の木を気にせず槍を振り回して、その勢いで木々が切断されたり折ったり出来るらしいけど)


 以前に聞いた噂話を思い出しながら、自らの槍へと視線を向け、意識を集中する。


「じゃあ行くわよ。先頭は私。次にシャインズ。真ん中にツノーラとアース。その後ろにサニスン。最後尾がビルシュ。いいわね?」

「俺が最後尾かよ?」


 リヴの言葉に不満そうに言うビルシュだったが、無言でリヴが視線を向けると慌てて首を横に振る。


「いやいや、文句はねえよ。うん、文句はない。この臨時のパーティを纏めてるのはリヴなんだから、文句はないって」

「全く、馬鹿ばかり言ってないの」


 ビルシュの相棒のサニスンが呆れたように呟いて軽くビルシュの頭を叩き、それをにビルシュが何か言いたげにしながらも、最終的には黙り込む。

 そんなビルシュへと視線を向け、続いて他のメンバーへと視線を向けるリヴ。

 誰も文句がないのを確認してから、リヴは先頭を切って森の中へと入っていく。

 本来はこのパーティのリーダーでもあるリヴが先頭を歩くというのは、あまり良いことではない。

 だがパーティの構成を考えれば、近接戦闘要員のリヴとビルシュは先頭と最後尾になる必要がある。

 中央ならまだしも、最後尾ではいざという時に指示を出すのが遅れる可能性が高い。


(ツノーラの体調が万全なら先頭を任せられたんだけど。そうすれば私が中央でアースを守ることが出来たでしょうし。それに……)


 一瞬だけリヴの脳裏に、アースの肩を自分の定位置だとでも言いたげにしている青いリスの姿が過ぎる。

 ビルシュを始めとした他の面子もその青いリスが何らかのモンスターだろうというのは理解していたが、それでも何かを言うことはなかった。

 そもそも、あんな小さなモンスターに何か出来るとも思っていなかったし、見るからにアースに懐いていたというのもある。

 気が付けば脳裏を過ぎる青いリスの愛らしさに頬が緩くなるのを我慢しつつ、自然に出来た道を歩き、時には邪魔な茂みを槍で切り捨てながら森の中を進む。

 特に何も起きないまま三十分程経った頃、ビルシュが我慢の限界といった風に口を開く。


「モンスターとか、全然いないじゃねえか。本当にここにブルーキャタピラーがいたのか?」


 それは、ビルシュにとっては暇潰しの意味を込めた一言だった。

 ビルシュも、こうして自分達が派遣されたのだからブルーキャタピラーの存在が見間違いだったとは思っていない。

 それでも春の陽気で湿気が多く蒸し暑くなり、茂みを避けながら虫にも注意しつつ移動するのが面倒になったビルシュにとっては、愚痴りたくなるのも仕方がないのだろう。

 もっとも他の面子が……それこそアースですら黙って森の中を進んでいたのだから、どれだけビルシュの落ち着きがないのかは明らかだったが。

 普段であればビルシュよりも落ち着きがないとされるアースだが、今は自分がブルーキャタピラーのテリトリーの中にいると理解している為、余計なことを口に出来るだけの余裕はない。


「ポルルルルゥ……」


 そんなアースを心配そうに眺めるのは、青いリス。

 青い毛並みを春の森の空気にたなびかせ、そっとアースの顔へと視線を向ける。

 本来であれば、野生のモンスターがここまで人に懐くということは滅多にない。

 そんな青いリスの様子は、当然他の者達からもひっそりとではあるが注目を集めていた。


(どうなってんだろうな。ルーフで冒険者生活を始めてから随分と経つが、こんなモンスター見たこともねえぞ。狩人としてそれなりに自信はあったんだが、俺もまだまだ甘かったってことか)


 ツノーラは自分の隣を歩くアースの様子を見ながら、内心で溜息を吐く。

 ルーフの中で最も腕の立つ冒険者であり、狩人であるといった自信を持っていただけに、ブルーキャタピラーの一件からその自信は失われっぱなしだった。

 それでもこうしてまだ踏ん張っていられるのは、アースを守らなければいけないと自分に言い聞かせている為だろう。

 ツノーラがアースを守っているのではなく、アースを守ることによってツノーラが何とか冒険者としてこの場に立っている……というのが正しいのかもしれない。

 そんな風に考える自分の気弱さに若干嫌気が差しながらも、それが決して自分の考えすぎではないということも理解していた。


「しっ!」


 ツノーラが自分の行為に嫌気をさしつつ森の中を進んでいると、不意にリヴの小さな、それでいて鋭い制止の声が周囲に響く。

 共に行動している者達だけに聞こえる程度の小ささで、それでいて聞き逃さない程度の音量。

 そんな声を発したリヴの視線の先にいるのは、三匹のコボルト。

 手に粗末な木で出来た槍や短剣といった武器を持ったコボルトは、どこへ向かっているのか分からないが森の中を進んでいた。


「どうする? やるかい?」


 リヴの後ろで弓を手にしているシャインズが、いつでも矢を放てる準備をしながら尋ねる。

 もしリヴがやると言えば、すぐにでも矢を放つだろう。

 リヴがビルシュとサニスンの方へと視線を向けるが、ビルシュは当然戦う気であり、サニスンもそれは変わらない。

 リヴが何と言おうが今すぐにでもコボルトに向かって突っ込んで行きたそうにしているビルシュと違い、サニスンはリヴの答えが否だった場合は大人しく矢から手を離すだろうという違いはあるが。


(この二人は大丈夫ね。ただ……)

 

 次にリヴの視線が向けられたのは、ツノーラとアース。

 ツノーラは長剣を、アースは短剣を手に持っている。

 ツノーラの方は長年この森の中で活動してきた冒険者らしく、落ち着きを見せていた。

 だがアースの方は、見て分かる程に緊張している。

 本来であれば村に置いてきたかった人物なのだが、あの剣幕を考えると間違いなく自分達の後を追ってくるだろうという確信があった。

 それならばということで、こうして共に連れて来たのだが……


「大丈夫?」


 小さな声でリヴはアースに声を掛ける。

 もしここで大丈夫じゃないと言えば、すぐにでも村へ返そうと心に決めて。

 だが、アースはリヴの言葉に頷きを返す。


「へ、平気だよ。このくらい、なんともないさ」


 恐怖を堪え、コボルトに聞こえない程度の小声を発するアースを見て、リヴの心は決まる。

 自らの中から生まれる恐怖に抗い、先へと進もうとしている少年の心に粗雑に扱うわけにはいかないと。


「倒すわ。ここで下手にコボルトを見逃して、ブルーキャタピラーとの戦いに乱入されたら面倒になるもの」

「よっしゃ。じゃあ行くぜ?」


 早速長剣を手にコボルトに攻撃を仕掛けようとするビルシュだったが、リヴはそれを止める。


「待ちなさい。折角弓術士が二人もいるんだから、まずは弓で先制攻撃をするわ。それで敵が混乱しているところに私とビルシュが突っ込む。ツノーラとアースはここでシャインズとサニスンの護衛。二人には弓を射ることに集中させて。いいわね」


 素早く指示を出し、皆がそれに異論はないと頷き、素早く準備を始める。そして……


「ふっ!」

「やぁっ!」


 シャインズとサニスンの二人が、同時に矢を射る。

 放たれた矢は真っ直ぐに進み……コボルトへと突き刺さるかと思った次の瞬間、突然現れ、コボルト三匹のうちの二匹へと牙を突き立てた青い何かに突き刺さる。


「ブモオオオオォォォッ!」


 突然現れたその青い何かは、口の中にあったコボルトの死体を吐き出して雄叫びを上げる。

 怒りか、それとも痛みか。

 ともあれ突然姿を現したその青い壁の正体は、この場にいる誰もが知っていた。

 それは自分達が討伐する為に森の中へとやってきた理由……即ち、ブルーキャタピラーだったのだから。

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