お墓の上には勿忘草と紫苑を添えて

曇天紫苑

第1話


 女達は、部屋で死んでいた。

 生き物の気配はしない。死人の冷たい雰囲気だけが、漂っている。

 部屋の中は居住者の心を表しているのか、清潔感が有った。ただ、棚の上に並べられた心霊物の本や映像ソフトが、異彩を放っている。それを除けば、健康的で何ら違和感の無い部屋だ。

 そこで、女が二人転がっていた。

 片方、若い女の死体は、床の上で寝そべる様に倒れ、目を瞑っている。髪にはヘアピンが一つ有り、その胸からは血が流れていた。

 そんな女を守る様に抱き、倒れても尚、指を絡めて手を繋いでいる女が居た。こちらは目が開いたままで、その瞳からは涙が流れている。何やら切なげな表情のまま、女と手を固く握り、全ての苦しみから守ろうとしている風に見えた。少しも動かないが。

 死後間も無いのか、死体は一つも劣化していない。まるで生きていると主張するかの様に生気を放っていた。しかし、それでも二人の女は死んでいた。それが現実だった。

 二人の女は手を繋いでいた。少しも動かず、流れた血が床へと染み着いていたが、女達は死んでも切れない絆だと言わんばかりに、手を繋ぎ続けていた。


 心霊ものの体験記が綴られた文庫本。その帯には、「死は救いなのか?」と書かれていた。











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「要するに、死ぬ事の恐怖は、虚無への恐怖なんだよね」


 左手の人差し指を突き出して、鈴結鹿が語っていた。

 カフェのテラス席に腰掛けながら、太陽の光に透き通る白の指を露わにして、彼女は小さくウインクをする。その瞳に写るのは、結鹿の話を興味深そうに聞く、緑碧の姿だ。


「そうかな。私は、後が有るって分かってても怖いけどなあ。辛いし、寂しいよ、きっと」碧がジュースを片手に相槌を打つ。

「いや、いや」結鹿はさも悲しげに首を振った。「死んだ後が有ると知ってると、案外人間は気軽に死ねる物だよ」


 結鹿は、カフェ沿いの歩道を眺めた。

 彼女の目には、生きていない者が見えている。巡回中と思わしき年輩の警官、誰かを捜す小さな女の子、他の客から注文を受けている虹色の髪をした店員。どれも生きていない人々で、虹色の店員以外は、殆どの人間には見る事も出来ない。

 最後に、結鹿はコーヒーカップへ目を向けて、大きく息を吐いた。


「……ただ、死ぬ方は良くても、残された側は苦しいだけだけどね。後が有ろうと無かろうと、それは喪失だから」

「だろうね……見えてない人には、悲しいだけだよね」

「その通り」結鹿は頷き、コーヒーに砂糖とミルクを入れて、混ぜた。

「見えたとしても、生きている人間は成長もすれば老いもする。死んだ人間は変わらないから、それはそれで悲劇かもしれないね」


 薄まった茶色のコーヒーを飲むと、丁度良い味だったのか、結鹿は満足そうな様子となる。湯気が彼女の頬を撫でて、肌を少しだけ赤くしていた。

 アイスコーヒーを飲みながら、碧は静かに結鹿の顔色を観察する。元の肌が白いからか、変化が分かりやすい。


「見える人には、見えるからね。私とか、結鹿さんも」

「まあ、世の中には誰の目にも見えるくらい目立つのも居るけれど」結鹿は虹の髪をした派手な青年の店員を一瞥し、思いついた様に手を叩いた。「そうだ、碧は、初めて見えた時は怖かった?」

「どうだろう」過去を思い返し、碧は首を横へ振った。「大丈夫だったと思う。そんなに怖いとは思わなかったかな。むしろ、相手が死んだ人なのに後から気づいたくらいで。気づいた後は凄く怖かったけど」

「あ、結鹿さんはどうだったの?」碧は尋ね返した。

「私?」意表を突かれた様子で、結鹿が瞬きをする。「そうだね、特にどうとも思わなかったかな。基本、人間と同じだから。見ず知らずの人間に見られたからって、詰め寄って怒り出す人は少ないよ」

「普通の人だもんね」

「生きていても死んでいても、そうそう人間って変わらないんだよね」


 楽しげに笑うと、結鹿は起源の良さそうな表情のまま、左手の人差し指を立てる。


「碧も知っての通り、見えてるというのは面白いし、素敵な事だよ。怖がる事じゃない。むしろ見えない方が悲しいと思うなあ」


 結鹿は言葉を区切り、コーヒーのカップを置いた。


「ところで、こんな時間から私と話していて大丈夫なのかな? 大学は?」

「平気だよ、アルバイトはこの間辞めちゃったし、大学はもう殆ど単位取れたから」

「後は就職活動、か」

「霊能力者にでもなる?」

「面白そうだけど、碧には向いてないと思うね」


 愉快げな結鹿の言葉に、碧は頷いた。見える事と、人にそれを説明出来る事は、また別の才能が必要となるだろう。


「結鹿さんこそ、お仕事は?」何となく返事を察しながらも、碧はそれを尋ねた。

「私は自由な人間だよ、だから大丈夫」微笑みながらも結鹿が顔を近づけ、声を潜めた。「本当は、印税収入が有るんだよね。心霊関係で幾つか」

「え? 初耳だよ、それ」

「言ってなかったから、ちょっと恥ずかしくって」


 結鹿の視線が、虹色の髪をした店員へと向かう。視線に気づいた店員が、輝かんばかりの笑みで会釈した。


「ちょっとしたお小遣いみたいな収入だけど、碧とほぼ同棲している訳だし、それで十分。むしろ、碧の方が心配だよね。急にアルバイト辞めちゃって大丈夫かな?」

「お父さんとお母さんから仕送りが有るから、しばらくは平気だと思う」

「愛されてるなあ、碧は」感じ入る様に、結鹿が呟いた。


 その時、店員の男性がケーキを持ってやってきた。髪は黒で、年齢は三十代の後半くらいか。

 男の店員は、「お待たせしました」と告げ、慣れた手つきでケーキをテーブルの中央へ乗せて、取り皿を二つ、結鹿と碧の目の前に置く。


「ごめんなさい、もう一つお願い出来ますか?」


 碧が指を一本見せると、店員は大きく頷き、そのまま去っていこうとして、フォークを渡していない事に気づいて戻ってくる。慣れていないのか、それとも疲れているのか、店員の態度は少しだけぎこちなかった。

 大丈夫です、と言って、碧は店員の持っている入れ物からフォークを二つ取り、微笑みかけた。

 疲労を隠さないまま、店員は苦笑いをする。

 他の客が立ち上がった所で、店員は碧と結鹿に頭を下げ、会計へ向かおうとした。


「待った」


 静かに立ち上がり、結鹿が無表情で店員を止めた。

 振り向くと、店員は営業用の笑顔を見せる。結鹿は店員をじっと見つめた、そして、唐突に笑った。


「貴方のお嫁さんは、美人だよね」


 碧は思わず周りを窺い、首を傾げた。

 店員の側には、誰も居ない。しかし、結鹿は確信を持った調子で言葉を続けた。


「大切にした方がいいよ」


 結鹿は素早く店員に近づき、その肩を叩く。

 何か思い当たる所が有ったのか、まず、驚きが店員の顔に出る。そして、憔悴した様に弱った顔となり、店員は一度頭を下げて、逃げる様に去っていった。

「あ」逃げ出す様に会計へ向かう背中を見て、碧の口から声が漏れた。

 振り返ると、結鹿は碧に向かって小さくウインクをして、席へと戻る。


「と、まあ。こんな事だって出来る。面白いね」


 意地の悪い笑みのまま、結鹿はフォークを碧の手から受け取り、丁寧にケーキを切った。

 柔らかなマロンクリームを生地に重ね、半分の栗の剥き身が幾つも置かれたケーキだった。見かけは小さな三角のケーキだったが、味は保証されている。

 それを作っている虹色の髪をした店員を一瞥し、結鹿はケーキの端を口へ入れる。瞬く間に幸せそうな顔をして、控えめに頷いていた。

 美味しそうに食べ始めた事を見て、碧はやっと周りを確認するのを終えた。そして、また疑問を浮かべた。


「今のって、何か見えたの? 私には見えなかったんだけど」

「ああ、何も見えなかったよ」あっさりと言い切り、結鹿は舌を出した。「ちょっとした悪戯」


 舌にクリームが残っている。碧はそれを確認して、「口の中、クリームだらけだよ」と告げた。

 すると、結鹿は一瞬だけ目を逸らして、コーヒーを飲んだ。


「もう、見ず知らずの人に悪戯なんて良くないよ」

「かもね」口元を隠しながら、結鹿は頷いた。


 後で謝っておいた方が良いよ。そう言いながら、碧はテラスの壁に掛けられた時計を見て、時間を確認する。デザートには丁度良い時間で、客は大抵がケーキや一風変わったデザートを口にして、コーヒーや紅茶、時折緑茶を楽しんでいた。

 客席は九割程埋まっていて、中には死んだ人間も混ざっていた。誰も気づいていないか、あるいは見えていない様子だ。

 知識を持たずに見ると、地獄絵図にしかならない。碧がそう考えていると、虹色の髪をした店員が笑顔で側へと寄ってきた。


「やほ、結鹿さん、碧ちゃんも」


 九島恭助は片手を挙げて、空いた手で二つ隣のテーブルを拭いた。少し距離は有るが、不思議と声は届いた。


「九島さん、相変わらず派手な髪ですね」

「染めてるんじゃないかって、疑われるからね、失礼しちゃうよ」

「こんにちは、九島さん。この間は相談に乗ってくれて、ありがとうございます」碧が頭を下げた。

「良いって! 力になってあげられたなら、何よりだよ」

「え、相談?」結鹿が顔をしかめた。「碧、この人に何か相談したんだ? 私に言ってくれれば良かったのに」

「あ、ごめんね。今回は九島さんに聞きたい事だったから」


 結鹿は心底残念そうな表情をしたが、すぐに改めて、碧に向かって心配そうな目を向ける。自分の気持ちなどよりも、相手の現状の方が気がかりだったのだろう。


「それで、碧の相談事は解決出来たのかな?」

「うん、まだちょっと迷ってるけど、もう大分楽になったよ」

「なら、しょうがないかな。でも、何か困った事が有ったらなら遠慮しないで。聞くだけでも、聞かせてくれたら嬉しいな」


 もちろん、と碧が返すと、その言葉に安心したのか、結鹿は優しく微笑んでくれた。

 話が一区切り付いた所で、九島がテーブルを拭き終えて、近づいてくる。


「ところで、美味しい?」

「はい、とっても。結鹿さんもそう思う?」

「そうだね、いつ来ても凄く美味しいかな」


 ケーキの感想を告げる結鹿の顔は、心から幸せそうだった。お世辞ではない事が、碧にはよく分かる。

 それを見た九島はガッツポーズをして、その場で左足を軸に一回転をした。客達の視線が集まったが、彼は恥ずかしげも無く笑っていた。


「それは良かった! 碧ちゃんも、結鹿さんも素敵な子だからね、喜んで貰えて嬉しいな」


 純粋な笑顔で、九島はウインクをした。青年の姿をしているが、その仕草はもっと幼い様でいて、同時に老人の様な落ち着きを感じさせる。何となく男性に見えているが、本当の性別はどちらなのか。

 その身を回転させた事で、九島の髪が揺れていた。相変わらず、よく分からない外見だ。カフェの店員だというのに鮮やかな色彩の虹髪で、本人は地毛だと言っているが、真偽は定かではない。存在自体が冗談みたいな物だ。碧は、結鹿がそんな風に言っていた事を思い出した。


「うんうん、良かった良かった。それじゃ、そろそろ私は仕事に戻るね?」

「忙しそうですね」

「それはもう! 私はいつでも幸せ一杯。君達も、幸せで居られる様に祈ってるから!」


 彼は素早く背を向けて、他の客が注文をしたがっている表情に気づき、瞬く様な勢いで歩いていった。止める事を許さない早さで、気づけば九島が周囲から消えている。酷く、忙しそうだ。

 結鹿は、無言で肩を竦めた。

 同感だと思い、碧が頷いて返す。


「ああ」何事も無かったかの様に結鹿がケーキを口にする。「ここのマロンケーキは本当に美味しい。作ってる人は、その、ちょっと変わってるけど。これだけは認められるんだよね。でも碧はイチゴ派だったかな」


 結鹿は幸福そうな顔となり、フォークを微かに舐めた。

 碧の側に有るのは、苺のショートケーキだった。生地の間だけではなく、クリームにも少し混ぜられているのか、赤色混じりのホイップクリームが目立っている。


「うん、そうかも。でもマロンも大好きだからね」

「美味しいからね、マロンもイチゴも」

「だよね」


 相槌を打ちながら、碧は苺のケーキを口にした。甘味の中に弱い酸味が混じっていて、果実らしい食感が柔らかな生地の間で存在感を放っている。

 何度か頷き、碧の目がまた時計の方を向く。それに気づいたのか、結鹿は一度フォークを置いて、同じ様に時計を眺めた。


「そろそろ集合時間だけど、来ないね」

「私達が早過ぎたかな。二時間前から待ってるとは向こうも思ってないだろうし」

「そうだね。普通は十五分前とか、それくらいに来る物かな」

「お昼ご飯も此処で食べちゃったからね。もう少し早めの時間に待ち合わせれば良かったかも」


 ケーキを頬張りつつも、碧は何度か周りを見回している。

 そんな様子を苦笑しながら眺め、結鹿が小さく伸びをした。


「それにしても、碧の男友達、しかも小学校からの付き合いの、ね」

「大丈夫だよ、良い人だから」

「別に、心配はしてないよ。期待はしてるけど」


 目を逸らした結鹿は、そのまま死んだ人間の観察に意識を傾けている様だ。

 碧は、そんな友人の姿を微笑ましく見守った。結鹿は、黒を基調にしたスーツを着た、見た目にはかなり大人びた女性だ。物憂げに頬杖でも付く姿が似合うだろう。ただ、心の中は子供らしさが有る性格で、何より、友人との会話を素直に楽しんでいる様子が目立っていた。

 どこか幸せそうな姿を、碧はしっかり見つめていた。すると、結鹿は視線を戻し、腕を組んで時計を眺めた。


「気になるね」結鹿は嬉しそうに語った。「碧の男友達なんて、初めて見るよ。いつも私と付き合ってばっかりで。てっきり他に友達が居ないんだと」

「え、そうでもないよ?」怒る素振りを見せつつ、碧は答えた。「友達は結構居るんだけど」

「そうなの? でも、今までは会わせてくれなかったから。私以外に仲の良い人が居ると聞いた時は、結構嬉しかったんだ」

「いや、ほら、結鹿さんと会わせるには、死んだ人が見える人じゃないと駄目かと思ったの。話について行けなくなるでしょ」


 碧の返事を聞くと、結鹿の顔付きが少しだけ曇った。


「ああ、そういう」一呼吸置いて、結鹿は溜息を吐く。「私と碧の仲なんだからさ、気遣いとかはしなくて良いのに。見えない人相手に嫌がらせをする様な性格じゃないの、分かってるよね。話くらい合わせられるよ」

「私が嫌だよ。一番大切な人が、一番大切にしてる話題を共有出来ないなんて」


 意表を突かれたらしく、結鹿は目を見開き、フォークを取り落としかけ、慌てて掴み直した。

まだ混乱が抜けないのか、何度も眉を寄せては緩め、皿をフォークで叩いている。

 最愛の人の動揺を、碧は仄かな幸福感で受け入れた。


「だって、私の一番大切な友達は、結鹿さんだから」

「は、はっきり言うね」詰まりながらも、結鹿は余裕を取り戻す。「ごめん、ちょっと照れてた」

「大丈夫だよ、分かってる」


 にこやかな笑みと共に、碧は親指を立てた。

 結鹿はフォークを持ち直し、今までよりも素早くケーキを口へ放り込む。碧はその仕草の意味に気づいていた。

 顔を上げると、結鹿は髪を軽く掻いた。清潔で柔らかな髪が、テラスの中で揺れる。

 髪を羨ましく思いながらも、碧は悪戯っぽい表情を崩さない。「そろそろ、来る頃だよ」

 時計を見ながらそう言うと、見計らった様なタイミングで、店沿いの道の端から、一人の男が現れた。男は碧を見て、慌てた様子で走り出す。

 「こっちだよ、こっち」それなりの早さで走る男に向かって、碧は手を振った。

 男は余計に慌てたのか、また足早にカフェテラスへ走った。それなりの早さだ。昔から、何の部活もしていない割には運動が得意な人だった。碧は、近づいてくる男の事をそう評価していた。


「悪い、遅れた」やっと到着し、男は頭を下げた。息切れはしていない。

「大丈夫だよ、私達もさ、ちょっと前に来たばっかりだから」

「だよね」結鹿はケーキの刺さったフォークを持ち上げた。興味深そうに男を観察している。


 視線を受けて、男は居心地が悪そうに目を逸らした。すると、その反応を見た結鹿は、小さく微笑む。


「紹介して良い?」

「うん。で、この、碧の男友達は誰?」


 結鹿が改めて尋ねると、碧は胸を張って答えた。


「この人は、愛貴暁君。友達なんだ。男の子だと。この人しか友達居ないけど」

「友達か」結鹿が固い表情を崩した。「恋人じゃなくて?」

「邪推は良くないと思うぞ。俺と碧は友達なんだから」暁が口を挟んだ。初対面の結鹿を睨んでいる。

「そっか、ごめんね」


 結鹿は素直に頭を下げた。

 毒気を抜かれた暁は、それ以上は何も言わず、空いていた席へ腰掛けた。すかさず虹色の髪をした九島が近づいて、メニュー表を手渡す。彼は結鹿にウインクをして、碧に手を振ると、そのままスキップをして他の客へ向かっていった。


「今の人、知り合いか?」戸惑いがちな暁が尋ねる。

「ちょっとね。色々と知ってる人だから」碧は苦笑した。

「あの人はね、ちょっと変わってて」肩を竦め、結鹿は「まあ、ケーキとコーヒーは美味しいんだけどね」と続けた。

「まあいいや。それで、この人が碧の友達か」

「そうだよ」大きく頷くと、碧は勢いよく結鹿の背中を掴む。「ね、ね? 美人でしょ。カッコいいでしょ。自慢の友達なの」

「ああ」暁は素直に頷いた。「その、話に聞いたより、ずっと、ああ、美人だ」


 賞賛の言葉に、碧が何度も頷いた。しかし、結鹿は特に気にするでもなく、ただ暁と碧の姿を交互に見比べている。

 反応の少なさに碧は首を傾げた。だが、すぐに首を振り、楽しげな態度で結鹿の背中に抱きつく。


「それでね、暁君。この人は」

「ストップ」


 結鹿が手を挙げて、碧の言葉を遮る。


「どうしたの?」

「いや、私に自己紹介させて欲しい。こう見えて自己主張が強い女だから、私」


 そう言いながらも、結鹿はケーキを食べ終えて、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と口にした。そして、そっと立ち上がり、背後の碧を撫でながら、口元に大きな笑顔を見せた。


「初めましてだよね、君の大切なお友達の碧、の一番の大親友こと、鈴結鹿だよ。ちなみに、鈴の寝の鈴に、結いの結、動物の鹿と書いて、ゆうか、って読むんだ」

「結鹿さんか。何というか、話に聞いてたより、その」

「怖いかな?」

「いや、そうでもないんだけどな」

「私はそんなに怖い者に見えるのかな」


 肩を竦めると、冗談めかした碧がその頭を撫で回す。碧の唐突な行動にも、結鹿は何の違和感も無く受け入れていて、慣れている様子だった。


「まあそれは良いか。それより」結鹿は咳払いをした。「碧からある程度は聞いてるんだ。その、暁さん。あなたは、見えるんだよね、つまり」

「ああ、多分見える。その、幽霊が、な」


 暁の顔が強ばり、同じくらい嬉しそうな表情となった。


「幽霊じゃない」結鹿は、少し気を悪くした様子で語った。「幽霊じゃないんだ。人はそう呼ぶけど、幽霊、なんて仰々しい呼び方は要らないと思うよ。精々、死んだ人、くらいの表現で良いと思う」


 結鹿は外側の道へ目を向ける。釣られて、暁が同じ方を見た。


「例えば、そこの子供とか」

「どこの子供?」

「ほら、あそこだよ」


 結鹿の言う通り、悲しそうに下を向いて、ランドセルを地面に放り出している少女が居た。しかし、少女は生きている人間だ。死んでいるのは、その隣で手を振る、もう一人の少女だった。

 紫のパジャマを着ていて、ランドセルは持っていないが、隣の少女と同じくらいの年齢に見える。しかし、どれだけ必死に手を振っても、誰も少女を見ようとしていない。


「ああ」暁も、会得した風だ。「見えた。あの小さい子か」


 体育座りをしている少女の横で、死人の少女は手を振って、存在を明らかにしていた。しかし、少女は気づかず、顔を上げると、遠目にも分かるほど大きな溜息を吐いて、通りから去っていく。

 死人の少女は、気づかれなかった事に肩を落としながらも、その背中を追いかけ始めた。


「可愛い子だね。私にもああいう時期が有ったなぁ。懐かしい」

「碧は今でも子供の様に可愛いよ」結鹿は訳知り顔だ。「残念ながら、死人は歳を取らないから、あの子は永遠にあの年齢のままだけど」

「しかし、あの歳で死んだのか」暁が切なそうにコーヒーを飲む。三人が気づかない間に、虹髪の店員が持ってきていた。

「珍しい事じゃないよ。ただ、皆自分の大切な人以外が死んだって、気にしない。凄く悲しい考えだけどね」

「冷たい考えだけどね、でも、しょうがないのかな」


 少しだけ、碧は他人事の様に考えていた。あの死んだ女の子にも、何か死んだ理由が有り、事情が有るんだろう。しかし、碧にとっては、知り合いでも何でもない相手の事だった。ただ、そんな風に考える自分の冷たさを、悲しんでいた。

 碧は、そっと死んだ少女の姿を見る。見覚えはない。結鹿なら、何か知っているのだろうか。

「碧?」結鹿が碧に近き、顔色を窺っていた。

 友人の言葉一つで覚醒した気分となって、碧は息を整えた。


「何でもないよ」


 本当に何でもない風に手を振って、碧はまた少女の方へ視線を戻す。

 すると、碧と死んだ少女の目が合った。

 死んだ少女は、大きく目を見開き、三人を指さしていた。酷く驚いた様子だった。


「気づかれちゃった」

「そうみたいだね」結鹿が肩を竦めた。


 死んだ少女が丁寧に入り口を開けて、店の中に入った。

 死んだ少女は店員の目を逃れる様にして、カフェテラスに入った。そして、三人の目の前に来た所で、戸惑う様に小首を傾げた。


「私の事、見えるの?」


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