ドッペルゲンガー
櫻田ミリ
第1話 タリスマン
静寂の彼方。普段通りの学校からの帰路を白い息を吐きながら踏みしめる。
冬は嫌いだ。悴んだ指を学校指定のコートのポケットの中で遊ばせながら思う。だからって特別好きな季節があるわけでもない。
思えば、異常はもうこの時には始まっていたのかもしれない。或いは、それ以前から既に。
僕の巻き込まれた事件の一部始終をこれからお話しようと思う。聞く耳を持つ人間がいるかどうかは別として、話すことでいくらかこの奇々怪々とした現象への気持ちの整理が付くのだろうと期待して。
普段通りだった帰宅路は、ある人物によって搔き乱された。
暗がりの中、電柱の頂点に人影が見える。見間違いかと思い目を擦っていると、音もなく新体操ばりの空中2回転を決めて片膝を着いて地面に着地した。
何事もなかったかのように立ち上がった少女は、くのいちと巫女の折半のような服装で、先端に七色の勾玉を揺らす何本かの細い三つ編みが混じった髪を、赤い組紐で後頭部の高い位置にひとまとめにしていた。
これだけのアクロバティックな登場を見せながら体幹はじりともせず、彼女の黒髪だけが揺れていた。
そして、呪いの言葉を吐いたのだった。
「あなた、近いうち、死ぬわよ」と。
縁起でもない言葉に思わず身を竦める。少女の瞳だけは金色に輝いていた。凛とした眼差しがこちらを見据える。
日本人ではない、というか、ファンタジーでよく見る吸血鬼とか死神とか魔術師とかの類であって人間かどうかすら怪しいのではないかと思われたけれど、預言者は得てしてこのように現れるのかもしれなかった。
宗教や神やファンタジーの世界を信じるわけではないけれど、僕にもゲームや漫画や小説の中のその手の世界に憧れがないわけではなかった。だからって、こんな縁起でもない言葉を見知らぬ女に投げかけられるよりは、朝起きたら異世界の勇者になっていたという方が都合がいいのだが。
「はぁ、どういうことでしょう。冗談か人違いじゃないですか。僕、至って健康ですし、死の兆候なんてこれっぽちもありませんよ」
変哲もない言葉を返す。実際その通りだった。身に降りかかる災いなんて縁遠い話だ。僕なんかは毎日ごく普通に退屈を持て余しながらも健全に過ごす一高校生に相違ないのだから。
「これからよ」
女は構わず続ける。青白い手を目の前に掲げる。
「死にたくなかったら信用することね。あなたは次の標的に選ばれたの。ごく一般的なサンプルが抽出されるものなのよ。大々的にその死が取り上げられることもなく、自然死として片づけられるような人間。それならあなたにも完全に合致するでしょう?」
若干失礼なことを言われている気もするが、無論、否定はできないのが悔しいところだ。しかし事前に僕のことを調べているような口ぶりにざわざわとした悪寒が足元から走った。
「あなたの世界線は既に交錯している。あなた自身に対してまだ報告が入っていないだけ。彼らが動き出せばすぐに無視できないような事態に陥るわ」
何を言っているのかは分からないが、本当にファンタジー漫画の世界だな。巻き込まれるにしろ命が掛かっているというのは穏やかではない。彼らというのが刺客か何かだとすれば特に運動などの特技もない僕には歯が立ちそうにないのだし。
「信じるかどうかはあなた次第。何かあったらこれを掲げなさい。その時が来れば私はいつでもあなたの元に駆けつけるから。恐らく掃討が必要な事態に陥ってることでしょうからね。こちらとしても狩りには好都合だわ」
そう言って渡されたのは円環に五芒星が填め込まれたペンダントだった。
「これは」
「タリスマンよ。お守り代わりに肌身離さず持っておくことね」
「……はぁ」
悴む指で受け取るとコートのポケットに仕舞い込む。気味が悪いがこれなしで本当に死の危機に瀕したら洒落にならない。女の話を信じたわけではないが保険はあるに越したことはない。何か物騒な単語も続々と飛び出してきていることだし。
「今日は彼らも静かね。これから先、気を付けなさい。あなたに死なれたら私も困るのだから」
なぜ?訊く前に女は姿を消していた。辺りを見回す僕の姿だけがその場に残されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます